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10 「紅葉の日常」

 



 学校が終わると紅葉は楓と一緒に帰る。体に比して大きなランドセルを背負い、左手でサッカーボール袋を、右手で楓の手を握って。


「それでね、(ゆき)お姉ちゃんもサッカー好きなんだって! 私のお姉ちゃんもサッカー好きなんだよって言ったら喜んでたよ!」


 楓は弾んだ声でそう言いながら、嬉しそうにブンブン紅葉と繋いだままの左手を振り回して喜ぶ。よかったね、と紅葉が言うと、うん! と笑顔が返ってくる。


 楓はペアである小学六年生と漸く打ち解けて話せたようで、さっきから嬉しそうに雪お姉ちゃんが、雪お姉ちゃんの、と紅葉に話しかけてくる。


(くぅぅ、笑顔のカエちゃん可愛い! よかったね、本当によかったよ! でも、私のカエちゃんが取られちゃったみたいでちょっと寂しい)


 二人は仲良く歩を進める。途中で蹴りやすそうな石を見つけ、無性に蹴りたくなるが、お母さんとの約束第九条を思い出し我慢する。鈴木さんちの玄関横に置かれた犬小屋から顔を出す、雑種のラッキー(楓命名)の頭と腹を満足するまで撫でたら、狭い路地を抜け、公園を使ってショートカットし、閑静な住宅街へと入る。


 そんな中、ある一定のタイミングで紅葉は顔を固くし、周囲を見回す。その度に楓がぎゅっと紅葉の手を少しだけ強く握ってくる。紅葉は楓の手の温もりを強く感じ、緊張から解放される。


 紅葉は車通りのある道が苦手だ。車が近づいてくる音を聴くと身が竦む。脇を通過する度に視線が釘付けになる。お母さんは紅葉のこの動作に気付くと、すぐ紅葉を病院に連れていった。原因が分からず、小児科から内科、神経外科と病院内を移動し、最後は紹介状を渡され、児童精神科のある病院へ行くことになった。


 児童精神科で下された診断はPTSDの可能性あり、であった。可能性あり、というあいまいなものになったのは、紅葉に外傷体験が見当たらない為であった。医師が分からないのは当然だ。むしろ、何の情報もなく、よくPTSDだと分かるもんだなぁ、と当時の紅葉は名医と呼ばれる先生の実力に感嘆していた。


 診察の際、医師に色々質問され、紅葉は原因が分かった。前世でトラックに轢かれたことがトラウマになっているのだ、と。しかし、前世が、転生が、などと言えるわけがない。結局、外を歩く時は家族がしっかり手を握って安心させてあげることと、後はしばらく様子を見ましょうという話しで終わった。


 その話を聞いた家族はそれ以来、外出時には紅葉の手を握って歩くようになった。特に楓はその話を聞いた後しばらく、絶対に離さないとばかりに四六時中、それこそ、寝る時も紅葉の手を握ってくれた。


(本当にカエちゃんは優しくて、いい子なのだ)


 紅葉は楓の手の温もりを感じながら、学校であったことを面白おかしく話す。


「それでね、昼休みに愛ちゃんが私の為にサッカー大会開いてくれたんだよ! みんなと仲良くサッカー出来て、すっごく楽しかったんだ!」

「へぇぇ! よかったね、お姉ちゃん!」

「うん、クラスのみんなとも仲良くなれたよ! ……ふふっ、大丈夫だよ、雪お姉ちゃんと仲良くなれたんだから、クラスメイトとだって仲良くなれるよ! だから、そんな顔しないの! 目指せ友達百人だよ、カエちゃん!」

「……別にいらないもん!」


 紅葉がクラスメイトと仲良くなったという話を聞いて、楓が私は一人も友達出来ていないと落ち込んだ表情をする。その落胆に紅葉は即座に気付き、絶対に大丈夫だと笑顔で励ます。しかし、楓には自信がないようだ。むくれてしまう。紅葉は笑顔でもう一度楓を励ます。


「絶対大丈夫だよ! み~んな、すぐカエちゃんの良さに気付くから! そしたら、友達千人は出来るよ!」


 だといいな、と小さな声で返事をする楓に、絶対大丈夫だよと笑顔で答える。車は近くになかったが、ぎゅっと握りしめられる手に力が込められる。


(大丈夫! 私のカエちゃんは世界一なんだから!)


 紅葉も楓の小さな手をぎゅっと握り返す。





 紅葉にとって楓は、娘のように可愛く、妹として大切で、そして偉大な先生である。


 紅葉には前世の記憶がある。だから、大人として振る舞うことが出来る。いや、大人としてしか振る舞うことが出来ないと言った方が正確か。幼少期の行動や喋り方など、大人になれば忘れてしまうのだから。


 しかし、我が子が赤子らしく、幼児らしく、子供らしくなかったら親は何を感じるだろうか。天才と思う? それは常識の範囲に収まってこそ生まれる感情だ。理解出来ぬ異常なものに感じるのは何であろうか。よくない想像しか出来ない。


 紅葉はベビーベッドの中でどうすればいいか考えた。答えは隣で幸せそうに寝ていた。そう、本物の赤子である楓の真似をすればよいのだ。運動能力を真似する必要はない。体が発達すれば自然と出来、それまでは頑張ったって出来ないのだから。


 真似をしたのは喋る方だ。楓が単語を話せるようになったら、紅葉も単語を呟き、楓が会話を出来るようになったら紅葉も会話を始める。その後も、サッカーの訓練以外では楓の話し方や仕草を可能な限り真似した。


 あっという間に紅葉の喋り方は女の子の、それも幼児のものになっていった。仕草も紅葉自身はあまり分からないが、女の子らしくなったと思う。そうすると不思議なもので、今度は大人の喋り方が出来なくなってしまった。まぁ、それは成長していけば自然と身に付くだろうから問題ない。


 楓がいたから、今の紅葉はある。お姉ちゃんとして楓の面倒を見る、などと思っているのに、お世話になってばかりだ。今だってこうして紅葉の手を握ってくれる。


 ――いつか、楓に恩返しが出来ればな


 それが、紅葉の偽らざる気持ちである。



 家に帰ると楓と一緒に手洗いうがいをし、おやつタイムに入る。今日はメロンと牛乳であった。メロンを一切れ楓にプレゼントし、お礼に牛乳を半分貰う。それ以上の交換はお母さんとの約束に反するから出来ない。楓が涙目になりながら半分に減った牛乳をコクコクと飲む。


 おやつタイムが終わると楓はリビングでピアノの練習を始める。紅葉はその音を聴きながらゴムボールでリフティングやドリブルの練習をする。最近では楓の曲に合わせて、踊りながらリフティングをしている。


 これは楓のウケが良かったので、紅葉は調子に乗って回転しまくり、ゲロを吐いたり、壁に頭をぶつけたりしていた。言うまでもなくお母さんとの約束が、また一条追加されることになった。


 お母さんが夕飯の支度を始めたら、紅葉はそれを手伝う。お手伝いを始めて半年の紅葉はお母さんにしたら、まだまだお邪魔虫であろう。お母さんの指示通りに動き、極力邪魔にならないように気を付けている。


 最初の頃はレタスちぎりや、盛り付け、お皿運びしかさせてもらえなかった。最近は火の傍に近づいてのお手伝いを許され、お味噌汁作りは紅葉に一任されるまでになった。今は包丁の使い方の特訓中で、お母さんと一緒にきゅうりを切る練習をしている。


 そして盛り付けは紅葉にとって一番の腕の見せ所だ。楓のお皿にピーマンやナス、ニンジンを少なく盛るのだ。あんまり露骨にやると、お母さんが楓と紅葉のお皿をチェンジするという最悪の事態を招くことになる為、緻密な加減が求められる。もし失敗しようものなら、楓のジト目攻撃というご褒美が待っているので大変だ。


 夕飯はお母さん、和博、楓と紅葉の四人でとる。お父さんは大抵仕事でいない。テレビはスカパーのサッカーチャンネルが音声無しで映り、ポータブルデジタルレコーダーからクラシックやピアノ課題曲が流れている。そんな中、今日何があったか皆でお母さんに報告しながら食べる。


 紅葉がサッカー少年団に誘われたことと、お父さんにも来てもらいたいって言ってたと話すと、お母さんはじゃあお父さんに相談してごらんなさいと言う。わかったと紅葉は返事をする。お母さんが目を離した隙に、楓がピーマンを紅葉の口に放り込んでくる。


 夕飯が終わるとお風呂だ。お母さんと楓の三人で入る。前は和博とも一緒に入っていたのだが、一人で入るからいいと和博が言い出して、あ~、和君成長したんだなぁ、と紅葉は感慨深げに頷いたりしていた。


(でも、お母さんのおっぱいみると、そんなに私のは大きくならないかもしれないな。お母さんの妹さんの写真も巨乳って感じじゃないし)


 紅葉は自身のぺったんこな胸とお母さんの胸を交互に見比べて安堵する。いや、お母さんのおっぱいは決して小さいわけではない。よく分からないがCカップくらいなのだろうか。これくらいなら、邪魔にならないだろうし、奇麗でいいなと紅葉は思うのであった。


 お姉ちゃん洗って、と楓に言われ、紅葉は楓の身体を隅から隅まで優しく洗っていく。最後にリンスを丁寧に洗い流し、洗い残しがないか確認してから、終わったよと声を掛ける。ありがとう、お姉ちゃんと笑顔でお礼を言われて、紅葉は嬉しくなる。いつかこの子にも反抗期が来て、触んじゃねーよ、糞婆ぁ! とか言われてしまうのだろうか。そんなこと言われたら自殺しそうだと考えながら、自分の身体を三十秒で洗い終え、お風呂へダイブする。そして、お母さんにしっかり洗いなさいとお風呂からつまみ出される。


(いや、髪の毛洗うの面倒くさくない? 髪の毛洗うのに三十分も掛けないといけないとか、私には無理だよ。もちろん、カエちゃんの髪はしっかり洗うけど)


 お風呂から出ると、一気に眠気が襲ってくる。歯磨きと髪の毛を乾かした後、元気にピアノを弾く楓の隣に座り、ヘッドフォンから流れてくるツェルニーの練習曲を聴く。楓曰く、消音ユニットの音は奇麗すぎてつまらないそうだが、紅葉には生音と電子音の違いは分からない。


 しかし、このゆったりしたリズムはいけない。魔法のように瞼が落ちてきて、あっという間に意識が持っていかれる。


 目覚ましの音で紅葉は目を覚ます。最小に設定した音で鳴き続ける犬の鼻を押す。ふわぁっと一つ欠伸をしてから隣を見る。楓が涎を垂らして実に気持ちよさそうに寝ている。どうやら、昨日はあのまま寝てしまったらしい。


 楓の頭を一撫でした後、よし、と気合を入れてベッドから出、パジャマから綿のズボンとロンTに着替える。そして大切なサッカーボールをリュックに入れ、背負う。


 子供部屋を出て、一階のリビングに行く。新聞を読むお父さんにおはようと挨拶をし、コップ一杯の水を飲んでから連れだって外に出る。時刻は五時、太陽が東から顔を出した薄明りの中、ストレッチをする。


 お父さんとジョギングをしながら、お話をする。人も車も通らない早朝は、紅葉にとって安心して出掛けられる時間だ。以前はジョンも一緒だったと思うと少し寂しい気持ちになる。一キロほど離れた公園まで行き、そこで紅葉は壁目掛けてサッカーボールを蹴る。

 

 お父さんはその間、地面に寝そべって柔軟体操をしている。十分ほどしたら、またジョギングで家を目指す。紅葉は少年団に誘われたことを思い出し、お父さんに話す。


「それでね、お父さんと一緒に来て欲しいって!」

「はぁはぁ、そうか、土曜日の九時だね。はぁふぅ、わかったよ」

「ほんとう! ありがとう、お父さん! あとね、少年団ってボランティアでお手伝いがあるんだって。お父さんもお手伝いしてもらうことになっちゃうかもしれないんだって」

「はっはっ、紅葉の為なら何だってするさ! ふぅはぁ、任せなさい!」

「ありがとうお父さん! えへへ、じゃあ、家まで競争ね!」

「ふぅふぅはぁぁ、いや紅葉、はぁはぁ、ペースを守るのが、はぁはぁ、走ることにおいては、ひぃぃ、ふぅぅ、重要なんだ、はぁはぁ、わかるかい、ふぅぅはぁぁ」

「そっかぁ、さすがお父さん!」


 家に着いたら、お母さんにおはようと挨拶して、お父さんと一緒にシャワーを浴びる。その後、お父さんと朝ごはんを食べ、会社に行くお父さんを見送ってから、楓を起こしにかかる。寝起きのボケーとした楓は実に可愛い。ベッドから動かない楓の髪を梳いて、服を脱がせ、着替えさせる。そして手を引いてベッドから連れ出す。


 こうして紅葉と楓の一日は始まるのであった。




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