太閤逝く
短いですが。どうぞ。
時は1598年。京都伏見城。
そこである男の最期の時が来た。
「父上」
『ひ、秀頼か。すまんの~。わしはもうだめのようじゃ』
「父上。何を言っておられるか。太閤たる父上が」
『老いには流石の猿も勝てんのじゃ』
「父上」
『ま、政宗殿。家康殿』
『『はっ』』
『豊臣を。秀頼を頼みますぞ』
『はい。お任せくだされ太閤様。この政宗、関白殿下をお支え致します』
『太閤様。この家康にお任せくだされ』
『頼みましたぞお二方。豊臣を頼むぞ関白、豊臣秀頼』
「はっ」
この1週間後。天下人豊臣秀吉はこの世を去った。享年62。
秀吉の葬儀はとてつもなく盛大に執り行われた。京都の伏見城から御所を周り大坂城へ。そして大坂城にある神社、豊国神社へと祀られた。
葬儀から1週間後。京都の聚楽第では各国の大名家と家臣団が集まっていた。
『関白殿下のおな~り~』
ドン ドン ドン
上、中、下の三段に造られている大広間の上段には関白・太政大臣の豊臣秀頼がいた。
「この度は諸侯に集まって頂いた事誠に感謝する。さて、亡き太閤が天下を統一してからはや6年が過ぎた。日の本では争いが無くなり泰平の世を歩むこととなる時。太閤殿下は先日息を引き取った。統治者が居なくなれば争いはまた起こる。それはこの日の本の歴史が物語っている。今回も1人の英雄が去り隙を見て天下を取ろうとするやからは居るであろう。しかしよく聞け、この豊臣秀頼。産まれたのち5歳のときから天下人となるが運命なれば。諸侯らがこの私に弓を引くということは覚悟していただくこととなる。その際は我豊臣軍50万の兵力で相手をいたそう。諸侯らの簡明な判断を期待する。以上」
秀頼はそう言い放つ。それを聞くなり諸侯達は動揺していた。
『流石。流石ですぞ関白殿下』
そのなかで中段の間にて声を上げる男がいた。
『この伊達陸奥守政宗。殿下からのその御言葉に感服いたしもうした。それでこそ、この日の本の天下人であらせられる』
「伊達左府よ。礼を申すぞ」
『は、ははぁぁぁ』
『殿下』
『徳川内府殿。如何した』
『はっ。では。殿下の目標を教えていただきたく』
「目標か。わたしはこの世界を統治したいと思っている」
ザワザワザワザワザワ
秀頼の発言にざわめく大名と家臣等。嘗て信長が目指した世界征服を秀吉が引き継いだ。その秀吉は朝鮮を制圧し明に向けて準備中にこの世を去る。秀吉の遺志を継ぎ秀頼は世界の統治を目指すのであった。