外征ー朝鮮半島
ご無沙汰しております。作者です。
このところ不安定な天気が続いていますね。
皆様も体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。
私も気を付けております。
では、どうぞ
1592年。遂に天下統一が成し遂げられた。その人物こそ豊臣秀吉である。北条家と奥羽の大名達を下した秀吉は領土の分配等をこと細かく行う。これは秀頼も共同で行った。
ここで大まかに大名家を説明しよう。
先ずは九州。
薩摩、大隅を島津氏。豊前、豊後に黒田氏。肥後に加藤氏。
四国
土佐、阿波を長宗我部氏。
中国
周防、長門、石見、安芸を毛利氏。備後、出雲を小早川氏。
北陸
加賀、能登を前田氏。越後、越中は上杉氏。
中部
尾張、織田氏。信濃半国、上野に真田氏。
関東
常陸に佐竹氏。下野を宇都宮氏。他の北関東以外は徳川氏。
奥羽
陸奥一部(弘前から太平洋側)を津軽氏。陸中北部を南部氏。羽後に最上氏。そして陸前、羽前、磐城、岩代を伊達氏。
その他は全て豊臣氏の領土となる。
そして天下統一が成された宴を秀吉は新しく築城した要塞。大坂城で行うこととなる。大坂城では正式に秀頼が内大臣に政宗が大納言に勅命され宴は更に盛大となった。
その3年後、秀吉は信長の海外征服の遺志を継ぎ中国へ向け進軍するのである。俗に言う文禄の役である。第一次遠征軍は秀吉の甥、秀次が指揮を執る。その軍、総勢35万。そして後方支援の指揮官を秀頼が務める。秀頼は大陸侵攻の前線基地として肥前に名護屋城を造る。その規模は秀吉の大坂城よりも巨大な要塞である。名護屋城天守閣で秀頼は出兵していく兵士達を眺めていた。
『秀頼様』
「五郎八か。何かあったか?」
『いえ、我が父の政宗が今、城についた模様です』
「うむ、見えておるよ。相変わらずの派手な軍隊だ。まさしく伊達者だ」
秀頼は五郎八を連れて、政宗を本丸で迎える。
『おおぉぉ、内府様。お出迎え感謝致します』
「大納言殿も遠路遙々御苦労である。此度の出征。宜しく頼むぞ」
『ははぁぁぁ』
取り敢えず挨拶を済まし政宗と秀頼は本丸御殿で話したいた。
『秀頼様はもう13になりますか』
「ええぇぇぇ。もう13です。義父様」
『実は秀頼様。徳川殿が何やら企んでいる模様で』
「それは、私のところにも報告が来ている。恐らく今後のために大名達と同盟を組んだりしておるのだろう」
『では、殺りますか?』
「まてまて、まだだ今やってもなにも出てこない。証拠が出てからでも遅くはない」
『では、どうするので』
「既に関白様からの許可は貰っている。徳川殿を朝鮮に送る」
『な、なんと』
『既に命令は出ておる。間もなく着くだろう』
『内府様~』
「どうした」
『徳川三河守様が手勢2万を引き連れ入城されました』
「あい、わかった。二ノ丸御殿に御通ししろ」
『はっ』
「では、参りましょう。義父様」
『はい。内府様』
秀頼はそのまま二ノ丸御殿に向かい歩いて行く。
『家康様 。此度の出征、どうお考えか?』
『忠勝。そう騒ぐな。殿下の御指示には逆らえまい』
『し、しかし』
「家康殿~。よくぞ参られた」
『こ、これは内府様。御機嫌麗しゅうございます』
「いえいえ、徳川参議も御健在で何より」
『この度は関白殿下のご命令により徳川軍2万をつれ出征してまいります』
「ありがとう。徳川殿。これならば兄(秀次)は水を得た魚です。思う存分暴れてきてくだされ」
『はっ。かしこまりました』
家康は挨拶を済ませ自身の陣屋に帰っていく。
第一次外征は始まったばかりである。