亜細亜の日出國
読者の皆様、大変長らくお待たせしました。個人的な理由ではございますが、申し訳ありませんでした。
今後も宜しくお願いします。
1605年。この年の4月上旬、待ちに待った日本国軍が外征の為の兵を挙げる。その数陸軍50万人、海軍20万人の70万を動員する。また、日本国軍に加えて、朝鮮軍40万、満州軍50万、ヌルハチ軍40万も挙兵。総勢200万の連合軍となった。その為この連合軍の名を東亜細亜連合と称し、ヌルハチ軍は北の万里の長城から、満州、朝鮮軍は満州から、日本国軍は香港から攻撃を仕掛ける予定だ。しかし、流石は大国の明。易々と打破は難しい。主要都市を占領するのに半年以上の月日がかかってしまう。
日本国前線基地 旅順要塞
この旅順要塞は日本と朝鮮の共同製作で造られた。今回は明国制服のための前線基地となる。連合軍総大将の秀頼もこの要塞にいる。
「しかしこの旅順要塞は中々の規模だな。一気に200は入る。これはいいな」
『陛下。明国の使者が参られました』
「思ったより早かったな。戦が始まり今日で9ヶ月。流石に降伏は早いだろう。何処におる?」
『評定の間に』
「うむ、向かおう」
評定の間に付いた秀頼は明国の使者を円卓に座らせる。
「明国の使者殿。なに用かな?」
『皇帝陛下より連合軍総大将。日本国王、豊王様への書状です』
「うむ、代読してくれ」
『此度の明国への進行に対し誠に勝手ながら和睦を申し入れたい。場所は北京、紫禁城で行いたいとの事です』
「和睦か。して、その和睦の内容は」
『香港、上海、満州、モンゴルの割譲で矛を納めてほしいと』
「うむ。了解した。まぁ、後は、会談で大まかに決めるゆえ二ヶ月後北京で御会いしましょうと皇帝陛下に宜しくお伝えください」
『はい。では、失礼致します』
使者を帰らせた秀頼はその後大声をあげる。
「誰かおるか」
その大声に反応したように多くの足音が聞こえてくる。そして襖を勢いよく開ける。
スパーーン
『陛下。何事ですか?』
「全連合軍に通達。二ヶ月後、明の皇帝と講話会議を行う。その為全ての戦闘行為を中断せよ。各軍は陣営を築き沙汰あるまで待機せよ。以上だ」
『『『『はっ』』』』
秀頼の指示を受けた者達は直ぐにその場を駆け出し各軍へと伝令を出した。
『陛下』
「家康殿来ていたのか」
大広間に駆け付けたのは日本国宰相の家康である。
「明を、信長公や故大閤殿下の悲願でもある明を。遂にわしは」
『はい。この講話会議で明国を征することが出来ます』
「すまんな。家康殿。貴公の言う通り、長い時間と犠牲を出してしまった」
『何を今更言っておられる。陛下の指揮によって最小限の犠牲で済みました。また、たったの9ヶ月で明を征する事など陛下が最初にございます。この家康が天下を取っていた場合、国を閉ざして生きる道を選びました。しかし、今となっては諸外国との交易により日ノ本中が栄えており今後も成長するでしょう。それを陛下御自身が望んでいることは我々も解っておりますよ』
「うむ。すまんな。ついつい弱音を出してしまった」
『いえ、人というものは誰でも弱音を吐きまする。この家康も何度も吐き申した』
「であるか。……では家康殿、紫禁城へ向かうか」
『はっ』
秀頼は家康や政宗達を伴い行軍する。その護衛には10万人を動員し2ヶ月後、紫禁城の宮殿にて明国側は皇帝、崇禎帝と宰相達。日本国側は国王、豊臣秀頼、日本国初代宰相徳川家康。日本国左大臣兼奥州王、伊達政宗。の3人がテーブルに座る。
「明国の和議の内容の変更はありますかな?」
最初の言葉を発したのは秀頼である。
『此方としては上海、香港、モンゴル、そして満州の割譲については変わりはありません。しかし、戦後の復興を援助していただきたく思っております』
明国皇帝の崇禎帝が秀頼の言葉に対して答え、加えて要望も切り出した。
『その件に関しては何も問題ありませぬぞ。この戦が終われば、我々日本国のように、国が滅ばぬ限り繁栄をすることができますぞ』
日本国宰相の家康が明国に対して、恫喝することはなく寄り添う形で言葉をかけていく。その言葉に明国の家臣達の中には涙を流している者も居るほどだ。
その後、会談は何事もなく進み、和議は成立。明国はそのまま存続した。そしてモンゴルにヌルハチが建国した清国が誕生。香港、上海は日本国の新たな土地となった。そして満州には満州国を建国させ、日本、朝鮮、満州、清国、明国、そして東南アジアの国々と国交並びに協定を結び、これを東アジア連合と称し後の歴史書にも後々大々的に掲載されることとなる。




