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「う~~~、もう魔力がほとんど残ってないわ」
ベットにぐったりと体を投げ出す亜狗亜。誓約を行使したことにより体内の魔力の大半を消費してしまったようだ。
「…………う、うう」
「あ、気付いた?」
その時、床に寝かされた水明の口からうめき声が漏れる。
ゆっくりと水明の両眼が開く。その瞳はどんよりとひどく濁っていた。
そして、その瞳以上に意識は濁りきっていた。
胡坐をかいた亜狗亜が満足げな顔で水明を見下す。
「どう、調子は? 傷はもう治したわよ」
「……………………?」
薄ぼんやりとした霞がかった思考で、立ち上がりながら水明は考えた。
目の前にいるだらしなく胡坐をかく女。
見た目はかなり小さい。体つきも貧相このうえない。凹凸のまるでない体だ。
このみすぼらしい体型の女が自分の主なのだ。
誓約により奴婢となった水明はガッカリした。しかしそれを表情に出すことはなかった。
仕方がないのだ。誓約が結ばれた以上、この女が自分の主なのだ。この女に自分は忠誠を尽くさなくてはいけない。意に沿わぬ相手でも仕方がないのだ。
水明の自我は呪いによって上書きが行われた。記憶も改竄された。主たる骸姫に対し、忠誠を捧げる奴婢へと存在を変貌したのだ。
--------それがどんなに意に沿わぬ相手でも。
「私が誰だか判る? 気分はどう?」
「……はい。ご主人様。とてもいい気分です」
解せぬ気持ちを押し殺し、水明は亜狗亜を自らの主と認めた。
「うんうん。ちゃんと誓約がかかっているようね」
一方、水明の本心など気づきもせず、その返事に満足げに亜狗亜が頷く。
心底嬉しそうな表情を浮かべた亜狗亜がうなずく。
「確認しとくけどあんたはあたしの物よ。あたしの命令は絶対よ。判るわよね?」
「……はい。ご主人様のご命令に従います」
うつろな瞳のまま水明は亜狗亜に跪く。納得できない感じはあったが、誓約は絶対だったので不満を顔に出すようなことはなかった。
「う~ん。実にいい返事よ。ご褒美に頭なでなでしてあげるわ」
「はい。ありがとうございます」
ニコニコ笑顔の亜狗亜が水明の頭に手を伸ばす。
亜狗亜の言葉に、水明が頭を下ろす。
本当は別にありがたくもなんともない。しかしとりあえず礼を言っておけば、主人は喜ぶであろうと判断したのだ。
実際、単純な亜狗亜は、水明の言葉に笑顔を浮かべている。本当に単純でバカな女だった。
ベット上の亜狗亜が、小さな手で水明の頭を撫でる。
「ふ~~~、疲れたけど最高の気分よ。これで私も大人の女ね」
「はい。おめでとうございますご主人様」
「うむ。ほんといい気分よ。サイコーよ」
更に気を良くした亜狗亜がポンポンと水明の頭を叩く。その動きに、内心では少しイラつく水明であったが、もちろん顔には出さない。
「さてと、それじゃ最初の命令をするわよ」
言いながら亜狗亜が、なぜかベット上に立ち上がる。
「よっと、初めての命令だからやっぱそれなりのカッコでないとね。胡坐をかいたままじゃさまにならないわよね」
「……? ご主人様?」
主の不審な行動に水明が疑問の声を上げる。なにをするかは判らない、けど小物っぽい、いや確実に小物だ、と思った。
「ああ、気にしないでいいわ。気分の問題だから。そのまま跪いてなさい」
「はい。ご主人様」
何故かベット上、仁王立ちとなった亜狗亜が不敵な笑みを浮かべる。
明らかに変だ。挙動不審だ。嫌な予感がする。気にならないわけない。
しかし主である以上は仕方がない。誓約はとにかく絶対だ。水明は気にしてないフリをした。
仁王立ちとなった亜狗亜が無い胸を精一杯反らして強勢を張る。そして不遜な笑みを浮かべて跪く水明を見下ろす。よく見るとなぜか肌がツヤツヤだ。
今更ながら水明は陰欝な気分になってきた。
こんなのが自分の主なのだ。このお猪口以下の器の大きさの女が主なのだ。
そう思うと陰鬱にならざるを得ない。
しかしながら、やはり顔には出さない。出せないのだ。
誓約による忠誠の為、意に沿わぬことでも受け入れなければいけないのだ。意に沿わぬことでも、主人の機嫌の為に対応しなくてはいけないのだ。
そんな水明の心情など気付くことなくノリノリの亜狗亜が高らかに宣言する。
「あんたはこれから他の人間から魔力を集めるのよ。そして集めた魔力を私に捧げるのよ。あんたを奴婢にするのに魔力を殆ど使いきったからとっと回復したいのよ。わかった?」
「はい。わかりましたご主人様」
「うん、うん。いい返事よ。あんたには期待しているわよ」
ニコニコの笑顔の亜狗亜が満足げに頷く。
しかしその余裕も、次に発した水明の言葉によって凍りつく。
「しかしご主人様、どのようにして他人から魔力を集めればよいのでしょうか?」
「………………え? いまなんて……」
「ですからどのようにして魔力を集めればいいのでしょうか?」
「…………………………」
「……? ご主人様、どうしたのですか?」
「…………………………」
それまでご機嫌だった亜狗亜が突如として固まる。
水明からすれば当然の質問であった。
魔力を集めろ、と言われても、どうやって集めればいいのかが判らないのだ。
なにしろ水明には呪術の知識等ないのだ。教えてもらわなくては困る。
しかし何故か亜狗亜は、水明からの当然の質問に頬を赤らめて顔を背けた。
「そ、それはその、あの……。あれよ」
「………………? ご主人様?」
「いや、そのあれよ、あれ、あれ」
「…………?」
それまで饒舌だった亜狗亜が、なぜか頬を赤らめて言いよどむ。よく見ると頬どころか耳まで真っ赤だ。
そんなにまずい質問をしただろうか、と水明は思った。
とはいえ、実際教えてもらわないと働きようがないのだ。
「だ、だから……、その……」
「……? ……? ……?」
不審な亜狗亜の態度に水明が首を傾げる。
すると突然、顔を背けていた亜狗亜が顔を真っ赤にしてヤケクソとばかりに大声を上げた。
「……だ、だから! だから! ………………キッ、キスよ! キス!」
「……へ? キス?」
「そうよ! キスよ! キス! キス! キス! キスすればあんたは相手から魔力が奪えるの!」
「……はぁ、なるほど」
サルのごとく顔を真っ赤にした亜狗亜がウキウキと喚く。
一方で水明は、うわぁ~なんだかな~、といった感じで冷めた返事をする。
その反応が面白くないのか、さらに亜狗亜が激高して騒ぎ立てる。
「なんなのよ! なんなのよ! なんなのよ、その反応! もっとましな反応できないの! しょうがないでしょ! そういう仕様なんだから! 仕様なんだからしょうがないでしょ!」
「……仕様ですか」
「そう! 仕様よ。とにかくそういった仕様なんだから納得しなさい!」
「……はい。判りました」
マカマカする気持ちはあった。しかし仕様と言われては仕方ない。
そんな水明の心情など気にも留めずに、ムッとした表情の亜狗亜が鼻を膨らませて喚く。
「とにかくあんたは黙って私の命令を聞きなさい!」
「……はっ、ご主人様の命令に従います」
「うむ、判ってるわね。いい返事よ」
さんざっぱら大声を上げてスッキリしたのか、気を取り直した亜狗亜が妙にすっきりした表情になる。
「よし、それじゃ、気を取り直してもう一度命令するわよ」
「ははっ、ご主人様の命令に従います」
再び亜狗亜が無い胸を精一杯反らし、ハリボテの虚勢を張る。
「命令よ! あんたは近くにいる女を襲って魔力を奪ってきなさい! 男は殆ど魔力を持ってないから襲うだけ無駄!」
「ははっ、近くの女を襲ってきます」
男は無視していいのか、助かった、と内心で思う水明。
一方、亜狗亜の方は、表面上は従順な水明の反応が気に入ったらしく、次第にノリノリとなってベット上を無意味にピョンピョン飛び跳ねる。ベットが激しく軋んで抗議の声を上げているが気にも留めない。
そしてオーバーアクションにズバッと指さしポーズを決め、ドヤ顔を浮かべる。
「よし、せっかくだから命令を追加するわ! ただの女じゃだめ! 記念すべき最初の女は、やっぱ処女よ! 魔力の高い処女から魔力を奪ってきなさい!」
「ははっ、ご主人様の命に従い、処女の女から魔力を奪ってきます」
亜狗亜の命令に水明が立ち上がる。
「そうよ我が僕! 外は夜、奴婢であるあんたの能力は最大限に発揮できるわ!」
圧倒的なドヤ顔の亜狗亜が窓から見える月夜の空を指し示す。
「さあ我が僕! 近くにいる馬鹿な処女から魔力を奪ってきなさい! 命令よ!」
「はっ、近くにいる馬鹿な処女の女から魔力を奪ってきます」
「さあ行け、我が僕! この闇夜にあんたの敵はいないわ!」
テンションMAXの亜狗亜の声が部屋内に響く。
――ところが、
「……………………………………………………」
「…………………………………」
「……………………………………………………」
「……………………………………?」
窓から見える月を指さしたまま硬直する亜狗亜。
そして亜狗亜を見つめたまま微動だにしない水明。
「……………………………………………………」
「…………………? ………………………………?」
「……………………………………………………」
「……………………ほへっ?」
それまでハイテンションだった亜狗亜の口から間抜けな声が漏れる。
「……………………………………………………」
「……えっ? なんで? ……なんで動かないの?」
命令に従い、女を探しに水明が窓を突き破って外へと飛び出す、と亜狗亜は思っていた。
しかし何故か命令を受けた水明は動かない。
無言のまま、主たる亜狗亜を見つめ、微動だにしないのだ。
「…………………………………………」
「え、なんで? ちょ、なんで動かないの? な、なんなの?」
「…………………………………………」
想像だにしなかった事態に、一気に冷めた亜狗亜の顔に困惑の色が浮かぶ。
何故か微動だにしない水明にただならぬ気配を感じ始めたのだ。
「ちょっと、どうしたのよ。なんなのよ、一体なっっっっっ!」
亜狗亜の言葉は最後まで続かなかった。
「ぎゃああああああぁぁぁぁっ! な、なんなのよ!!!」
それまで微動だにしなかった水明が、無言のまま突然に亜狗亜に襲いかかってきたのだ。