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タケミカヅチの娘  作者: 三日天下
4/13

4

 夜風が後方へと流る。月から降り注ぐ銀色の月光が無機質な道路を照らした。

 闇夜の中、運転するバイクの奏でる規則正しいエンジン音が水明の耳に響いた。

 自宅へと帰る道すがら、先ほどのことを水明は思い返した。

 意識を刈り取るほど強烈な波動。直後に現れた裸の少女。

 あの凍り付くような波動……。

 あれはもしかして、人外の存在が放つ瘴気というものでは。それも人に仇なす者の、と、水明は思えた。

 無論、その根拠となるものはない。水明の直感的な判断だ。

 だからこそ、水明はそう思えてきたのだ。

 判断に迷った時、一番最初に感じたことを信じる。

 それが後悔の少ない選択であるように思えたのだ。

 そして裸の少女。

 木々の枝葉を足場に飛翔する常人離れした運動神経。

 神が創造したかのような美貌。

 それと、あの少女が手にしていた長尺の剣。

 あれはもしかして、神剣、韴霊剣ではなかったのだろうか。

 ほんの数秒しか見てないので自信はない。しかし他にあれほど長尺の剣があるだろうか。

 全長八尺九寸(271センチ)、刃長七尺四寸(224センチ)。

 軍神タケミカヅチが所持する破魔剣、韴霊剣。

 人の背丈をも越える常識外れの長さと刃渡り。

 凡人には振り回すことさえ困難な剣を、あの子は片手で持って空を飛翔していた。

 そう考えると、裸の少女も人外の存在ではないのかと、思えてきた。

 だが、

 あの子の澄んだ双眸からは青翠のごとき清らかな気配が感じられた。

 ——―――あの子も人外の存在かもしれない。

 ただし、最初の闇の存在とは対極の位置にいる光の存在の者。

 そう、水明には思えた。

 様々な思いがグルグルと水明の頭の中を回る。

 この地方でなにかが起きているのだろうか、と、水明は考えた。

 しかし考えはなにも浮かばない。

 そもそも自分とは全く関係のない話なのかもしれない。実際そうなのだろう。

 仮に、なにが起きてるかを知ったところで、自分にどうにか出来る話しとも思えない。

 ―――――――だからといって、自分はなにも関係ない、と、見て見ぬふりをする気にはなれなかった。

 とりあえずは、先ほどの少女を見つけて話を聞くことだろう、と、水明は思った。

 しかし少女はいずこかへと行ってしまっている。どこに行ったかのアテなど当然ない。

 少女を見つけることは無理そうだ。

 そうなると……

 そうなると、他の人に相談するべきだろうか。

 しかしながら、『突然意識が吹き飛ぶ感覚を味わった直後、すっぽんぽんの女が剣を持って空を飛んで行くのを見た』と言った所で、どれだけの人間が本気で話を聞いてくれるだろうか。

 下手をすれば、必要以上に優しくされて、鉄格子のついた病院に送られるかもしれない。

 ……さすがにそれは嫌だ。

 それなら、いったいどうすべきなのだろうか。

 そんな不毛なことを考えながら十数分。南の方角への道を、バイクに跨った水明は疾走していた。

 別に少女を探しているわけではない。自宅が南の方角にあるからだ。

 町並みを沿うような路地裏へとバイクを走らせる。

 月明かりが照らす闇夜に規則的なエンジン音と扁平なタイヤ音を響いた。

 そうして国道を外れた住宅街の一角、水明の実家のある、息栖神社へと向かう。

 神社境内にある古い社務所が水明の自宅だ。

 三カ月前までは父との二人暮らしだった。

 しかし父が修行と称する、失踪を遂げた現在は水明の一人で暮らしである。

 夜道をバイクで滑らせ、県道からのわき道に入り、住宅街にある息栖神社への道を行く。

 と、その時。

「…………んん?」

 再び悪寒……? の、ようなものを水明は感じた。

 なんというか、静電気に触れたような軽い痛み。

 いや、痛みというよりは、痒みのような感覚。

 先ほどの凍り付くような波動とはあきらかに違う。一口にいえば格が違う、そんな感じだ。

 具体的にどうとは言えないが、感覚的にこちらは遙かに小物のように思えた。

 気配を感じた方角、利根川沿いにある、一の鳥居の方角を水明は見た。

 落ちてきそうなほどの満月に照らされた川面の空。

 その空が、一瞬刃物のようにように光る。なにか輝くものが飛んだのだ。

 輝くもの、それは……………………、裸の少女だ。

 たぶん……、ではなく間違いなく先ほどの少女だろう。他にあんな子が居るわけない。

 中空を舞う少女の白い裸身が月明かりを背に煌いている。

 裸体を恥ずかしがる気配も、隠そうとする様子も見せずに長剣を手に少女が闇夜を飛翔する。

 直後、鮮血のような朱色の光彩が裸の少女と交錯した。

 刹那、金属と金属が打ち合うような甲高い音が闇夜に響く。夜の静けさが切り裂かれる。

 それは二振りの刃より爆ぜる戦いの響き。

 裸の少女と何者かが戦っているのだ。

 な、なんだ、今の! 

 普通の人間ならこのような状況に遭遇した場合どうするだろう。

 君子危うきに近寄らず、とばかりに厄介事に近づこうとはしない、それが賢明な判断だろう。

 だが水明はそうしなかった。

 咄嗟にバイクを道の脇に止め、気配を消して忍び足で近づく。

 子供の頃、水明はいわゆる正義の味方に憧れていた。

 正義感と英雄志望が人一倍強い性格だったのだ。

 成長と共にそれは薄れていったが、完全に無くしたわけではない。

 そのため、この事態を見て見ぬふりをしようとは思わなかった。

 まして自宅前で戦いが繰り広げられているのだ。放置することなど出来ない。

 既にこの時間では、神社前の洗井商店も閉店している。あたりに人の気配はない。

 壁に身を隠し、水明は金属音の響く鳥居上部の様子を窺った。

 月が川面に影を落とす中、月光を背に受けた二人の少女が笠木上で争っている。

 一方は先ほどの裸の少女。笠木上から周囲の木々へと飛翔しながら長剣を振り回している。

 そしてもう一人。裸の少女と対峙する形で空を舞う、透き通るほどの白髪の少女。

 その両目からは鮮血のような赤い光彩が爛々と輝いている。その双眸の輝きは人にはありえない。先ほどの痒いような感覚はこの少女からのものだろうか。

 見た目はかなり小柄だ。裸の少女と比べると二回りは体が小さい。十歳児ぐらいだろうか。

 全身紫一色のドレスに包んでいる。つばの無いトーク帽からの黒いヴェールが顔の半分を隠している。

 喪服だ。

 そしてその左手には大きめの腕時計をしている。

 ヴェールの合間から猫のような釣り目がちの瞳が闇夜に紅い輝きを放つ。

 激しい少女の動きに、サイドテールの白髪が揺れ動く。

 裸の少女が長尺の剣を一刀袈裟懸けに振り下ろす。

 しかし白髪の少女には届かない。なんらかの怪異の力が働いているのだろうか、白髪の少女が、ふわり、ふわりと慣性を無視した動きで宙を舞う。

 臆することなく裸の少女が剣を振り回す。空を切る切っ先が川面より立ち上る淡い闇を裂き、その刀身より朝霧のような蒼い剣気が立ち上る。

 一方で白髪の少女も避けるだけでなく、右手に構えた朱色の十字架のような短刀で巧みに長剣の一撃をさばき、翻し、受け流す。見事な腕前だ。

 少女たちの持つ、二つの刃が幾重にも交錯する。

 甲高い金属音が響き、地金より爆ぜる火花が闇夜に輝く。

 攻撃は裸の少女。身の丈を越える長剣を連続で振るう。しかしその剣先は届かない。

 守るは白髪の少女。見事な体捌きと短刀による受け流し。

 技量的には明らかに白髪の少女に分がある。

 しかし裸の少女は技量差など気にする素振りも見せず、剣を振り回す。

 疲労の色も見せず、連続で裸の少女は長剣を振り続ける。だがしかし、それは単調な連続切り、文字通り振り回しているだけだ。

 あの長剣を振り回す腕力と握力。足場の悪い笠木と木々の上で戦い続けるバランス感覚。身体能力は凄いのに、あの子、剣術をまるで判ってない。あれでは、ただ剣を振り回してるだけの素人だ。

 幼少の頃から鹿島神流剣術の修行を行ってきた水明にはそれが判った。

 相手との間合いも計らず、足さばきも一切考えず、ただ剣を振り回し続けている。

 あれでは心得のある者には通じない。

 事実、相応の心得のある白髪の少女には、あの長尺の一撃でも届かない。 

 当初は規格外の長剣に間合いを測りきれず、短刀による受け流しを行っていた白髪の少女だが、今では狭い足場上を巧みな足捌きと体捌きのみでいなし続ける。

 ふわりふわりと笠木上を舞いながら、白髪の少女が紅い瞳で裸の少女の動向を窺う。

 だが妙だ。

 剣の間合いを見切った彼女の技量があれば、その返しに合わせて懐に飛び込むことは十分に出来るだろう。

 しかしそうはしない。

 あくまでも白髪の少女は守りのみに徹している。

 理由は判らないが、どうも白髪の少女には戦う意志が無いように見える。

 裸の少女からは、燃え上がる炎のような覇気に満ちた闘志が感じられる。

 その一方で、白髪の少女からは、まるで戦意が感じられない。むしろ揺れる紅い瞳からは、迷いのようなものが感じられた。

 対照的な二人の少女たち。

 色硝子のような川面に少女たちの影が離れ、重なり、溶け合う。

 夜の街の空気がうねりのように水明の肌を撫でた。

 外気は研ぎ澄まされた鏡のように街を映す。

 陰鬱な静けさと地金より爆ぜる剣陣の音。対峙する二人の少女たちの荒い息が水明の耳を打つ。

 花冷えの夜気の中、緊迫した空気に自然と冷や汗が頬を伝う。

 何故先ほどの少女が自宅前で戦っているのだ?

 そもそもあの子は何者だ?

 あの剣は韴霊剣なのか? 

 もう一方の白髪の少女は何者だ?

 次々と疑問が頭をよぎる。しかし今はそんなことどうでもいい。

 大切なことは一つだけ、自分がどうするか、それだけなのだ。

 このまま覗いているだけでは事態は変わらない。なにもしないのと一緒なのだ。

 いずれ戦いの決着がつき、どちらかの少女が傷つく。最悪死ぬことになるのだ。

 闘いの理由は判らない。少女たちが何者かも判らない。

 だからといって看過することなどは出来ない。

 自分が止めなければ、彼女たちは止まらないのだ。

 そう思うと勇気が沸いた。

 勇気が沸くと、自然と体が動いた。ごく自然に動いた。

「やめろおおおぉぉぉぉっ!」

 声を張り上げ、水明は静止の声を上げた。

 それは少女たちに向けた言葉であるが、同時に自身を奮い立たせる咆哮でもあった。

 ここで何もせずに見ているだけでは、見て見ぬふりをして逃げ出すことと一緒なのだ。

 最悪、自分も戦いに巻き込まれるかもしれない。

 それは判っていた。判っていが、それでも水明は声を上げた。

 自分は当事者ではない。だからなにも判らない。

 ならば答えは簡単。当事者になればいいのだ。当事者となって彼女たちに尋ねればいいのだ。

 もちろん彼女たちが答えてくれる保証などは無い。だが、尋ねなければ知る機会すらないのだ。

「「…………………………っ!」」

 突然の水明の乱入。二人の少女たちが一瞬ビクリと反応し、反射的に水明の方に向き直る。

 これで引き下がれなくなった。腹をくくるしかない。

 裸の少女が水明を凝視する。すると何故か少女は困惑した表情を浮かべ、そのまま硬直してしまう。

 一方、白髪の少女は、水明の存在に一瞬だけ面食らった表情を浮かべたが、すぐに裸の少女へと向き直る。そして裸の少女が硬直していることを確認する。

 それは致命的なまでの隙であった。

 そのまま白髪の少女が攻撃に転ずれば、容易に裸の少女を倒すことが出来ただろう。

 だが白髪の少女はそうしなかった。

 足場の悪い笠木上を白髪の少女はかろやかな動きでバックステップし、そのまま背中から宙へと身を投げ出したのだ。

 予想外の少女の行動。水明は思わず、あっ、と声を上げる。

 しかしながら、白髪の少女が地面へと落下することはなかった。

 瞬きをするほどの間に、その背中から闇に溶け込むほど黒い片翼の翼が生まれたのだ。

 そして翼を広げ、滑空するように少女が宙を飛翔する。

 あっけないほどあっという間に、白髪の少女が川空を飛び越え闇へと消えていく。

 元々、白髪の少女にはさほど戦意が感じられなかった。裸の少女の隙をついて逃げ出したようだ。

 背中から生えた片翼の翼。それに紅い瞳に白髪。重力を無視した中空での動き。

 どう考えても、あの子も常人とは思えない。

 だがとりあえず、逃げた白髪の少女のことは後回しでいいだろう。

 それよりも――

 微動だにせず、鳥居上からジッと水明を見下す全裸の少女。

 問題はこちらのほうだろう。水明はそう判断した。

 何故だか、裸の少女は無表情のまま、水明をじっと見つめている。

 裸であることを恥らう気配も無いまま、その澄んだ双眸が水明を捉える。その右手には蒼白い仄かな剣気の立ち上る長尺の剣が握られていた。

 満月からの光を背に、少女の裸体が輝きを放つ。輝きの色艶がゆらゆらと揺れる。

 黒真珠のような淡く輝く瞳が、ジッと水明を捉えつづける。

 曲線美ある、しなやかな肢体から艶かしい色気が放たれた。

 少女の豊かな双丘の先端部は長い黒髪が一筋垂れて辛うじて隠れてはいる。しかし見上げると、一番見てはいけないところが角度的に丸見えになってしまう。

「き、君いったいなんなの?」

 さすがに気恥しくなってきた水明は、少女から視線を逸らしながら言った。不明瞭な質問であったが、そもそもなにも判らないので仕方がない。

「……………………っ!」

 その声に反応したのか、硬直していた少女がピクリと反応する。

 すると、ひょいと少女が笠木から身を投げ出す。

 止める間もなく、五メートル以上ある高さの笠木から少女が飛び降りてくる。

 危ない、と思ったが、猫のようなしなやかな身のこなしで少女は見事な三点着地を決めた。

 あらためて思う。信じられないほどの身体能力だ。

 驚く水明をよそに、立ち上がった少女は無表情のまま歩み寄ってくる。もちろん全裸のまま。

 ゆっくりと、なにかを確認するように水明の顔を見つめながら少女が迫ってくる。その歩みに合わせ、必要以上なほど大きな双丘も上下に揺れ動く。

「ちょっ! ちょっと待ってよ君」

「…………………………」

「待ってよ君、とりあえず服を……」

「…………………………」

 静止の言葉になんの反応も示さず、無表情のまま、無防備に少女が水明へと迫ってくる。

「とにかく待って! とりあえず話を聞いて!」

「…………………………」

 敵意は感じられない。しかしさすがに雰囲気的な不審を感じ、水明は後ずさりながら少女を制しようとする。

 だが少女は止まらない。無表情のまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 全裸のまま何の感情も見せずに迫ってくる少女。

 なんとなく、昔見たゾンビ映画のようで怖くなってきた。

 まさかと思うが、このまま食い殺されてしまうのか、とも思えてきた。

 しかし同時に……

 ……でも、この子だったら襲われてもちょっといいかも。

 なんてアホなことも考えてはいたが。

 その時だ。唐突に少女の右手に握られていた長尺の剣が無数の光の粒子へと変換された。

 そしてそのまま風に流されるように虚空へと霧散してしまう。

「ええっ、き、消えた?」

 驚いた水明が声を上げる。しかし少女は気にすることもなく歩み寄ってくる。

 と、突然――――――、

 それまで無表情だった少女が子供のような泣き顔を浮かべ、勢いをつけて水明の胸に飛び込んできたのだ。

「…………パ……、パ……、パパ……、パパッ! パパッ! パパァァァァッ~~!」

「え! えええええええっ?」

「パパァァァッ! パパァァァッ~~!」

「えっ! ちょっ、ちょっと待ってよ!」

「パパァッ~! うああああああんんん!」

 水明の制止の声を無視して、少女が泣きながら抱きついてくる。

 豊かに膨らんだ両胸が惜しげもなく水明の胸板に押し付けられて変形する。

 水明は混乱した。なんで僕をパパと呼ぶんだ、あと胸に当たって変形してるけしからん謎物体はなんなのだ、と思った。

 当然のことながら、初対面の、それも同年代と思われる女性からパパと呼ばれる心当たりなど水明にはない。そもそも子作りの行為などしたことないのだ。水明が困惑するのも当然の話であった。

 だが少女は水明の心情などお構いなしに、泣きながら全力で抱きついてくる。

「パパッ! パパッ! うあああああんんんん! すいかこわかったよおぉぉぉ! けどがんばったよぉぉぉ! パパがきてくれると、うあああああああぁぁぁぁんんんん!」

「ちょ、ちょっとまって君、落ち着いてよ!」

「パパッ! パパッ! パパアァァ!」

 制止の声を完全に無視し、少女が泣きじゃくりながら抱きついてくる。

 うおっ、こ、この感触は!

 信じられないほど柔らかいのに弾力ある少女の双丘が、水明の胸に当たってへしゃげる。

 瑞々しいむっちりとした太ももが水明の腰に絡みつく。

 混乱しながらも、雄の本能でしっかりその感触を味わう水明。

 だが、余裕はここまでだった。

「パパッ! パパッ! うああああああぁぁぁぁんんん!」

「ちょ、やめっ、ってってって、ちょっ、く、苦しいから! や、やめて! ぐええええええ!」

 少女が泣き喚きなが更に力を込めて抱きついてくる。

 ———そう。

 一切の力加減なく、全力全開の力で抱きついてくる。驚異的な身体能力を持った少女が全力で。

「わああああああぁぁぁん! パパッ! パパッ!」

「ちょ、だからやめっ、痛っ! い、痛いから離れて!」

 少女の両腕が凄まじい力で水明を締めつけてくる。

「わああああああああぁぁぁん! パパアァァァ!」

「や、やめ! だ、ダメ! グハアアアあアアァァァァァッ!」

 それはまさにベアハッグ。プロレスにおける閉め技の一つ。

 両腕を相手の胴回りに抱きこみ、強烈な力で絞り込むように締め上げる。

「パパァァッ! きてくれたあああぁぁぁ! うあああああんんんん!」

「ががががが! や、やめ、やめて! ま、まじで死ぬぅぅぅぅ! で、出るぅぅぅぅぅ!」

 相手の都合など一切考えない、強烈すぎる愛情表現。 

 もはや水明には少女の肢体の感触を楽しむ余裕など一切無い。

 背骨と肋骨がミシミシと軋み始め、内臓が変形し、出てはいけないものが口から出そうになる。

 それでも少女は力を緩めない。

 泣きじゃくりながら更なる強烈な力で水明を締め上げる。

 万力のごとく捉えたら離さない強烈な締め付け。

 水明の肺は空気を吸いこむ能力を失い、口からは叫び声だけが溢れ出る。

 骨がバキバキと音を立て、内臓から筋肉に至るまで、全てが歪んでゆく。

「パパァァァァッ! うああああああんんん!」 

「がががががががががあああぁぁぁ! や、やめっ! し、死ぬ! お、お願い、や、やめてええええぇぇぇぇぇっ!」

「うああああああああああああんんんんっ!」

「死ぬううううううううぅぅぅぅぅ! 出るううううぅぅぅぅぅ!」

 メキャアアアァァァ! 

 不快な音を立てながら水明の骨格、内臓が歪に変形してゆく。それでも少女は力を緩めない。

「パパアアアァァァァァァァァァッ!」

「ぐがあああああああ! やめっ! がががががががががががぁぁぁ!」

「わあああああああぁぁぁぁぁん!」

「ががががががががぁぁぁぁぁっ! で、で、で、出るうううううぅウぅぅぅっ!」

 泣き喚く少女の嗚咽の声。

 そして、本気で死にそうな水明の絞り出すような悲鳴が闇夜を切り裂く。

 静かな夜の街に、二人の泣き叫ぶ声が響きわたる。

 薄れ行く意識の中、最後に水明は空を見上げた。

 そこあるのはいつもと変わらぬ夜の空。

 その先にはあるのは、うす絹のような白い雲に包まれた月。

 いつもと同じ、柔らかな月だけが、近所迷惑を考えずに大騒ぎする、救いがたい二人を見守っていたのであった。


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