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短編

手をつないで駆け抜ける

作者: 片桐ゆかり


きらきらした光の降り注ぐ、夏の暑い日。

大きな歓声と飛び交う声の隙間。照り付ける日差しの暑さ、人の熱気、流れる汗を拭う間もなく私はその姿に魅入られる。

――刹那、風が通り過ぎて、そして。その人は私の内に焼き付いた。



***


ぼう、と終わったばかりのグラウンドを見る。陸上の大会は、つつがなく終了していく。

それぞれにおもうことがあるのだろう。それを見ながら、私は知らず握りしめていた手の力を解いた。

観覧席には、各高校の応援の生徒や保護者が詰めかけて、人口密度が高い。この大会でいい結果を残せば、全国大会へ向かう切符を手にできるという大切な試合だそうだ。

県の強豪校が集まったこの大会で、そこには、私の幼馴染も出場している。


「尋くん、すごかったわねえ」

「……うん」


隣で見ていたお母さんが、ほう、と感心した声を上げた。その隣で、尋くん――私の幼馴染――の両親も興奮した面持ちで母と話はじめる。

うん、すごかった。

私は誰に言うでもない言葉を胸の中で呟いた。


知らなかった、あんな顔をするなんて。知らない人になったようだった。弟だと思っていたのに、もう、あの子は男の人になり始めている。


「尋人、きっと美晴ちゃんが見てくれてたから余計頑張ったんだと思うわ!」

「そんな、尋くんの実力ですよ」


おばさんが上気した顔で笑う。私も、少しだけ笑う。まだ心臓がどきどきしていた。

圧倒的な走りで、トラックを駆け抜ける姿。風を切って、まるで何の抵抗もないみたいに滑らかなフォームで、滑るように走る姿が綺麗だった。かっこよかった。熱に浮かされるような、真剣な表情で。

そしてゴールテープを一番先に切った彼は、まっすぐに私の方を見据えて唇の端を上げたのだ。誇らしげな、どうだと言わんばかりの表情で。

きっと、アレが中学生の時のものだったのなら。

私は微笑ましくて、弟分が一番になったことが嬉しくって、周りを気にせずに手を振って声を上げただろう。けれど、今は違った。

私は気付いてしまったのだ。彼はもう私の《弟》ではいてくれないのだということを。

彼はいつの間にか、大人に変わり始めている。そして、その顔にその姿に、私の心臓はひどく騒がしく脈打っている。



現在高校二年生の尋くんと、大学二年生の私は3歳の差がある。最初は小学生の時に入っていた、陸上クラブで会ったのだ。小学校ではクラブ活動がなくて、私たちは小学生向けの課外活動に毎週末参加していた。私は友達に誘われてはいって、数ある中で唯一まともにできる長距離をしていた。尋くんは、短距離と中距離。彼は入った時からとびぬけていたのだ。

仲が良くなったのは、家が近かったから。行き返りは一緒で、後ろを嬉しそうについてくる彼が可愛くて仕方なかった。

それでも、3年の差は早い。私は小学校を卒業して陸上をやめてしまった。中学校でも高校でも、クラブ活動は文科系のクラブに入っていたし、大学でもそうだ。

逆に尋くんは、今までずっと陸上競技をやっている。彼の実力は、全国の強豪校から勧誘が来るほどのものだったらしいけれど、彼はこの土地を離れずに、強豪校の一つである地元の高校に進学した。近くにそういう学校があってよかった、と笑っていたのはおばさんだ。

彼の陸上の思いを知っているけれど、遠くに出すのは不安だったのだと言っていたから。


尋くんとは、少しだけ遠くなってしまったように感じていた。

彼は朝早くから夜遅くまで練習をしている。比べてお気楽な大学生の私とは生活がまるで違った。たまに、部活が休みだという日に家の前であったり、バイトが終わって帰宅する遅い時間に部活帰りの尋くんに会うこともあった。

その時、私は嬉しかった。たまにしか話せなくなってしまったけれど、私の大切な幼馴染だから。尋くんは、夜に会うと少しだけ複雑そうに、けれどちょっとだけ怒ったように私の隣にぴったりとくっついて歩いた。ぐんと背が伸びていて、少しだけ長い髪の毛が、日に焼けた皮膚が、私を見下ろす視線が。いつの間にかどんどん可愛かった幼馴染から、格好いい男の人へと近づいていた。


「…美晴ちゃん、今度の日曜日空いてる?」

「今週の?うん、何もなかったと思うけど…」


その時も、私は友達とご飯を食べて日々の事をたっぷり話して帰ってくるところだった。駅から家までの10分の道のり。駅前で会った私と尋くんは当然の様に肩を並べて歩く。

横を歩く制服姿の尋くんと、私服の私。小学生の時は同じランドセルを背負ったのに、同じ制服を着て歩くことはついぞなかった。


「じゃあさ、お願いがあるんだけど」

「ん、いいよ。なあに?」


うん、と言って、尋くんは言葉を区切る。何をお願いするんだろう、と私はそっと言葉を待った。私の履いているサンダルの音と、尋くんの靴の音が道に響く。


「今度、大会があって。そこで優勝したら、全国にいける」

「うん、うん。尋くん、すごいもんね」

「だから、それ、見に来てほしい」


熱を帯びた口調だった。そっと私を見下ろす瞳は、どこか熱い。掠れたような声が耳朶を打って、そして私は肩にかけたバックを握る手の力を強くした。


「そこで優勝したら、俺の事認めてほしい」

「認めるって、私は」


そんなこと、と言おうとした私を遮るように私の前に回り込んだ尋くんが暗がりの中で立ちふさがる。

薄暗い夜の中でも、わかるくらいに彼は真剣な顔をしていた。真直ぐに私を見下ろして、あふれそうなものを抑えるみたいに一瞬唇を噛んだ。


「俺は、美晴ちゃんの弟じゃない。弟じゃなくて、男だって、認めてほしい」

「…ひろくん」

「弟みたいに思ってるのは、知ってる。だから、せめて。せめて美晴ちゃんの周りの男共みたいな土俵に入れて」


必死な、そしてどこか泣きそうな顔で言い募るから。私は思わず頷いてしまった。

そうすると尋くんは、ほっとしたような花が咲くような顔で笑って――そしてその顔に、私の心臓は止まりそうなくらいに激しく動き出す。

知らなかった。こんな風になっていたなんて。――知っていた、尋くんは弟じゃない、何てこと。私がただ変わっていくのを見たくなくて気付かないふりをしていただけだということも。


「――俺、頑張るから。だから見ててほしい」

「…うん、わかった。見てるね、尋くん」


顔を赤く染めた尋くんと、そしてきっと私の顔も赤くなっているはず。

どきどきと高鳴る心臓の音は聞こえていないといいなと思う。帰ろう、と私の手を掴んで歩き出した尋くんについて歩きながら私はその大きな背中を見つめる。

大きくなった。男の子に、なった。昔は立場が逆だったのに今は違う。私の中にいた小さな弟は、男の人へと変わってしまう。繋がれた手が、ひどく熱く感じて、その背中が振り返らないことを祈る。きっと尋くんは私の顔が赤くなっていることに気が付いていないはずだから。


そのあと、私たちは静かにお互いの家に帰った。

ぱたん、と玄関を占めて。それを背に座り込んだ私を台所から出てきたお母さんがにやにやしてみていた。ものすごくいたたまれないから、できれば気付かないでほしかった。

顔だけは隠そうと両手で顔を覆った私は、鳴りやまない鼓動の音を飲み込んで、そして年下の弟みたいだった子が、男の人だとわかってしまった。


「…もう、入ってるってば…」


狙い撃ちされたみたいだ。会えて嬉しく思うのも、少し遠くなったように寂しく思うのも、特別だからだ。いつだって一番は尋くんだったということに、私は初めて気が付いた、そんな夜。



***



あの後。言った通りに優勝した尋くんは、閉会式を終えてチームメイトたちと戻る際に私の方に走り寄ってきた。


「ミーティング終わるまで、待ってて」

「…ん」


それだけ言うと、また駆け去ってしまったので、私は短い返事しかできなかった。おめでとう、はちゃんと後で言わせてもらおう。

応援に来ていた人たちもぞろぞろと帰路についている。おじさんとおばさんと母は一足先に帰るらしい。私は、待っていてと言われたので大人しく待っていることにした。ただ、観覧席で待つのは日差しがきついので屋根のある場所に移動して、場所をメールしておく。

自動販売機で飲み物を買って一息つきながら、先ほどまでの試合を思い返して、夏の気温のせいだけではなく私の温度が上がる気がして冷ますように顔にペットボトルを押し当てる。

――格好良かった。他の誰も目に入らないくらい。

――ずっと見ていたかった。それは、昔から変わらない。

でも、それ以上に。考えるだけでこの心臓が煩く騒ぐのは。


「お、待たせ…!」

「尋くん?走ってこなくても、よかったのに。お疲れ様」

「ん、でも、はやく会いたかったから」


少しだけ照れたように、そういう尋くんに私の心臓がまた煩く騒ぎだす。部活動のジャージ姿なのに、大学にはもっと格好いい人だっているのに。それでも、私にとっての一番は、尋くんだとわかってしまった。


「尋くん、優勝おめでとう。頑張ったね」

「ありがと。…ん、すごく頑張った。美晴ちゃんが見ててくれたからもっと頑張ったよ」

「うん。見てたよ、尋くんだけ見てた」


きゅ、と唇を噛みしめた尋くんが嬉しさと怒りの入り混じった変な顔をして私を見ている。


「俺、美晴ちゃんが好きだよ。ずっとずっと、好きだよ。俺の事弟じゃなくて、男だって認めて」

「…ばか。尋くんってば、知らないの?私の一番は、ずっとずっと、尋くんなんだよ?」

「そん、なの…!だめだ、俺今すっごいかっこ悪い顔してる…」


お互いに精一杯にぶつけ合った言葉に尋くんは少しだけ震える声で言うなりしゃがみこんだ。ちょっと、悪いことしてる罪悪感があるからそれやめてほしい…!

同じように慌ててしゃがみこんで、膝をつく。下が地面だなんて関係ない。


「…ひろくん?」

「それって、俺と同じ気持ちだって思っていい?自惚れて良いの?」

「私で、尋くんが良いのなら、私は尋くんがいいって思う。正直に言うとね、この間大会見に来て欲しいって言われた時に、尋くんが弟じゃなくなったんだよ」


そう言った私の腕を掴んで、尋くんは私をぎゅうと抱きしめた。かっこ悪い、でもごめん、と言いながら私の肩口にぐりぐりと頭を押し付けた尋くんは、しばらく私を力いっぱい抱きつぶした後顔を上げた。


「ごめん、もう一回やらせて」


真っ赤な顔で、焦っていて、すごく必死で。もっとかっこよくやりたかったなんて言いながら少し落ち込んでいる尋くんが愛おしくて思わず笑ってしまった。

真っ赤な顔はそのままに、それでも真剣な表情で私を見据える尋くんに、私も地面にしゃがみこんだまま真直ぐ瞳を見つめた。


「貴方が、好きです。後ろでも前でもなく、隣を歩く権利をください」

「はい、喜んで」


私も、大好き。そう告げるとさらに赤くなった尋くんが今度はそっと私を抱きしめた。

少しだけ震えている手に心臓がきゅんとする。私もそっと腕をまわして抱きしめ返した。


「全国大会、見に来て。それからずっと俺の事見てて。そうしたら、もっと頑張れるから」

「…うん、わかった」



そうして私たちは、離れていた一歩を近づけた。

いつまでも座り込んでいてはダメだから、と家に帰ることにして歩き出す。少しだけ迷ったようにうろうろしていた尋くんの右手は、意を決したように私の左手を掴んだのでそっと指を絡めた。これくらいなら、良いよね?と見上げれば、少し悔しそうな尋くんがつなぐ手に力を込める。


「俺、美晴ちゃんがカッコいいって言ってくれたから陸上つづけたんだ。嫌なこともあったし記録が伸びなくて悔しいこともあったけど、続けられたのは、美晴ちゃんのお陰」

「私、そんなにたいしたことしてないよ。全部尋くんが頑張ったからだよ」

「…うん、それでも。俺にとっては特別なんだよ。どの応援より、美晴ちゃんにカッコいいって言われることが一番やる気が出る」


そんな言葉いつだっていうのに。

そう思いながら、愛おしさでいっぱいになった私はそっと手を揺さぶりながら歩く。

一緒に歩いていた時に手をつないだことなんて小学生の時しかなかったなあと思いながら、そっと目を伏せた。


「美晴、って呼んでいい?」

「…んと、ちょっとドキドキするから、たまににしてくれる?」


呼び捨てって、心臓に響くことがあるんだなといういことも初めて知った。友達に呼ばれるときはそんなことないのに。


「やだ。早く慣れて」


少しだけ拗ねたように、けれど嬉しそうに笑う尋くんは可愛いのにドキドキしてしまってまともに顔が見れなかった。

そして。はやく帰ろう、と走り出した尋くんに引きずられるように私も走り出す。二人一緒に走ったのなんて、いつ振りだろう。

私はきっとみっともない走り方なんだろうけれど、風を切るのは楽しかった。

――みっともなく息を乱しながら尋くんが駆け込んだのは私の家で、母に向かって「おばさん、俺、やりました!」という尋くんに私が仰天するのと、母が尋くんから恋愛相談を持ち掛けられていたのを知るのは、私と尋くんの家がある場所までの5mを走り終えた、あとのこと。







***

年下男子が、ガンガン行くのは初めてかと思いまして!楽しかったです。

この後は両家合同の、いろんな意味でのお祝いです。




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