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初恋は二度くりかえす

 一時の軽さはどこへやら。足は重い。しかし、家の廊下などたかが知れているもので、あっという間に二人が歩いて行ったリビングへと辿り着いていた。

 テーブルを囲う椅子のひとつには、先程の少女が座っている。長男の姿は無い。そういえば、善華は再会した日に『長男は一人暮らしをしている』と言っていた。

 善華の姿は奥の対面キッチンの前にある。――その向こう側の人物は俺からは見えないが、恐らくは彼女が居る。

 彼女に会うと解かっていたのに、今になって実感が沸き起こる。俺は長い間、彼女に会いたくないと自分の気持ちを偽ってきたと。


 リビングの入口で立ち尽くしていた俺に、ふと、善華が顔を向ける。

「彩、どこでもいいから座って」

 固まる身体を無理に動かし、返事を返そうとしたが、思うように口も身体も動かない。視線だけをテーブルへと向けたその時、

「さ……い?」

 と、疑うような声が聞こえた。その声は小さなものだったが、決して忘れない声だ。強くなっていた鼓動は、更に俺の身体を揺らす。

 無意識に視線が声の方へと動く。すると、視界の中に長い髪が躍った。白いワンピース姿に花柄のエプロンを身に付けた姿が映る。

「彩……彩が……」

 言葉を発しながら、両手は口元へとゆっくり動いている。しかし、その姿は彼女のままだ。大きな瞳も、艶っぽい唇も彼女そのもの。幾分、年齢を重ねたようには見えるが、善華の言った通りだ。あれから二十年という歳月が嘘かのように、あどけなく、可憐な表情を浮かべている。

「この間、偶然会ったと話しただろう? 今日連れて来ると言っていた客人は、彩だったんだ。来てくれたんだよ」

 彼女の正面に居る善華は、優しい声を出す。その声に、揺れた彼女の瞳が善華へと動いていく。

「はる……はるくん? あれ、私……」

「はな!?」

「お母さん!」

 混乱した彼女を支えるように、善華は彼女の両肩に手を置き、座っていた少女は立ち上がるとすぐさま母の元へと駆け出していた。――その光景の中で、俺は無音の世界に取り残されたような錯覚へと堕ちる。



 幸か不幸か――彼女は全てを思い出したのだろう。あの光景は『家族』そのものだった。いや、何を思っているのか。善華にとっても、その子どもたちにとっても、迷わず『幸』の筈だ。そして、彼女にとっても『幸』だろう。


 いつの間にか善華の家を後にして、俺は暫く高層階からの景色を見つめていた。街の景色は、小さな小さなものだった。

 ふうと息を漏らすと、再び歩き出す。こんな所に俺が居るべきでは無い。さっさと帰る方がいい。

 歩き続け、前方にエレベーターが見えてきた。エレベーターを目にし、一度通った時よりも長い時間をかけ、歩いたものだと思った頃、

「彩、待って!!」

 と、俺を呼びとめる声にドキリとした。俺の意志に反し、足は止まっている。――この声は、彼女だ。

 徐々に近づいて来る足音。足音に同調するように、俺の鼓動も打ち付ける。俺の足が止まっている間に追い付いた彼女は、折角来てくれたのだから、戻って欲しいと俺に告げた。

 振り向けば、直ぐに彼女が居るという状況に耐え切れず、やっとの思いで足を前に出す。しかし、彼女はついて来る。

「彩、聞いて……」

「君にとっては『昨日の続き』なのかも知れないが、『家族』にとっては違う。積もる話があるだろう。俺が居るべきじゃない」

「でも……」

 俺を見上げていた彼女が、俯いたと感覚でわかる。――彼女もまた、変わってはいないのだろう。善華と同じで純粋のまま。

「彩!」

 今度は善華の声だ。俺は足を速めて、下のボタンを押す。

「はなの言う通りだ。折角来てくれて、しかもはなも思い出してくれたのに……こんな、とんぼ返りするようなことをしなくても……」

 エレベーターが下層階のまま動かず、俺は無駄だと思いながらも先程と同じボタンを再度押す。背後では『そうよ』と、彼女までもが俺を苛立たせる。

 ふと、俺の口角は上がった。人間、怒りが頂点に達すると笑うと言うのは、本当らしい。

「良かったじゃないか」

 怒りの籠る俺の声に、善華も彼女も口を閉ざす。

「善華、お前は俺との再会を……純粋に喜んだ訳じゃない。そうだろう?」

 ゆっくりとエレベーターは上昇を示しだす。俺の吹き上げる気持ちと比例するように。振り向くと、ぼやけた彼女の姿の奥に、善華の立ち尽くす姿が見える。

「俺を利用出来ると思っただけだ。だから、わざわざ家に招き入れた。……いい加減、認めろよ」

 俺は最低だ。――善華にも、彼女にも、本性を晒して去れば後悔などしなくて済む。俺がどんなに醜い人間になったのかを思い知れば、二人も俺を思い出すような事は二度としないだろう。

 エレベーターが到着した事を告げる軽い音と、扉の開く重い音が聞こえる。俺は苦い言葉を置き去りにして、姿を消そうと素早く乗り込む。行先を先に押し、閉まるボタンを押せば、エレベーターはさっさと動いてくれる。躊躇いなく、俺はその動作を起こす。――扉が動く中で、何かが視界に入ってきた。それは、飛び込んできた細い彼女の肢体だった。

 ゆっくりと空間が閉ざされてれていく様に見えたその光景は、無情な機械の動作により止まる事は無い。繋がっていた空間は分散され、俺の居る場所は彼女と二人だけの密室へと変わっていた。エレベーターは、俺の思い描いた通りに下降していく。

「どうして乗って来た」

「彩が、乗ったから」

 よく解らない返答をする彼女。階層を示す数字は淡々と小さくなっていく。俺の気の重さだけが増していく。

 一向に彼女に対し視線も言葉も投げない俺を、彼女は責める訳でも無く、じっと見ている。痛い視線は耐え難い。

「何だ、年齢を重ねたのはお互い様だ」

「そうかしら」

 彼女が無邪気な声を出した頃、扉は開いた。

「彩は、変わらずに綺麗よ」

 背後の声に意識を取られないように、俺は足を踏み出す。彼女は早々に上へと帰って行くだろうと、取り残す。しかし、

「ねぇ、どうして結婚しないの?」

 と、俺の心を土足で踏む。エントランスの手前で、俺は苦笑いを浮かべ足が止まる。

「俺の事など、どうでもいいだろう」

「どうでもいいなんて、思ったこと無いわ!!」

 彼女は叫ぶと、俺の元へと駆け出す。そして、俺の行く手を阻むように前へと躍り出た。

「私にとって、彩はずっと兄のようだった。……ううん、はるにとっても、きっと。私たちは彩に憧れていたわ」

 何という酷な言い方をするのかと思いながらも、俺の視線は彼女に惹き付けられていた。昔見ていた彼女の姿のままだ。少し背伸びをしたように俺を見上げ、その眼差しは強さを宿している。

「優秀だし、カッコイイと女の子たちには騒がれているし……それだけじゃない。彩は、彩の両親からすれば自慢の息子そのもの。私の親だって、私以上に彩を……。いつだって近くに居てくれたけど、彩の存在はとっても遠くて。私たち、置いておかれないようにするのが、必死だった」

「酷い……と言いたげだな。そう言いたいのは、こっちだ」

 俺は怪訝な表情を浮かべているのだろう。眉間に力が入っていると実感しながらも、その表情を崩す事が出来ない。

 仕方ないと自分を甘やかしてやりたいと思う。あの日に出せなかった答えを、彼女から直接聞いてしまったのだから。

「『兄』だなんて……酷い振り方じゃないか。しかも、二度目だ」

 尚且つ、俺は今、告白はしていないと付け加えてやってもいいくらいだ。兄弟の居ない俺が、妹と彼女を思った事など無いと言っても許される気もする。そもそも、『妹のような存在』などという都合のいい解釈の言葉を、俺は未だ理解出来ない。

「結婚しないんじゃない。俺が結婚したいと思った人は、一人しか居なかっただけだ」

 俺が結婚を意識した時、思い浮かべる相手は、ただ一人。――彼女だけだ。

「優秀だと言われても、それはテストの点が良かっただけだ。社会に出てからの『優秀』とは、意味が全く違う。それに、多くの異性の気を惹けた所で、振り向いて欲しい人に振り向いてもらえなければ何も意味が無い。……親の期待はプレッシャーに変わる。それに淡々と応え続けて来た俺の気持ちも、わからないだろう?」

「彩……」

「俺が親の期待に淡々と応えられたのが、何故だかわかるか」

 彼女の声を遮った俺の声は、怒りが抜けていた。怒りで高鳴っていた筈の鼓動は、別のものへと変わっていた。

 俺の言葉を大人しく待つ彼女が、今でも愛しい。

「君に相応しい人間になりたいと思った。君に、振り向いて欲しかった。……それだけだ」

 情けない。この年になって素直に言えるとは。

「君との将来が無いと思い知った時は、辛かった。善華を妬んで、俺はどんどん嫌な人間になった。そんな俺を君が選ばないのは、当然だとも思った。どうしていいかもわからず、俺は君たちから逃げ、自分の存在を消したいと願った」

「そんな……」

 彼女の大きくなった瞳から逃れるように、俺は彼女の横を通り過ぎる。


 これで終わる。ようやく、俺の恋が終わりを告げる。


 彼女を置き去りに歩き、エントランスの自動ドアが開く。そして、閉じると思った矢先、

「私、記憶が無くても『彩が元気でいた』とはるから聞いて、嬉しかったわ。はるも……。ねぇ、また、来てくれる? また会えるわよね、私たち」

 と、声は聞こえた。振り返ると自動ドアは閉まる事なく、開き続けていた。

 俺が身体の向きを変えたと認めたのか、彼女は俺に再び駆け付けて来た。その瞳は涙が浮かび、輝いている。

 この状況でも、俺は彼女を『妹のようだ』とも到底言えない。

「直ぐには無理だ。ただ……」

 消えた俺の声に、彼女は首を傾げる。

 ああ、と、俺は思う。

 幼い頃から彼女は、疑問に思うと首が小さく動く。この些細な動作が『傾げる』ように感じるのは、俺くらいだろう。

「まだまだ人生は長い。だから……また、会う事もあるだろう」

 自然と頬は緩み、懐かしい気持ちで心が埋まっていく。

「善華には、すまなかったと伝えてくれ。そして、また会えた時には、再び友になろうと」

 一瞬、彼女は驚いた表情を浮かべ、嬉しそうに笑う。

「その時、君は……『兄』ではなく、『友』と俺を呼んでくれるか?」

 潰れた瞳から溢れた雫が、彼女の頬を美しく滑っていく。その雫に彼女は触れる事無く、

「ええ」

 と、弾ませた声を発した。



 街は行きと同じように賑わっていた。相変わらず、人々は忙しそうだ。

 澄んだ空も変わらなかった。俺も同じような心になるのを待っていてくれたのかもしれない。


 あの後、俺は軽く右手を上げた。すると、彼女も同じように応えてくれた。

 皮肉なものだった。初恋の痛手を、二度も繰り返すなんて。


 そんな事を思いながらも、俺は澄んだ空を清々しく感じていた。




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