予期せぬ再会
「初恋は二度くりかえす」の企画参加作品です。
R15などの雰囲気が漂う部分もありますが、警告タグは付けていません。予めご了承下さい。
驚いた。まさか、こんな日が来るとは。
「彩? ……彩じゃないか! 久し振りだな」
馴染みではない本屋に立ち寄ってみたのが間違いだったのか。十分前に戻る事が出来たなら――となど、心底思ったのは初めてだった。
声を掛けられてしまっては仕方ない。『人間違えだ』と、誤魔化せるような相手では無い。
「久し振りだな……善華」
二度と呼ぶことは無いと思っていた名を発し、今に至る。
「彩は、変わらずに若々しいな」
そう言って、善華は酒を口に運ぶ。俺たちは近場にあった居酒屋へと入っていた。大衆居酒屋だ。週末でもないのに、周囲は賑やかで活気に溢れている。その要因は、俺たちよりも若い姿が多いからに尽きるのかもしれない。
善華の横顔は、確かに苦労が滲んでいるようにも感じる。精悍な顔立ちで、柔らかい性格だった善華は、学生時代に女子の憧れの的だった。体型が崩れていないこともあり、その面影は今でも強く残ってはいるが、目元に届く前髪の中に年齢を感じさせる白髪が数本混ざっている。
「所帯染みていない……それだけだろう」
三十を越えても、多くの友人は独身だった。けれど、四十を間近にして独身は俺くらいになっていた。『独身貴族』などと、周囲にもて囃される事さえある。俺の場合は好きで選んだ訳でも無く、結果として独身であるだけ。周囲が勝手に言い立てる事には、少々不満を持っている。
だが、それも仕方の無い事だと思う時、未だ過る事がある。
「まだ……独身なのか? それとも……」
黙っていた善華が、戸惑うように声を出し、濁す。何を言いたいのかを容易に察してしまい、俺には苦笑いが浮かぶ。
「離婚した訳でなく、独身だ。……で、お前はどうなんだ」
俺の言葉に、善華の表情が驚きに変化した。――そうだろう。俺が知っているとは思っても居なかったのであろう。
「噂で聞いた。学生結婚したんだろ。奥さんと子どもは元気か?」
善華とは中学で知り合って、高校まで同じだった。大学は――同じ所を偶然選んでいたが、俺は直前にわざと違う所を選んだ。そして、善華の前から姿を消し――いや、『俺』を善華から消す為に引っ越しをして、携帯も変えた。
それでも、聞きたくない噂は周囲から伝わって来た。善華が、長く付き合っていた彼女とおめでた婚をしたと。
到底、俺に祝福は出来なかった。そして、自分の本心に気が付いて、つくづく嫌になった。単に善華から『俺』を消したかった訳じゃない。俺は、逃げたんだ。二人が幸せに笑う光景から。
「まぁ……ね。でも、下の子が反抗期で。娘の反抗期は、父親って辛いものだね」
「そうか」
俺は適当に相槌を打つ。幸せ自慢にしか聞こえんが、善華は苦笑いだ。
「でも……『奥さん』なんて、彩が他人行儀に言うと思わなかった」
善華の言葉は、俺の心を大きく波立たせる。
普段から無表情だと自覚があるが、表情が強張っていくのを感じた俺は、酒を口に注ぐ。ひんやりとした感覚が喉に伝わった時、熱さも感じる程の酒を頼んでおけば良かったと思った。そうしておけば、勢いで善華に罵声のひとつでも言えたかもしれないと。
「他に言いようが無い」
「どうして? 昔のまま、呼び捨てでいいでしょう。僕もその方が聞き慣れてる」
まったく解かっていないと、言ってやりたい。
それが出来たなら、きっと俺は逃げていなかった。
「幼馴染みだからと言って、二十年以上会ってもいない奴がこの年で呼び捨てにするのは失礼だ。学生の頃だって、お前が付き合いだした頃には呼び方を変えるべきだったと思っている」
今更、思い知ると思わなかった。――吹っ切っていたつもりだった。俺はまだ、彼女に未練があるのだ。
「そうか……だからだったのかもしれない」
ふと、善華は妙な事を言う。その面持ちは真剣なものだ。
「彩、今度来てくれないか? 力を貸して欲しいんだ」
「は?」
唐突な善華の言葉を理解出来る筈も無く。だが、善華に連絡先を教える事を躊躇った俺は、そのまま週末に善華の家へと行くと言ってしまった。当の善華は、俺が行くと言った事に安堵したのか、表情が和らいだ。そして、善華は事情を話し始めた。
彼女は一部の記憶を失ったまま、十年以上が過ぎているらしい。原因は長女を庇った時に転落した事故だったそうだ。欠落した記憶は、善華と子ども達の記憶。過去の写真を見ても、他人を見ている様だとか。まだ小学生の低学年だった長男の姿は、痛々しく、善華は何重にも辛かったと言った。
彼女が記憶を失ったと知った当初、善華は大学時代より前の写真も彼女に見せたらしい。両親と友人の記憶は保っていたが、俺を見て彼女の視線が止まったと言う。そして、名を言いたげに口を開き、頭痛に襲われ気を失った。善華を写真の中で見ても無反応だったにも関わらずだ。
それを善華は思い出し、俺に救いを求めた。――そんな所だろうか。
善華と別れ、帰り道を歩き出しても、俺の心は彼女に縛られたままだった。
『このまま、俺を忘れてくれていたらいい』
そう思いながらも、今のまま彼女を放置しておいていいのかと自問自答する。
彼女が俺に会ったからと言って、全てを思い出すとは限らない。俺の事すらも思い出す保証も無い。なのに、何故、ここまで心が揺れるのか。
大学に行ってから、善華の姿も彼女の姿も無い中で暮らし、全てから解放された感覚があった。だから、やっと他の女に目を向ける事も出来た。ひとり、ふたりと別れるうちに、俺もそのうち『誰か』と結婚を自然とするものだと思っていた。
けれど、今日。善華に会って、思い知らされた。俺が『結婚するんだろう』と思った相手は、一人しか居なかった。