【第八話】 約束やぶっちゃった
飲みの後の夜、ちゃんと理性を保って家に帰ることができた。
が、やっぱり飲みすぎたせいで、まともにアダンと会話することなく寝てしまった。
朝いつも通り目覚めると、やっぱりというか……すでにアダンの姿はなく……私の馬鹿!
「……アダン、ごめんね」
クモの姿は見えない。けれど、きっとアダンなら聞こえているはず。
「今日は仕事終わったらすぐに帰るから。……待っててほしい」
もやもやした気持ちは、時間が過ぎれば過ぎるほど余計にひどくなっている気がする。だから、ちゃんとアダンと正面向き合って話し合わなきゃいけないんだ。
営業の外回り。今日も祐樹くんと一緒に会社の車で出る。気のせいかもしれないけど、少しずつ秋の気配を感じる。日向は相変わらず強い日光が降りしきるけれど、少し日陰に入れば涼しい風が通り過ぎる。街に目を向ければ、ほとんどの人が薄着で行き交っているけれど、店頭で立っているマネキンは秋冬ファッションになっていた。
本当に、時間が過ぎるのが早い。
「……秋が来て、気づけば年末年始かぁ。また忙しいでしょうね」
手帳をめくりながら、思わずため息が漏れる。だって、想像もしたくないドタバタが待っているんだもの。まぁどこも一緒でしょうけれど。
「先輩、その前にイベントがあるじゃないですか」
「イベント?」
……イベント? 会社で何か催しでもあったっけ。
スケジュール帳を睨んでいると、運転席に座る祐樹くんからため息が聞こえた。
「……クリスマスですよ」
「クリスマス? あーそういえばあったわね」
すっかり忘れてた。
毎年仕事でサンタさんなんて来てもくれない。まぁいるとも思えないけれど。
「先輩は毎年何して過ごしているんですか?」
「私? そりゃ仕事よ」
「え、仕事っすか。……今年も?」
「まだクリスマスの予定はないけれど、たぶん今年もし……」
「じゃあ! どこか行きましょうよ!」
言葉を遮られて叫ばれた。……信号は赤で丁度止まったみたい。こちらを向いて、祐樹くんはまた叫ぶ。
「仕事仕事って、先輩、仕事がそんなに好きなんですか!?」
「いや、別に好きじゃ……」
「じゃあ! クリスマスぐらい休みましょう! 俺も付き合いますから」
信号が変わる。
「祐樹くん、信号青になったよ」
残念そうに祐樹くんが前を向く。
そ、そんなにクリスマスって大事? というか、まだ夏だよ。
「……祐樹くんって面白いね。仕事次第だけど、考えておくわ」
そう言うとこちらを向きそうになったので、慌てて前を向くように注意した。
今日は飲みを断って、さっさと家に帰った。会社を出る頃は太陽が落ちるか落ちないかという所だったけれど、家に着く頃にはすっかり夜になり月――三日月が出ていた。
「……ただいま」
「おかえり」
アダンの声。なんだかほっとする。
ふすまを開けると、にっこりと笑うアダンがいた。
「おかえり。僕、待ってたよ」
体育座りで座るアダンとテーブルを挟み反対側に座る。今日はテレビもつけずに待ってくれていたみたい。窓の外から鈴虫の声が小さく聞こえる。
「アダン、その、昨日はごめんね。……寝ちゃって」
「え。別にいいよ? だってはな、お酒臭かったから寝ちゃうかなぁって僕思ってたし」
……な、なんか恥ずかしい。アダンは不思議そうに顔を傾ける。
「どうしたの、はな。なんか変だよ」
「……アダン、その、私ね……気になってて……」
じっと見つめるアダン。私もアダンを見つめた。
真っ白な前髪に隠れている目からも視線を感じる。妙にドキドキする。
「……神様との話の中で、私に何か隠していない?」
「え……」
私の言葉に動揺したのか、アダンの目が泳ぎ始める。
――怪しすぎる。
「か、隠していることなんてないよ? 神様との話は、は、はなとは関係のない話だよ」
「私と関係ないなら話してもいいんじゃない?」
「ぼ、僕と神様の約束だからっ! はなには話せないっ!」
ぷいっと横を向いてしまった。
うーん、気になるなぁ。……聞き方を変えてみようかな。
「どうして神様との約束をしたの?」
ちらっと目線をこちらへ向ける。
「……僕が人間になるために、神様と約束したんだ」
「へぇ、そうなの。神様と約束……交換条件みたいなことを言われたの?」
「え? ……交換条件……かなぁ。そうじゃないと思うんだけど」
アダンは困った表情で、うーん、と唸り始めた。
お、これはチャンスかもしれない。
「どんな約束をしたの? それが交換条件なのか聞いてあげるわ」
「えっと……人間を傷つけないこと、人間との間に子孫は残さないこと、人間には約束を言わない……こと……」
「……」
「……」
アダンが泣きそうな顔になった。
そんな顔を眺めながら、私は笑うのを必死に堪える。
「ご、ごめんごめん。まさか本当に言ってくれるなんて思わなくて」
「はな! ど、どうしよう! 僕、神様との約束やぶっちゃったよ!」
立ち上がりウロウロと部屋の中を歩き始める。頭を掻いたり、腕組みをしたり落ち着かない。前髪を掻き上げるたびに、こめかみの上にある目も見えて、その目も泳いでいた。
「だ、大丈夫よ。あの神社で聞いているわけでもないし、神様にはきっとばれていないよ」
「な、何言ってるの! 神様は神様だよ! 全部把握してらっしゃるよ!」
「えーそうかなー」
あはは、と私が笑いながら答えた途端、アダンが足を止めた。そして、開いている窓を凝視したまま固まる。
「……アダン? どうしたの?」
顔が青ざめている。身体を細かく震わせながら、口をゆっくりと開いた。
「か、神様……」
「えっ」
窓を見る。けれど、当然そこには誰もいない。アダンはそれでも窓から目を離さなかった。
「アダン? 何もないよ」
「はな、見えないの? 目の前に神様がいるよ!」
思わず首を傾げる。だって何もいないんだもの。
すると、アダンの表情がハッとした表情になり、真面目な顔つきになる。……話を聞いているみたい。
「……はい」
どうやらやっぱり神様がいるらしい。
何を話しているんだろう。
「……はい。すいません」
顔が青い。あれ、でもすぐに――。
「え、本当ですか?」
明るくなった。何か良いことでも言われたのかなぁ。
「は、はい! わかりました!」
と思ったら顔が引きつってる。
「……え、そうですか?」
眉をひそめてる。何か心外なことでも言われた?
「えっ! も、もしかして……」
あれ、見る見る顔色が悪くなっていく。
「え、あ! か、神様!」
顔色が悪いまま窓から身体を乗り出し夜空を見上げる。
たぶん、神様がどこかに行ったんだろう。振り返ったアダンは、顔色が悪いまま口を開いた。
「……Gを擬人化するって」
「え、えええええ!!」
一体どんな会話があったの!?




