【第六話】 僕はクモだもの
あぁまた始まる。どうして、月曜日という日はこんなにも憂鬱なんだろうか。
ため息を漏らしつつ、着替え始めていると――テーブルの上にいた。
「おはよう、アダン」
じっとこちらを見ているであろう、ハエトリグモ――アダンだ。
「……あぁまた始まるのよ。でも、生きて行くためには仕方ないのよねぇ。多少のことは我慢しなきゃね」
髪をまとめて、シャツに腕を通す。
「ん。待てよ」
今何気なく着替えてしまったけど、このクモ――アダンよね。
――ということは。
「アダンのエッチ! 見ないでよ!」
クモに向かって叫ぶと、ぴょんぴょんと飛んでどこかに隠れてしまった。どうにも、昼と夜のギャップが激しくてつい忘れてしまう。
「……ってクモ相手に何をやっているんだろう、私……」
◆ ◆
クモの姿になると、この部屋は途端広く感じる。
人間の姿の時は狭いなぁって思うんだけどなぁ。僕が今まで行ったことないような場所も簡単に手が届く。
だけど本来の姿から見るこの部屋は、やっぱり色々な危険が潜んでいる。落下するかもしれないし、押しつぶされるかもしれないし、もしかしたら僕自身が何かから狙われているかも。
そう思うと落ち着かない。だけど、狩りをしなきゃ。
僕はクモだもの。
いつもはなと座るテーブル近く、クッションの山を越えて行こうとすると――。
「アダンちゃーん。ハロー!」
いきなり目の前に神様が現れた。でも……。
(神様、僕と同じ大きさ?)
今の僕と同じサイズになっている。
「神様はねぇ、サイズなんてないのよー」
(すごいですね、神様)
満足そうに神様は笑っている。足元にはあの小さな雲があって、それに乗ってふわふわと浮かんでいた。
「この間はお供え物ありがとう。おかげで喉が潤ったわ」
(それはよかったです。夜、はなに伝えておきます)
「それにしても、本当にここは色々といる部屋ねー」
周りを見渡している神様の目は、興味津々のようで輝いている。
(はい。僕以外にもクモはいますし、僕より大きな生き物小さな生き物……はなが知ったら驚きそうです)
もしはなが、どれだけの生き物が部屋に潜んでいるかを知ったら、驚いてまた気を失うかもしれない。そのおかげで僕は食い繋げているんだけど。
すると、神様はにやりと口の端を持ち上げた。
「確かにいるわねーアシダカグモ。……隠れているつもりでしょうが、バレバレよ」
神様が見上げた先は、時計がかけられている壁。すっぽり隠れているつもりだろうけど……時計の後ろからアシダカ先輩の足が見える。
「まぁいいわ。他にも別の生き物がいるみたいだけど、みんな怖がっているようだし」
と、そう言いながら神様は周りを見渡す。
僕にはわからないけど、どうやら他にも隠れているみたい。
「アダン、あんただけね、物怖じせず私と話す生き物は」
(……すいません)
「別にいいのよ。暇つぶしになるし」
(どうして、神様はここにいらっしゃったんですか?)
「あぁ、そうね忘れるところだった。この部屋の狭さを改めて確認に来たのよ」
見渡しながら神様は何度か頷いた。
「……この狭さなら、致し方ないのかもしれない。でも本当……不便よね、人間って」
何て答えたら良いかわからず黙っていると、神様は続けた。
「食べていかなきゃ死ぬのは他の生き物と一緒。だけど、その食べるまでの過程が長いのよ。それに食べるだけでも駄目。人間は頭が良いから、快適さや便利さを求めちゃうわけ。はなの場合、家が相当古いから快適とは言えないかもしれないわ」
(……僕には良い場所だと思います)
だって食べ物がいっぱいあるから。
すると神様は首を横に振って少し笑う。
「あんたにはそうでも、人間にとっては過ごしにくい場所なのよ」
神様は僕から視線をはずし、木製の天井や剥げかけた壁紙を見回しながら呟いた。
「生きていくため――食べるために仕事に行って、心身をすり減らしながら食べてまた仕事、か。古びた家で身体が休まるはずもないでしょうに。……こんな楽しみのない生き方、何が面白いのやら」
今まで見てきた、はなの虚ろな顔が浮かんだ。
(……僕が一生懸命他の生き物を食べることは、はなの役に立っていませんか?)
僕は、はなが笑ってくれるようなことをしたい。はなの笑う顔が見たい。
すると、神様はにっこりと微笑んだ。
「少なからず、はなのためになっているでしょうね。だけど、アダン。あんたはもっと違う意味で、はなの支えになるかもしれない」
(違う……意味?)
「そっ! まぁそうなるかはアダン次第ね! ……なんかぐだぐだしゃべって疲れた。この話はおしまい」
背伸びをする神様。
僕、意味がよくわからないから聞きたいけど、教えてくれないんだろうなぁ。
「それぐらい、自分で考えなさいよ」
(……はい)
やっぱり心を読まれる。
「あ、そうそう。アダン、伝えることがあるのよ」
首を回しながら神様は続けた。
「新月――月が空に出てこない日があるんだけど、その日あんたは人間に変化はしないから」
(えっどうしてですか!)
「どうしても、こうしても、そういうものなんだから! 文句でもあるの!」
(……ないです)
すると、神様はいたずらっぽくにやりと笑う。
「でも、大丈夫よ。はなに寂しい思いはさせないわ。……ふふっ」
そう言うと、神様は雲を操って窓の隙間から部屋から出て行ってしまった。
◇ ◇
「え? 神様がうちに来た?」
またビールを噴き出しそうになった。
「うん。お供えありがとうって」
神様は意外に暇な方なのかしら。それとも、やっぱり目をつけられたのかな。
「……他に何か言ってなかった?」
うーん、と唸ってアダンはなかなか言葉を発しなかった。
何やら難しい顔をしている。
「……変なこと言われたの?」
「そうじゃあないんだけど……うーん」
じゃあなんでそんなに難しい顔してるのよ。言いにくいことを言われたでしょ、絶対。
「別に気にしないから聞かせて」
「……はなに寂しい思いはさせない、って神様言ってたよ」
「……どういうこと」
一口ビールを含んだ。
寂しい思いはさせないって……今、アダンがいるからそんなに寂しいってわけじゃないんだけど。どういう意味だろう。
「他には何も言っていなかった?」
「……うん」
珍しくテレビを見ながらアダンは頷いた。
でもきっとこれ以上聞いても答えてくれないような気がした。と言うよりも、答えたくないように見える。
……何かあったのかなぁ。