【第二十話】 私がアダンを好きなんだから
◆ ◆
今日は満月だ。祠の隙間から、夜空を見上げる。
丸い月が輝いている。そのせいか、外がいつもよりも明るい気がする。
僕は今日で寿命を迎える。後悔なんてない。でも一つ気がかりがある。
はなのこと。
はな、元気かな。またビールを美味しそうに飲んでいるのかな。また一人で寂しそうな顔しているのかな。あの人間と仲良くやっているのかな。
僕のこと、忘れちゃったかな。
「……でよー。糞つまんねぇだよ」
「マジか。あいつは?」
「あいつもつまんねぇ。やっぱり金かけねぇと無理ゲー」
……聞き慣れない声。
低い声だから、きっと男の人間。隙間から覗いてみると――丁度神社の前に、三人屈みこんでいた。
あれ――……この人たち……僕を殴った人間たち。
「……おい、女だ」
三人の一人がそう言うと、一斉に階段の方へ顔を向けた。みんな一様に顔がにやける。
こんな時間に……女? 女の人間……? まさか……。
僕の視界から男たちが消える。遠くから声が聞こえるけど、聞きとれない。
嫌な予感がする。もしかして……。
すると、男たちと一緒に腕を掴まれた女の人間がやって来た――その顔は……。
(はな!!)
にやにやと笑いながら、男たちははなを無理やり神社の裏へと連れて行こうとしている。
はなは抵抗しているけれど、その顔は青ざめていて今にも泣きそうだった。
(神様! 神様! 起きてください、神様!!)
「……どうしたのよ、いきなり」
祠の奥で横になっていた神様は、目を擦りながら起き上がる。
(僕を今すぐ人間にしてください! はなが危ないんです!)
「……どういうことよ」
神様は目をパッチリ開くと、すぐに雲を移動させ僕の隣に移動する。
「……なっ、なんではなが! しかもあいつら前いた奴らじゃない!」
(早くしてください! このままじゃはなが……!)
焦る僕とは対照的に、神様は落ち着いた声色だった。
「……擬人化して、どうするつもり?」
焦る様子もなく、神様は僕をじっと見ている。
(はなを助けるんです!)
「相手は三人よ?」
(三人だろうと、僕ははなを助けたいんです! 早くしてください!)
「……あんた、私との約束を破るつもりでしょう? 転生したくないの?」
確かに神様との約束の中に、人間を傷つけないこと、そんな約束があった。
だけど――今はどうでもいい。
(僕ははなを助けたいんです! その上で約束をやぶることになっても後悔しません!)
神様は眉間に皺を寄せながら目を閉じている。何かを考えているようだった。
少し沈黙が流れる。
そして、カッと勢いよく目を見開いた。
「わかったわよ! あんたも覚悟を決めているなら、私も覚悟を決めてやるわ! とっとと外に出なさい!」
(あ、ありがとうございます!)
「……着るものもサービスしてやるわ! 全裸じゃ格好悪いし! ありがたく思いなさい!」
◇ ◇
足が震える。力を抜いたら腰から砕け落ちそうだった。怖い。この人たち、一体何をするつもりなの。
私の腕を掴んだまま、神社の裏手へ行こうとする。
そこは別世界のように真っ暗だった。神社の影のせいで街灯の光も当たらず、木々のせいで月明りもない。
――嫌だ。
私は持てる力を出して足を踏ん張った。一瞬男の歩みを止めることはできたが、それだけだった。
「さっさとこいや!」
男の握力が増す。痛い。けれど、逃げなきゃ。
「嫌! 離して!」
すると、後ろにいた男の一人が私の束ねている髪を思いっきり引っ張る。
「うるせぇよ、黙れ」
髪を引っ張って、顎にピアスのある顔が近づく。
「あんまりうるせぇと顔が変わっちゃうよ?」
舌舐めずりをしながら、すぐ目の前で私を見る。顔がくっつきそうだった。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
「ほら、こい! 三人でかわいがってやるよ」
怖くてもう力が入らない。もう……。
誰か……。
「待て!」
突然後ろから声が響いた。
「……あぁ?」
けれど、後ろにいる男二人のせいで姿が見えない。
「なんだてめぇは?」
男二人が私から離れ、その声の主に近づいて行く。その隙間から見る――白い服。服というより、だぼだぼとしたローブのような格好だ。
もう誰でも良い。
「助けてください!」
顔は見えなかったが叫んだ。掴まれている腕は相変わらず強い。
なんとか振りほどこうとした時だった。
「大丈夫だよ。すぐに助けるから」
まさか――。
「……アダン?」
私が呟いたのが合図だったかのように、アダンは二人の男の頭を軽々飛び越えた。大きくジャンプをし、そのまま一気に私の腕を握る男に飛びかかる。
男はアダンに肩を掴まれ、そのまま背中から地面へ倒れた。倒れた拍子にアダンが拳を振り上げ、男の頬に振り下ろす。
鈍い音が短く響き、男の口が血ににじむ。
「はなから……離れろ!」
「……くそっ! 何しやがる!」
取っ組み合う二人のそばで、私は呆然と立ち尽くす。
人間を傷つけない、そんな約束があったはず。なのに今アダンは。
「アダン、やめて……」
止めなきゃ。
片手を前にアダンに触れようと試みる――が、近づいてくる足音に手が止まる。
振り返ると、残っていた男二人が駆け足でこちらに近づいていた。目がつり上がり、鬼の形相になっている。
「あっ……」
恐怖に声が出てこない。逃げなきゃ、そう思っても地面に足が張り付いている。立つだけで精一杯だった。
「はな! 捕まって!」
恐怖を一蹴する声。
アダンはそう言うや否や、右腕を私の背中から回して肩を持ち、そして左腕を膝裏に当て持ち上げられた。
――お姫様抱っこ!?
あまりの一瞬の出来事に理解できないまま、とにかく言われるままアダンの首に抱きついた。
するとアダンは少ししゃがんだ次の瞬間――一気に飛び上がった。
重力なんてない気がした。だって、一瞬で神社の木々の上にいる。暗い中、下には月明りに照らされる町の光も見えた。
な、なんで高く――。思わず身体が強張る。
「僕、ハエトリグモだから。ジャンプは得意だよ」
そう言って地面を見下ろすアダンの横顔は、慌てる様子もなく落ち着いていた。
なんだか妙に納得してしまう。
アダンは男たちから離れた街灯付近にふんわりと着地をし、すぐに振り返った。
抱えられたままアダンの顔を見上げる。……今までに見たことのない精悍な顔立ち。子どもっぽいと思っていたアダンの面影はない。力強い眼差しで、遠く男たちを睨みつけている。
また、風に煽られたせいか、こめかみ上にあるもう二つの目もはっきりと見えた。それらも見開きじっと見入っている。
すると、神社の影から男三人がゆっくりと姿を現した。
「……思い出した、前俺らがやった……」
「そうだよ、あの目……」
「何なんだよ、こいつは。化物かよ……!」
けれど、先ほどのにやにやとした笑みは消えていた。
威圧的な態度はどこへやら。怯えたネコのようにアダンを睨みつけてるだけだった。
「て、てめぇただで済むと思うなよ……!」
警戒しながらも、三人はじりじりと前へ進んでくる。
一方で、アダンは私を抱えたままその場を動かなかった。怯むことなくはっきりと言い返す。
「僕は人間じゃない。あなたたちの言う通り、化物だよ」
三人の歩みが止まる。
「もし、これ以上はなを傷つけるなら容赦しない。……呪いをかけるよ」
その言葉に恐れを成したのか、三人はお互いの顔を見合わせると一気に階段へと走る。そして、あっという間にその場から去って行った。
……元の静かな神社へと戻る。
「……呪いかけれるの?」
「ううん、テレビの真似をして言ってみただけだよ。僕、ただのクモだもの」
えへへ、とにっこりと微笑んだ。いつも見てきたアダンの顔が目の前にある。
緊張が緩む。
ようやく会えた。
恐怖からの解放と安心感で一気に涙が溢れてくる。
「アダン! 怖かったよおぉ!」
「はな、もう大丈夫だよ。僕がいるから」
アダンは近くにあったベンチに私を座らせると隣に座り、そのまま頭を撫でてくれる。
私はアダンの胸で嗚咽を漏らしながら泣いた。アダンは肩を抱いて、落ち着くのを待ってくれる。
「……もう大丈夫だよ」
優しい声で私を落ち着かせてくれる。
少しの間涙を流した後ようやく落ち着きを取り戻した。胸から離れて見上げると、優しいアダンの顔が目の前にある。
久しぶりに見る気がして急に恥ずかしくなった。目の前で年甲斐もなく泣いてしまった。きっと顔が赤くなってる。
「はな、元気そうで良かった」
「う、うん」
「……ずっと神社にお参りしてくれてたんでしょ? 神様から聞いたよ」
そうか、神様はずっと見ていたんだ。姿が見えないものだから、半分いないと思っていた。
となると……もしかしたら願いが叶うかもしれない。思わず顔がほころぶ。
「そうなのよ! 神様にね、アダンの寿命を延ばしてもらうように……!」
「はな」
言い終わる前に、アダンが遮る。
「ありがとう。僕、今夜でお別れなんだ。神様でも、寿命を延ばすことはできないって」
微笑んでいた。
「神様もできないことがあるなんて……ちょっと意外だよね」
そんな、嘘よ。どうして。頭が真っ白になる。ただ頭を横に振る、また、涙が込み上げてくる。
けれど、アダンは笑顔を崩すことはなかった。
「本当はね、はなにはもう会わないって思っていたんだ。はなには僕のこと、早く忘れてほしかったから。でも良かった。僕やっぱり、はなとお話できて嬉しい」
アダンの笑顔が霞む。嫌だよ。どうして。
言葉にならず、ただ首を振る。
「……はな、泣かないで」
アダンがそっと私の顔に触れる。温かな手。
その手に自分の手を重ねる。ここにいる。アダンはここにいるのに――。
「ごめんね。僕の勝手な願いで、こんなにはなを悲しませてしまって」
「違う……違うわアダン」
ぎゅっとアダンの手を握り締める。
「はなと色んなお話して、はなと同じ世界が見れて……僕、本当に嬉しかったよ」
アダンが手を握り返してくる。温かい。
「……ほら、見てはな」
アダンが夜空を指差す。――まん丸と綺麗に輝く満月。
「満月……いつか一緒に見たね。僕、はなと過ごせてとっても幸せだったよ」
もう願っても無理なんだ。これ以上、わがままを言ってもアダンを悲しませるだけなんだ。霞む満月を見ながら、涙を拭った。
泣いちゃ駄目。後悔したくない。だから――私の気持ちを伝えなきゃ。
「さっき……忘れてほしいって言ったけれど……私、絶対に忘れないから」
アダンは見上げていた視線を落として、驚いた表情を向けた。
「……どうして? 僕のことは忘れて、はなはあの人間と――」
「私はアダンが好きなの。祐樹くんじゃない、アダンが好きなのよ」
一瞬アダンが目を見開いた。
けれど、すぐに困ったように笑みを浮かべる。
「だ、駄目だよ……。僕はもういなくなっちゃうだよ? 僕のこと忘れた方が絶対にいいよ」
けれどその笑みはとても寂しげに見えた。
私から目を逸らして、俯いて、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。
「僕はクモなんだよ? はなは人間だから――人間を好きにならないと……!」
「関係ない」
その声にアダンが顔を上げた。
「私がアダンを好きなんだから」
そう言うとアダンの目が見る見ると潤んできた。
けれど、それを隠すように俯くと私の肩を持って身体を離した。
「……やっぱり駄目だよ。僕がいなくなったら、はなはまた悲しむでしょ? 僕、はなとお話したかったから……役に立ちたかったから、人間になったのに……」
肩を握る手が震えている。不安、後悔――そんな気持ちが伝わった。
その手に自分の手を重ねた。強く握る。気持ちが伝わるように。
「アダン。もう十分、私のためになっているのよ? わからない?」
「……え?」
潤む目で私を見つめるアダン。
私は精一杯の笑顔を向けた。
「アダンがいたから、私はこうして笑顔になれるの。いるだけで私は嬉しいのよ。役に立つとか関係ない。アダンがいたから、私はこんなにも笑えるし、こんなにも悲しく思えるの。……知ってる? 恋をすると周りが見えなくなっちゃうの」
「周りが……見えなくなるの?」
「えぇ。その人のことしか考えられなくなるの。……私もそう。今アダンのことしか考えられない」
頭の中に短い間だったけれど、色んなアダンの顔が蘇る。
無邪気に笑った顔。嬉しそうな顔。困った顔。泣きそうな顔。
全部大切な思い出。これからも、ずっと。
「それはね……アダンがいなくなっても変わらない。気持ちってそんなに簡単なものじゃないの」
我慢できず、アダンの身体に抱きついた。温かい。けれど身体が強張っている。
そんな背中に腕を回す。
「……忘れろなんて言わないで。アダンのこと好きなのに……忘れられるはずないでしょう」
「はな……」
アダンの鼓動を感じた。顔を上げると、アダンの瞳に私が映っている。
吸い込まれそうになる――私はそっと、唇を重ねた。
時間が止まったみたいだった。
少し離れると、今度はアダンがぎゅっと私を抱きしめる。
「……ありがとう。本当にありがとう」
かすれたアダンの声が聞こえた。
私の背中に回した手が、少しだけ力強くてぎこちない。なんだかアダンらしい。
「ふふっ」
「……僕こんなことするの初めて」
「嫌?」
「ううん、嫌じゃない」
少しだけ身体を離した。
おでこをくっつけて、アダンが囁いた。
「僕も、はなのこと好きだから」
そう言い終えて今度はアダンから唇を重ねてきた。
――私とアダンは最後の二人の時間を過ごした。




