【第十九話】 世の中物騒
とうとうこの日が来てしまった。
朝が来なければいい、そんなこと思ったのは学生時代以来かもしれない。嫌なぐらい太陽が輝いている。
今晩は晴れ。綺麗な満月が見えるそうで、奇しくも十五夜らしい。
団子でも用意してやろうか、まさかそんな気分になれるわけもなく。
「……はぁ」
虚しくため息が出て行くだけ。
……アダンの笑顔が恋しい。
会社に行くと、とびっきりの笑顔で祐樹くんが出迎えてくれた。
「おはようございます! はな先輩!」
昨日の再度の告白の後、少し祐樹くんと顔を合わせづらいと思っていたけれど……。
「……おはよう、祐樹くん」
祐樹くんは相変わらずの態度で接してくれる。白い歯を見せてにっこりと笑う。
「今日も外回り、お願いします」
「うん。こちらこそお願いね」
ほっと胸をなでおろす。
なんだかこんな会話も久しぶりな気がする。祐樹くんは私への挨拶が終わると、再びデスクへと身体を向けた。
その横顔は凛々しい。……こんなイケメンを振ってしまった私。
「はな先輩」
急に祐樹くんが顔だけこちらに向けた。
思わずビクッとする。
すると、悪戯っぽくにやりと笑った。
「……俺、全然振られたとか思ってませんから。ほらっ、ぼーっとしないでください、先輩だろうとバシバシ行かせていただきますよ」
「は、はい」
にこっと白い歯を見せた。
それ以上言葉はなかったけれど、もしかしたら、祐樹くんなりの気遣いだったのかもしれない。
外回りの車内。朝のことがあったせいか、不思議と祐樹くんと二人っきりでも気まずくはなかった。
いつも通り、祐樹くんがハンドルを握り、助手席で私は手帳とにらめっこ。
「そういえば……」
視線を祐樹くんに移す。
「G子……もしかしたら今日で、いなくなっちゃうのかな」
ぴくっと祐樹くんの眉が歪む。
あれ……思ったより嬉しくなさそう。
「……もっと祐樹くん喜ぶかと思ったけれど、もしかして」
G子が気に入った?
すると、祐樹くんは大きなため息を吐いて苦笑いを浮かべる。
「……実は、昨日あの後」
「うん」
「帰ってG子に話したんです。はな先輩とのこと」
笑っていたけれど、やっぱり祐樹くんを傷つけてたのかも。
なんだか申し訳なくて顔を俯かせた。けれど、続いた言葉は――。
「気付いたら……G子と寝てました」
……はい!?
すぐに身体ごと祐樹くんに向けて、大声を出す。
「寝た!? ま、ま、まさか、G子と……!」
「えっ、ち、違う違う! 卑猥な意味じゃない! 本当に気付いたら寝てたってこと! 深く考えないで!」
私の反応に動揺したのか、車が左右に揺れる。おかげで後ろ、横の車からクラクションが鳴らされた。
「でもあんなに嫌がってたじゃない! 祐樹くん、何か悪いものでも食べたの!?」
と、丁度良く信号が赤に変わる。
ブレーキを踏みと同時に祐樹くんがこちらを向いた。恥ずかしかったのか、珍しく頬が赤い。
「べ、別に悪いものは何も。……昨日帰って話していたら、急にG子が泣き出して。落ち着かせようと寝かせてたら、俺も一緒に寝てしまって……」
かわいい話ね。……まぁそうしたのは、私だから何とも言い難いんだけれど。
また信号が青に変わる。前を向き直す祐樹くんの顔色はまだ赤く、なんだか悔しそうな恥ずかしそうな、戸惑っている感じだった。
「なんだか、先輩の気持ちが少しわかる気がしました。あ、だからってG子を好きになったってわけじゃないですよ?」
「……うん」
「相手がゴキブリの擬人化ってわかってても、やっぱり姿が人間だからか、愛着が沸いて。しかもあの子、俺のことが好きだってずっと言ってくるし、顔もかわいいし……そりゃ嫌な気分にはなりません。……あ、だからって好きになったりしないですから!」
別に強調しなくたって大丈夫だけれど。
祐樹くんは悔しそうに頭をガリガリと掻く。
「ああ! いなくなって嬉しいはずなのに! なんか俺、頭がおかしい!」
「ふふっ、お互い、頭がおかしくなっちゃったのかもね! 祐樹くん、仲間仲間」
二人で笑い合う。
なんだか無性におかしくって、久しぶりに腹の底から笑った気がした。
けれど祐樹くんももしかしたら――G子がいなくなるのが寂しいのかも。
仕事は失敗することもなく、定時で終了した。というか、今日仕事が残っても絶対に帰るつもりだった。
「……祐樹くん、どうするの?」
最後まで言わなかった。きっと、祐樹くんもわかるから。
「今日は、家でゆっくり話すよ。……最後だしね。はなも……会えればいいね」
「うん。……お疲れ様」
祐樹くんは笑顔で去って行った。きっと、心構えができているんだろう。
私はできていない。
不安で不安でしょうがない。この日のために、ずっとお参りしてきた。
意味があったのか、なかったのか――それが今夜わかる。何より、早くアダンに会いたい。
期待と不安が入り混じる気持ちを胸に家へと足を踏み出した。
帰り道、歩きながら見上げると、夜空にまんまるの満月が輝いていた。そのおかげか薄暗いながらも、妙に明るい。
自分の足音が路地に響く中――ふと、足を止める。
気付けば、あの神社へ続く階段の前にいた。家に帰ればアダンが灯りをつけて待っているかもしれない。――けれど。
私は神社への階段を上る。
最後、本当に最後のお願いをしたくなった。一歩一歩上がって行き――神社の広場へ出る。
「……っ!」
思わず息を呑んだ。
普段、人がいない神社に人影が見えたから。それも……三人だろうか。地面に大股を開いて屈んでいる。その格好から男の人みたいだった。
向こうも私に気がついたのか、おもむろに立ち上がる。私の方を見ている気がした。
嫌に鼓動が早くなる。
薄暗い中、三人の男の人がこちらへと歩み寄って来た。その顔はにやりと笑っていて、見た瞬間に悪寒が走る。
「……お姉さん、こんな時間にこんな所にいたら危ないよ?」
「そうそう、世の中物騒だからねぇ」
「いつ、誰に狙われるかわかんねぇよ?」
見た目も良くない。全員、ジャージを着ていてズボンなんかは腰で止めている。
一人目は目つきがものすごく悪い。二人目は耳に大きなピアスと口とか顎とかにもピアスが光っている。三人目は腕とか首とかに刺青が見える。
これは……やばいかも。にやにやと近づいてくる男たち。
どうしよう。さっさと階段を下りればよかった。
じりじりと後ろへ下がる。一気に階段を下りれば逃げられるかも。
よし、振り返って一気に階段を下りよう、そうすれば逃げられる。
そう思い、振り返って階段を下りようとするが――。
「おっとぉ! まぁ待てや」
目つきが悪い男が、一気に距離を詰めて私の二の腕を乱暴に掴んだ。
「は、離しなさい!」
振りほどこうと腕を振ってみるけれど、男の握る力が強くなるばかりだった。
「い、痛い! 離して!」
「へへ、暴れなきゃ乱暴なことはしないぜ? ほら、こっちこいや」
他の二人が階段の前に立ち塞ぐ。
腕を掴む男が無理やり引っ張って、神社の方へと歩き出す。
「……知ってるか、ここ、滅多に人来ないんだぜ? 俺ら四人だけってこと。楽しもうぜ」
男たちはにやにやと私を見下ろす。
気持ち悪い。逃げたいのに、力で敵わない。
どうしよう……どうしよう! 誰か……。




