【第二話】 友達になろう
ビールを飲みつつ、男の話に耳を傾けていた。
「近くに神社があるよね。僕、あそこでずっとお願いしてたんだ」
「お願い?」
「うん。はなとお話したいって」
目を細めて笑う顔はぱっと見、イケメンにしか見えない。
「そしたら、あそこに住まう神様が僕を夜の間だけ人間にしてくれたんだよ」
「……神様……」
また一口ビールを飲み込む。
「あの日、いきなり目の前に神様が来てくれて人間にしてくれたんだ。だから僕、すっごく嬉しくて格好気にしていなかったんだ」
ごめんね、と頭を掻きながら、自称・クモが謝る。
「……色々聞きたいことがあるけど、そもそもどうして私とお話したかったの?」
「だって、はな、ずっと一人で寂しそうだったから。僕に話しかけてくれても、返事できなかったからもやもやしてたんだよ」
さっきからずっとニコニコと笑顔だった。本当に人間になったのが嬉しくてたまらないのだろう。
見た目良い男が目の前でとびっきりの笑顔を向けている。この男、おでこに余分の目さえなければ完璧なのに。
「わかったわ。そのおでこの目も偽物じゃなさそうだし、あなたがあのクモということを信じます」
「本当?」
「……まぁ神様というのはよくわからないけど。あなたのこと、なんて呼べばいい? 私とお話したいんでしょ?」
「人間からは『アダンソンハエトリグモ』って呼ばれてるよ」
「……アダンにしましょう」
酔いも回っていたので、私も口が滑らかだった。アダンは素直なクモのようで、私の質問に笑みを絶やさす答えてくれた。
ずっとクモとして私のことを見守っていたこと。人間の言葉、習慣はわかること。昼間は普通のクモとして生きていること。どうやら太陽が沈み、月が出ると人間に変わるらしい。
「なんで昼間も人間じゃないのかしらねぇ」
「神様が、あんたはクモなんだから日中ぐらいクモでいなさい、って言っていたよ」
「神様って女の人なの?」
「……うん。ちょっとおっかない神様。あ……いけない」
と口を手で覆う。――やること言うことがいちいちかわいい気がする。
「あの神社かぁ。そういえば、一人暮らしを始めた頃お参りした気がするなぁ。……友達がほしいって」
「じゃあ叶ったね! 僕、はなの友達になりたい」
またニコニコと笑っている。なんだかおかしくなって、私も思わず笑ってしまった。だって――。
「アダン、子供みたい! ……いいよ。私も話し相手がほしかったから友達になろう」
見た目はイケメン。けれど、中身はクモで若干子供のようなアダン。
ずっと働き詰めだった私にとって、何か新鮮な気持ちにしてくれそうな、そんな予感がした。
◇ ◇
朝起きるとアダンはいなかった。おそらく、クモに戻ってどこかに隠れているのだろう。その方が私も踏む恐れがなくなるのでありがたい。
それにしても、いつまで暑いのだろう。早く涼しくなってほしい。Gが出てこない季節が恋しい。
「おはようございます。はな先輩」
いつものように祐樹くんが挨拶をしてきた。
「おはよう。今日も頑張りましょうね」
アダンが特殊なイケメンとすれば、祐樹くんは正統派イケメンなんだろう。おでこに目があるのとないのとでは全然違う。
――いやいや、人間とクモだから! なんだか、一夜にしてアダンを人間と勘違いしてる。いかんいかん……。
「……はな先輩。頭、痛いんですか?」
「えっ。ううん、違う違う。ちょっと色々あって混乱しているのよ」
はは、と誤魔化して笑ってみても、疑い深い目で祐樹くんが見つめてくる。
「本当ですか? 無理しないでくださいね」
「うん。ありがと」
クモが人間になっちゃいました、なんて口が裂けても言えない。会社の人間にばれてしまえば、やめなければならない自体にもなりかねない。
笑う私を見て良しと思ったのか、なんとか祐樹くんが自分のデスクに戻ってくれた。ありがとう、祐樹くん。
気づくとお昼休憩のチャイムが鳴った。働く人間にとって、お昼は至福の時。
あー今日は何を食べようかなぁ。
「はな先輩。体調大丈夫ですか?」
デスクから立ち上がったと同時に、祐樹くんが話しかけてくる。
「うん。全然平気だよ」
「よかったら俺とお昼食べに行きません? 先輩の好きなお店でいいんで」
なにやら気を遣ってくれている。別に体調悪くないのに、悪い気がする。
「いや、本当に大丈夫だよ? 気にせず祐樹くんの好きなもの食べに行きなよ」
「そうじゃないんですよ。俺、先輩とお昼食べたいんです」
一瞬、真面目な顔になった祐樹くん。そこまで一緒に食べたいの?
「……そう? そこまで言ってくれるなら、一緒に行きましょうか」
彼は嬉しそうな頷いた。
私のお昼は決まってラーメン屋に行っている。なので、今日は祐樹くんと一緒に足を運ぶ。
「……意外っすねぇ。先輩が行きそうなお店どんなかなぁって思っていたんですけど、全然予想と違いました」
「え、そう? でも、ここのラーメン屋、安くておいしいんだよ」
「先輩がそう言うならおいしいんでしょうね。楽しみです」
白い歯を見せてにっと祐樹くんが笑った。
このラーメン屋はサラリーマンに人気のお店で、だいたいお昼は満席になっている。今日も、狭い店内はお客さんでごった返しているけれど、ラッキーなことに丁度二席並んで空いていた。
すかさず二人並んで座る。
「とんこつラーメン。ねぎをトッピングで」
「じゃあ同じものを」
すると、祐樹くんは何やらそわそわと周りを見回していた。
「……この店。男ばっかりですね」
言われてみればそうかもしれない。私も釣られて周りを見ると、若い男性やおじさんばかりだ。全く気にならなかったなぁ。
「そういえば、そうだね」
「はな先輩は、平気なんですか? 男の人が多くても」
「平気……かな。そんな気にしていないよ」
そんな話をしているとラーメンが目の前に運ばれた。とんこつラーメンの上に、ねぎが山盛りになっている。おいしそう。私は割り箸を自分のと、祐樹くんのを渡してさっそく割った。
「先輩気をつけてください。いつ、誰に狙われているかわかりませんよ」
「え?」
祐樹くんは少しだけ不機嫌そうに、箸を割るとラーメンを啜った。けれど、すぐにラーメンのおいしさに元の笑顔へと戻った。
◇ ◇
帰りは家に着くのが夜八時を回っていることが多い。だから太陽は沈み、月が路地を照らしている。ということはつまり――。
「おかえり、はな」
アダンが家で帰りを待っていた。
「ただいま……」
やっぱり、家に誰かが待って灯りが付いているというのは、なんだかほっとしてしまう。
家に入ってすぐに風呂を沸かす準備をして、買い物袋から荷物を取り出す。
「アダン、あなた何食べるの? 今日は料理作るんだけど食べれないものとかある?」
すると、アダンが恐ろしい返答をしてきた。
「僕は大丈夫。お昼にいっぱいかって食べてるから」
「かって? ……日中はクモでしょ?」
「うん。だから狩って食べてるから」
危うく皿が落ちそうになった。
聞くべきか迷ったが、聞かずにはおれなかった。
「……狩るって……何を?」
「主には小さなゴキブ……」
「ももも、もういいわ! わかった!」
アダンは不思議そうに頭を傾げている。
冗談じゃない。ご飯を食べるときにGの話なんて聞きたくなかった。ん、待てよ。いっぱい狩ってって言っていなかったっけ……。包丁を握る手に汗が滲んできた。
「はな大丈夫だよ。大きなGはアシダカ先輩が食べてるから」
危うく指を切りそうになった。