【第十八話】 友達以上の存在
今日も仕事帰り、神社へと寄り道した。最近は、夜だけ秋の気配か少しだけ肌寒くなってきた。冷たいのも申し訳ない気がして、温かなジュースをお供えする。
誰もいない神社。本当にこの神社に神様がいるのかも怪しい。神様はいる、そんな風に言っていたアダンが懐かしく思える。
「……明日は満月だね」
隣で一緒に手を合わせてくれた祐樹くんが呟いた。
「そう、ね。……ごめんね、いつも祐樹くんまで付き合わせちゃって」
「いや、いいんだ」
ここ数日、急に祐樹くんが一緒にお参りすると言い出した。どうしてお参りしていることを知っているのか、不思議に思いつつも、暗い夜道はやはり気味が悪かったので嬉しい申し出だった。
G子のことはいいのかと尋ねたこともあったけれど、別に問題はないよ、と祐樹くんは言ってくれた。なんだかんだで同居生活、慣れてきているのかも。
すると、祐樹くんは弱く微笑みながら、私に向き直る。
「はな……もし、このままクモが現れなかったらどうするの? 現れたとしても、クモがいなくなったら……」
真剣な眼差しの祐樹くん。
「俺、はながこんなに毎日毎日お参りする姿……なんか見てられないんだ。相手はクモだよ? わかってる?」
「うん。知ってるよ」
弱い街灯の明りのせいか、余計に祐樹くんの表情が暗く見える。
「こんなに手を合わせたって、クモの奴、まだはなの前に姿を現していないんだろ? もうどこかに逃げてるんじゃないの?」
「……どうだろうね」
自分でも何やっているんだろう、と思う時がある。でも、アダンは確かにいた。
あんなに素直だったアダンが、急に逃げ出すなんて考えられない。クモだろうが、関係ない。私は――。
「俺じゃ駄目?」
はっきりと聞こえた声に見上げた。
暗い中でも、祐樹くんの強い眼差しが見えた。
「俺、はなのこと好きだよ。どこにもいかないし、急にいなくなったりしない。はなと一緒にお酒も飲みたいし、もっと色んな場所に連れて行ってあげたい」
「……祐樹くん」
逃れるように私は顔を俯かせた。
けれど、祐樹くんが私の肩を掴んでそれを拒む。
「はな、こっちを見て。はっきり言って」
じっと祐樹くんを見つめる。祐樹くんの顔が少し険しく、肩を掴む手に力が入っていた。
「クモ、いや……アダンのこと、好きなのか?」
私は、アダンのことを忘れたくないし、いなくなってほしくない。
だからこうして毎日神社に通っていた。
「ごめんなさい、祐樹くん。私は……」
目の前に、こんなに私のことを好きと言ってくれる人がいる。
でも、やっぱり応えることはできない。
「アダンが好きなの」
クモだろうと関係ない、私はアダンが好き。毎日、寂しい日々の中でアダンが私の心を支えてくれたんだ。
無邪気な笑顔に癒されて、私の枯れ果てた心に水をくれた。
「……わかった」
肩を掴んでいた手が力なく離れる。
だけど、祐樹くんは笑っていた。
「やっと自分の気持ちを言えたね。でも……俺は諦めない。ずっと待ってる。諦めの悪い男だから」
いつものように、白い歯を見せて祐樹くんは笑っている。
「明日、どうなるかわからないけど……きっと大丈夫。はなの気持ちはきっと神様に届いてる。さ、帰ろう。途中まで送るよ」
そう言って祐樹くんは神社に背を向ける。
どこまでも、祐樹くんは優しい人。
きっと、私よりももっと素敵な人がいるはずだよ。
◆ ◆
ふっと、意識が戻る。
ずっと寝ていたような、一体いつからこんな状態だったっけ……頭が重くて思い出せない。
今、身体がどうなっているのかもわからない。
僕は……クモだったっけ、人間だったっけ……。
「グッドモーニング、アダンちゃん」
目を開けるとそこには同じサイズの神様がいた。
(ここは……?)
「……あーここはね、祠の中よ。ほら、隙間から外が見えるでしょ?」
と、神様が指差す方向を見ると、確かに木の隙間から薄らと外が見えた。
どうやら今僕はクモの姿になっているみたい。
「随分寝ていたわよー。何日寝てたかは知らないけど、明日にはもう満月よー。ギリギリ間に合ったわね」
(え……もう満月なんですか!)
「しょうがないでしょう? ずっと寝てるんですもの。それに、結構怪我がひどかったのよ。人間だったら治療が必要なレベルよ? それを自然治癒と私の念力で治してあげたんだから。……何か言うことあるんじゃないの?」
(ありがとうございました)
「もっと早く言いなさいよ」
(ご、ごめんなさい)
「……さぁてと、今丁度夜なのよ。また擬人化させてあげるわ。祠から出なさい」
神様が足元の雲を操って、ふわふわと隙間から外へ出ようとしている。
だけど、僕はその場から動かなかった。
「……ちょっと、何してるのよ」
怖い顔で睨みつけられる。
それでも動かなかった。
「……アダン」
察したのか、神様はため息を漏らしてゆっくりと僕に近寄って来た。
「どうしたのよ」
(神様。僕が人間になってはなに会いに行っても、結局悲しませるだけじゃないかって思ったんです)
「……悲しむかどうかは、はなに会ってみないとわからないでしょう。あんたが勝手に決めつけてどうするのよ」
神様は僕と同じ目線に合わせうように身体を屈ませる。
その顔は、いつも見る怒っている神様じゃなくて、なんだか優しく微笑むような顔だった。
「はなはね、あんたが眠っている間ずーっとこの神社にお参りしていたのよ。あんたの心配と、あんたの寿命が延びるようにって。それしか願わなかった」
(……僕の、心配?)
「そう。……あんたはね、はなの友達以上の存在になれたのよ」
友達以上の存在。体が震えた。
なんだか温かくなる。だけど……。
(それは、はなのためになりますか?)
僕ははなをもっと笑顔にしてあげたい。
「さぁ。そうなるかは、アダン、あんた次第よ。今はなは、あんたのことが心配でたまらないの。早く姿を見せて、支えてあげなさい」
(……僕は、明日の満月が終わったらどうなるんでしょうか)
「このままいけば、あんたはクモとしての一生を終え、別の生き物へ転生する。だけど……私の暇つぶしに付き合った礼として、仕方ないから人間に転生するように進言してあげるわよ」
(人間に? 本当ですか!)
「私は嘘つかないわ。……明日、寿命を全うするまで約束を守ればね。さ、早く外に出なさい、擬人化させるから」
再び神様は僕に背中を向けて、外へ出ようとしていた。
本当に嬉しい。正真正銘の人間に生まれ変わるんだ。でも、残されるはなは……。
「……何、どうしたの」
振り返る神様の顔がイライラしているのか、眉間に皺を寄せている。
――僕はもう寿命を迎える。だけど、はなはこれからも人間として生き続ける。
そう思うと、足が前に進まない。
はなのため、そう考えるなら僕がする行動は――。
(僕はもう、はなとは会いません)
そう言うと、神様はしばらく動かずじっと僕の顔を見ていた。
口をあんぐりと開けて、信じられないといった表情を浮かべている。
「……今……何て」
(もうはなとは会いません)
すると、鬼の形相で一気に僕に近づいてくる。――怖い。
「はぁ!? あんた何言ってるのよ! さっき言ったでしょう! はなはずっとあんたの心配して、毎日毎日、この神社に通ってるのよ! だったら、あんたが行ってやって安心させるのが筋でしょう!? あんた馬鹿なの!」
髪が炎のように立ち上ってゆらゆらと揺れている。
「いい加減にしなさいよ! あんたの姿はクモよ、それは間違いないわ。でもね、はなはもう、あんたをクモだって思ってないわ! クモってわかっていても、擬人化したあんたの姿は人間なの! はなはあんたを人間だと思ってるの! じゃなきゃ、誰が好き好んでクモの心配と寿命を延ばせって願うのよ!!」
そう叫び終えると、神様は肩を激しく上下させながら呼吸をしている。
じっと僕を睨みつける。怖いけど、僕も神様から目を逸らさなかった。
(……はなは優しいんです。こんな僕に、いつもいつも話しかけてくれて。僕、人間じゃないのに。僕のこと気遣ってくれて。人間になった後だって、はなは優しかった。はなと同じ目線で見れる世界はとっても楽しかった。おしゃべりできる時間がずっと続けばいいのに、そう思っていました)
はなの笑顔が忘れられない。一緒に見た月。はなの寝顔。
短い間で色んなことを知れた。
(でも、僕はクモなんです。はなが僕のことを人間だと思ってくれても、やっぱり違うんです。はなのそばには、僕と同じぐらい心配をする人間がいます。僕はこれからいなくなっちゃう存在。だったら、はなは僕のことなんか忘れて、その人間と一緒に過ごすべきなんです)
僕はクモ。はなは人間。
初めからわかりきっていたことなんだ。僕は、はなと過ごせた日々だけで十分なんだ。だからはなは、僕じゃなくて……ずっと同じ時を過ごせる人間と幸せに――。
(だから僕は……はなにはもう、会いません。そのまま、はなが僕のこと忘れてくれればいいんです)
じっと睨みつけていた神様が、がっくりと項垂れた。そしてそのまま僕に背を向ける。
「……それがあんたの答えね。後悔しないのね?」
静かな空間。暗いはずなのに、神様の姿は神々しく薄らと白いモヤに包まれているように薄く光っている。
きっと最後の質問なんだろう。神様の声がはっきりと聞こえた。
(はい。……今までありがとうございました)
ゆっくりと神様が振り返る。
少し虚ろな目で無表情だった。
「わかったわ。……じゃあこのまま、明日の満月が落ちるまでこの祠にいなさい。落ちたと同時に、あんたを転生する準備をするから」
そう言うと、神様は雲を操って祠から出て行ってしまった。
◇ ◇
まずい。
まさか、こんなにお互いが想い合うとは思わなかった。
「これじゃ、私が悪者みたいじゃない!! 私は神様なのよ! みんなから崇められる存在なのよ!」
意味もなく空をぐるぐると飛び回る。じゃないと、この胸のイライラが治まらない!!
「どーしよー!! このままじゃ、はなはずっとお参りしつづけて、アダンは転生しちゃうじゃない!!」
あぁ……やっぱり軽々しく擬人化なんてしなきゃ良かった。
自分が蒔いた種、どうにかしないと――!
「ほほ、西神、えらい慌てようじゃのー」
「げ、東神!」
いつの間にか、すぐ先に東神がいる。ニコニコと微笑みながら、雲に座ったまま私に近づいてくる。
東神は細身の男で、目も線みたいに細い。口髭も蓄えてて、髪の毛と一緒になってる。背も高いせいか、足元の雲も私より大きい。
それより――恥ずかしい所を見られた。
「どうして東神が、私の土地にいるんでしょうか?」
はっきり言って、私はこいつが苦手。全て見透かされてるみたいなんだもの。
「先に私の土地に入ったのは、西神の方ではなかったかのー」
うっ、この間のことやっぱりバレてる。
神同士はあまり他の地区の出入りをしない。その土地は、そこの神様が責任を負っているから。困ったときは例外だけど。
今回の場合は……私、困ってるのよ! 悔しいけど、今は助言がほしい。
「それどころじゃないんです! 今大変なんですよ!」
「お前さんの慌てる顔は珍しいのー。いっつも怒ってるからのー。ほほほ。私に相談したいのかのー? んー?」
ニッコリ顔のまま首を傾げた。
……絶対面白がってる。いや、馬鹿にしてるのよ。
でも、ここは意地を張っている場合じゃない。
イライラする気持ちを落ち着かせて、一つ息を吐く。
「……実は」
東神に洗いざらい全て話した。
はなの気持ち、アダンの考え。今までのこと全てを。
話し終えると、東神は蓄えている髭をさすりながら、ニコニコと微笑む。
「なるほどー擬人化、のー……。大変じゃのー……」
「えぇ、大変なんです。どうすればいいですか。寿命を延ばすなんてできないし、アダンから説明してほしいのに会いたがらないし」
髭をさすっていた手を止め、膝の上に置いた。真っ直ぐこちらを見ている。
お、何か思いついた?
「頑張れのー」
「はい。……それで?」
少しの間続く言葉を待っても、何も言ってこない。
それどころか、東神は少しずつ私に背を向け始めた。線みたいに細かった目が少し開いている。
「お前さんが蒔いた種じゃろー? お前さんが解決せねばのー。私は私の土地で色々とあるんでのー」
そう言い終えると丁度私に背中を向け、そのままその場から離れようとする。
あんたの感想を聞くためにしゃべったんじゃないわよ! 待ちなさいよ!
「ちょっと! 聞くだけ聞いて終わりとかひどいじゃない!」
叫んでも止まらない。やばい、待って。
「お願い……助けてよ!」
ぴたっと東神の動きが止まる。すると――。
「……ほほほ、西神がそこまで言うならば仕方ないかのー」
ニコニコ顔で東神が振り返った。いつもよりも、口角が上がっているように見える。
「お前さんも助けてなんて言うんじゃのー。珍しいもんを聞けたのー」
こいつ……わざと……む、ムカつく。
イライラが止まらなくなり、長い緑色の髪の毛が炎のように立ち上がる。
「ほほほ、怖い顔がより一層怖いのー」
あんたの言動のせいよ。
東神は、ほほほ、と笑ったが――すぐに深いため息へと変わった。
「……冗談はこの辺りにして」
ぼりぼりと髭を掻いている。私も気持ちを落ち着かせ、髪の毛を鎮めた。
「手はあることはあるけどのー……」
勿体ぶっているのか、それとも言いづらいのか、なかなか言葉を続けない。
イライラしながら東神の言葉を待つ。もう何でも良い。
「……お前さん、少々眠ることになるのー」
「……眠る? どういうことよ」
ニコニコ顔のせいか全く緊張感がない。
意味がわからずに首を傾げる私を、ほほほ、とまた笑うのだった。




