【第十七話】 神様のおはなし
最近お参りに来る人間がほとんどいない。閑散とする神社に来るのは、散歩する老いぼれか、ランニングする若者かそれぐらい。
それなのに人間は、自分が困っている時、自分が岐路に立たされた時、自分が何かに挑戦する時――。
何かしらの時にだけお参りに来る。
結局は自分でどうにかしなきゃいけない――人間は頭が良いからわかっているはず。
そうわかっていても私を頼りにやってくる。
悲しいこと。私は便利屋になったつもりはないのよ。神様なの。
「はぁ? 叶うと思ってんの? ふざけるんじゃないわよ!」
――ブチ切れて言ってみたところで、人間に私の声なんて聞こえない。
人間は都合がよい生き物、つくづくそんな風に思う。
だけど、人間は眺める分には私の退屈しのぎにはなる。よく笑い、よく泣く。本当に表情豊かな生き物だろう。見ていて飽きない。
そう思っていたのは私だけじゃないようで――ある日クモが必死に私に願いを言ってきた。
(神様、お願いします、人間にしてください)
……ハエトリグモじゃない。私は魔法使いじゃないわ。クモとして寿命を全うしなさい。
(お願いします。僕、人間になって、はなとおしゃべりしたいんです。人間にしてください)
……はな? あぁ、あそこに住んでいる人間ね。少し前に来たことあったわね。
(お願いします。僕の残りの寿命、神様が食べちゃっても構いません。人間にしてください)
……へぇ。あんた、面白いこと言うわね。自分を犠牲にしてまで人間になりたいなんて、随分粋なこと言うわね。
(お願いします。人間にしてください)
……そうねぇ。面白そうだし、退屈しのぎに付き合ってあげようかしら?
でも、ただとはいかないわ。あんたの残りの寿命が条件よ。それを糧にして人間になれるの。……いいかしら?
(はい! お願いします!)
ただし! これはすごく特別なこと。今から言う約束を、必ず守りなさい。
(はい! 守ります!)
一つ、人間を傷つけないこと。一つ、人間との間に子孫を残さないこと。一つ、人間にこのことを言わないこと。いい? 約束できるかしら?
(できます!)
ふふ、じゃあ近いうちにあんたを人間にしてあげましょう。ついでにサービスで見た目が良い人間にしてあげるわ。だから、あんたが人間になれるのは月が出てきた間だけ。日中はクモとして過ごしなさい。あんたはクモなんだから。
(はい!)
※ ※
ぼーっと夜空を眺めながら、そんなことを思い出していた。
そうしてクモは――アダンと名付けられた。
次の満月まで、その寿命は決められている。なのに――また私にお願いをする。
「……神様」
今度は人間の方――はなだ。
そう呟くと、じっと祠を見ている。私は神社の上にいるんだけどね。
「みんな私にお願いしすぎじゃない? 何でも屋じゃないわよ」
と言っても聞こえるはずもない。私は屋根から離れて、祠の横に雲を移動させた。
はなは、そっと手を合わせる。――願いが私の頭の中へと入ってくる。
「……寿命を伸ばせ? そんなことできるはずないでしょ。だいたい、クモが人間に変化するっていうのがそもそもおかしいと思わない? それなのに、今度はその寿命を伸ばせって言われても。私にだって、できることとできないことはあるんだから」
目を閉じてじっと手を合わせているはな。今度はアダンを心配する気持ちが伝わる。
「……大丈夫。アダンならこの祠の中で眠ってるから。……はなには見えないでしょうけど」
目を開けたはなは、またじっと祠を見つめた。でもその瞳は私を捕らえていない。
目の前にいるのに。
はなは諦めたように立ち上がると、暗闇の中、神社から去って行った。
◇ ◇
それから、はなは毎日仕事終わりにここへやってくるようになった。
いつもアダンの心配と寿命のお願い。それしかしない。途中からお供えも加わった。最近夜が冷えてきたせいか、温かいジュースを持ってくるようになった。
「……はな、あんたも飽きないわね」
大粒の雨が、ざあざあと音を立てて降りしきる。さすがに今日は来ないと思ってた。だけどやっぱりはなは来た。
傘を持ち、その手には温かいジュース。それを皿に乗せると、いつものように手を合わせる。
そしてやっぱり、アダンの心配と寿命のお願い。――いい加減、聞き飽きてきた。
「もっとさぁ、たまには自分のお願いでもしたらどう?」
できない願いで毎日お参りされては、さすがの私も心が痛い。
というか、なぜこんなことになったのよ。
――そうよ、アダンが殴られたせいよ。だから……いやまてよ、何か違う。
「……はな、勘違いでもしているんじゃないの?」
普通、毎日毎日、仕事終わりに疲れた身体でお参りなんてしないわ。それも、自分の願いじゃない。
他人でも、人間ならわかるわ。でもはなの場合は違う。
「いい、アダンはクモよ? わかってる? 見てくれはあんなんでも、中身はクモ。超イケメンの人間じゃないのよ。ハエトリグモが擬人化した四つ目の似非人間よ」
強い雨で、はなの足元はぬかるみ靴も汚れて濡れている。
それでもはなはじっと手を合わせる。
「それなのに、ここまで通う? これじゃあまるで……」
はなが恋に落ちているみたいだ。
「……何かイライラする」
言葉が伝わらない、となると――あいつを使うか。
逆立ちになりそうだった長い髪をなんとか押しつけて、私はある場所を目指して雲を操る。
私の神社よりも東にある町。ここにも神様はいる。その神様を『東神』と私は呼んでいる。
眼下に広がる町――見るたびに高いビルやら大きな施設がどんどんとできてるわね。
とにかく、東神にバレないように……。見つかるとめんどくさい。
えーっと……確かこの辺り。この高いマンションに連れていかれてたような――あ、いたいた。
「……G子」
開いている窓から声をかけると、驚いた顔でG子が寄ってくる。後ろじゃあの男が不思議そうに見ていた。
「神様っ! どうされたんですか?」
「ちょっと伝言よ。はなに伝えなさい」
いざ伝えようとした時、後ろから男が駆け寄って来た。
「G子ちゃん、どうしたの急に。ここ高いから身を乗り出しちゃ危ないよ」
といって、G子の肩を持って引き寄せる。
ってG子嬉しそうな顔するじゃないわよ。
「……えっと、神様が今……目の前に」
「神様?」
だから私は見えないってば。めんどくさい、放っておこ。
「G子。はなに……」
「はい、はな様に……」
「え!? はなだって!?」
ってちょっと! G子を後ろに隠さないでよ!
「何なのよ、この男は!」
「か、神様っ! 申し訳ございませんっ!」
土下座してG子が謝る。だけど、男はそれを不思議そうに眺めて、またこちらを向いた。
「……どこにいるんだ、神様って」
「祐樹様、神様は人間では見えないのです。ですが、確かにこちらにいらっしゃっております」
それでも男は訝しそうにこちらを眺める。そんな顔したって見えるわけないじゃない。
あー邪魔ね、こいつ。
「G子、この男を下げなさい。邪魔よ」
「は、はい。……祐樹様、神様がはな様へ伝言があるようなのです。少しお下がりいただいてもよろしいですか?」
すると、男はムッとした表情へ変わる。
「俺も知りたい。はなのことなら、俺からも伝えられるだろ」
……ははーん。こいつ、はなのことが好きなのか。だからこんなに知りたがるわけね。
――良く見れば、はなには勿体ない良い顔の男ね。得体のしれないクモよりも全然良いじゃない。
「んじゃいいわ。今、アダンは私の祠で休んでいるの。無事だから安心しなさい。あと寿命についてだけど、延ばすことなんて私はできない。諦めなさい。アダンは満月までには擬人化できるでしょう。だから……毎日お参りはしなくていいわ。真っ直ぐ家に帰りなさい。……以上」
「……だそうです」
G子は矢継ぎ早に私の話を男に伝えた。
聞き終えた途端、驚いた表情へと変わる。
「毎日お参りって、もしかして仕事終わった後お参りしてたってこと?」
腕組みをして男は考えるように視線を床に落とした。
「確か……あそこって人気がなかった気がするんだけど。真っ暗の中、一人でお参りしてたってことか……」
確かにあの辺りは真っ暗で人気がまるでない。
私もそれを心配してんの。アダンを襲ったやつらがまた現れるかもしれないし。
「……俺も一緒に行こうかな」
はぁ? 何言ってんのよこの男は!
「はなに伝えろって言ってるでしょ! なんでこの男までお参りしなきゃいけないのよ!」
「……ゆ、祐樹様、神様がお怒りのようです……はな様に伝えろ、と」
すると、ムスッとした顔で男が私の方を見る。
「……そんなこと言えるわけないだろ。はなはあのクモのことが好きなんだ。好きだからこそ、毎日お参りしてるんだ。それを……やめろなんて」
悔しそうに唇を噛み締める男。
あら、知っているのね。知っているから伝えない、と。
「ゆ、祐樹様は……はな様をお慕いしているのでは……」
「あぁ好きだよ。……仕事ばっかりだったはなが、今、仕事以外で一生懸命なんだ。それを邪魔したくない」
「でも、祐樹様のお気持ちは……」
「俺は諦めないさ。本当は無理やりにでも俺を好きになってほしいぐらいだ。でも……そんなことできないだろ。だったら、はながクモを諦めてくれるまで……待つしかないんだ」
この男、根が優しいのね。変な奴が多い中、この男はレアキャラかもしれないわ。
勿体ないわね。良い女が近くにいればよかったのに。
「わたくしも諦めませんよっ!」
そう言ったG子は妙に目を輝かせながら、男の顔をじっと見上げている。
「……はは」
G子、あんたは相当頑張らなきゃ良い女になれないでしょ。
……努力しても駄目な時は駄目だけど。
「……さっきの話は、この男の勝手にすればいいわ。別に伝えても伝えなくて結構。じゃあねー」
言うべきことは言ったからもういいわ。
ここに長居してもイライラしそう。
「あ、神様っ!」
男のマンションから離れる。
やっぱり他の神様の土地に入るのは気が引けるわね。もう、来ないようにしよう。
ふと何気なく振り返ると――G子のニッコリとした顔が見えた。一方で男は困った顔で苦笑いを浮かべている。
なんだかんだで……楽しんでるみたいね。
暇つぶしの割りに、私、結構良いことをしちゃったんじゃない? ふふ。
さぁてと、家に帰りましょうかねー。
もうはなも帰っているだろうし、ゆっくりした後また人間観察にでも行こうかなー。




