【第十五話】 おかえりなさいませっ!
結局、アダンは帰って来なかった。
あの後しばらく待ってみたけれど、帰ってくる気配もない。心配になって近所も見て回った。けれど姿が見えない。夜道も怖いので、家でひたすらじっと待ってみたけれど――結局朝を迎えた。
ぼーっと朝日を眺める。寝ていないので、太陽の光が目にしみる。
アダン、大丈夫かしら――そんなことばかりが頭に浮かんで、とても落ち着いていられない。今日が日曜日で本当によかった。
――コンコンッ。
玄関を叩く音に、意識が現実へと戻される。誰だろう、こんな朝っぱらから。
「はーい……今出ます」
玄関を開けた先にいたのは――。
「おはよう、はな」
白い歯をこぼす祐樹くんだった。
さわやか過ぎる笑顔。
「おはようって……祐樹くん、今、朝なんだけど」
「はなとクモがどうなったのか考えると、じっとしていられなくてさ。気付いたら車をカッ飛ばしてきてた」
良く考えれば、一応祐樹くんは私に告白をしているから、そう思うのも仕方ないのかも。
すると、じっと祐樹くんが私の顔を見つめる。
「……はな、目の下クマができてるよ? もしかして、夜通しクモとあれやこれやをしたとか……!」
何を言っているの、祐樹くん。
「違うわよ。アダンが家を出てしまって、帰りを待っていたの。けれど、結局帰って来なくて」
「家を出た?」
「えぇ。……ひとまず上がって」
そう言うと嬉しそうに私の部屋の中へと入って行った。
◇ ◇
「死んでほしくないって言ったら家を出て行った?」
飲んでいたお茶を止めて、驚いた顔をする祐樹くん。
「……なんで?」
「たぶん、自分が悲しませているって思ったんだと思うの。それでショックを受けて……。結構、アダンは子どもっぽいから」
見た目は十分な大人なのに、考え方や仕草がイマイチ子どもっぽい。
まぁそれがアダンの良い所でもあるんだけれど。
「……ふーん」
不機嫌そうに祐樹くんが見つめる。
「ま、子どもっぽいなら少し安心かな。……いや、でも、勢い余ってってことが考えられるかも」
さっきから祐樹くんがおかしい。何言ってんの。
そんな祐樹くん無視して、頬を軽く叩き立ち上がる。
「はな、どうした?」
「ちょっと行っておきたい場所があるの。……祐樹くんも行く?」
「行くけど、どこに?」
「神様へお参りよ」
◇ ◇
相変わらず人気のない神社。木々に囲まれた小さな広場に神社はある。
祐樹くんもあまりにもひっそりとしたこの場所に、少し驚いているみたい。
「こんな場所があったんだ。誰も来る気配がない」
「そうなの。……ここがね、アダンを擬人化した神様が住んでいる神社。まぁ、私は見たことないけれど」
こじんまりと建つ鳥居と神社。その祠の前に、落ちているゴミを払いのけ持ってきた缶ジュースを置く。
そっと手を合わせると、祐樹くんも並んで手を合わせてくれた。
神様。
アダンが家から出て行ってしまいました。何かあったんじゃないかとすごく心配です。
どうか、アダンが無事に帰ってきますように。
願っていると――。
「はな。あれ見て」
その声に目を開ける。
見ると、祐樹くんは祠の後ろを指差していた。
「どうしたの?」
「見覚えのあるパジャマが落ちてるんだけど」
「えっ?」
慌てて回り込む――アダンのだった。
私が買ったのと全く同じ。
「どうしてこんな所にパジャマがあるの?」
「近くにクモがいるのかもしれない」
パジャマをゆっくりと揺する。けれど、何もない。目で確認しても、所々泥や砂がついているだけで何もいない。
周囲の地面を注意深く見ても、クモらしき生き物もいない。祐樹くんが一緒に見てくれたが、結果は変わらなかった。
「……ここで朝を迎えたんじゃないかな」
「たぶん、そういうことよね」
パジャマを手に取る。
「だからパジャマだけ、残っているのよね」
そう言い聞かせる。
けれど、妙に不安になる。
「……大丈夫。お参りも済んだし、家に帰ろう」
不安が祐樹くんに伝わったのだろう、そっと肩に手を置いた。
私は頷いて答える。丁度吹いた突風に押されるように、私たちは家へと歩みを進めた。
◇ ◇
「この際だから私の家でお昼食べる?」
もう太陽も高い、そろそろお腹もすいてきた。
「え、マジで! 食べる食べる」
嬉しそうに白い歯を見せてにっこりと笑う祐樹くん。
「……期待させて悪いんだけれど、インスタントラーメンよ」
「何も問題ないけど? はなの作るものなら全部食べたいからね」
へへ、と少年のような笑顔を向けられる。
祐樹くんて、さらりと恥ずかしいことも言ってのけてるわ。おかげでこっちが恥ずかしい。
「あれ、照れてるの? はなはかわいいねー」
弄ばれてる。
悔しいので、家まで会話せずにつかつかと前を歩いた。
「……機嫌直してよ、はなが面白いから、ついいじめたくなるんだ」
家の玄関前、祐樹くんは笑いながら言った。
その顔に反省の色はない。
「お昼、私一人分だけにしようかしら」
「あ、一人分を二人で一緒に食べるってこと?」
「ち、違うわよ――!」
玄関のドアを開ける。
踏み込もうと中を見た瞬間――!
「……っ!」
背中に覆う茶色の羽根とテカテカと光る長い茶色の髪。
頭から生える長い触角。
目の前に、正座のように身体を折り曲げ頭を床につけている少女。
「おかえりなさいませっ!」
手足こそ人間だけれど、格好はまるで……。
「ごご、ゴキ……!」
「はな様、違いますっ! G子でございますっ!」
発狂しそうになる手前で、ゴキ――否、G子が顔を上げる。
いつも通り全裸。隣の祐樹くんも顔面蒼白で固まっている。
「なっ……なんでG子いるのよ!!」
にっこりと微笑み小さく小首を傾げる。
「はいっ! 本日は神様からの伝言をお預かりしております。そのためこのように再び擬人化させていただきました。……あっ!」
と、隣に立っている祐樹くんに気づいたG子の顔が、見る見ると赤く染まっていく。
「と、殿方までっ! ま、まさかお会いできるなんて……わたくし、もう、天に昇る気持ちでございますっ!」
そのまま天に昇ってほしい。
「はは……G子ちゃん元気だった……?」
青い顔でなんとか笑顔を作る祐樹くん。
祐樹くん、G子が嫌ならがつんと言えばいいのに。でも、G子、顔だけは美少女っていう感じで確かに言いづらいのかも。
「ささ、お二方ともお上がり下さいませ」
ここ、私の家よね?
部屋の奥へと案内するG子見ながら、最悪の気分で家の中へと入った。
◇ ◇
ひとまず、また一枚Tシャツを犠牲にしてG子に着させた。
「……色々疑問に思うことはあるけれど、まず、神様の伝言って一体何かしら?」
私から受け取り着たTシャツを嬉しそうに伸ばした後、にっこりと微笑む。
「はい。アダンはしばらく擬人化できないからよろしく、とのことでした」
「……えっ?」
なんで?
さらにG子は続ける。
「代わりに、G子を置いておくからよろしく、とのことでしたっ! えへへっ」
えへへ、じゃない!
「どうして!」
「なぜかは存じません。ただ、そのように伝えるようにと神様から承った次第です」
意味がわからない。
アダンの身に何かが起こった? 神社に落ちていたパジャマが関係している? アダンも気になるけれど……。
頭を抱えながら、目の前で微笑むG子を見る。
「……なんで今、G子が擬人化してるのかしら? 月が出てこないと擬人化できないんじゃないの?」
「擬人化については、わたくしも神様に残りの寿命と引き換えに擬人化を希望したからです」
「……えっ」
「……えっ」
祐樹くんと声がはもる。
「あと神様に、貴方は見た目がとても虫っぽいから昼夜問わず擬人化させましょう、と言っていただきました。ですので、今も擬人化しておりますっ!」
な、なんですって……!
つまり、G子はずっと人間の姿のままってこと……!
「ですが、わたくしも次の満月までが寿命のようです。短い期間ではありますが、とても嬉しいです」
そう言って微笑むG子。死など恐れずに本当に嬉しそうな顔だった。
けれど、私は全然嬉しくない! 擬人化しても、G子はGに変わりはない!
見た目が虫っぽいって……神様がそうしたんでしょう。それに、アダンだって目が四つあるわよ?
がっくりと項垂れる私の横で、祐樹くんが代わりに口を開く。
「でも、G子ちゃんよかったの? 残りの寿命を削ってまで擬人化しても」
「はい。もう、子どもたちもたくさん生まれましたし、心残りはございません」
最悪だ……。
「それに……実は、わたくし、その……はな様には大変申し訳ないのですが……」
「え……な、何?」
もうこれ以上恐ろしいこと言わないで。
けれど、G子はもじもじと頬を染め、一度私の方を見た後、恥ずかしそうに祐樹くんに視線を送る。
「残りの時間を殿方と……過ごしたいのですっ!」
祐樹くんが一瞬で青ざめる。
「……駄目で、ございますか?」
涙目の上目遣いでじっと祐樹くんを見つめるG子。
祐樹くんは顔を青ざめたままで、言葉を発せられずにただ苦笑いを浮かべている。
「なんで……祐樹くんと?」
嫌な予感がしていたけれど、まさかと思いつつ聞く。
すると、G子は俯き耳まで赤く染めた。
「そ、その……ゆ、ゆ、祐樹様を……お、お、お……したい……申しております」
「え? 押したい? ……押し倒したい!?」
まさかっ!
「はな違う! お慕い申しております、でしょ!」
あぁなるほど。
……えっ。
バンッ、とテーブルを強く叩く。
「G子、祐樹くんのこと、好きなの!?」
ビクッとするG子だったが、顔を赤く染めたまま静かに頷く。
「……やはり駄目、でございますか?」
駄目って言うか……祐樹くんはどうなんだろう。
祐樹くんを見ると、ため息を漏らしている。
「……G子ちゃん、好いてくれるのは嬉しいんだけど、俺、もう別に好きな人がいるんだ」
「知っております、はな様ですね」
と笑顔で返すG子に、固まる祐樹くん。
「わたくし、別に祐樹様と子を成したいとかそういうことではないんです。ただ、そばにおいてもらいたい、それだけなのです」
「いやいや、俺も別にはなと子ども作りたいとか、そういう意味じゃない」
……この人たち、何言っているんだろう。
「せっかく人間になれたので、人間にしか味わえない『恋』というものをしてみたいのです。祐樹様、お願いです。どうか近くに置いてください」
「でもね、G子ちゃん……今君が人間だから余計に、はなに申し訳ないというか……」
ちらっと私を見る祐樹くん。
――あぁ、告白した手前私以外の女の子と二人になるのは申し訳ない、そういうことね。
まぁ確かに……でも、だからって祐樹くんを今更そんな目では見ないけれど。うーん、どうなんだろう。
「……もし、祐樹様のそばで過ごせない場合、死ぬまではな様のお世話を家族総出でさせていただきますっ!」
家族……総出!?
「祐樹くん。G子と一緒に過ごしてあげて。私、ぜんっぜん気にしないから」
とびっきりの笑顔で伝えると、喜ぶG子とがっくりと項垂れる祐樹くんと対照的な反応となった。




