【第十四話】 あんた、馬鹿。大馬鹿者
今日はちゃんと話すのよ。
アダンが擬人化する前に、ご飯食べてお風呂入って髪乾かして、がっつり話せる体制で迎える!
そして、今夜はビールは飲まない。我慢よ。砂糖水パーティでもしてやるわ!
まだ夕陽は沈んでいない。沈む前に整えるわよ!
◇ ◇
テーブルの上に砂糖水を二つ用意して待機。テーブルを挟んで向かいには、アダンのパジャマが落ちている。
というか、アダンが目の前で擬人化するのって初めてな気がする。まさか、いきなり全裸で登場とかないでしょうねぇ。
「……ん」
テーブルの上をクモがぴょんぴょんと跳ねて行く。――アダンだ。
え、もう夕陽が沈みかけてますけれども。まさか本当に目の前で……。
と思った時、アダンがテーブルから飛び降りた。と同時に、一瞬強い閃光が部屋に散る。思わず私も目を閉じた。
「……おかえり、はな。今日はおでかけだったんだね」
その声に目を開くと、向かいにパジャマを着たアダンが座っている。
どうやら擬人化と同時に服を着ているらしい。
「えぇ。……祐樹くんと会ってて」
「へぇ。そうなんだ。……あれ、これ飲んでいいの?」
「どうぞ、今日は一緒に砂糖水よ」
にっこりと無邪気に笑うアダン。
「いただきます!」
嬉しそうにストローで飲む。釣られて私も飲んでみる。
……おいしくない。でも、今日は我慢。
「アダン、昨日のG子の話聞いてたでしょ?」
「……うん」
「残りの寿命と引き換えに、擬人化しているっていうのは本当なの?」
「……うん」
「次の満月までが寿命っていうのも……本当なの?」
「……うん」
砂糖水を飲むことに必死になってて、話を聞いているのかも怪しい。
イライラするけれど……我慢よ、はな。
一つ深呼吸をして、平常心を保つ。
「G子が話してくれたから、今のこと全部知ることができたわ。……アダン、もし、G子が何も言わなかったらずっと黙っているつもりだったの?」
アダンはストローで名残惜しそうに、空になったコップの底を吸っている。
「ごちそうさま」
満面の笑み。
……というか、話聞きなさいよ! イライラを拳に込める――。
駄目よ、イライラしちゃ負け。……落ち着いて。深呼吸をして……。
「……神様との約束で言えないのは仕方ないとして、アダンは黙って私の目の前から消えようとしたってこと?」
アダンから笑みは消え、コップを見つめたまま黙り込んでいる。
それを私は肯定ととった。
「どうして? どうして、寿命と引き換えに擬人化なんてしたの?」
すると、じっとアダンが私を見た。
「……本当にはなとお話したかっただけなんだよ」
「話したいからって……残りの寿命と交換って……それって次の満月を見終わったら死んじゃうってことよ? アダン、わかってる?」
「うん。知ってるよ」
そう言うと、アダンは無邪気ににっこりと笑う。
「それは僕が望んだことだから、今でも後悔してないよ。今だってこうやってはなと話せているし、僕、嬉しいもの」
アダンが嘘をついているように見えない。
おそらく――本当に私と話したかっただけで、それ以上深い意味はないのだろう。
「クモのとき、はなが僕に話しかけてくれたでしょ? 嬉しそうな顔をしたり、ときには寂しそうな顔をしたり。僕、ずっと、それに答えてあげたかったんだ。僕が答えてあげたら、はなはどんな顔で話してくれるんだろう、もっと笑ってくれるかな、とか――色々想像してたら、どうしてもはなとお話したくなったんだ」
嬉しそうにアダンは笑っている。それは本当に子どもみたいな笑顔で。
私としゃべりたいだけで、残りの命を投げ売って擬人化した。それを嬉しそうに語る。アダンはそれでいいのかもしれない。けれど――。
「はなとお話してたら、もっと笑顔みたいなぁって思ってきて、はなの役に立ちたいって思ったんだよ。だって、はなといると心が温かくなるもの」
「心が温かい?」
「うん。……クモのときにはなかった気持ち。僕もよくわかんないんだ」
照れくさそうに笑うアダンの顔が見れず、顔を伏せた。
「……そう」
もうそれ以上――嬉しそうに言わないで。
「とにかく、僕がいなくなるまでの間よろしくね、はな」
「……いやよ」
そんなの嫌だった。
顔を上げると、悲しげな顔でアダンが見ていた。
「どうして?」
「アダンは……私といて楽しくなかった?」
声が震えそうになる。けれど我慢しなきゃ。
アダンは大きく首を横に振った。
落ち着いて――アダンがわかりやすいように伝えなきゃ。
「私はね、アダンと話しながらの晩酌、とっても楽しかった」
少しの間しか過ごしていない。なのにどうして、アダンと過ごした日々がこんなにも濃いものになっているんだろう。
自分でもわからない。けれど、それを手放したくないことだけはわかる。
「このボロアパートに一人――暑い日も寒い日をひたすら耐えて、仕事も黙々と一生懸命して、それでいいと思ってた」
白い前髪に四つ目のアダン。
擬人化した貴方が、私の生活に色を加えてくれた。
「でもね、アダンが来てくれて、話したり聞いたりして、嬉しかった」
「本当?」
「えぇ。……だからね」
首を傾けるアダンに、私は精一杯微笑んだ。
「私、アダンが死んでほしくない」
自分が死ぬことを嬉しそうに言わないで。
突然さよならなんて……そんなことしないで。
言いたいことが山ほどある。けれど、それを言えばアダンが傷つくかもしれない。私は、言葉を飲み込み笑顔を作った。
「……僕、はなを悲しませてしまったね」
「えっ?」
か細い声でそう呟くと、アダンは立ち上がりそのまま玄関へと向かって行く。
「あ、アダン? どこ行くの!」
そのまま飛び出したアダンを追いかけ、私も慌てて外へと飛び出すがアダンの姿はなかった。
薄暗い月明りの下、アダンは私の前から消えた。
◆ ◆
僕はひたすら走った。
はなは笑っていたけど、いつもの僕が見てきた笑顔じゃない。――泣いていた。
僕ははなの役に立ちたい、はなの笑顔を見たい、そんな風に頑張ってきたのに違ったんだ。
その事実から逃げるように、ひたすら走る。僕がいると、はなは悲しんでしまう。
はなに、嫌われたくない。
「……はぁはぁ」
人間の姿になってこんなに激しく動いたのは初めてかもしれない。身体のあちこちが悲鳴を上げるように痛くそして重い。
息を吸う度に胸が痛くて、うまく呼吸ができない。咳き込みながら、なんとか身体を落ち着かせていく。
「あんた、こんな所で何してんのよ」
「えっ?」
見上げると、鼻がくっつきそうな距離に、長い緑色髪を垂らした神様がいた。
「うわあ!」
びっくりして顔を避けると祠に思いっきり頭をぶつける。痛い。
「ちょっと大丈夫?」
そう言って神様は――祠を撫でている。
「頭突きしないでよ! 古いんだから、壊したら承知しないわよ!」
「……ご、ごめんなさい」
祠に異常がないことを確認した神様は、僕の目の前に降りてきた。足元には小さな雲があって、そこの上に立っている。
「なんで神様がここに?」
「はぁ? それはこっちの台詞でしょ」
周りを見渡すと――見覚えのある木々と赤い鳥居。
知らず知らずのうちに、神様の神社を目指していたみたい。
「はなは? 一緒じゃないの?」
はなの姿を探す神様に、僕は小声で答えた。
「……家を出てきました」
「え? ……なんで?」
神様は眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔になった。
怖いけど、僕は言葉を続ける。
「はなを泣かせてしまいました。僕は……はなの近くにいても悲しませるだけなんです」
「へぇ。それで?」
腕組みをして、眉間の皺が深くなっている気がする。
「だから……その、家を出てきました」
「あんた、馬鹿。大馬鹿者」
怖い。思わず祠に背中をつける。けど、神様はより僕の近くに寄って来た。
殺気立つ目で見下されて、今にも殴りかかりそうな雰囲気。怖い。
「泣かせて、悲しませて家を出た? はぁぁ? どんだけメンタル弱いの? 馬鹿じゃない?」
「そ、そんなに馬鹿馬鹿言わないでください」
「わかってないから言ってあげてるんでしょ? むしろ感謝してほしいわ!」
言い返す言葉がない。いや、言い返さない方が良い。
「何があったか知らないけど、あんた家を出てきたんじゃ何も解決にはならないでしょ? わかってここに来たの?」
「……そ、それは」
「何も考えてないわね! 馬鹿ねー。あんた、私がせっかく人間にしてあげてるのよ? 今はクモじゃないんだから、ちゃんと気持ちを伝えなさい? 何のために擬人化したのやら」
神様は呆れたようにため息を漏らす。
「でも、僕、ちゃんと伝えたんです。僕がいなくなるまでの間よろしくねって」
「……G子がしゃべったのね。まぁ予定通りだけど。……で、それを聞いたはながショックを受けたわけね」
「はい」
僕、何かはなを傷つけるようなことを言ったのかなぁ。
そんなつもりはないんだけど。
「……思ったよりも、はなは……」
にやりと神様が口元を歪ませている。
きっと何か悪い考えをしているんだ。
「あんた私が心読めるの忘れてるかしら?」
「……ご、ごめんなさい」
「まぁいいわ。……とにかく、あんたは今はクモじゃなくてアダンという名の人間になってるの。わかる?」
はい、と言って頷いて答えると、神様は続けた。
「はなはね、今、あんたのことをクモじゃなくて人間として見てるわ。それを忘れないようにしなさい」
「……はい」
僕を、クモじゃなくて人間として。
どういう意味で捉えればいんだろう。僕の心が温かくなるのも何か関係しているのかなぁ。
座ったまま考えていると――。
「とっとと家に帰りなさいよ! いつまでここにいる気なのよ! 口があるんだからちゃんとはなに謝りなさい!」
突然、神様が長い緑色の髪を立てて怒りを露わにした。
怖い。
「ご、ご、ごめんなさい」
恐ろしい形相に、素早く立ち上がり階段へ走った。
降りようとするけど――塞ぐように、人間が三人座っている。
初めて見る人間。男みたいで低い声が聞こえた。横に並んで座っているから降りられない。
「あ、あの……」
声が届いたのか、三人が一斉に僕を見上げた。街灯に照らされ見たのは、鋭い目つきの人、ピアスをしている人、刺青をしている人――テレビで出てくるような人たちだ。
三人はそれぞれ顔を見合わせると、にやりと笑い階段を上がってくる。
僕は思わず後ずさりした。
「か、階段を下りたいんです」
僕の声に構わず、三人は塞ぐように並んで階段を昇りきった。
「なんだその格好」
「パジャマとかどこのぼっちゃんだよ」
「怖い夢でも見て逃げ出した?」
にやにやと笑う。笑ってるけれど、目が僕を見下すように鋭い。
三人はじりじりと近寄ってきて、神社の方へ追いやって行く。僕も釣られるように下がると――背中に祠が当たった。
神様はいない。姿を消しているようだった。
「丁度いいわ、俺ら暇してのよ」
「僕ちゃんも暇だからいるんだろ」
「俺らに付き合えよ。……なぁ!」
突然、一人が僕のお腹に強烈なパンチをしてきた。
痛さのあまりうずくまる。苦しくなって必死に咳き込み、呼吸をする。
「おいおい、これぐらいで倒れんなよ!」
頭の上から笑い声が聞こえる。
なんで僕殴られなきゃいけないんだろう。この人間たちに僕は何かやった?
「おらぁ!」
また僕のお腹目掛け、今度は強烈なキックが飛んでくる。
痛い。
「寝てんじゃねぇよ! 反撃してこいよ!」
背中も蹴られ、踏みつけられる。苦しい。痛い。
三人寄ってたかって、僕を蹴って殴って踏みつける。
なんでこんなことされなきゃいけなんだろう。激しい痛みの中、僕は拳を握る。
でも僕は、耐えるしかない。
人間を傷つけない――神様との約束だから。
「おい! てめぇタマなしか?」
そう言うと一人が僕の胸倉を掴んできた。
「や、やめて……」
その男が殴りかかろうとした時、前髪が揺れた。
僕のもう二つの目が、その男の顔を見た。ばっちりと目が合う。と、同時に手が止まり男は僕を離した。
「うわぁ!」
乱暴に地面に落とされる。その間も僕は男たちを見た――別の目で。
「み、見ろ! こめかみのところに……目が!」
「な、なんだこれ! 気味悪りぃぞ!」
「いこーぜ!」
男たちはそのまま階段の方へ向かい、足音が遠くなっていく。
でも、僕は立ち上がれない。身体中が痛くて動けない。
「大丈夫!?」
ふわっとした風が吹くと同時に、緑色の髪が見えた。――神様だ。
「直接人間に干渉できないのよ。……ひどい怪我!」
大丈夫です、神様。
でも、動けそうにありません。
「……そうね。しばらくの間、私の祠の中にいなさい」
そう言われて、自分の身体が光るのがわかった。
光が収まると同時に、自分がいつの間にか手のひらの上にいる。
「クモの姿に戻したの。クモの大きさなら、私の祠に入れるでしょう。ここで養生しなさい」
神様の声が遠く聞こえ、僕は意識を失った。




