【第十三話】 俺、はなが好きだから
休みの日はいつもだらけて、お昼前まで寝てしまうことも多々ある。けれど、今日はとてもそんな気分じゃない。
朝早くから目が冴えてしまった。起きると、アシダカグモを探していたはずのG子はいなかった。
きっと、元の姿に……。
……まぁ、今それは考えないでおこう。
アダンの姿もない。きっとどこかに隠れているんだろう。
昨日のG子の言葉が頭から離れない。せっかくアダンのいる生活に慣れ始めて、楽しくなってきたのに。
「ん?」
スマートフォンが光る。
画面を見ると、祐樹くんの名前があった。
「……やっぱり気になるのね」
メールの内容は今日お昼を一緒に食べませんか? という内容のものだった。
たぶん、自分が帰った後のことが気になるんだろう。
……気になるんだったら、あのままいればよかったのに。
でもまぁ、このまま家に閉じこもるよりも良い。今日は、祐樹くんに甘えよう。
◇ ◇
待ち合わせた場所は、以前二人で出掛けた際と同じ場所。着いたのは少し早めだったけれど、もう祐樹くんは待ってくれていた。
「……はな、なんだか元気がないね」
私の顔を見るや否や、心配そうに覗きこむ。
「うん、まぁ……」
いつものように笑って誤魔化そう……でも、そう思っても今日は笑えない。
代わりにため息が漏れた。
「……前行った喫茶店。今日はあそこに行こう」
何かを察したのか、祐樹くんは微笑んで私の手を握った。
「今日は俺、車で来てるから。帰りも送るよ」
引っ張られるように、そのまま祐樹くんの車へ乗り込み喫茶店へと向かった。
席は前と一緒。適当なものを注文して、ぼーっと青空を眺める。
「……はな?」
「……え。あぁ……ごめん」
心配そうな顔を向けられる。
いけない、これ以上暗い顔していたらきっと祐樹くんもしらけてしまう。
何かここは……冗談の一つでも言って笑ってもらおう。
「……どうしたの? あの後、何かあった?」
「……G子がね」
「うん」
「祐樹くんのこと気に入ったみたい」
そう言った瞬間、勢いよく椅子を倒れ祐樹くんが立ち上がる。
「マジで!? 嘘だろ!」
顔が青ざめている。一気に店内の注目の的になる。
店員や他のお客さんの目が痛い。
「う、嘘だよ、嘘。冗談よ」
「……な、ならいいんだけど」
祐樹くんはそんな視線など気付かず、頭から流れる汗を必死に拭っている。
G子恐るべし。
「……で、本当は何を言われた?」
祐樹くんは落ち着いたのか一呼吸し、再びこちらを向いた。
「アダンが、寿命と引き換えに擬人化しているって聞かされたのよ」
タイミング良く、注文していたものが運ばれてくる。
パスタとコーヒー。どちらも、湯気がゆらゆらと揺れている。祐樹くんはコーヒーに視線を落としていた。
「……引き換えって、あのクモの寿命いつまで?」
「次の満月まで」
いつもあんなに無邪気に笑っていたアダン。
神様との約束で本当のことも言えない。それなのに、どうしてあんなに笑うことができたんだろう。
いつもビールを飲んで寝てしまっていた自分が馬鹿みたいだ。
「そうなんだ……」
祐樹くんはコーヒーを一口飲んだ。
「……クモが擬人化するなんて、それほどの代償が必要だったんだ」
「そう、ね」
「だったら、クモが悔いがないようにしてあげないとね」
祐樹くんもため息を一つ漏らして、パスタを食べ始めた。
私も、と思ったけれど、どうにも食欲がない。何かすっきりしない。
「……ねぇ、祐樹くん」
祐樹くんは口へ運んでいたフォークを止める。
「何?」
「どうにかして、アダンの寿命を延ばす方法はないかしら。私、このままアダンがいなくなるなんて嫌なの」
そうよ。
アダンがどうして寿命と引き換えに、擬人化したのも気になる。
けれど、私はアダンがいなくなるのが一番嫌なんだ。
どうすればアダンは助かるんだろう。うーん……。
「ねぇ、はな」
視線を上げると、祐樹くんがじっと私を見つめている。
その顔は真剣そのものだった。
「え、何? 良い方法がある?」
「あのクモは……はなにとってどういう存在?」
どういう、存在?
「言われても……」
すると、祐樹くんは苦笑いを浮かべながら、手のひらをひらひらと横に振る。
「あぁ違う違う、これじゃあわかりづらいから……」
そう言うと祐樹くんは頬づえをついて、悪戯っぽくにやりと言った。
「はなは、彼のことが好きなの?」
余りにも直球な質問。
アダンが好きかって……。
「な、なんでそんなこと聞くのよ」
「いなくなるのが嫌、なんて言ったから」
「それはアダンに申し訳ないって思っているからで――」
「擬人化するためには必要な代償だった。仕方がないことなんじゃない?」
にやっと笑っていた表情が消えている。無表情に私を見つめていた。
何か祐樹くんの言葉が冷たい。
「仕方がないって……どうしてそんな冷たい言い方するの」
「……ごめん、言い過ぎた」
そう言って祐樹くんはおでこに手を当て、顔を俯かせた。
沈黙が流れる。なんで怒っているのかわからない。祐樹くんも顔を俯かせたままだった。
二人の間に流れる沈黙に耐えきれず、私は重い口を開く。
「……私、祐樹くんの機嫌を損ねるようなこと言った?」
すると、祐樹くんからため息が漏れた。
思わず首を傾げる私に、ゆっくりと顔を向ける。ムスッとしていて不機嫌そうに見えた。
「言った」
「え? いつ?」
私の反応が気にくわないのか、またため息を漏らす。
もう意味がわからない。
すると、祐樹くんは真っ直ぐ私を見つめはっきりと言った。
「俺以外の男の心配するのが気にくわないんだ。俺、はなが好きだから」
…………えっ。
「あー……まだ言う予定じゃなかったのになー」
祐樹くんは恥ずかしさを誤魔化すように、頭をがりがりと掻いている。
ちょ、ちょ、ちょっと待って!!
今何て言った!? 私が好き……? どこが? えっ!?
「はなが鈍感過ぎるせいだ」
嘘でしょ、そうよ、さっきの仕返しなのね。
わ、私をだ、騙そうなんて。騙されない、わよ!
じーっと見ていた私の視線に気づいた祐樹くんが、顔を赤く染める。
「……嘘じゃないからね? 俺、本気だから」
ほ、本気……? というか、頬染めながら恥ずかしそうに笑わないで。
こ、こっちまで顔が赤くなる。というか、なぜ私が嘘だと思っていることバレてるの。
「はなの顔に書いてある。……本当にはなは顔に出やすいなぁ」
思わず自分の顔をぺたぺたと触った。
そんなはずはないんだけれど。
と言うか……。
「祐樹くん……私のこと……好き、なの?」
「あぁ。結構前からね」
ぜ、全然気付かなかった。
告白されるなんて考えたこともなかった。よりによって、このイケメンに。
な、なんか頭の中が真っ白で、なんて答えたら良いかわからない!
祐樹くんは私と付き合いたいの? え、でも私恋愛なんてやり方忘れたよ! というか今はそれどころじゃなくて……!
「あ、返事は急がないから。今は……クモのことで頭が一杯なんでしょ?」
「……っ!」
本当に、祐樹くんは私の考えていること、全部わかっているみたい。
そう――今は祐樹くんの告白を真剣に考えられない。だってもう、アダンは時間がない。
「はながちゃんと答え出すまで、俺は待ってるから」
「祐樹くん……ごめん」
「別に謝らないでもいいよ。というか振られるみたいだから、むしろやめて」
そう言われ、ハッとして口を閉じた。
そんな私に祐樹くんは優しく微笑む。
「……俺は、はな先輩のお役に立てれば嬉しいですから。ま、食べよう。冷めちゃうよ?」
その後は他愛もない話ばかりだった。テレビのこと、会社のこと、あとは少しG子のこと。
あまりにもいつもの祐樹くんで、さっき告白したのが嘘なんじゃないかと思えた。
でもそれは、もしかしたら祐樹くんの気遣いなのかもしれない。
「……ちゃんと言うしかないんじゃないかな」
と、言ってきたのは帰りの車内だった。
会社の車とは違い、慣れた様子で運転する祐樹くん。前を見ながら口を開く。
「クモが何を考えて寿命と引き換えに擬人化を望んだかは知らない。色々あるんだろうけどさ、やっぱりはなは……自分の気持ちを言うべきだと俺は思うよ」
「自分の気持ち?」
「そう。伝えなきゃ、何も始まらないから」
ちらりと、私の顔を見て悪戯っぽくにやりと笑う。
「でしょ?」
「そ、そうね」
や、やりづらい……。
「……俺は待つからさ、はなは自分の考えとか気持ちとか、整理するべきだと思う。仕事も俺がなるべくカバーするから、ちゃんと自分と向き合ってほしい」
「祐樹くん……」
今祐樹くんに応えられないのが心苦しかった。けれど、本当に祐樹くんは今までのペースで私と付き合ってくれている。
それ以上の助言はなかったけれど、十分だった。
祐樹くんの車を見送って、自分のボロアパートを見上げた。――外は夕陽が落ちようとしている。
「……よし!」
私はぐっと拳に力を込めた。




