【第十一話】 いつもお世話になっておりますっ!
朝起きた時からすでに憂鬱。
普通の金曜日だったら、仕事頑張ったら明日は休みだ! とか思うはずなんだけれど。
「……祐樹くん……擬人化……」
はぁ。
祐樹くんがうちに来て、Gが擬人化する。
もう、そのことで頭がいっぱい。というか、G……一体どんな姿で目の前に現れる気なの!
「……アダン」
ふと見れば、テーブルにハエトリグモがいた。きっとアダンだろう。
「アダンもいてね。でも潰されないように気をつけて」
この狭い部屋に人間が三人。……アダンもいてほしいけれど、潰されないか少し不安になる。
◇ ◇
仕事も難なく終わり、終業時間。
「じゃ、はな先輩帰りますか」
と、祐樹くんがニコニコと笑いながら近寄ってくる。
「……嬉しそうね祐樹くん」
「そうですね。はな先輩の家に一緒に帰られるなんてご褒美ですから」
ご、ご褒美!?
「お、大げさね祐樹くん」
もう笑って誤魔化してしまおう。
少し先を歩いて行く私に、祐樹くんも引き下がらず並んで歩く。
「全然大げさなんかじゃないけど? はな、もう少し自覚するべきだよ」
「な、何を?」
「自分が綺麗ってこと」
思わず足を止めてしまった。
「な、何言ってるの祐樹くん!」
顔が真っ赤の私を、にやりと嬉しそうに笑う祐樹くん。
「……本当、はなはすぐに顔に出るねぇ」
「で、出てないわよ」
「ふふ、はなは素直で本当に面白い」
遊ばれてる。く、悔しい。
ぷいっと顔を背けて前を歩く。本当は口も利きたくないけれど、今日はそうはいかない。だって、帰る場所が一緒なんだもの。
「ごめんごめん。機嫌直して」
と、私の前まで小走りでやってきた。
私より背が高いので、じっと見上げる。ツンツンした短い頭に、筋肉質の身体。きっと押し退けられない。
「はなの反応が素直過ぎて、からかい過ぎた」
最近わかったけれど、祐樹くんって意地悪な人よね。最初は上下関係を重んじるから、真面目な人だと思っていたのに。
「……祐樹くんて、本当、優しいのか意地悪なのか、わからない人ね」
「俺は、はなには優しいですよ? 本当はもっといじめたいけどね」
え、もっといじめたいの!?
「ふふ。嘘、嘘。今は、はなが俺のことをもっと考えてくれるように頑張るよ」
ぽんぽん、と頭を撫でられた。
意味がわからず私は首を傾げるしかできなかった。
◇ ◇
その後、大して祐樹くんと話すこともなく、私のボロアパートへと着いた。
もう周りは真っ暗だ。見上げても月はない。ということはつまり――。
「もういるわ」
二人で玄関の前に立ち止まる。部屋は電気が点いていないのか真っ暗。ということは、やはりアダンは擬人化していないのだろう。
「じゃ、じゃあ入るわよ」
鍵を差し込む。――自分の家に帰るのにこの緊張感。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だって」
ははっ、と後ろで祐樹くんの笑い声が聞こえた。緊張しているのは私だけみたい。
息を吐いて――ガチャ、と玄関を開ける。
「……ただいま」
むわっとした夏の熱い空気が流れ出る。
――反応はない。中が真っ暗なので、ひとまず電気をつける。
台所にはいないみたい。トイレもいない。ということは――奥のふすまの中。
「はな、俺が先に行こう」
「あ、うん」
祐樹くんは靴を脱ぎ捨て、さっさとふすまの前まで行く。
な、なんて頼りがいがある人! ちょっと見直した。
私も続いて後ろをついて歩く。そして――一気にふすまを引いた!
「なっ!!」
開けた状態で固まる祐樹くん。
「ど、どしたの?」
声をかけても反応がなく、固まったまんま。
恐る恐る後ろから覗いて見る。電気をつけた先に見えたのは……。
「は、初めましてっ!」
そこに、少女がいた。でも異常な姿。
長いつやつやとした茶色の髪は足首まで伸びて、その頭からはだらりと垂れる触角のようなものが生えている。
肩からは薄い茶色のピカピカとした羽根が、背中にかけて覆っている。そして何よりも――。
「裸!?」
一糸纏わず突っ立っている。細い手足に、ほとんどない胸。……私の方が勝ってるわ。
じゃなくて!! 慌てて風呂場からバスタオルを取って、その少女に投げた。
「前隠しなさい!」
「あ、は、はいっ!」
少女はバスタオルを巻かず、ひとまず前をタオルで隠した。
「ゆ、祐樹くん? 大丈夫?」
「……は、はい。色々……衝撃的なもの見させていただきました」
口元がにやついてる。
「も、申し訳ございません」
少女が申し訳なさそうにもじもじしている。
……まさか。この子が……。
「あなた……まさか……」
「あっ」
すると、少女はいきなり正座をして手を前についた。
「はな様っ! いつもお世話になっておりますっ! わたくし、G子と申しますっ! 今宵はよろしくお願い申し上げますっ!」
と、タオルを落として土下座する。
「やっぱりあなたが……Gの擬人化……」
下げている頭から垂れる触角がぴくぴくと動いている。背中から生えている羽根は薄い茶色。
人間の姿になっていると言っても、これではまるで……。
「ご、ご、ゴキブリ!!」
しかもビックサイズ! 触角が動いてる! ピカピカの羽根!
うわあああ!!
無我夢中で祐樹くんの後ろに隠れる。
「ゆゆゆ、祐樹くん! G、Gが大きくなってるよ!」
「はな、落ち着いて! よく見て。……この子はゴキブリコスプレした、裸体少女なんだ」
言われても、見た目格好がどう見てもG!
「……はな様」
と、か細い声がする。ゆっくりと祐樹くんの後ろから顔を覗かせる。
「やはり、はな様はわたくしのこと……お嫌いですか?」
えぇ嫌いです。
「そんなことはないよ」
と、祐樹くんが勝手に答える。
「ただ……服を着てくれない? 俺の目の行き場がないし、はなも動けないみたいだし」
少し振り返って私を見る祐樹くんの顔が、若干笑っていた。
……だって怖いんだもの。というか、勝手に答えないで。
「かしこまりました。……はな様、恐れ入りますがお召物を貸していただけませんか?」
私は壁を沿うように、G子を見ながらタンスに行って適当なTシャツを取り出し投げた。
「ありがとうございます! お借りいたしますねっ!」
と無垢な笑顔でお礼を言われた。
……もうあのTシャツは捨てようと思った。
◇ ◇
Tシャツを着たG子。ちなみに、下はバスタオルを巻いている。
そして、祐樹くんと私。三人はテーブルを囲って座った。
私はなんとか気持ちを落ち着かせ、なるべくG子の頻繁に動く触角を見ないよう、ひたすらテーブルに視線を落とした。
一方G子は行儀よく正座で座り、真っ直ぐ二人を見ている。
「……意外にG子ちゃんかわいいねぇ」
と頬づえをついて、祐樹くんはまじまじとG子を眺める。
「でも、クモと違って結構……虫っぽいね」
「はい。神様は、本来の形を大切にしたい、そんな風なことをおっしゃっていました」
なんて余計な思想。
「そうなんだ。で、どう? 人間になった感想は?」
「はな様とお話できるので、とっても嬉しく思っておりますっ!」
「……私と?」
ちらっとG子の顔を見ると、少し頬を赤らめ目を輝かせ興奮しているようだった。
というか、なんでみんなそんなに私としゃべりたがるの……。
「どうして、はなとお話できるのがそんなに嬉しいの?」
「はな様は、私たちに食糧と隠れ家を与えてくださっている恩人だからですっ!」
「食糧と隠れ家……」
祐樹くんが苦笑いを浮かべる。私は血の気が引いていくのを感じた。
G子は興奮気味に続ける。
「はいっ! 欠かせない水分、様々な隠れ家、そしてたまに落ちている食糧。いづれもはな様がご用意していただいているものですっ!」
「……はなは別にG子ちゃんのためにやってないと思うけどね」
なんか今までやってきた掃除の努力が、全て無駄だったと突き付けられている気分。
もうこのまま俯いたままやり過ごしたい。でも祐樹くんがそれを許さず、私にも話を振ってくる。
「はな、せっかくだから何か言ってあげれば?」
すると祐樹くんが私に耳打ちをしてきた。
「……この部屋から出て行けって言ったら、素直に出ていくんじゃない?」
ハッとした。
そうよ、その手が通用するかもしれないわ!
私は大きく息を吐いて、真っ直ぐG子を見た。……茶色の髪から生える触角がぴくぴくと揺れている。
「じ、G子ちゃん?」
「はいっ! はな様!」
嬉しそうに目を輝かせている。顔だけ見れば……美少女。
見れば見るほど……この子に罪はないんじゃないかと思えてきた。
「……はな様?」
G子は不思議そうに上目遣いで首を傾げる。
な、なんて卑怯な仕草。
「えっと……その、私、G……が嫌いなのよ……」
G子の目が見る見る涙目になっていく。
なにこの、すっごい罪悪感。
「……わたくし、はな様に……何かご迷惑をおかけしましたでしょうか?」
「え? ……そ、そうね……」
いきなり出てくること? あの素早い動き? あの姿形?
いや、もう……存在自体が迷惑かも。って、こんなド直球なこと言えないわよ。
「……見た目、かな?」
「わたくし達、はな様に直接のご迷惑はおかけしてないと思いますっ!」
「いや、だから見た目……」
「わたくしの、この姿も駄目ということでしょうかっ!」
いや、今、人間の姿でしょ。
「駄目じゃないよ」
って祐樹くん何言ってるのよ!
思わず服を引っ張る。
「……だってちょっとかわいそうだよ。今の見た目は、コスプレした少女だよ?」
と祐樹くんが耳打ちしてきた。
見た目はこれでも、中身はGよ!
「まぁ……殿方、お名前は?」
「えっ。……お、俺は、祐樹だけど」
G子の目が、キラキラと輝き乙女の目になっている。
それには祐樹くんも悪寒が走ったのか、顔を背け、おもむろに立ち上がる。
「は、はな。大丈夫そうだし……俺帰るね」
「えっ!」
と言うとそそくさと玄関に向かう。慌てて私も背中を追う。
G子は不思議そうに、座ったまま私たちを遠目で眺めていた。靴を履いている祐樹くんを捕まえて小声で言った。
「……ちょっと祐樹くん、一緒にいてくれないの?」
「……何か悪寒が走って」
「変なこと言うからでしょ。……ねぇもう少し一緒にいてよ」
振り返って私をじっと見た祐樹くんだったけれど、深いため息を吐いて、ぽんっと肩に手を置いてきた。
「……こんな状況じゃなかったらよかったのに」
「え?」
「大丈夫。男じゃないし、かわいい少女。ゴキブリだと思わずに見たら、きっと乗り切れるよ」
そう行って祐樹くんは出て行ってしまった……。
祐樹くんの裏切り者!!
「はな様。……少々お話したいことがあります」
振り返ると、神妙な面持ちでこちらを見ていた。
「な、何かしら?」
まさかずっとここにいたいとか、言いだすんじゃないでしょうね。
でも、予想とは大きく違う切り口だった。
「……クモの、アダン、についてです」
G子からのまさかアダンの名前が出てくるとは思わず、一瞬固まってしまう。
「アダンが……何?」
「わたくしの擬人化は今宵のみです。ですので、アダンが申し上げられないことを……わたくしが代わりにお伝えしようかと思っております」




