【第十話 追加分】 いつでも優しい
明日の今頃はどうなっているんだろう。
そんなことを思うと、もうため息が止まらない。
「……はな、どうしたの?」
不思議そうに首を傾げ、じっと私を見るアダン。
「顔が暗いよ?」
そりゃ暗くなるわよ。ビールを一口飲んで口を開く。
「……明日じゃない、Gの擬人化。そりゃ……ため息も出て行くわ」
ぐびぐびとビールを飲む。
もう、飲まないとやってられない! だって想像したくないんだもの!
一気に一缶空けて、勢いよくテーブルに置く。
「……あーもー!! 神様の馬鹿!!」
窓に向かって叫ぶ。叫ばないとやってられない!
その横でアダンは苦笑いを浮かべていた。
「はな……落ち着いて。大丈夫だよ」
「だって……Gよ!? ありえないわよ! おまけに祐樹くんまで……」
ダブルパンチよ! もう一缶飲んでやる。
ビールを取りに行こうと立ち上がり、冷蔵庫へと歩み寄る。――が、急に後ろからアダンに手を掴まれた。
「はな! ビールばっかり飲んでたら寝ちゃうよ!」
見るとアダンの顔がムッとしていて、頬を膨らませている。
……たぶん、ビールが睡眠薬か何かと勘違いしてるんだ。
「アダン、ビールは私にとってご褒美なのよ」
「でも、僕、飲んでほしくない」
「……うーん」
むくれっつらに、頭が冷静になってくる。
確かにビールを飲むと寝てしまう。おまけに明日はアダンはいない。それに――昨日の意味深な問いかけ。
「わかったわ」
私は腕の力を抜いて、アダンに笑いかけた。
ビールなんていつでも飲めるし、ちょっとアダンがかわいそうかも。
すると、アダンはパッと目を輝かせる。頬を緩ませ、ぎゅっと私の手をそのまま握る。
――え、握る?
「じゃあ、はな、外に行こう! またおでかけしたかったんだ!」
「え、ちょ、ちょっとアダン!」
私の制止を無視して、外に出て行くアダン。てか、アダンの格好はパジャマだし、私だって下ジャージの上Tシャツ一枚よ!
というか――。
「ど、どこに行くつもり!」
ピタッと止まる。
「……考えてなかった」
肩をがっくりと落としている。そのままの状態で振り返った顔を見てみると、俯き加減で虚ろな目だった。――さっきの笑顔とは大違いだ。
戻ろうと思えば戻れる。振り返ればすぐ後ろはボロアパート。けれど、余りにもしょんぼりとした顔を見ると、余りに不憫に思えてきた。
……ま、いっか。アダンに付き合ってあげよう。
「じゃあ……また神社でも行きましょうか」
パッと顔を上げるアダン。
嬉しそうに、にんまりと笑っている。
「うん! 行こう」
そう言って私の手を握り締め、再び歩み始めた。
今度は私の歩調に合わせてくれる。隣に並んで一緒に歩くんだけれど……。
「……あの、アダン?」
「何?」
「手……」
まるで恋人同士のように、手を繋いだまま歩いている。
けれど、歩みを止めずアダンは顔だけ手に向けた。じっと眺めた後、私の方に顔を向けた。
が、離すことはせず不思議そうに首を傾げる。
「手がどうかしたの? 痛い?」
だ、駄目だこりゃ。もう……いいか。
私が意識するからいけないのよ。普通よ、普通。
「……何でもない。大丈夫よ」
「ならよかった」
私の言葉に、ほっと胸をなでおろすアダン。
「……でもどうして、外なんか出たいって思ったの?」
じっと見つめながら聞いて見ると、アダンは少し照れながら言った。
「はなとね……人間の姿で一緒におでかけしたいなって思って」
と言って、アダンは嬉しそうな顔で私に微笑んだ。
周りに花が咲くのでは、と思うぐらいの笑顔。見ているこっちが恥ずかしい。
今、絶対顔が赤くなっているわ。
暗くて見えないだろうけれど、思わず顔を背ける。
「……アダンが楽しいならなんでも良いわ」
「うん! はなも一緒に楽しんでね」
ぎゅっと手を握り直すアダンの手。私より大きくて、ごつごつとした男の人の手。
ちらりと横顔を見ると、鼻歌でも歌いそうな感じで目が輝いている。
心は少年……けれど、やっぱり男の人なんだ。
街灯で照らされる白い前髪、精悍な顔立ち、私よりも高い背。
今の格好がパジャマだから。そこまで格好良くは見えない。
けれどきっと、それなりの格好をすれば祐樹くんにも負けないだろう。
ううん、心が素直な分アダンの方が……。
「……はな? どうしたの?」
「え。……あ、いや、な、何でもないわ」
な、何を見惚れてるのよ!
慌てて目を逸らした。すると、アダンが立ち止まる。するとおもむろに、手のひらを私のおでこに当ててきた。
「……なんだか顔が熱いみたいだよ?」
「だ、大丈夫! ほ、ほら、早く神社行くよ!」
その手首を掴み、私が引っ張って神社へと走り出す。
顔が赤いのがバレる! な、なんでアダンの顔見て胸がドキドキしちゃうのよ。
走りながら、握る手首の感覚が伝わる。
――どう考えても人間の手首。
今いるのは、アダンという名前の男の人。夜の夜道に二人並んで歩いている――。
再び意識し始めた頭を冷やすように、風を切って走った。
「はぁ……はぁ……」
ひたすら走って神社の階段までやって来た。が、さすがに息が切れる。
アダンも息苦しそうに咳き込んでいた。……ちょっとかわいそうなことをしたかも。
「ご、ごめんアダン。……ずっと止まらなかったから……」
肩で息をしている。見た目以上に、身体が弱いのかな。
「……ぼ、僕、人間の身体に慣れてなくて……走るのも苦手なんだ……でも、平気、だよ」
大きく深呼吸をして呼吸を整えている。
そうよね、クモだし、ずっと家の中にいたんだから当然のことなのかも。だったら、階段上らずに家に帰ろうかな。
「疲れたでしょ? 階段もまだあるし、今日はもうこのまま帰りましょう。帰ったら砂糖水作ってあげるから」
「でも……せっかく来たのに」
「いいのよ。いつでも来れるんだから。……ほら、帰りましょう? ね?」
そう言って、私は手を差し伸ばした。むくれていたアダンだったけれど、その手をじっと見つめている。
「……いつでも……来れるかな」
「……え?」
小声で呟いたアダンの言葉に思わず首を傾げた。
けれどアダンはすぐに表情を変えて、にっこりと微笑む。そして、両手で大事そうに私の手を包み込んだ。
「ううん、何でもない。ありがとう、はな。はなはいつでも優しいね」
街灯に照らされる優しい顔に、ドキッと胸が打った。
「そ、そんなことはないわよ……。ほ、ほら。行きましょう。今度は走らないから」
「うん」
今にも消えてしまいそうな、とても細い三日月夜空に浮かんでいる。
少し子どもっぽいアダンの隣を並んで歩く。いつの間にか、手を繋いで歩くことに違和感を感じない。
むしろ温かな手のひらは、ずっと繋いでいたい、そんな気持ちにさせてくれる。
多少の恥ずかしさも、暗闇が隠してくれた。
帰り道、私たちは手を繋いで他愛もない話をしながら進んで行く。
アダンはいつまでいるのだろう、そんなふと思いつつ、口に出せる勇気が出てこない。
ただは今、隣にアダンがいる。そのことがどうしようもなく、私の心を癒してくれる。




