鬼ヶ島
「やる」
垂れてきた襟巻き蛇を巻き直しているとポンと何やら投げ渡された。
「む?」
受け取った物を見てみれば巾着のようだ。
何も言われないので勝手に開いてみた。
小さな石ころに、おはじき、きらきらとする丸いビー玉が詰まっているらしい。何の事もないものだ。
何の事もないが渡してきた人物が人物だけに怪しい。
「何これ」
「石。ビー玉。おはじき」
「見りゃわかるわーい!」
馬鹿にされた気がする。
怒りも露わに暗黒神ちゃんアームを振り回すとクルシュナは不思議そうに首を傾げた。
「分かるのか」
「馬鹿にすんなー!」
「前はわからなかった」
奇妙な返事に怒りが収まった。
前?前ってなんだ。
「……何がさ?」
「話が通じるのが変だ。前は通じなかった」
「…………?」
よくわからん。
何が言いたいのだろう。
私の手元を覗きこむフィリアがつんつんとビー玉を突付きながら疑問を投げかける。
「なんですの?
この石とガラスは何に使いますの?
びーだま?」
ビー玉やおはじきというものがフィリアにはどうやらわからないらしい。
そりゃそうか。
「えーと、地面に置いてさ、指で弾いてぶつけてだな」
「ふむふむ」
「そんなことはしていない。食っていた」
「な、なにぃ!?」
「た、食べ物ですの?」
全く予想外の使い方が告げられた。
こんなもん食うなよ!食い物ですらねぇよ!
ある意味人間の方がマシである。
「人間だった時、人間の餌をいくら食ってもいつも死にそうなほどに空腹だった。
誤魔化す為に胃に詰め込んでた。石は消化出来ないし重いから少しだけ紛れた。
病院に何度も放り込まれたが子供の頃からずっとそうやって耐えてた。それだけだ」
「……………」
「……………」
ずーん、としか表現できない空気。
めちゃくちゃ重い話が返ってきた。
「それをその腕輪に入れておけばいい。
俺はお前の元に戻る。それでいいんだろう」
「ええー…」
よくわからんが戻ってほしくない。
「イーラとアワリティアの気配もする。
そいつらも戻っているんだろう。肉をくれ」
「ほらよ」
ぽいっと肉を投げた。
ばくっと食らいつくクルシュナは実に犬っぽい。
しかしイーラにアワリティア?
悪魔の魔改造に載っていた名前である。
どこで会ったのかとんと覚えがない名前なのだが。
「誰さソレ」
「俺に聞かれても困る。お前があの二人に会ったから戻っているんだろう」
「会った覚えがないな」
「それなら知らない」
面倒そうにぷいっとそっぽを向かれた。
完全に犬である。
悪魔なのに犬とは。そこまで考えて疑問が湧いた。
悪魔、そう、悪魔なのである。
だが私の目にうつるステータスは完膚なきまでに人間を示している。
「ていうかクルシュナってほんとに悪魔?
人間じゃね?」
「七大悪魔は全員、物質的な肉体を持っているからだ。俺の身体は人間だ。
地獄に行った事もない。
元の世界で眷属化した。それからここに流された。
肉体を持っているから物質界でこうして活動していられた。その代わり、最低限の悪魔の力を持っただけのただの人間に戻る。
今のお前に魂を渡すことで今度こそ本当の悪魔になるだけだ」
「……む?」
どういう事だ?
悪魔なのに地獄に行った事がない?
肉体を持っている?わけがわからん。もっとわかりやすく頼む。
フィリアがぼそっと聞いたら後悔しそうですから私聞きませんわよ、と呟いた。
言いながら若干私から距離を取っている。
「ええ、ええ、そうですわ。あの青の祠で見た悪い夢の続きでも見ているのでしょう。
何だか頭痛もしてきましたし……クーヤさん、私ちょっとお花を摘みに……」
「逃すか!」
尻尾丸めて逃げ出さんとするフィリアのおっぱいをガッシと摘みあげてひねった。
「あぁん!」
ビッチ聖女は撃沈した。地に伏せて赤い顔で震えている。
うむ、一人だけ逃げようたってそうはいかんぞ。
「主様、七大悪魔王とはまっことおかしな生まれなのでござんす。
あちき達にとっては殺してやろうかと思うほど羨ましきことこの上なし。
愛しい主様。そこで寝こけております阿呆を起こしてくりゃさんせ」
メロウダリアがチロチロと舌を出しながらガチャガチャポーンと呟くアホを示した。
えー…。起こしたくないのだが。さしものビッチビチ聖女のフィリアも真っ赤な顔のままだが嫌そうだ。好みではないらしい。
「何で起こすのさ」
「寝かせておけばいいのです」
「魂こそ完全に壊れておりますが、肉体の強さは人間の可能性の中でも指折りでございますえ。壁にはもってこい。
龍神の気配が近づいておりますほど、人の船より疾くこの地に来ましょうや。
今ひとつ、神の工芸品に魅入られた海、成された悪魔召喚、罪人の廃棄場、淀んだ穢れ、大禍の魔女。この海で果てた魂は悪霊となって漂い、さらなる因果を呼びこむ。
この海域は業を招きまする。
遥か遠くの海、ザッハトルテの大境界、ここにもまた海底には未だ次元断裂による空間の裂け目があり申す。
この海域は嘗てレムリアと呼ばれた大陸があった場所。
霊的な磁場となっているこの海域は因果の糸が流れ着く場所でございますよって。
この島は今、暴食が橋渡しとなってこの海に古くからある異界と重なっておりますのえ。
子供の寝物語でありんすなぁ。
むかぁし、むかぁし、人を喰らう者共が住まう島がありまして、人々は鬼ヶ島と呼び恐れておりました、と。
この島が鬼ヶ島と呼ばれるは暴食が見境なく人間を食らっておったのを近辺の人らが古くから伝わる昔話になぞらえた故でありまするが……まさにまさに。見事な大当たり。
人の子が閨で母親にせがむ冒険譚、古き時代に人が恐れた海の向こうに見える鬼の住む島。
鬼ヶ島とはまさに、今あちき達が居るここにございます。
さぁさ、神域に繋がる魔海、主様と悪魔、そこな阿呆、因果は十分、次元が歪み空間が閉ざされまする。
この異界には人の業より生まれ出ずる鬼がぎょうさん、いるからに。
愛しい主様、ご留意くりゃさん、せ。
あちきと鬼退治と参りましょうぞ。出来るならばふたりっきり、しっとりらんでぶーとしけこみましょうね」
「なぬ?」
メロウダリアは甘ったるい口調のゲロ甘さとは裏腹にヤバい事を言った。
らんでぶーは無視した。
湿った一陣の風が吹く。
クルシュナが顔を上げた。釣られるように見上げた空はどんよりとした雲に覆われている。
やがてポツポツと降りだした雨は生ぬるく、いやに違和感がある。そう流されたとも思えない。極寒の北大陸からはさほど離れて居ないはず。
世界が断絶したかのようなあまりにも異常な速度の天気の変化。
ポッケを漁り、猫のヒゲを眺める。雨、雨、雨、雨。どこまで見ようが雨。
止むことの無い雨。
「……これは……。覚えがありますわ。
スードラ大寺院の祭壇の間と同じ空気。霊的高階層の異界……!
クーヤさん、油断してはいけませんわ。風よ、金色の光よ、我が元へ来たれ!」
迷うこと無く風の精霊さんを呼び出したフィリアの顔は大真面目だ。これはヤバそうである。
気配を探るかのように周囲を見回しながらクルシュナがぐいぐいと巾着を私の顔面に押し付けてきた。
「さっさと受け取れ。
肉じゃない不味い餓鬼が来る。あいつらは好きじゃない」
ちえっ!
危険ならば仕方がない。腕輪を適当に地面に置いて巾着を投げ入れておいた。
フィリアが嫌そうにアホの頭ピシピシ叩いて起こしている。
「……ハッ!?ここは一体、私は誰!?
そしてお前たちは船でマイサンを手に掛けた鬼畜共!おのれ、私にイヤらしい事をするつもりであろう!?
ヌルンヌルンのごんぶと触手を私に絡みつかせて種付けする気だろう!
させん、させんぞ!!私の鍛えあげられた括約筋の力を思い知らせてやるんだから!」
あ、デジャブ。
フィリアを見上げた。不自然に横を向いたままこっちを向こうとはしない。
アホは叫びながらグリンと腰を捻って尻で八の字を描いてみせてくる。縛られながらも器用な奴である。
「そんな事はしないわい。ちょっと盾になるのだ」
「よかろう!!」
「いいの!?」
言っておいて何だが即答されると不安である。
縄をほどいてやったアホはくなっとシナを作り、頬を両手で押さえて潤んだ瞳で虚空を見つめながら答えた。
別に比喩でもなんでもなくマジで何も無い空間にしっかりと焦点を合わせて見つめている。
「頼み事にはノーと言えないセンチメンタルな私。
天使様が私にお告げをする。汝、椎茸であれ、と」
「ああ、そう……」
海賊でもなさそうなのに海賊船に乗っている理由がわかった。
しかしちょっと可哀想である。
盾にするのだし何かあげようではないか。えーと。
「ほら、肉やるからさ」
ぽいっと肉を投げた。
アホが食らいつく前にクルシュナが食らいついた。
悲しげな顔でアホはもっさもっさと真顔で肉を頬張るクルシュナを見つめている。友情が壊れたらしい。
しょうがない。適当に肉を量産し両方に与えておいた。仲良くしろよ。
「ほ、主様。来ますえ」
「うむ!」
メロウダリアの言葉の直後、地響きと共になぎ倒されていく木の先端が見えた。
距離はそうない。すぐに来るだろう。手を打って気合を充電。
よし、本と木の枝を装備。準備は万端、来るなら来い!
この暗黒神、ハングリークーヤちゃんが目にもの見せてくれるわ。
木々を薙ぎ倒しながら、ついにそいつは姿を現した。
「…………」
「…………」
フィリアとほぼ同じタイミングで反転する。そのまま全力ダッシュである。遅れてクルシュナとアホが付いてくる。
戦略的撤退って奴だ。
雨の中、バキバキと木を払いながら進みでてきたそいつはまさに鬼。
身長はどれほどだ?
既に巨人と言って差し支えない。
炎のような蜃気楼を纏う、見上げる程の巨大な鬼は人喰い鬼と呼ばれるだけの事はある。腰元の布は明らかに人皮だし、口元には歯に引っ掛かったままの人骨。
しかもである。
クルシュナが面倒くさそうに呟く。
「サイズが大きい。数が多い。肉じゃない。やる気がでない」
「ヨーホデリヒー!」
「な、なんなんですの!?あれは!?」
「これは愉快。あくたむしの如く湧き出る事」
巨大な鬼を筆頭に、わらわらと出て来る。尋常じゃない数である。
サイズはマチマチだが……小さい奴でも普通にカミナギリヤさんを超えるぐらいはある。
行く手に遮るかのように次々に湧いてくるが、隠れ潜んでいたとは考えられない。
クルシュナが肉じゃないと言っていた。私の目にも何も映らない。魂ある生き物ではない。暗がりから無限に生まれてくる鬼。
どうするか。
接近してきた鬼の一匹をクルシュナが片手で引き倒し喉元に食らいついて喉笛を食いちぎる。吹き出る血は赤いが、異常な赤さ。まるで朱墨か何かのような鮮やかな色。
景色が歪む。鬱蒼と茂っていたジャングルが巨大な岩が乱立する白と黒の墨絵の世界へと変質する。走っている地面が地面かすらわからなくなる。
アホが突然目の前に現れた凶悪な大きさの鬼を素手で吹き飛ばした。相変わらずアホである。
「これでは方向がわかりませんわ……ど、どうしますの……!?」
「……仕方がない。俺の家に行く。あそこは俺の家、俺の領域だ。
知らない奴が二匹住み着いてて嫌だが、仕方がない」
口元を赤くしたままのクルシュナが二匹目の鬼をゲットしつつ方向を変える。
こいつの家を知らないフィリアは特に気にした様子はない。アホは理解していないだろう。
メロウダリアは愉快そうにシャーッと鳴いているだけである。
向かうは別の意味で鬼の家。正直言って行きたくないのだが。あの人毛ロープをまた目にせねばならぬというのか。
憂鬱である。




