愛の劇場
どんなに世界を壊すとも。
この世界はその全てを許してくれる。
何故ならこの世界はあまりにも深淵で広大で、幾ら私が手を伸ばすとも小さな子供の癇癪に等しくちっぽけな私が壊せるものなどほんの砂粒のようなものなのだから。
どんなに罪を重ねようとも。
神様は私を見捨てたりなんてしない。
何故ならあまりにも遥か高みに在るあの人はあまりにも大きすぎて、私が望む限りはずっと私が傍に居ることを許してくれるのだろうから。
ザザーン。ニャアニャアと海鳥がなく小島。
一組の男女が海辺を駆ける。
一途に、情熱的に女を求めて走る男の瞳にはただ一人の女しか映っていない。
ふくふくとした頬、むっちりとしたあんよ、ぷくぷくのおてて、のたのたと走るその姿は男にとって実にたまらないものであった。
てってけと走る女を求め、己の三大欲求に忠実に従い、ただ走る。
ガサッとジャングルの中に突撃する。遮蔽物も何もない海辺は危険過ぎる。
「待てやタンパク質ぅぅあぁぁあ!!」
「ギャーーーーーーーーーーーッ!!!」
全力疾走である。
追いかけてくる原人蛮族から必死に逃げる。
この小さな島に流れ着いて漂流生活二日目の朝。
私は今日も元気に逃げていた。
何だあいつ。こわい。
タンパク質て!
私みたいな小さなガキンチョを食べても腹は膨れないだろいい加減にしろ!
「ひぃ、ひぃ…!」
疲れない身体の筈なのに精神的に非常に疲れる。
何せ後ろから走ってくるのは勇者だとか天使だとか生易しいものではない。
野蛮な狩人である。捕まったら最後、比喩でも誇張でも何でもなく美味しく煮込まれて焼かれて食われてしまう。
罠をあちこちに張りまくっているのが非常に厄介だ。
張られた蔓をぴょんと飛び越え、地面の色の違う所に突き当たれば直角に曲がって避ける。
頭上を時折すぎる細い煌きはピアノ線のようなものを木の間に張っているのだろう。
私の背が低すぎて引っ掛かる事は無いが、普通の大人であれば首元に来るであろう絶妙な高さである。
実に容赦の無い罠群だ。殺る気満々すぎるだろ。
「とうっ!」
視界の隅に映った暗がりにある小さな木の洞に飛び込む。
息を潜めてそっと外を覗き込めば、蛮族が肉ー肉ーと呟きながらキョロキョロとしている。
この小さな島、二日間彷徨っているが獣の類は未だお目に掛かれて居ない。
きっと動物性蛋白に飢えているのであろう。しかし食われるのはごめんである。
がさがさと木々を掻き分け、蛮族が向こうへ消えたのを確認しため息を付いた。
何がどうしてこうなった。
どうもこうもねぇよ!
始まりは私が海に投げ出された後のことである。
ザザーン。
ぽいっと海に向かって石を投げた。嵐の過ぎ去った凪の海は穏やかそのもの。先ほどの嵐が嘘のようではあった。
「…………」
静かだ。静かすぎた。何もない。
夕陽の差す浜辺で一人ポツンと体育座りである。せめてもの慰めは浜辺に船の残骸など打ち上げられていないことか。きっと皆さん無事に違いない。
なので早く来てくれ。じゅうじゅうとホタテがいい感じに焼けたのでガブリと食らいついた。
あーあ。
何もない小島は退屈である。
しかし何も無いので危険もない。別に眠らなくてもいいし、食べ物も水もいらないので死ぬ心配はないのだが。
暇なものは暇なのだ。というわけで私が散策に出たのは仕方が無いことだったのだ。私がそれを見つけたのは小島をぐるりと半周ほどした時だったか。
「お」
半壊した船であった。風雨にさらされボロボロだが、元はそれはそれは華美であった事が窺える船。ふむ、なにか紋章が掲げてあるな。国旗だろうか。
見ているうちにワクワクムズムズしてきた。お宝があるかもしらん。私の冒険心はたぎりにたぎっている。カマキリの如く左右に何度かステップを踏んでケツをフリフリ、威嚇のために何度か振ってから危険が無いことを確認、そりゃっとへし折れた竜骨の横っ腹、底部の大穴から内部へと飛び込んでやった。
内部もかなり酷い状態だが……進めないほどではない。水が入っていないのが大きいだろう。崩れそうな場所を避けていけば特に問題も無さそうだ。
「ふんふーん」
枝をフリフリとしつつ進む。ひしゃげたドアを覗きこめば小さな船室。船員の部屋だろう。古ぼけた海図やらなにやらが部屋に貼られている。つんと枝でつつくとそれはあっさりと崩れてしまった。潮風にさらされ劣化が激しいのだろう。
うーむ、もっと奥に行ってみるか。
ほどほどの廃墟具合にほどほどの危険度、しかしながら生命の危険というほどではない。私のささやかな冒険心を満たすには十分である。
どれどれ。よじよじと上部に行けそうな穴を見繕いよじ登る。紋章が等間隔に並べられる廊下。何やらゴウジャスである。きっとエライ奴が乗っていたのだろう。
何か面白いものがあるかもしれないな。行ってみるか。廊下の先、奥まったところにある嘗ての絢爛さが僅かに残る大穴の開いたドアを潜った。
「……ふーむ」
金やら宝石やらごてごてと飾り立てられている。しかし興味があるかと言われれば全くない。もっと面白いものはないものか。お菓子とか。
偉そうなカビ臭い机に近寄る。本やら書類やらが置きっぱなしである。羽ペンが残っているあたり、この本に何か書いている途中だったに違いない。
その辺の椅子を引きずってきてよじ登って覗きこめば、それはどうやら航海日誌のようであった。慎重にページを捲る。特に張り付いている、ということも無さそうだ。
文字は……へんてこな模様だが何となく読めそうである。暇つぶし、もといお宝ゲット。これでいいや。カビ臭い部屋は嫌なので外で読むか。
日誌だけを手に取り椅子から飛び降りる。ここまで来るのはそれなりに大変だったが、降りるのはまだ楽だろう。
よし、行くか。
外に出てみれば、どうやら日は沈んだらしい。
焚き火でも出してゆっくりするべし。それに、焚き火でもつけていれば船に残った皆さんも見つけやすいかもしれない。
本で適当に焚き火を出し、ぺっと濡れそぼったままの服を脱ぎ散らかした。座り込んでぱらぱらと本を開く。乾くまで替わりの服が必要だ。
えーと。
商品名 ビキニ
幼体にぴったりフィットのマイクロビキニ。
UVカット機能がついた白いだぶだぶパーカ付き。
次。
商品名 スリングショット
幼体にぴったりフィットの黒のスリングショット。
食い込みがセクシー。
いらん。
商品名 モノキニ
幼体にぴったりフィットの紫のモノキニ。
大胆な背中のカットがスケベ。
帰れ。
碌なのねぇな。どんだけだ。
「ん」
商品名 悪魔水着
可愛い悪魔っぽい水着。
バカンスにどうぞ。
まぁマシか。こやつを購入である。
現れた黒いモヤモヤとしたものが消え、いつの間にやら身体に纏っているのは確かに悪魔水着である。
デビルウィングとデビルテールが付いている。可愛いと言えなくもない気がする。まあいいか。
よし、のっしと砂浜に座り込み、本で灯り替わりに暗黒花を量産して適当にばら撒く。これでよし。
ふむ、やはり航海日誌のようである。執筆者はセイントホース号船長、クライドルフ・ヘンリー。
――――上手くいった。
我々が極秘裏に行った儀式。
各地に残る伝承。カーマラーヤ紙片、黒蛆の書、シヴァ原典、ヴォイニッチ手稿、それらと我らが王家に僅かに残されていた古代魔術の秘儀。
我々が調べあげた古の魔術。そこから構築した理論。我々は一つの術を組み上げた。そしてそれは成功したのだ。
途方も無い時間を掛けて編み上げ、現在に蘇らせしめた禁術。今まで多くの国が挑んだだろう。そして尽く失敗してきた。
この国にでも有数の魔術師達、数名の生命を対価とすることになったが我々は成し遂げたのだ。
あの我々にとっても驚異となる恐るべき力を持つ奴らをば使役する、これ以上の力があるか。
我が国は一歩、他国よりもなお先に抜きん出たのだ。失伝した異界の魂、召喚の奥義。
そこより現れた異界の者。その力は本物だった。魔族、神霊族、亜人共など全く問題にならない。
流石に勇者には及ばないが、ただの人間であれば問題はない。これならば数さえ揃えれば勇者とて倒しうる。
召喚した男は人の姿をしてはいるが受ける印象はまるで獣だ。
さしあたっては咎人の枷を嵌め、光の封印術を施した檻に収監する事とする。
我々の勝利だ。次に永遠の光の楽園へと至るのは我々の国だ。
長く待ち望んでいた国への帰還に胸が高鳴る。
――――船員が減っている。
最初は逃亡かと思ったが、どうやら違うようだ。
いつの間にか消えている。捜索の手を伸ばすが一向に手がかりは得られない。
そして奇妙な事が一つある。あの異界人だ。食事など禄に与えていないにも関わらず、一向に弱る様子もない。
水だけは与えているが……咎人の枷がある以上、異界人としての能力も使えん筈。元々頑強な種だったのか?
部下が報告してきた話も気になる。あの異界人が真夜中に檻の中で何かを貪っていたというのだ。
その時は一笑に付したが……。
――――決定的だ。
失敗した。船に乗りこんでいた三十名以上居たはずの人数は既に十を切っている。
冗談じゃない。奴は人喰いだ。咎人の枷、光魔法の封印、奴には効果がない。
思えば失踪した部下達には共通点があった。あの異界人に水を運ぶ当番だった日に失踪していたのだ。
奴め、部下を檻に引きずり込んで食ってやがった。
――――小島に漂着した。
ここからでも聞こえる檻の中から響く骨を砕き、肉を食むおぞましい音。檻はとっくに壊れている。
最早奴はこの船の中を自由に移動できる。
時折、扉を開けてくださいと部下が叩く。開けられるものか。
すぐさま何かが暴れるような音、悲鳴、それが聞こえなくなればずるずると重たいものを引きずっていく音。
もう発狂しそうだ。
――――何の音も聞こえない。
扉を叩く音。部下達とは違って悲鳴も無ければ武器を使って開けてこようとするでもない。
静かにガリガリと引っ掻いている。
腹が減った、腹が減った。それだけしか喋らない。
飢えているのはこっちも同じだ。水も食料もない。光輝の王子と呼ばれた面影はどこにもない。
鏡を覗きこんでも自分とは思えない落ち窪んだ眼窩に骨の浮いた顔、ミイラのようにやせ衰えた自分の顔が映るだけだ。
――――ガリガリと扉を引っ掻いてくる。
あの扉を開ける事だけはこのまま餓死するとしても嫌だ。
もうこの恐怖に耐えられそうもない。
手元に有るのは刃の潰れた国の宝剣だけだ。
もうこれしかない。
「…………」
ゴクリ、生唾飲んだ。
なんだこれ。怖いってレベルじゃねーよ!
しかし小島、小島か。ここだろう。
先ほどの船長室を思い出す。特に死体も無かったし、別に変なものも無かった。
もしかしたらこの日誌を書いたあとに助かったのかもしれないな。
そうに違いない。うむ。ばむっと日誌を閉じた瞬間、火で炙っていたはまぐりがぱかっと開いた。
美味そうである。よしよし、今夜はこいつを食べてもう寝るか。出やしないが一人でぽつんとしているとおしっこちびりそうだし。
あーんとはまぐりと口に頬張ろうとしたその瞬間、まさに雷が奔るがごとくピキーンと閃いたとしか言い様がない。
天啓のように降ってきたその考え。
立ち上がる。大慌てで本と枝と服を回収。ダッシュでその場を逃げる。全力疾走、後ろなど振り向かない。
だが、確かに聞こえた。何かが砂に突っ込んだ音と盛大な舌打ちが。
そうだ。私以外に訪れた者が居るとはとても思えない船。
あの扉は開いていたのだ。
死体は無い。あるわけねぇ。理由など考えるまでもない。
あの船長は自殺に失敗した。助からなかった。それだけだ。
全力疾走しながら顔だけ振り返る。
そこに居るのは何の事もない男だ。
名 クルシュナ・リーヴェ
種族 異界人
クラス 多重次元存在者
性別 男
Lv:52
HP 5800/5800
MP 2000/2000
かくして世は弱肉強食、生き残りを掛けた逃亡劇が始まった。




