光差す世界
封印と祠を作るというイースさんと綾音さんと別れ、我ら向かうは人魚の骨亭なる宿屋である。
あの廃材置き場には像を設置し、地獄の穴にはトンネル機能を付けておいた。これでいつでも魔物が行けるというわけだ。ふふん。
ばったーんと宿の戸を開く。
まずカグラがぐったりとしながらモソモソと食事を取っているのが視界に入った。その頭にはリレイディアが乗っかり、すやすやと寝ている。ジャストフィットしているようで何よりである。
そのお隣ではアンジェラさんがニコニコとしながらでっけぇパンを切り分けている。
二人のテーブルにかじりついて一番うまそうな果物をくすねる。気づかれる前に口に放り込んだ。
「ブベッ!!」
吹き出した。カッカッと口の中のカスを吐き出す。
うんこのように不味い。
何だこりゃ。見た目は美味そうなのに。
「クーヤさん、あんまりにも意地汚いからバチがあたったのですわ。
それは昔から魔除けの効果があると信じられているリエラの果実でただの飾りですわ。食べ物ではありませんわよ」
「クーヤちゃん、そんなもの食べたらお腹壊しちゃいますよー」
「な、なにぃ!?」
魔除けだとう!?
暗黒神的に益々まずく思えてきた。カーッと喉に引っ付いたカスまで吐き出してやった。
「きたねぇ!!」
「うるさーい!カグラがこんなもん置いてるせいだ!」
「俺じゃねぇだろ!
ここいらじゃ船が出る日が近づくと食事を頼めば一個はついてくんだよ!!
海の悪魔除け、旅の安全祈願、幸運のお守り、旅は道連れ世は情け、ありがたいこったなこのバケモンがぁ!」
「うるさーい!!カーッ!!」
「やめろや!やめろっつってんだろ飛ばすんじゃねぇ!!」
「あらあら」
アンジェラさんは全く手を出さないのでやり放題である。
それをいい事にカグラに向かってカッカッしているとおじさんがおどおどしながらやってきて手ぬぐいで口元を拭ってくれた。
もっちゃもっちゃと口を鳴らしながらなすがままである。
うむ、流石おじさんだ。できおるわ。
「ったく……。で、大丈夫なのかよ?
吸血鬼って海渡れねぇんじゃねえのか?
妖精王も海は禁域だろ。噂の海神でもおびき寄せるんじゃねぇのか」
「え?」
海神?なんだそりゃ。まぁ名前的に海の神様なのだろうが。
フィリアも不思議そうである。
「海神ですの?」
「ああ?
聴いてねぇのか?まぁ俺も今聞いたけどな。
さっき戻ってきた船の乗員達がいきなり嵐に見舞われた挙句に雲の隙間に龍を見たって大騒ぎしてんぞ」
「へー、龍ですか。珍しいなー」
「ふーん」
竜ならウルトが居るし大丈夫だろう。
それよりも問題なのはカグラの前半の台詞である。
「おじさん、海渡れないの?」
「はぁ……」
困ったようなお顔である。
どうやらマジらしい。
しかもカミナギリヤさんもか?
同じ宿じゃないし確認はとれないが……。そういやイースさんが塩は植物を枯らすから妖精王は海が苦手って言ってたな。
大丈夫だろうか。うーん……。
取り敢えず目の前の人物を何とかすべく本を開く。
「あの、海を渡ると確かに身体中から血が止まらなくなって呼吸も出来なくなるんですが……死なないので大丈夫です。
私にとって太陽の光に焼かれないだけでも十分にありがたいんです。クーヤさんにこれ以上ご迷惑をお掛けするわけには……」
「や、それを放置しろと言うのかおじさん」
呼吸が出来なくなって身体中から血が止まらないて。んなもん放置出来るわけない。
おじさんはもっと自分を労るべき。ぱらぱらと本を開く。
「えーと」
商品名 人魚の貝殻ブラ
人魚のビキニアーマー。
海呪、海難、かなづちに効果のある大人気商品。
海の生き物にも好かれちゃいます。
ふむ。購入してみた。
しじみの貝殻ブラが現れた。
「…………」
「…………」
フィリアにでもやるか。
次。
商品名 クリシュナのヘキサグラム
聖皇女ディア・ノアのお守り。
海に関するあらゆる災厄を跳ね除ける素敵なお守り。
大事にしてあげましょう。
ほほう。これならよさげである。
お高いが購入。
現れたのは手鏡である。鏡面には赤い絵の具か何かで大きな六芒星と細々した模様が書かれている。
お守りっていうか微妙に呪われていそうな。まあいいか。効果は確かだろう。
「はい」
「え、と。ありがとうございます。
すみません……」
「気にするなー!」
おじさんは不思議そうに手鏡を眺めている。
それを見て呻いたのはフィリアである。
「……それは……」
「む?」
声につられて見やればカグラと二人で何とも奇妙な物を見る眼で手鏡を見つめている。
「何さ」
「失われた神の工芸品の大禍の魔女ノアの手鏡じゃねぇのかソレ……」
「う、ぐ、その文様、魔力、話に聞くアレに間違いありませんわ……」
「へぇ」
二人はどうやら知っているらしい。
反応を見るに結構すごそうだ。
「なんか海のお守りって書いてあったけど」
「海のお守り……?」
「間違い、とは、言えませんわ……」
何とも歯切れが悪いな。
半眼で眺めているとアンジェラさんがのほーんとした口調で言った。
「あらあら。大禍の魔女ノアの手鏡なんてすごいのねぇ。
確か~、海を荒ぶらせた魔女として海浜で凌遅刑にされて海に投げ込まれたノアが愛用していた手鏡だったかしら~。何でも三里先までノアの絶叫が聞こえたとか〜。
投げ込んだ瞬間、荒ぶっていた海が静まったそうよ~。本当に魔女だったのかしらね~」
「…………」
おじさんが無言で綺麗なハンカチで優しく包んでそーっとテーブルの上に置いた。今はいいけですけど船に乗るときはちゃんと持つんだぞおじさん。
しかしちょっと心配になった。本当にお守りとして機能するのだろうか。
フィリアがぼそっと呟いた。
「海は鎮まりましたけどそれは単にノアの強すぎる怨みの念に海神さえも逃げただけで、残されていた手鏡が呪物となって結局国を滅ぼしたらしいですけれど」
「あはは、確かに海難からは身を守れそうですね。海難だけな気がしますけどねー」
聞かなかったことにしておいた。
おじさん、大事にしてくれ。呪われそうなので。
ていうかあの赤い……絵の具じゃないな。うん。おじさんもわかっているだろう。視線をやろうとしない。
あの細々とした模様は今思えば文字だろう。
あんなぎっしり何を書いているかなど勿論知りたくもない。
洒落にならないアイテムであった。
怖いのでおじさんに預けとこう。窓から見える外は真っ暗でもうそろそろ寝る時間だが……。
全員でこれから暫くこの手鏡と過ごす事となるおじさんを見詰める。明日、部屋から出てこれるだろうかこの人。
「ぎぃー」
起きたらしいリレイディアがまるで別れを惜しむかのようにおじさんに向かって鳴いた。
天気明朗なれど波高し。一度言ってみたかった。
見渡す海は生臭く塩っ辛い感じだ。白いモヤが掛かっているのは気温が低いせいだろう。
ポッケから猫のヒゲを取り出し、カチカチと操作して天気予報を眺める。
「うーむ」
ところにより雨、強風注意報か。心配である。今のところ天気が崩れそうな様子はないが……。
海底の地形により深度の変わる海は翠と青の入り混じった色合いだ。その海面に白い筋は少ない。波も穏やからしい。
港に停泊している船は近くによって見上げれば中々に大きい。
「おー」
底の鉄部分にフジツボ発見。年寄りだな。
たったかと海の近くに走り寄って覗き込む。ヒトデがいた。
あの星形、何となく生意気だ。石を投げ込んでやった。ぽちゃんとマヌケな音と共に石は沈んでいった。
身じろぎすらしない奴は私が石を投げ込んだことにさえ気付いた様子はない。いや、どことなく私を小馬鹿にした様子な気がする。
ごくろうさん、こちとら水の中やで、お前のような貧相なガキがそんな小石を投げ込んだところでわいに届くもんかいな、ほんまアホとちゃうか自分、しょうもな。
そんな声がどこからとも無く聞こえてきた気がする。
「ムギィイィィイィ!!」
腹立ってきた。
もっと大きな石を投げ込んでやろうとしたところで声がかかった。
「クーヤちゃん。
そろそろ準備しなくちゃですよー」
「む」
仕方がない。
奴との決着はお預けである。
ウルトについて向かった先、少々騒ぎが起きているようだ。
「どうしたのさ」
「あはは、カミナギリヤさんが面白いんですよ」
「え?」
騒ぎの中心には確かに。大きな女性が居るようだった。
「泳げる」
「船に近寄ろうともしないではありませんの」
「怖くないぞ」
「先ほどからプルプルしていらっしゃるようですけど」
「カミナギリヤ様、ご無理をなさらず……」
「キャメロット、私は海など怖くない」
懐かしい顔ぶれもいる。カミナギリヤさんの里の神霊族の皆さんである。
キャメロットさんは相変わらず元気そうだ。
「キャメロットさーん」
声を掛けてみた。
「お久しゅうございます。
あの時はお世話になりました」
キャメロットさんは丁寧だな。新鮮である。
「カミナギリヤさん、海がイヤなんですか?」
「クーヤ殿、そんなことはない。あんなものただの塩水だ。
不気味で巨大な恐ろしい塩水の呪われた池だ。怖くないぞ」
怖いらしい。
意外である。
「怖くなどないが私は船には乗れん。
ベッドの下があるからな。重いのだ。クーヤ殿、すまんがウルトディアスを貸してくれ」
「え?
いいですけど」
「えー、嫌ですよクーヤちゃん。僕も疲れましたし。それに船って初めてなんです。
僕も乗りたいです。あと面白いですから」
ひでぇ。
カミナギリヤさんが絶望と言わんばかりのお顔である。
「重いから船に乗れませんの?」
「そうだ」
「それなら、重いのをどうにかすれば船には乗れますの?」
「いや、それは」
「やっぱり怖いんじゃありませんの」
「怖くないぞ。怖くないとも」
フィリアはふむと思案顔の後、いい笑顔でおっしゃった。
「いい考えがありますわ!」
その後、港にカミナギリヤさんの悲鳴が響いた。
「これで問題ありませんわね」
いい仕事をした、そう言わんばかりのフィリアがふーと汗を拭った。
その格好は普通の格好である。そう、ごく普通の格好。丈の長い縦セーターにミニスカなのはフィリアだからだろう。
カミナギリヤさんはその辺の柱にしがみついてブルブルしている。
めっちゃ赤い顔で。
「フィリア!
この服はもう少し布面積が増えんのか!?」
「まっ!ちゃんと布ではありませんの」
フィリアの服を着せられるという羞恥プレイを食らっているカミナギリヤさんは一刻もはやく姿を隠したいらしいが隠れるには船の客室ぐらいしかない。
船に上がることも出来ず、かと言って開き直るには恥ずかしすぎる。結果としてその辺の柱にしがみついているらしい。
「その服は風の大精霊の加護を持っていますわ。
ですから、着用者を常に僅かに浮かせておりますの。やろうと思えば水の上だって歩けますわ。
それさえ着ていればあの船にもちゃんと乗れますわよ。サイズも可変ですから問題ありませんでしょう?」
「ぬ、ぐ」
泣きっ面に蜂って奴だな。散々怖くないぞと言っていたせいで引くに引けないと見た。
ま、これで神霊族の皆さんも問題ないというわけだ。というか怖がっているのカミナギリヤさんだけだな。
他の里の皆さんはきゃっきゃとむしろ楽しみにしているらしい。里の長の威光が地に落ちてしまわないか心配である。
「おい、そろそろ出発だってよ。
さっさと来いや」
「みんな~、船の上は気持ちいいわよ~?」
「ぎぃー」
一足先に船に乗り込んでいる二人と一匹の声に答える。
「今いくわーい!」
全く、完全にバカンス気分かあの二人と一匹。なんだよあのゴージャスな果物付きジュースは。私にも寄越せ。
フィリアとウルトが悲鳴をあげるカミナギリヤさんをずるずると引きずり、その後をおじさんがおずおずと付いて行く。その手にはパンプキンハートと共にしっかり厳重に手鏡が入っていると思われる鞄を抱えている。
不安だ。
まあいい。私も行くか。一歩踏みだそうとして、後ろから声がかかった。
「クーヤさん」
「お」
メガネタッグである。
花人さんも見送りに来てくれたらしい。イースさんの傍から離れないながら切なそうにおじさんの方向を見つめている。複雑な乙女心って奴だろう。
「あの廃材置き場はちゃんと封印を施し、祠も立てておきました。
次に来るときにはきっと立派な社になっていると思います。楽しみにしててくださいね」
「ああ。小生としても中々によく出来たと思う。
不用意に近づくもの全てを呪いかねんおぞましい土地になったが」
それはダメじゃないだろうか。いいけど。
「もう行くのかね?」
「うむ!」
「ふふ、また直ぐ会えると思います。
これを渡しておきますね」
「お?」
綾音さんが何かくれた。
ふむ、白くて小さい。
「骨じゃね?」
「はい」
「ギャーッ!!」
「すみません、気味が悪いかもしれないですけど……。
私の友人の遺骨です。クーヤさんに持ってて貰いたいんです」
えぇ……。いや、骨なのはいいがしかしこれは綾音さんにとってかなり大事なものではないだろうか。
いいのか?
「小生からも渡しておこう。
ほんの一部だが。小生にとっては一番付き合いの長い患者になる」
イースさんも何やらくれた。
こっちは分厚いが書類らしい。表紙には、うーむ。
変な文字だ。イーシュアリーアツェアリアリード、と書いてある。
これってイースさんの名前じゃないのか?
ぺらっと一枚捲った。速攻閉じた。
写真だけで見ちゃいけないレベルであった。
正直受けとりたくねぇ。
「地獄にでも保管しておきたまえ」
意外な申し出である。いや、持ち歩きたくないのでそういう意味では助かるが。
「え?分解されますけど」
「それで構わん、……クーヤ君」
「はい、クーヤさん」
「ふーん」
まぁ、そう言うのなら。
ひょいと地面に輪っかを設置しぽいぽいと投げ込んでおいた。
二人が頷くのを見届けてわっかを回収、背を向けて歩き出す。
「遅いですわよ!」
「いいじゃん別に」
細かい聖女である。
振り返って見送りに来てくれた皆さんにブンブンと手をふって叫んだ。
「それでは皆さん、また来ますわーい!」
朝日を背にした逆光の中、綾音さんとイースさんの目がやけに赤く光って見えた。
そして既に声など届く距離ではないが、二人の声は奇妙なほどに私の耳に届いたのである。
「それではマスター、冥き深淵の狭間でまた会いましょう。私の名はイーラ=スピカ。貴女がそう付けてくれた。
私は貴女について行く。私を救ってくれた、貴女に」
「魂とは、心とは、救済とはなにか。その答えを小生は求め続ける。
小生はアワリティア=アルゴルだ。よりにもよってメデューサの首とは。未来と過去の区別は付いているのかね?
……主よ、また会おう」