荒野の三人組5
早朝。
コツ、コツ。控えめにドアを叩く音で目が覚める。
むくりとペラペラの布団から出た。はて、窓を見ても外は夜明け前のようで紫がかった色合いをしている。こんな時間に誰だろうか。
「クーヤ、わたくしだけれど」
マリーさんだった。
となれば大急ぎでドアを開けねばならん。意外であるがマリーさんは吸血鬼なのに朝型のようだった。
うーん、マーベラスで不思議なお人である。
ブラドさんは多分寝ているだろう。昨夜は女性を連れてのご帰還であったしな。
野暮なので声は掛けなかった。ただし汚い物を見る目で見させていただいた。
クロノア君は全く姿を見ていない。というかあの人は寝るのだろうか。
謎である。
ブラドさんは分かりやすいが後の二人は不思議ちゃんだ。
「昨夜は大丈夫だったかしら? ここには未だ前の住人が何人か居て暴れているの」
「………」
さらっとすごい事をおっしゃった。前の住人が何人かってつまりはそういう事だろう。
幸い何も無かったが……。恐ろしい……恐ろしい部屋だ。
振り返ってじーっと部屋を見つめる。おばけが居るのだ、この部屋に。
まだ薄暗い部屋、何も無いように感じられるが……マリーさんはもしや霊感少女でもあるのだろうか。謎が更に深まる。
「……あら? クーヤ、貴女何かしたの?」
私の横合いからにょきりと部屋を覗き込んだマリーさんが不思議そうに首を傾げた。
何かって何だろう。何かやったっけ。
強いて言えば地獄トイレを作ってみた。
何かと言えば何かだ。
「住人が居なくなっているわね。自我も強くて暫く居座ると思っていたのだけど」
「居なくなってるんですか?」
それは良かった。安心して住めるというものだ。
「ええ。これなら大丈夫そうね。何処に行ったのかしら。戻ってこなければいいのだけど」
……中々に不安な事をおっしゃる人である。
戻ってきたらイヤだな。そのまま旅に行っていただきたい。
「まぁ……外に出たのなら直ぐに自我も消えて他の死者と混ざるでしょう」
「……他の死者?」
まさかそんなに居るのか。なんとなく幽霊は嫌いなのだが。仕事を増やされている感がある。
思わず口にした私の問いにマリーさんは不思議そうな顔で首を傾げている。
うむ、お人形さんみたいで愛らしいぞ。
「……居るものでしょう? 貴女はとても不思議な子ね」
むしろ居るのが当たり前の様な口調で返された。
不思議ちゃんに不思議扱いされてしまった。
そこまで考えてふと閃く。死者、つまり幽霊。幽霊とは即ち魂である。
魂を拾えと言われたが私は今のところそんなものを一切観測していない、だがマリーさんはそこら中に居るような空気を出している。もしや私にはそういったものが見えないのか?
ただでさえ高い業務難易度が益々爆上げしてしまった。ちょっと詰んでないか? 世界中に散っている見えないものを拾い集めろは鬼畜難易度が過ぎる。これも商品で見えるような道具を作らねばならんのか……?
「死者なんて普通に居るものなんです?
身体が死んだ後の状態ですよね?」
思いながらも一応聞いておく。そう、マリーさんは吸血鬼なのだ。ブラドさんもクロノア君も人ではない。どう考えてもここはおもしろファンタズィー世界である。可能性として死者というか、幽霊がそういう生き物である可能性もある。この世界では肉体的な死は生命としての終わりを意味しない、即ち私が回収しなくてはならないらしい状態の魂ではないという可能性だ。
……どちらにしても見えていない疑惑は残るが。
「……クーヤ、出会った時から思っていたけれど、貴女どこから来たの? 異界人なのかしら。魔水晶もそこから持ってきたの?」
「異界人?」
「偶にね。異界からの流れ者が居るのよ。次元の隙間に飲み込まれたのでしょうね。
科学の発展した世界だとか宇宙を彷徨う船だとか滅亡しかけた世界だとか、この世界とは全く違う世界よ」
近い。
悪魔の世界からきました。その設定でいこう。
それなら色々聞きやすいしな。
「それならその異界人かもしれません。来たのは昨日ですけど」
そう答えるとマリーさんは呆れた様なお顔。おお、なんとファビュラスな。
「……随分馴染んでいるわね。普通なら錯乱して暴れるなりするのだけど」
そりゃそうだ。
「何にも無いところから来たので。逆に楽しいといいますか」
性格の悪い悪魔が一匹居ただけであった。
離れられて結構なことである。
「……そう。まあいいわ。死者の話だったわね。クーヤ、貴女はきっと普通に死ぬ事が出来る世界から来たのでしょうね。羨ましいわ。
この世界は本当の意味での死が無いのよ。遥か昔にはあったのだけど。今は無いの。
レガノアに認められた者は死の御使いに導かれ天界に行ける。逆に言えばそれ以外の者は死ぬ事が出来ない。
この地が呪われているのはここで人が死にすぎたから。今でもここには死者の魂が消滅できないまま彷徨っているの。
神が居ない土地、というのはそれが理由よ。
ここに居る者たちはあまりにも世界や神を恨み過ぎる。神や天使などの御使いがここに来れば霊体ごと消滅しかねない。
自我と呼べる物はもう無いでしょうけど、あまりにも数が多すぎて既に一個の巨大な死霊と化しているもの。
肉体は滅ぶわ。老化もあるし寿命もある。滅多にないけれど病。そして怪我、そう言ったもので容易く滅び去る。
でも魂は消えない。何処にも行けず、彷徨うだけ。肉体という明確な自分の境界がないから長い時間を掛ければ薄れて消えてしまう。この土地ではないのであればなんらかの生命として再び産まれる可能性もあるでしょう。
でも、生命なきこの土地ではただ消えるのを待つしかないの。
肉体が滅んだ後にレガノアの加護無き生物が辿る道はいくつかあるけれど……。
そうね……今の時代、例え肉体的な死を迎えたとしても術で魂の結晶化を行えば何時までも保つし、その状態で教団に持っていけば金銭と引き換えに生き返る事も出来るわ。
自我や精神強度、素養によってはレイスやゴーストといった霊的生命体として昇華を果たし肉体が滅んだ後でも生を続ける個体も存在する。正規の不死魔法ではないから滅多にないけれど。
けれど、レガノアによって選ばれない限り本当の死は得られないの。どんな道行きであろうと最後は擦り切れて消えてしまうだけ。
異界人が言うにはここは魂の墓場だそうよ。一度この世界に生まれてしまったら何処にも行けないから。
……天界に導かれる事が出来た魂はどこか此処とは違う所へ行けたのかしら」
最後は独り言の様に呟くとマリーさんは黙ってしまった。
「………」
なんとなしの問いかけであったが、全くもって嫌な話が返ってきた。まさか死というものが選ばれし特権のような扱いになっているとは。
この世界は生に満ち溢れ、その重さで歪みきっている。少し気持ちが悪くなった。
しかしちょいと気になるな。
私のスキル、ウロボロスの輪ってこの世界ではどうなのだろう。神とて死ぬとアスタレルは言っていたし今まさにマリーさんも神が消滅するとおっしゃったが。
私の魂が輪廻から外れて不滅ってどういう状況なのだろう。一瞬見ただけではあるものの、思い返しても暗黒魔天様にはとてもじゃないが人で言うところの魂とかあるようには思えないのだが。
神とは……魂とは……死とは……。
駄目だ哲学さに頭から湯気が出てきそうだ。私にもちゃんとした魂があるのだろうか? 急に不安になってきた。なにせ地獄が商品として取り扱われていたのだ。魂が持つ世界こそが神域というものらしいのに何故か私の方が先であり高額商品として本で買わされたのである。普通最初から無料で持ってるべきだろ。意味がわからん。
あのカタログの転生、実はこちらをお買い上げ頂いたあなたに魂プレゼントとかではないだろうな。
いやだがしかし、今の私はこうして肉体らしきものを持って活動しているのだ。
魂らしきものとてあるのだろう。多分。前世だってあったのだし。それになんかうっすらとアスタレルがレガノアはまともな神じゃないし暗黒神様も同じみたいなよくわからんことを言っていたような気がするし。暗黒神とかいう職務をやらされる魂はその辺りが変にされるんだろう。
第二の可能性としてもしかしたらウロボロスの輪が影響しているのかもしれないというのもある。このスキルで神としての能力が喪失されているとも言ってたし。どちらも有り得る話であろう。
ふーむ、私は転生を果たしてこの身体に入っている。このスキルが無ければ実は輪廻に行けちゃう存在なのだろうか。この世界の住人は行けないのに。それともこの世界に来た時点でこの世界の住人達と同じく魂だけになるのか。生命が残った世界はここだけみたいな事を言っていた。あの商品で転生したらどうなるんだろう。うーん……?
まぁどちらにせよこのスキルがあるので確かめる事は出来ない。その辺りを考えればいい事である。どう考えても死にやすい身体だし。
輪廻に行くなら良かっただろうが魂だけになるだと大変だ。弱すぎる私が覚醒してゴースト的な存在になれるとはとても思えない。
この世界の現状が思っていたより良くなさそうなのは確かだ。最終目標はこのスキルのリセットを伴う転生だったのだが……この世界がこの状態のままの間は役に立つだろう。
というかこの世界をどうにかしてまともな状態にしてもこのスキルがある限り私はどう足掻いても死ねないのか。
やっぱり転生すべきだな。その為にもレガノアの天下は奪わせてもらう。
私の順風満帆な未来の為、奴にはぎゃふんと言ってもらうのだ。
そうなると……ここに居たという住人。昨夜のトイレ事件を思い出す。
もしや地獄に吸い取ってしまったのはそいつらだったのか?
どうにもマリーさんは死者という言葉をゴーストやらレイスやらの意味合いではおっしゃっていないようだし。多分死を受け入れて形も崩れて精神も自我も擦り切れつつある、周囲に負のエネルギーを撒き散らすだけとなった完全に生を終えた状態の魂だったのだろう。
ん……ならまあいいか。
天国にも行けないようだったし、緩やかな消滅より俄然いいだろう。
地獄に行って輪廻へと巡れたのならば次はいい人生を歩んでいただきたいものだ。
蜻蛉とかだったらご愁傷さまだが。それにしても魂の結晶化、か。
生き返ったりなんだり、なんというか変な違和感があるのだが。
まぁそんなのは道徳や価値観の問題だろうという気持ちもあるのだが。
どうにも他人事のような心地ながらもちょっと気になるような……? 私の前世的なものだろうか。いやなんかそう考えると今のお前は悪魔的暗黒価値観でーすどんどんぱふぱふーとやられている気がしてきた。私はこんな人でなしではなかった筈だ。イノチダイジ。
「それで……クーヤ、わたくし達は普段はどうすればいいのかしら?
貴女、何かすることがあるの?」
「む」
言われて思い至る。一日引っ付いてなきゃ護衛は出来ないのだ。引き篭もるつもりだったが……それなら予定変更だな。
引き篭もるのは夜だけにしよう。流石に1日中この家に引き止めるのも悪い気がする。
魔んじゅうを報酬として支払っているがあれは金にならなさそうだ。マリーさん達もお金を稼がねばならないだろう。
瘴気を溜める速度が半分になる気がしないでもないが……まあいいだろう。
アスタレルが見せた瘴気を思えば、気体っぽかったし部屋を締め切っていれば夜だけでも少しずつ溜められそうだ。
それにマリーさんの話を聞く限り、この土地に居るのはかなり安全だ。アスタレルの言葉は正しかったというわけだ。
むしろ気をつけるのは生者、昨日みたいなゴロツキだろう。
あとは勇者か。天使と神が来れないというのだ。レガノアの邪魔というのも多分勇者を使ったものになる筈だ。
とくれば昼はマリーさん達が私にくっつくよりマリーさん達に私がくっつくでいいだろう。
「私は特にすることが無いのです。ちょっと危ないことに巻き込まれたので護衛が欲しかったのです。
なのでマリーさん達は自由にしてください。引っ付いていきます」
「そう? それなら助かるわ。ギルドに顔も出しておきたいし、わたくしの研究も捗るわ」
お昼ごろに迎えに来るわ、言い残してマリーさんは去っていった。
ギルド、ギルドか。面白そうだ。ちょっと楽しみだった。
何かご飯でも買ってこようかな。外に出るなら誰かに付いて来て貰った方がいいだろう。
マリーさんは何か研究したいことがあるといっていた。ブラドさん……無いな。
昨夜の女性と致していたら困る。クロノア君にしよう。部屋は全員分聞いているし。
よし、まだ夜明け前であるし、もう暫くしたらリュックを背負って出かける準備をしよう。
ベッドに腰掛ける。少し考えてから部屋を見回した。トイレ事件の顛末もわかり、どうにも私は魂が見えない確定してしまったようなので。
「……………………」
いや、でもステータスを見るのにアスタレルが目を凝らせばいいってもんじゃないと言っていたな。魂へ焦点をずらすと。つまり私には見えている筈なのだ。すっと目を細めて、終わった魂が漂う次元に焦点をずらすように─────。
「ぐえー」
声出た。地獄トイレでこの部屋は吸い込んでしまったからだろう、特になにもないが窓の外にこちらの認知を埋め尽くす情報群がみちみちと転がっているのを一瞬認識したが、それを拾い上げる前に圧倒的な圧迫感が私の首を謎に締め上げて全ては霧散した。何故。これはマンガでよくある情報量が溢れてキャパオーバーとかいうヤツか? なんかうっかりこの荒野に流れ着いて呪われて死んでしまったらしい小動物や植物やら微生物やらの魂まで認識した気がする。そりゃあお前達も持ってて当たり前だな、うむ。
わからんが、気合を入れれば魂でも認識出来そうだが妙な問題があるのだけは認識した。回収対象全部認識すると爆発するので賢い私の脳が拒否っているのだろう。きっと。
首を擦っていると外が先程よりも明るくなっているのに気づく。まぁ程々の時間だろう。リュックを背負って勢いよく立ち上がった。
そしてやってきたクロノア君の部屋のドアを叩く。準備はばっちりだ。
本の生活セットで新たにお金を作って懐もホカホカである。実に便利なものだ。
朝ごはんの物色には具合のいいお腹具合。
別にお腹は減らないが気分的にそうなのだ。扉に手を掛け突撃クロノア君の朝ご飯。
ガチャリ。
ぼーっとしたクロノア君が顔を出してきた。
今日は因果応報シャツのようだ。寝ていた様子はない。
やっぱり寝ないんじゃないかこの人。遠慮して時間潰しとかしなくてよかったか。
「…………」
何も言って来ないのでこっちから用件を切り出すとしよう。
「朝ごはんください」
じゃなかった。乞食か。
「違った。朝ごはんを買いに行くのでちょっと付き合ってください」
まあまあだろう。
クロノア君はぼーっとしたままのそのそと部屋から出てきた。
どうやら了承されたようだ。よくわからん人である。
適当に店をぶらぶらし、朝ごはんを調達した。
クロノア君にもチーズと肉とトマトとレタスとかが挟まったゴージャスででっけぇベーグルを買っておいた。
お付き合いしてくれたのでお礼だ。
二人でもそもそと食べて満足したし、今から帰れば丁度お昼前だ。家に帰る事にしよう。
家の前まで来るとブラドさんも起きてきていたらしい。外で昨夜の女性と話し込んでいる。
蔑みの目で見てから通りすぎようとしたら女性に声を掛けられた。
「あなた、見ない顔ね? クロノアも連れているし、三人の知り合いかしら? 冒険者にしては幼すぎるわね……?」
「どうも。昨日からここに住んでます。三人には護衛を依頼したのです。ブラドさんは要らないのでしっぽりどうぞ」
「……何を言っているのかねこのおチビは。私が要らないなどと。この世界でも稀に見る良い男の魅力が分からんとは。それだからおチビなのだ」
関係ないんじゃないだろうか。私がチビなのは……なんでだろう。
もっとむっちりばいんばいんでも良かった筈なのに。
よく考えたら神様だから成長しないって事は一生この体型か。
酷すぎる。
八つ当たりに吠えた。
「うるさーい! マリーさんにイケメン度で負けている癖に! ブラドさんなんか変態に目を付けられてしまえー!」
思うところがあったらしい。
青い顔でケツを押さえた。……何故ケツを押さえるのだろう?
まあなんだかわからんがとにかくダメージが与えられたようなので良しとしよう。そんなこんなで騒いでいたらマリーさんが出てきた。
優雅にしゃなりしゃなりと歩いてくる姿はイケメンオーラが溢れ出ている。
美少女なのに何故だろうか。ミステリーかつグッドルッキングヴァンパイアであらせられる。
「三人とも、丁度いいわ。ギルドに行きましょうか。……ブラド、貴方またシャーリーを連れ込んだの?
ここは部外者の宿泊は禁止よ? コールに追い出されても知らなくてよ」
「私程の美男子ともなれば女性の方がほっとかなくてね。困ったものだよ」
こりゃ駄目だ。
シャーリーさんとやらを腕にしがみ付かせたブラドさんには反省する様子もない。
こうなっては一度大家さんに追い出されるべきだろう。帰ってきたら大家に告げ口しとこ。
「ふふ……マリー達はこれからギルドかしら? 私も行くわ。今日はブラドを離したくないの」
着いて来るのか。
私はいいけどマリーさんはどうだろう。
クロノア君はどっちでも気にしないだろう。
「別に構わないわ。依頼をこなすのにブラドは要らないもの」
私と同意見のようだった。深いわかりみである。
ブラドさんがいじけていたが別にいいだろう。言われたくなければちゃんとすればいいだけなのだ。
三人プラス四人で女性も付いて五人の大所帯でギルドに向かった。