異次元鏡の像
「おりゃー!!」
ごろごろと診療台の上を転がる。
薄いが清潔なシーツと硬い枕がこれはこれでイイ感じだ。くんかくんかと鼻を鳴らすと病院独特の匂いが胸いっぱいに広がる。
「あ!クーヤさんダメですよ!
折角たたんだんですから!」
綾音さんが猛抗議してきた。むぅ、仕方がない。ごろごろ転がって診療台から落っこちる。そして動かない。
「ああぁぁ……シーツが滅茶苦茶に……」
「残念ですな」
「もう……」
綾音さんは諦めたらしく、ひょいと私を抱えて診療台に下ろし、シワになったシーツで包んできた。
それだけならいいが、風呂敷のごとくきゅっと絞って結ばれた。
巾着にされてしまったようだ。もごもごと蠢くが、固い結び目は解けそうもない。
「ノーン!!」
「そのまま大人しくしてください」
ぐぬぬ。邪魔をして遊んでいた以上文句も言えない。ここは大人しくしておくべきだろう。
忘れられないといいのだが。綾音さんが荷物を纏める音を聞きながら動かないで居ると、何やら小動物のような、巨大な蜘蛛のようなものが私を登りだした。
間違いなくリレイディアである。ぎぃーと聞こえてきた。きっと誇らしげに私の上に陣取っているのだろう。
クソッ!私まで乗り物にされてしまった。
巾着にされた私にはリレイディアをどかす事は出来ない。精々の抵抗に身体を揺らすとそれがむしろ面白かったらしく、ギィギィとご機嫌な歌が聞こえてきた。
おのれー!
「綾音、準備は出来たかね?」
「あ、はい。そうですね。この辺りはもう終わりました」
「ではそろそろ引き上げるとしよう。
あの窪地は天使や神にとって少々目立つ。囮にはいいが、ここは場所が近すぎる。早々に離れた方がいいだろう」
イースさんが来たらしい。
救出を求める意を込めてもごもごと蠢くが巾着の結び目を軽く引っ張られただけで終わった。
「はい。それにしても……どうやって移動しましょう?船も出ていませんし……カミナギリヤさんもここからの移動は難しいとおっしゃっていました」
「ああ、妖精王の魔力は海とすこぶる相性が悪い。塩とは植物を枯らすものだからな。触媒もなく神の監視下にある西大陸の方から海を越えるのは厳しいだろう。
あの二人……カグラとアンジェラだったか。あの二人が持っていた道具も使えんな。神の工芸品のようだったが。アレでは二人が限度だ」
「うーん……。となると……やはりこれでしょうか?
私こういうのって苦手で……」
「それしかないだろう。小生にとっても得意とは言えんのだが」
がさがさと何か音が聞こえてくる。
何かしているらしい。何であろうか。何かこう……削ったり叩いたりしているようだ。時折、がぱっと硬いものが割れる音も聞こえてくる。
何だ、何をしている。気になるぞ。激しく蠢いてみるが、上に登ったままのリレイディアがぎぃーとご機嫌な声を上げただけで終わった。
ぐぬぬ。
「この記述はいらないのではないかね」
「え?でもうこうしないとノイズが消えないような……イースさん、形がとても変です」
カンカンコン。
「……小生にも苦手なものぐらいある」
「難しいですね……」
ガリガリガリ。
「いっその事ここを全て削ってはどうだね」
「そこを消しちゃったら座標が……!」
「これが座標かね?どういう思考でこうなるのか小生には見当も付かんのだが」
コツコツコツコツ。
「イースさん、それは何ですか」
「亜空間湾曲の計算式だが」
「精神汚染末期の同期が壁に書いていた宇宙からの指令にそっくりです」
ボコッ。
「む、元来持っていた能力ではないからな……」
「クーヤさんにお願いしたほうがいいような……」
「我々にそれが出来るとでも思うのかね」
カリコリ、カリコリ。
「……」
「……」
「ぐぅー……」
「ぎぃー……」
スヤァ。
シーツの中は居心地がよく、トンテントンテンと聞こえてくる静かな音。
上に登ったリレイディアが重くも無く、軽くもなくまさに小動物の重さで乗っている。
少し考えれば分かる事である。そんな状況、寝るに決まっているというのだ。ムニャムニャ。
そのように心地よーくスヤスヤタイムを満喫していたのだがその至福は結構な音によって唐突に破られた。
「うわっ!」
鼻ちょうちんが弾けた。
「あれ?クーヤちゃん起きたんですねー」
「ンな縛られ上げられながらよく眠れんな」
どうやら移動中らしい。巾着たる私は棒に引っ掛けられて運ばれているようだ。
どういうことなの……。幾ら何でも野武士ばりの荷物扱いは酷いと思うのだが。せめて抱えて頂きたい。
「出せーっ!」
暴れた。誰が大人しく運ばれるものか。
「起きた途端にうるせぇな」
この声はカグラか。私を運んでいるのはコヤツか?
カグラの癖に生意気な。益々荒ぶってやった。
「ファック!暴れるんじゃねぇよ!」
「おりゃーっ!!」
聞く耳なんかありゃしない。
今の私は馬の耳に念仏、猫に小判で豚に真珠。妖怪きかん坊であるからして暴れに暴れた。暴れすぎて落ちた。
「ギャブーッ!」
解けた結び目からこぼれ落ちた私はそのままボッターンと墜落したのである。
自慢のイカ腹がなければ即死であった。危ない危ない。
顔を上げればどうやら外らしい。診療所は見当たらない。解体でもしたのだろう。綾音さんとウルトあたりだろう。広場の隅の方に規則正しくブロックが積まれている。
むくりと身を起こしてぶるんぶるんと頭を振り立てて土塊を落とす。
全く、この稚い幼体をもっとソフトに、エレガントに扱ってくれたまえ。
「クーヤ殿、大丈夫か?」
「はーい」
カミナギリヤさんがひょいと首根っこ摘まんで起こしてくれた。
ンン、結構結構。
にしてもさっきの音は何だったのだろうか。結構な音量だったのだが。
キョロキョロと周りを見回して気付く。
一、二、三、四、五、そして六。変だ。花人さんである。
「ふえてる」
「……ポッ」
手で覆った頬を赤らめてもじもじと恥ずかしげにしている。むむ?
「花人の繁殖とはあのようなものなのだな。驚いたぞ」
「小生も初めて見たが……魔族とは皆こうかね?信じがたい」
繁殖……。どうやら一人増えたのは気のせいではないようだ。あの音は繁殖した音か?
とてもじゃないがそうは思えないが。
「あんな恥ずかしいところを見られてしまって……イース様、私達……もうお嫁に行けません……!」
「嫁かね?
問題はないだろう。雌雄のない君達にそのような文化はないだろう。
そもそも先ほどの繁殖を見たところ見た目は女性体だが本質的には男性体としての部分が大きい。
嫁というものがそもそも適切ではないと小生は考える」
「イース様は……お嫁さんよりそちらの方がよろしいですか……?
私達は、婿の方が相応しい、と……!?」
何やら興奮した様子で花人さん達はイースさんに詰め寄っている。
血走った目がちょっぴり怖い。
「何故、小生に振るのかね?」
「あれが恥ずかしいのかよ……。どう見ても寄せ」
「オルァ!!」
「ぐふっ!!」
花人さんのボディブローが重い音と共にカグラの腹に沈んだ。
崩れ落ちたカグラは余程その一撃が決まったのか、ピクリとも動かない。
「あらあら、カグラちゃん、大丈夫かしら~?」
「救急処置が必要かね?」
「……ッ!……ッ!」
返事も出来ないらしい。うっすらと首筋に脂汗が浮いている。鳩尾に決まったのかも知れない。尊い犠牲であった。ナムナム。
「あはは、じゃあ行きましょうかー」
「そうだな」
お、どうやら出発するらしい。しかし寝る前にイースさんと綾音さんが言っていたが……どうやってあの雪の街に帰るのだろう。
船も出ていないと聞いた気がする。診療所の患者さんたちも居るのだ。しかも彼らはリハビリに励んでいる真っ最中、殆ど動けない人も大勢いる。
こうなると竜形態のウルトも無理であろう。
そういえば何か作っているような音がしていたな。それだろうか?
疑問符を浮かべながら待っていると、綾音さんがゴソゴソと何やら取り出してきた。
何だこりゃ。何とも、こう……前衛的なデザインである。一言で言ってしまえば不気味過ぎる物体だった。
「では行きます!」
「ぶっつけ本番と言っていたが。大丈夫なのか?」
「理論上は問題ない筈だ。綾音と小生の理論にはその表現において大幅な相違がある故に少々手こずったが」
「へぇー。僕にはこういう魔道具ってよくわからないですけど。
なんか変に見えますけど大丈夫ですか?
どうやって作るんですかこれ?」
「それについては答え兼ねる。小生達にもどうやってとは言い難いものだ。
使えるが説明は出来ない、そういう能力だ」
「本当はもっと上手く作れる筈なんですが……。
書き込んだ術式もきっと慣れた人から見れば酷いものでしょうし……。けど、使える筈です」
「大丈夫なのかよ……」
「まぁまぁ……すごいのねぇ」
「私には滅茶苦茶な術式にしか見えんな。そも、術式にすら見えん。本当に転移道具なのか?
どうやって使うのだこれは」
「あ、それはですね。まずは@の波形からノイズを取り除いてですね、三角定規の音を見ながら色を調整して、焼き目が付いたら波形を返して虹色になるまで1280番目の鉛筆色に――――」
「綾音、君のその理論では彼らに理解は出来んだろう。
これを使う際には亜空間収束理論を元に、空間、時間を含めた座標の情報、時空間歪曲の計算式に対し湿度と気温と魔力係数から誤差を修正した情報をこの道具の内部に設置している転核に精神交換を――――」
「いや、もういい。聞いた私が悪かった」
カミナギリヤさんが疲れたように手を振って早々に話を切った。うむ、貴女は正しい。私でもそうしただろう。
二人共どことなく残念そうである。
転移用の道具とか実に有用そうだがこの二人にしか使えなさそうである。勿体ねぇ……。
それにしてもどうやって作ったのだろう?
何かこう、そういう能力でも持っているのだろうか。あとちょっとセンスが怪しい。見ていると呪われそうな形状だ。
このデザインはどっちがやったのだろう。気になるぞ。
仕切り直すかのように綾音さんはコホンと一つ咳払いし、高々とその不気味道具を掲げた。
「では、戻りましょう!……上手くいかなかったらごめんなさい」
「北大陸か。小生もここを出るのは初めてだな。移動後、身体の一部が無くなった場合には言いたまえ。保証は出来んができるだけ尽力しよう」
「ぎぃー」
さらっと不安になることを申した二人にストップを掛ける間も無く、顔を引き攣らせた皆さんと共に視界は闇に飲まれた。
帰る先はスノウホワイト丘陵にある街。フィリアとおじさんとパンプキンハートもきっと首を長くして待っているに違いない。
早く帰るべきだろう。何せ既に一泊している。怒っていないといいのだが。
まあ、その前に何より五体満足で無事に帰りつくことを祈っておいた方がいいだろうが。




