銃口に口付けを
与えられたのはただただ痛みだった。
動けはしないが音は聞こえる。辺りから聞こえてくるのは人間の笑い声と音。
わかっている。自分がこれからどうなるのかなど。恐怖のあまりに発狂しそうだった。動けない動けない動けない。
ほんの少しでもいい。動いてほしかった。そうすれば、何が何でも自分の命を断てる。
初めは指先から。次は足先。徐々に壊されていく身体。
そこから先はまさに地獄だった。解放さえ許されぬ生き地獄。自分はきっと前世か何かでとんでもない罪を犯したに違いがなかった。
胎の中にありとあらゆるものが入れられる。骨を折られ爪を剥がされ釘を打たれ少しずつ輪切りにされる指。足の感覚は既にない。ただ熱かった。
心底興奮した人間の愉悦の声が歪んで反響しくわんくわんと頭を揺らす。
胸部への圧迫感の後、ベギンと音がしてからというもの僅かな呼吸さえも魂に響くかのような苦痛へと変わった。
そして何より耐え難いのは、石だった。
自らの体内で育ちつつある石。骨をへし折り、肉を押しつぶし、神経をこそぎ落とすその存在。
自分という存在が石に喰われていく。少しずつ、少しずつ石で一杯になっていく自分――――。
誰に届く事もない悲鳴をあらん限りに叫びながら、只管に願うだけだった。死を。強く強く、死だけを願った。
目の前が何度も何度も白くなる。がんがんと脳内を音が鳴り響く。やがて世界は極彩色に彩られはじめ、全ての音と感覚は少しずつ遠くなっていく。
そしてぶつっと何かが千切れると共に何もかもが消えてなくなった。
ただ、静かな闇だけが残っていた。
ああ、漸く解放されたのだと。
顔を撫ぜる柔らかな感触に心底から安堵した。
救いの神様が来てくれたのだ。
感覚がないからこそ、わかる。
自分が今、どれほど大いなる存在に包み込まれようとしているか。
ずっと待っていた。
神様、私をもう独りぼっちにしないでください。
幾百、幾千にも及ぼうかという蛇の大群が独特の威嚇音が重なり合う異様な音を立てて集い、形を成す。
むくりと身を起こしたその塊に二つの赤き邪眼が煌々と輝く。
あれは…………左右で微妙に色が違う。すぐに気づいた。緋石とオリハルコンだ。それが眼となって輝いている。
「うわっ!」
見上げているとその塊からぼたぼたと蛇が大量に降ってきた。そこらじゅうがしゃーしゃーと鳴き声をあげる蛇だらけである。
降ってくる蛇、そのうちの一匹が見事に頭にジャストフィットしてちょんまげみたいになった。
「……………………」
これはこれでオシャレな気もした。だが気のせいだろう。
ぺっと捨てた。
焦げた部屋を蛇がところ狭しと這い回る。エウロピアが悲鳴を上げた。
「きゃあぁぁあぁああ!!蛇!蛇蛇!あっち行って!あっち行きなさいよ!!
気持ち悪いわね!あっちへお行き!行けってんだよリレイディアァ!!何してやがる早く下になりなさい!!」
「うっ、かふっ……!!」
強制的に跪かされたリレイディアの背中を踏みつけ、エウロピアは迫る蛇達から必死に逃れようと足掻く。
リレイディアの砕かれた四肢はまともにエウロピアを支えきれる筈も無く頽れ、ぞわぞわとあっという間に蛇に集られ尽くし、その全身はほとんど蛇に埋まってしまった。
そうなれば背中を踏みつけるエウロピアも必然的に地に這う蛇に集られるのは自明の理である。
悲鳴を上げて這い登ってくる蛇を腕で払い、足を踏み鳴らして蹴散らそうとしているがこの数の蛇から逃れられる筈も無い。
というか蛇を払おうと足でリレイディアの身体でダンダンと勢いよく踏みつけまくっているがその度にくぐもった声と上げつつリレイディアが蛇に埋まっていっている。
足場を低くしてどうすんだ。頭の悪い奴である。
「お」
暢気に見ていたら蛇がこっちにも来た。
足ににょろーんと絡まってくる蛇の顔を見やればつぶらな赤い眼を瞬きさせ、ちょろちょろと二股の舌を動かしている。
引っつかんで顔の正面に持ってきて眺める。ふむ、プリティである。
プリティなのでぱくりと咥えてみた。
「……………………」
満足したので離してやる。怯えるように逃げていった。残念な事である。
逃げていく蛇を視線で追えば――――いつのまにやら。蛇達の中心に立つ一人の女性。
長い髪の毛は蛇の鱗のように艶やか、というか蛇だな。
翠の鱗が照り照りと光っている。真っ白な肌に赤い眼。その豊満な身体を大蛇がぐるりと巻きついている。全裸である。大蛇君、もっと頑張れ。
あられも無いところが見えそうだ。
真っ赤な唇の両端をつつっと上げ、私に向かって優雅に内側に片膝を折って姿勢を僅かに落としてみせた。舞踊を思わせるしなやかな動作。
「主様、あちきをお呼びくださりましげにかんしゃ、かんしゃ。
あちきはメロウダリアと申しますほど、すえ、ながーくおみしりおきを。
のちのち、きっちんとご挨拶させていただきますよって。それにしても主様のかわいらしーこと、小さくてふくふく、ほんにかわいらし。ぜひぜひ口に食んでみたいこと」
「お、おー」
思わず仰け反った。予想外である。
なんというのか、砂糖菓子にメープルぶっ掛けて粉砂糖振りかけたような甘ったるい声。
かゆくなってきた。ババババっと顔中を掻き毟っておく。
ウサギ悪魔が口髭を手で撫でつけながら微妙そうな口調で言った。
「メロウダリア。
猫を被るにも程がありますな。お嬢様に良い顔をしようという心は私としても理解が及ばぬではないですが。
普段の君を知る悪魔からすれば耐え難い悪寒を覚えずにはいられませんぞ。それは狐の真似かね?」
「あんら、ウサギさんはあちきに喰われたいとみえる。
猫を被るだなんて、あちきは猫が嫌いでありんす」
「猫らしく蛇が好きのようですからな。
掻き毟られた鱗は平気ですかな?」
「ほ、ほ。ご冗談が過ぎるよって、…………ウサギ石にされたいのか」
「ひいっ!?」
ルイスに飛びついた。何だ今の声!?
低い、そう低い。まるで男の声のように。
「あんら。主様、おどろかせてしまってごめんなすって。
わすれてくりゃさんせ、ほ、ほ」
「お嬢様、あまり近づかれぬ方がよろしい。
元になった花人共がそうなのですからな。この蛇にも性別は無いもので。
両方ついてますぞ。それも蛇らしく二つほど。とって喰われますぞ」
「……………………」
ルイスに力いっぱいしがみついた。
何それ怖い。
まさかのオカマ悪魔であった。いや、両方ついているという事は厳密にはオカマとは違うのだろうが。
「あはは、凄い悪魔ですねー」
恐るべきオカマを前にしてもウルトは相変わらず暢気である。
「そんなのどーでもいいけどさー。
何とかしてよこの蛇。あたし蛇苦手なのよ!」
「まぁまぁ、主様は変わった生き物を供にされていらっしゃります。
トカゲに虫でござんしょ」
「誰が虫よ!トカゲはトカゲだけど!」
「ええ?酷くないですか!?それ本心ですよね!?」
暢気な奴らである。
綾音さんとイースさんは油断なくエウロピアを見つめている。
うーむ、何より注意すべきリレイディアは他ならぬエウロピアのせいで瀕死である。
このまま押し切れるか?
…………いや、何か悪寒がする。何か居る。エウロピアではない。
それに、オリハルコンだ。どこに保存している?
何か武具を作っていてもおかしくない、カミナギリヤさんはそう言っていた。
あちらで助けたのは五人、手遅れだったものの三人。
イースさんの言葉通りなら二十数名居た筈。相当量のオリハルコンがあった筈だ。
それは、どうした。
そもそも、ここにエウロピア一人というのも解せぬ話だ。
使い物にならない人間達。
エウロピアは先ほどから人形しか使わない。
リレイディアが使う魔法はレガノアの魔法とは違った。
だとすれば、花人さん達を無理やりに肉体に留め続けた魔法を使った奴はどこに居る?
思うのと、カミナギリヤさんが悲鳴を上げるのはほぼ同時だった。
甲高い音と共に火花が散った。
「ぎっ…………!!」
撃ち落されたカミナギリヤさんが蛇の上にぼてっと墜落した。
腹を押さえた手の平から血が零れる。
「重い…………っ!カミナギリヤさん!」
綾音さんがカミナギリヤさんに慌てたように駆け寄る。
床に蠢いていた蛇達が光に薙ぎ払われた。
奥の部屋から現れたのは一人の男だった。欠伸を噛み殺し、寝癖だらけの頭をぼりばりと掻きつつ歩み寄ってくる。
この場にそぐわぬ明らかに寝起きな男である。
「あれ?外れちまった。弾かれたかぁ?
エウロピアちゃーん、なぁにしちゃってんの?」
蛇から解放されたエウロピアはリレイディアを足蹴にしてその人間へと走り寄った。
「遅いわ!!これだから人間は…………!!」
「わりぃわりぃ、昨夜はちょっとお気に入りの子と楽しんだからさぁ。
俺ってば寝不足なんだわ。つーかエウロピアちゃん、老けたねぇ~」
「五月蝿いわね!!ぶっ殺すわよ!?」
「出来ない事は軽々しく口にするもんじゃないっしょ」
そう、肩を竦めて笑った男。チャラチャラとした如何にも軽い見た目だが…………バーミリオンと同じ気配。
勇者。
その手には何から何まで赤い奇妙な武器。
髪を掻きあげ、怒りに歪んだ顔でこちらを見た。
「んで?花人達を殺しまくってくれちゃったの君達は?
殺すなんてひでぇ事しやがるな。
何してくれてんだよ。まだまだ楽しめたってのに…………ふざけやがって。殺すぞ?」
「吼えますこと。主様、あちきにお任せあれ」
「う?うん。
大丈夫なの?」
「この身に燻る炎、それをやつばら、とくとあじわっていただきまひょ」
メロウダリアはそっと、その瞳を閉じた。何かを想う様に。
すぅと息をつき、再び両の眼を開く。
赫々たる石化の邪眼でメロウダリアは目の前の二人を見つめた。
「さぁさぁ、とくとごろうじろ、あちきの邪眼を覗き込むお人はみぃんな凍てつきたもうて石花と成り果て、浮世の終わりを見届けることにおなり申す。
世に二つとない神代の石像。あちきの初めの供物としてまずはそれを主様に捧げましょうぞ。ほ、ほ。
花人の魂があちきを動かす。赤き魂の嘆きと苦痛、渇望を黄泉比良坂辿りたる松明とし、きさんらすべからく地獄へと誘うべし」
「はん、やれるもんならやってみやがれよ。
花人の替わりにてめぇら、少しは俺を楽しませてくれや」
ウルトとカミナギリヤさんは手傷を負っている。
どうする…………?
とりあえず本を開いては見たものの、やはり治療に関してはこれといった効果が無い。
つ、使えない…………。いや、暗黒神だししょうがないけども。
ふと、ルイスが顔を上げた。
「おや、少々楽観視しすぎましたな。
戻ってくるのが思ったよりも早い。しかしここまで追跡できるとは。魔力の質を覚え、どこまでも追ってくる。
猟犬ですな。今後の為にここで刈り取るがいいでしょうな」
「え?」
「お嬢様、こちらへ」
ひょいと摘み上げられて部屋の隅に投げられた。
直後に降り注ぐは光の弾幕。ルイスが絵画を盾にそれを凌ぐ。
舞い降りるは氷雪の化身。
「…………先ほどはしてやられたが。
今度はあのような手は通用せん。
武人としてではなく、レガノア様に付き従う神として、貴様らの命、貰い受ける…………!」
「…………シルフィード」
「あーらら、シルフィードちゃんじゃねぇの。
どうよ、俺と一夜」
「口を噤め。私も余力は無い。この依代では力は半分も出せんぞ」
「お堅いこって。俺と忘れられない熱い夜を過ごそうぜー?」
「ふざけるな。私にそのような悪趣味は無い、私をそのような下衆びた眼で見るな。穢らわしいわ」
イースさんががっしと全身を蛇に噛まれたままピクリとも動かないリレイディアの頭を鷲掴みながら、無表情に呟いた。
「クーヤ君。君が要だ。自覚はないだろうが今、この場を支配しているのは君だ。
ここは君の領域だよ。君が死ねば我々も抗う事すら出来ず死ぬだろう。乱戦になるが何とか生き延びたまえ」
頭部に頭部穿孔器具のようなものを刺されたリレイディアが立ち上がる。その手に現れる白の竪琴。
其々が武器を携える。
ちょっと待って、言う間なんてありゃしない。
光と共に建物が倒壊した。




