荊姫とくるみ割り人形4
「クーヤちゃん、赤い花と緑の花、貰った時に嬉しいのはどっちですか?」
「緑だー!」
「はーい」
ウルトは迷う事無く突き当たりのT字路を緑の光が見える方へと曲がった。
…………さっきから適当すぎやしないか!?
聞き方も方角を聞くですらねぇよ!
枝は大雑把な方角しか分からないし建物の中だと正確な位置を把握するのは確かに困難なのだが。
だからって運任せすぎるだろう。大丈夫なのか?
「微かだが…………生き物の気配がする。近いな」
「マジで!?」
あの適当さでまさかのビンゴか!
よし、よく分からんがこのまま――――。
「!!」
「…………なっ!?何だ貴様、らぁ!?」
鉢合わせた男の顔面にカミナギリヤさんの鉄拳がめり込んだ。
「……………………」
人間が拳で空を飛ぶのを初めて見た。
吹っ飛んでいった男は遥か先の壁にめり込んだまま動かない。
生きてんのかアレ。いや、名前が見えるので生きてはいるのだろう。虫の息もいいとこだが。
「いかん、手加減を忘れた」
「別にいいんじゃないですか?
たいした事じゃないですよ」
「それもそうだな」
「行くぞー!」
ちょっとどうかと思ったが良く考えれば碌でもない男なのは確かなので別にいいだろう。
ぶっとばした男を通り過ぎて廊下を進んだ突き当たり。目の前にはかなり頑強そうな扉が一つ。
うむ、怪しいな。
「生臭いなー。この奥に生き物が居ますよ。多分花人じゃないですか?」
「の、ようだな。これはまた堅牢な結界だ」
結界か。生き物が居るというわりに道理で私の眼に何も見えないわけである。
どうでもいいが最近、この眼が役に立つってあんまりないな。スリーサイズなんて知ってもしょうがないのだが。
うぬぬ、何か他の特技のようなものを編み出すべきであろう。
「ん?」
ふと、遠くから微かな音が耳に届いた。爆発音というか。
…………間違いなく、ルイス達だろう。ここには人形は居ない。全て向こうへ行ったのだろう。
急がねば。
「開けるぞ。二人とも下がっていろ」
「はーい」
「おー」
振り上げられた拳が扉に打ち付けられる。ゴボンと大きく鉄に円形の窪みが出来上がった。
再び振り上げられた拳。鉄と鉄がぶつかるような重い音が響く。衝撃で地面が微かに揺れるのが伝わってくる。
「フンッ!」
カミナギリヤさんの何度目かの殴打で鉄扉はひしゃげ、穴だらけになりついにひん曲がって外れた。
開けるぞって物理的すぎるんじゃなかろうか。もうちょっとこう、あるだろ。いや、いいですけども。
結界も衝撃で壊れてしまったらしい。私の眼にいくつかの名前が映る。
種族、魔族、クラスは花人。よし、大当たりである。
「失礼しまーす…………」
そーっと覗き込む、明かりは無い。
「……………………」
くぐもった声と共に怯えた眼差しが一斉にこちらを向いた。
「生き残りは五人か。
奥に寝かされている三人は…………手遅れだな」
一人一人、独房の中心のベッドに括り付けられるかの様に捕らえられている女性が五人。
猿轡や執拗なまでの拘束は自殺防止だろう。涙は枯れ果てたのか。汚れた顔には只只、恐怖と絶望、解放への渇望が映っている。
奥の三人は…………見た目には眠っているかのように見えた。だが……美しいのは顔だけ、その身体は既に原型など残っていない。
「直ぐに解放しよう。
時間が惜しい」
「そうですねー。奥の三人はどうします?」
「一撃で首を落としてやるがせめてもの情けだろう」
一歩、踏み出したカミナギリヤさんが怯える彼女達に言い聞かせるかのように高らかに声を張り上げた。
「花人よ!我らはイースと共にこの地に来た!
…………直ぐに助ける!」
その言葉に、花人さん達は目の前に居る私達がまるで幻か何かのように、俄かに信じがたいと言わんばかりに暫く呆然としていたが。
やがてその瞳から透明の雫が零れ落ち、冷たい地面に幾つも幾つも小さな染みを作った。
「よいしょー!」
ぐいぐいと鉄棒を引っ張る。うん、私じゃ駄目だな。ウルトとカミナギリヤさんにお任せするとしよう。別に手を抜いているわけではない。
飴細工か何かのように牢を引き千切る二人が化け物過ぎるだけである。
ふむ、少し考えてから奥の三人に走り寄った。
近くで見れば…………やはり助けられそうも無い。手を伸ばし、その美しいままの顔を撫ぜた。体温も感じられるし、柔らかい。やはり眠っているようにしか見えなかった。体の方に視線を移し顔を顰めた。
血に塗れて分かりにくいが……肉に埋もれて光を反射し輝く石が僅かに見えた。
これがオリハルコンか。
地面を眺めれば、周囲に描かれた白い魔法陣がある。
これが彼女達の命を無駄に永らえさせているのだろう。どう考えてもとうに死んでいなくてはおかしい身体だ。
この魔法陣のおかげで彼女達は死ぬ事が無い。だからこそ人間達に遠慮や手加減など無かったのだろう。
恐らくこれを消せば彼女達を解放出来る筈だ。
手で消せるのか?
まぁとりあえずやってみるか。消そうとしゃがみこんだ時だった。ポシェットが視界に入った。
…………本で何とか出来るだろうか?
イースさんは治療には向いていないと言っていたが…………助けられそうならそちらの方がいいだろう。
ペラペラと本を捲る。
治療、治療と…………無いな。加護と干渉か?
ページを捲っていると、どこからともなくヒヤリとした空気。微かに風が吹いた。
何やら視線を感じ、顔を上げる。
勿論、御伽話の姫のように眠り続ける三人が居るだけだ。
気のせいだろうか?
首を傾げてみてもやはり視線を向けてくるような人は居ない。
「…………?」
まぁ、いいか。
再び本に視線を戻そうとして―――耳元に、声。
「神様、どうかお願いです。力をください」
「ひゃっほう!」
飛び上がった。
大慌てで振り返る。
花人さん達の様子を見るカミナギリヤさんと拘束具を毟り取るウルトが居るだけである。
幻聴にしては嫌にはっきりとした声だったが。
ふーむ、どっかでこんな感じの声を聞いたな。どこだったか。
脳裏に過ぎったのはウサギだった。
ふむ?
…………そういえば、ルイスが言っていたな。
二つ名は地に伏す女、宝石の眼、彼方から睨む者。
目の前に横たわる三人を見やる。
いっそ穏やかとさえ言える寝顔。
もう一度その顔に手を這わせる。暖かく、柔らかい。
彼女達に残った物はもう魂しかない。肉体は完膚なきまでに壊され尽くし、精神もとっくに壊れている。見れば分かる。
残されたその魂を以ってそれを願うというのならば、叶えてやるべきだろう。
ぱたんと本を閉じ、白の魔方陣を手でさっさと掃えば、それは呆気なく壊れた。
地獄の穴を床に置き、漸く苦痛しか生み出さない肉体から解放された彼女達の魂を取り込む。
身体は……うーん、ちょっと無理だな。
仕方が無い。個人的にはご遠慮したいのだが…………ええい、ままよ。
思い切って肉の塊に腕を突っ込んだ。
うわぁ、生暖かい。非常に嫌である。しかし我慢だ。
ぶちぶちと繊維を引き千切り、何とか石を引っ張り出した。
残りの二人も取り出しておく。そして回収したオリハルコンを地獄へ。
よし、これでいい。
「行くぞー!」
「あ、もういいんですか?」
「お前達、不便を押し付けてすまないが我らに余裕は無い。
この絵画に入って貰う。何。直ぐに出してやる」
広げたキャンバスは未だ真っ白だ。
怯えた様子の花人さん達だったが、ニヒルに片頬を上げて笑ったカミナギリヤさんに意を決したのか小さく頷き返した。
「イース様も、こちらにいらっしゃるのですか……?」
「ああ。お前達を助けに来ている」
「………………っ!」
その言葉に、堪えていたものが決壊したのかどうなのか。
その瞳から滂沱の如く涙が次から次へと溢れ出てくる。
「…………すみ、ません。すみません……!すみませんすみません…………!ヒック、あり、がとうございまふ……っ!
もう、駄目だと思ってました……!このままここで石になるのだと、皆のように、地獄の苦しみを味わった末に、壊れるんだと、うぐ、ひっ……!」
「あはは、大丈夫ですよ、美しいお嬢さん達。美しい貴女達に涙は似合わないですから。
僕がお守りいたしますよ」
「わー、超外してるわー」
「え?何でですかクーヤちゃん!?」
ウルトはいつでも残念な奴だな。
そこは黙って肩を抱くとかそんなのだろ。マリーさんならナチュラルにそうするぞ。間違いなくハンカチまで差し出すだろう。ペドラゴンの三枚目め。
差し出したキャンバスに花人さん達はヒックヒックとしゃくり上げながらも、その指を伸ばした。
ひゅるんと吸い込まれる身体。三人の遺体も同じくキャンバスへと。全てが終わった後、彼女達の手によって弔って貰うのが一番いいだろう。
掲げて見ると、真っ白だったキャンバスには絵が入っている。光差す森の中で穏やかに微笑む女性が五人。天使のような風情で女性が三人、五人を祝福するかのように描かれている。特殊な染料らしく、その瞳だけがキラキラと光を反射し輝いていた。
伝説に名高い石化の魔眼を持つ怪物、メデューサの瞳の如く。
おー……。
「クーヤ殿、その大きさは流石に動きが鈍る。これに入れるがいい」
「お」
カミナギリヤさんが差し出したのは悪魔の芸術品、ベッドの下だった。
持ち歩いているらしい。
まぁ確かにでかいし、二人は大事な戦力だし、かといって私が持っていて壊れたら大変だ。
この絵画はちっとやそっとじゃ壊れないとは思うが。
絵画をベッドの下に押し付けると、ぱっとその姿が消え、水晶の中にカミナギリヤさんの里の引越し道具と一緒に絵画が映り込んでいる。
収納完了したらしい。便利な道具である。
「うむ、じゃあルイス達のところに――――だわぁ!!」
凄まじい揺れに立っていられず思わず尻餅をついた。
未だ余韻に揺れる建物。ミシミシと壁が軋みを上げた。
慌てて三人で部屋を飛び出し、外の様子を伺う。
再びどこか遠くから破壊音が響いた。
二階よりはマシな作りというだけの廊下をぽつぽつと照らすランプがちかちかと明滅する。
ぱらぱらと天井から塵が降ってきている。多分崩れはしないだろうが……。
いや、ルイスと綾音さんが本気で暴れたらちょっと怪しいな。
「戦いは既に始まっている。直ぐに向かおう」
「あーあ、酷い巣帰りだなー」
「では行くぞー!」
ポシェットから出した本と枝をいつでも使えるように抱えなおして走り出す。
地獄の腕輪を眺める。ゆらゆらと黒い炎が揺れて踊る。
神の人形姫エウロピア、そしてここに居る人間達。
首を洗って待っているがいいともさ。
地獄で彼女達が待っているのだから。彼女達は望んでいるのだ。同胞の為、誇りの為、自らの手で奴らを地獄に叩き込んでやりたい、と。