荊姫とくるみ割り人形2
見上げるは真白の砦。窓一つない建物、その内部を窺う術は無い。
どうにも結界が張ってあるらしい。透視能力なる力を持っている綾音さんも見えないようだ。便利そうである。くれ。
内心で無いものねだりしつつ隣に立つウサギに尋ねる。
「ねーねー、ルイスは瞬間移動みたいなの使えないの?」
「お嬢様、世の理を捻じ曲げるが悪魔の本質でございます。
空間変質など悪魔にとっては造作も無い事。
このルイス、この程度の結界を抜けるに何ら問題はありませんな。…………ですが、悪魔の魔法は特異なもの。この地の神族に探知はされましょう。
今回の目的を思えばここは原始的且つアナログな方法がよろしいでしょうな。神族以外に何が居るかもわからぬこの状況、それを思えばこちらの存在を最初の一手で知らせるは愚策。
先んじて場所も分からぬ、何人生き残っているかも分からぬ花人共を人質に取られては厄介。
一所に纏め置かれているとも限りませんからな。情報を集め、先に花人共を残らず解放し、先ずは後顧の憂いを断つのが望ましいでしょう」
「ちえっ!」
楽が出来ると思ったのに。残念な事である。
「その通りだ。誰に知られる事も無く迅速に。花人を解放しこの地の神族、その首を掻き取るのが望ましい。小生の患者の為、依代を少し解体させて貰おう。
……この辺りでよかろう」
狂気の高さを誇る塀もこのメンツに掛かれば障害にもならないらしい。
皆さんトントンと壁を蹴るように軽い調子で登っていく。むむ、負けてられない。私より縮んでいるウサギ悪魔にしがみつく。
「よし、しゅっぱーつ!」
ひとっとびで頂点まで登り詰めたルイスは嘆息と共に呻いた。
「お嬢様、随分と肥え太りましたな。物質界の食物が珍しいのは分かりますが少しは慎んだ方がよろしい」
「ムギィィィイィ!!」
けしからん事を抜かしたウサギ悪魔のウサ耳をまとめて引っつかんでぎゅーっと引っ張ってやった。
痛いですぞ、などと言っているがY字型の鼻をひくひくとならしてどうでもよさそうに目を閉じているツラを見ればあからさまに何も感じていない。クソッ!!
「緊張とは無縁のようだな。
結構な事だ。必要以上の精神の強張りは反応速度の低下と体力の低下、集中力の散漫、判断能力の鈍化を招く。
では、行くとしよう」
壁上から砦の全容を手早く確認したイースさんが静かに降りたつ。
それに続くように飛び降りた先。目の前に倉庫のような建物。その壁に張り付くかのようにして隠れる。…………誰も居ないな。というか誰も居ない場所を選んだのか。
ぴょこっと顔を出す。
「うーむ」
やはり例の人形達が巡回している。
本丸とでも言うべき如何にもな建物。建設中だがかなり大きい。
ささっと壁から壁へと移動しながら辺りを見回す。やはり近づくほどに警備は厳しくなるようだ。内部などどれ程のものか。
「あちらから入るとするか」
「おー」
倉庫が立ち並ぶ向かい側、建物内部へと続く小さな入り口。無論、その扉の前には人形が一人。
付近にはぐるぐると同じルートを延々と巡回し続ける人形達。イースさんはタイミングでも計るかの様に人形達の動きをじっと見つめている。
一定の速度で歩き続ける人形達、頭上の建物、近くに、遠くに立つ人形。それらをじっくりと観察し、やがて考えを纏めたらしく指をコキコキしながら立ち上がる。
「先ずは扉前の人形からだな」
通路の向こう、巡回する人形が建物の影へと消える。警備の隙間、ほんの僅かな死角。
その瞬間、刹那の隙。それを逃さず風の様な速度で目の前に立っていた人形の背後を取り頭と顎を軽く押さえたイースさんの手がまるで手品のような鮮やかさで動いた。
力など殆ど込められていないと分かる軽い動作。軽いと言ってもその速度は視認できるものではないが。
パキャン、捻られた人形の頭がぐるんと逆さに回転する。そしてそのまま崩れ落ちた人形を物陰へと音も無く引きずり込んでくる。全工程で三十秒も掛かっていないだろう。
やけに手馴れていた。というか手馴れすぎである。恐ろしい程の手際の良さ。
「……………………え?医者?暗殺者の間違いじゃなくて?」
暗殺者じゃなきゃ特殊部隊である。
「そんなわけが無いだろう。小生は医者だ。
これはただの特技というだけだ」
暗殺を特技とする医者とかギャグにもなっていない。
カミナギリヤさんが薄気味悪そうに人形を見つめながら尋ねる。
「大丈夫なのか?
壊してしまっては何れ気付かれるのではないか」
「問題ない」
どすっと人形の頭にイースさんの指がねじ込まれた。側頭部付近の輪郭が歪む。
そのままぐりぐり。
「ひぃ!?」
がくがくと痙攣する人形の穴と言う穴から粘液が噴き出す。
壊れたテープのように口から意味の無い言葉の羅列が零れる。
「ラプターの自動人形と言ったか。造りは単純なものだ。量産型の為だろう。
弄るのは容易い」
「ふむ、この出来ではラプター作とは思えませんな。
型番も無いとなるとラプター本人の没後に造られた模造品かと。
いやはや、無粋な物を造る」
「へー。この人形にそんな違いなんてあるんですか?
僕が見たのとも全部一緒に見えるんですけど」
「見た目は全て同一規格でございますよ。ラプターの妄想上の少女を模した外観、これはどの型番でも変わりませんので。
違うのはその性能ですな。ラプターの精神状態によって人形の出来栄えは大きく左右されるものでして。中でもずば抜けて価値が高いのは父親に犯された後の数日間、この時期に造られた人形は悪魔の中でも特に最高傑作と呼ばれておりまして。私も感嘆したものです」
「ほほう」
しげしげと人形を眺める。贋作、という事になるのだろう。私にしてみれば十分な出来に見えるが。見た目だけならば殆ど人間と変わらない。
ぶにと頬を突いてみた。粘液がついた。ばっちぃな。その辺に突っ立っているウルトの服の裾でこっそり拭いておく。よし、綺麗になった。
「こんなものだろう。立て」
イースさんの声に応えるかのように、がくがくと痙攣しながらも人形は立ち上がった。顔付近は酷いものなのだが。大丈夫なのか?
…………いや、顔だけじゃなくて動きもやばいな。見ていると夢に出てきそうだ。
「この程度の造りの人形にまともな視覚と思考能力などあるとは思えん。命令外の動きの検知と音、互いの信号でのみ外界を認識しているのだろう。動いているのならば問題はない。
見た目は人間だが性能そのものはただの自律カメラに等しい。本人達に侵入者どうこうの判断能力は無い」
「ふむ、中々の手際でございます。
医者をさせておくには勿体無い所ですな」
「小生は元からあるものを弄くるのは得意だが1から造るのは性に合わん。
特にこういった芸術方面の物はな」
「それは残念」
「もう二、三体ほど弄る。
一体だけでは意味が無い。少し待っていろ。五分で戻る」
「はーい」
返事はしたものの、五分?
それだけで大丈夫なのだろうか。問う暇も無い。するっとイースさんは建物を伝うパイプを掴んで体重など感じさせないような動きで姿を消した。
ふむと頷く。
暗殺者じゃないな。忍者だアレ。
「凄まじいな。あのような動きをする者は初めて見る」
「そうですねー。魔法でも何でも無いですね。単純な身体能力ですよ。力の使い方と身体の動かし方が異常に上手いんですね。あれじゃあ神族の探知にも引っ掛かりようが無い。
医者って全部あんな感じなんですかねー」
「認識を改める必要があるな。医は塵術なり、医者とは即ち人体に精通し、気孔を練り、水面に波紋をも立てぬ動きにて敵を絶命せしめる静の武を極めた者の総称なのだな」
「いえ、違います」
綾音さんの突っ込みが冴え渡っていた。
コントをスルーして入り口に立つ人形を見やる。相変わらずがくがくしているが他の人形達が騒ぎ立てる様子はない。どうやら本当にまともな判断能力というものは無いらしい。
これならば時間も稼げるだろう。きちんとした生きた兵士が来ればすぐさまバレるが。どうにも生きた兵士は居ないようだ。建物の中の方には普通に居るかもしれないが、少なくとも外には人形以外は居ない。
恐らくだが外部からの敵を警戒するよりも内部からの脱走の方を気にしているのだろう。外など人形で十分という事だ。
まぁよくよく考えればギルドマスターである綾音さんも把握していないような隠れ潜んで生きながらえていた花人、おまけに西大陸といえば現在進行形で弾圧の真っ最中である。
外敵など考えても居ないのだろう。イースさんが居なければ花人達はその存在すら知られる事も無く伝説の鉱石を採取する為の道具とされ続けていた筈だ。私達のような外敵が来る事がそもそも想定外なのだろう。
地獄のわっかがふと視界に入る。
ルイスを呼び出す為に地獄の穴を設置した時には自動洗浄は使えなかった。が、だからと言って死んでいないというわけではない。
話を聞く限り、眠り状態というものは死んでいるわけではないからだ。眠ったまま、精神を破壊し尽くされその魂を消滅させるのだ。自動洗浄で魂の取り込みなど出来はしない。
…………集落に居た住人達のうち、何人がまともな人の形を保ったまま生きているのだろうか。
「戻った」
イースさんが戻ってきたのはきっかり五分後の事であった。
「守備はどうでした?」
「東側の人形を二体、建物上部の人形を一体。
視界には入らんだろうが念の為に近場の倉庫の警護をする人形を一体弄っておいた。十二、三分ほど監視の空白を作った。侵入には十分だろう。
綾音。鍵を開けておいた方がいい。鍵を開けるのに手間取っては面倒だ」
「そうですね」
綾音さんがすっと目を細める。
カチャン。
ドアノブがひとりでに捻られ、開錠を告げる小さな音が響いた。
目の前に立つウサギ悪魔のウサ耳を握りこむかのようにして掴み、しゅしゅしゅと根元から先端へ両手で交互に擦りまくった。摩擦熱で気合を溜めるのだ。毛が散った。
私の無体にもルイスは相変わらずどうでもよさそうにしている。
中々にホットになった手をすりすりとハエの如く擦り合わせて音を立てない程度に手を打ち合わせる。
うむ!
気合は十分。いざ、人間の欲望を塗り固めた白の石棺へと潜入開始である。