医は仁術也
「やだなー、やだなー。別に平気ですよ。行かなくていいですよ。医者なんか行きたくないです」
「降りるぞー!!」
小さな街を眼下にして再びぶーぶー言い出した竜のかってぇ鱗をペチペチ叩く。
何だこの三歳児!
「ウルトディアス、医者が好かんのは私も同じだが……この出血量は流石に不味い。
血止めぐらいはした方がいい」
カミナギリヤさん、貴女もかい!
「私もお医者さんって嫌いです。私は外に居たら駄目ですか?」
綾音さんもだった。
全員医者嫌いだなんて大人げないぞ!
私も嫌いだけど。
医者の上に歯がつくと益々嫌いである。私は幼児だからいいんだよ。
ぶーぶーぶーぶーと竜じゃなくて豚なんじゃないかと思わせる程にぶーぶー言いまくるウルトに血が止まらないからとか痛くないからとか言いまくって何とか降り立つ。ルイスは地獄に引っ込んでしまったので力ずくなんて出来ないのだ。いや、こんなズタボロウルトにそんな真似はしないが。
静かな街だった。初の西の国である。ヒノエさんが霧に覆われて晴れやしないと言っていた通り、白い霧が立ちこめ、湿気を含んだ重い空気がひんやりとしている。
カゲイラの街か。…………静かすぎやしないか?こんなものなんだろうか。
家はスタンダートとも言える石造一戸建てがちらほら。あちこちに木の棒が突き立てられている。なんじゃこりゃ。
カミナギリヤさんが渋い顔で私の肩を叩いた。
「ん?何ですかカミナギリヤさん」
「クーヤ殿。魂を取り込んでやって欲しい。…………魔族は死体が残らない。見た目には分からぬが酷い死臭だ。
この街でかなりの人数が殺されたのだろう」
「…………そう、ですね。建物にその跡が残っています。ここは西大陸でもかなりの辺境なのに……」
綾音さんが近くの家の壁をなぞりながら呟く。
ふんふんと鼻を鳴らすが私にはその死臭も分からない。
ちょんと地獄トイレを設置。
[自動洗浄]
摘みを捻る。
ジャガボゴジャガボゴとトイレが唸った。
エネルギー取り出し作業中
推定作業時間32時間
…………相当だ。今の魔物の数でこの時間。
そもそも地獄のこの自動洗浄機能はそれほど対象範囲が広くないと思われるのだが。
辺りを見回す。気付かなかったが……私の目には何も映らない。誰も居ない。無人の街だ。
おそらくは住人全員が。
「医者も居ないみたいですねー」
「む」
そういやそうだった。
まぁルイスもこの街がこうなっているなんて分からなかっただろうしな。仕方が無い。
こうなりゃ本で治すしかないな。というかそっちの方が俄然速い。すっかり忘れてた。
本を開こうとして、声が掛かった。
「…………そこに居るのは誰だね。
人間か?ならば生かしてはおかんが」
「…………我らは人間ではない。お前は魔族か?」
振り返る。人が居たらしい。気付かなかった。
ふーむ。
メガネを掛けた白衣の男。この格好、もしや。
「えーと、変わり者のお医者さん?」
「小生は変わり者などではないが。医者ではある。その竜かね。外傷のみなら一週間ほどで傷は塞がる。
必要なものは止血と化膿止めだ。後は放っておけばいい。来たまえ」
変わり者だな。こちらが何を言うでもなく一方的に治療を決めてしまった。いいけど。本当に竜でも診るらしい。
まじまじと眺める。真っ黒い髪の毛に金の目。青い肌が不健康そうだ。多分ビーカーでコーヒーを飲むタイプだな。そんな気がする。
背中を向けて歩き出した医者を全員で追いかける。まぁ、竜形態のウルトには欠伸が出るほど遅いのだろう。一歩ドシンと踏み出して立ち止まってハスハスと辺りを見回してから一歩踏み出してドシン。
「…………人間になった方がいいんじゃね?」
歩きにくそうだが。
「人間形態になる時に鱗が傷口に刺さって痛いんですよねー。傷の塞がりも悪いし」
「ふーん」
「あ、クーヤちゃんがイタイイタイのとんでけーしてくれたら治る気がします」
「元気そうだしいらないな」
安定のペドであった。
痛い痛いの飛んでけってツラかよ。
「お前は何故こんなところに?
見た所この街は既に無人のようだが」
「墓を作りに通っている。
遺品だけだが。多すぎてまだ埋葬しきれていない」
「…………あの、ここで何があったんですか?」
「ありふれた虐殺だが」
「……………………」
あまりにも普通すぎる口調で言われたので間があった。
「…………虐殺!?」
「驚くことかね?
今や西大陸のどこででも見れる光景だが」
呆気に取られるとはまさにこの事。
そうだろう、という話は出ていたが実際にそうだと言われると二の句がつげない。
あちこちに立つ木の棒。なんだこりゃと思っていたが…………墓か。
「小生の診療所に幾らか土地を流れてきた生き残りが居るが。
五体満足の者など居ないのでね。老いた者、幼い者は治療しても死ぬ事も多い。
そこを生き延びても大体が故郷に帰る、家族を探すと言って出て行くのだが。一週間後に遺留品を見つける場合が殆どだ。
働く甲斐が無いので人間には虐殺行為をやめて欲しいのだが」
「…………教団の者達ですか?」
「そのようだ。二年前に大聖卿が変わったというのは知っているだろう。彼は教団の中でも過激派のようだ。
着任するや否や、西大陸の流通を止め、情報遮断と海上封鎖を行いギルドを潰し、浄化と称したジェノサイドを行っている。
小生も一度見たきりだが。あれで本人は本物の善人のようだ。本物の善人だが、完全に狂っているな」
「やはりギルドは潰されていましたか……。
ただでさえ緊張状態の西大陸にあまりに強い人材は警戒されると異界人は全く上陸していませんでしたからね……」
「君はギルドの者かね。それならばギルドに伝えてもらいたいのだが。
西大陸は諦めろと伝えてくれ。均衡は崩れた。手が付けられる状態ではない」
「…………お前はどうとも思わんのか?
医者のようだが」
「小生は救った命よりも殺した命の方が圧倒的に多い。
幻覚にも不眠にも人は慣れるものだ」
「へー。名前はなんて言うんですか?見た事ないタイプの魔族ですけど」
「魔族ではない。君達で言えば異界人というものだ。医者をしていたが長命すぎる種でね。助けてと言われるよりも殺してくれと言われるほうが多かった。そういう意味ではここは新鮮だな。誰も彼もが生きようと足掻く」
「ほほー」
最近は異界人に会う事が多いな。というか少ないって聞いてたのだが。多いぞ。
綾音さんがメガネをくいくいと調整しながら医者に話しかけている。なんだか気さくな感じだ。異邦人同士、何か繋がるところがあるのかもしれないな。
メガネタッグだし。綾音さんはメガネの真ん中をちょんと摘みあげるが医者の方は手を広げて小指と親指で器用に押し上げている。こんなところに性格が現れているな。
「こんな所に居たんですね」
「小生もここに来て一年だが。
ギルドと連絡は取った事がないからな」
「一年…………じゃあ、やっぱり私が最後なんですね」
「そうとも限らないようだ。東に一人、ここから東南に向かって数キロ先にある小島に一人。
小生もそれだけしか把握はしていないが、全員ではないようだ」
「そうなんですか。そういえば、さっき同じ様な人が居ました。多分あの人もですね。あ、お名前は?」
「ああ、忘れていた。そうだな。小生の名はこの世界の住人には発音しにくいようだ。
仕方がないので省略して近い発音でイースと名乗っている」
ふーん、発音しにくい名前か。実はケッチャクラッツァアペニパニポロロッツィェアとかかもしらん。
こちらも適当に自己紹介を済ませる。
しかしちょっと気になったのだが。
「綾音さんと知り合いなんですか?」
さっきの会話はそうとしか思えないが。
「いや、初対面だ。名前だけは知っていたというだけだ」
「へー」
「…………先ほどはその本で治そうとしたのかね?」
「え? ええ、まぁ」
何で分かったんだ?この本の事を知っている?
がさがさと茂みを掻き分け進むイースさんに疑問を返す。
茂みの先、少し開けた場所に奇妙な文様が描かれている。
「やめておいた方がいい。治療に関してはその本は得意分野ではない」
「そうなんですか?…………ていうかこの本の事知ってるんですか?」
ちらりとこちらを見てくる。正確には本をだろう。
グロウのような嫌な視線ではないが。モルモットを見る目ではある。
「…………製作者は黒貌、アスタレルかね。アレは趣味が悪い。君自身は能力に制限は無いが。その本を介する以上は碌な事にはならないだろう。
妙な接合や組織の追加をされかねない」
「…………うぇ!?」
な、なんと!?
なんと言ったこの医者!!
「お前は悪魔の知り合いなのか?」
暗黒金魚と化し声も出せずにぱくぱくするだけの私の替わりにカミナギリヤさんが聞きたい事をたずねてくれた。
そう、それだ!
「知り合いという程ではない。直接会ったことはないからな。趣味の悪さは知っている。
あまり会いたくは無い。小生とは気が合わん」
言いながら地面の文様に手を当てる。
「何ですかそれ?見た事ないなー」
「転送方陣だ。交信球と理屈は同じだ。
古き魔王の遺産だな。生きているものも少なければ書き換えも出来ん。
対応する決められた場所にしか飛べるものではないが。便利ではある」
「へー。誰だろう。マリーベルさんでもないなー。見た事のない字ですよ」
…………なるほど、それでさっきは私が気付かなかったわけか。今まさに来たばかりだったのだろう。運がよかった。
方陣の上に乗った途端。ぶん、と羽虫に似た音。景色が変わる。すげー。簡易転移魔法という感じだ。断言していいが絶対に難しい技術だ。
転送された先にはこじんまりとした白い建物。あれが診療所って奴だろう。ちらほらとリハビリに励む魔族の皆さんの姿が見える。…………全員、拷問でも受けたかのような酷い有様だ。
「君は診療所には入らん。医療品を持ってくる。あまり無意味に動くな。血が吹き出る」
「ちえー」
大人しく地に丸くなったウルトはプスーと鼻を鳴らした。ん、本当にドラゴンだろうかコイツ。
でかいだけの豚か犬ではあるまいな?
「ふむ、ペットは主人に似ると言うからな。クーヤ殿に似てきたな」
「えー……そんなの嫌だー」
冗談はやめていただきたい。誰が主人か。そしてその理論で言えば目の前でぐうたらする犬豚ペドラゴンは私に似ていると言うことになる。本当にやめて頂きたい。
誰がこんな犬豚なものか。ごろんと芝生に転がった。プスーと鼻を鳴らして動かない。むむ、枕と掛け毛布が欲しい。
「そっくりですね……」
なんだか綾音さんまで言い出した。変な言いがかりはやめてくれ。ウルトに似てるのはフィリアだ。私ではない。
とりあえず、イースさんが戻ってきたら詳しく話を聞きたいものだ。悪魔と知り合いとは。只者ではあるまい。
ビローンと伸びをしつつ、イースさんが戻ってくるのを全員で待ったのであった。