スピードスター3
その男は半ば転がり込むようにしてギルドへ飛び込んできた。蹴り抜かれてご開帳という暴挙を働かれた哀れなドアは乱暴はやめてとばかりにギィギィと悲鳴を上げている。
そのまま一直線にカウンターへ突撃、鼻息荒く叫んだ。
「…………ロリコン御用達の露出癖のあるガキンチョってのはどこだぁ!?」
「へっ!?いえ、あの!?えぇっ!?」
受付を担当していたジョゼが言葉を返せぬのも無理からぬ話だ。
奇妙な二人組だった。一人は目の前で少々心配になるほどに消耗しきった人間の男。何をどうここまで来たのか。浮浪者もかくや、何年も着続けたかのごとくあちこち擦り切れたボロ布と化した服はずぶ濡れ。ボタボタと雫が落ちるに任せる姿に自分が掃除をするのだろうかと頭の隅で少しだけ思う。
サングラス越しであっても分かるその視線の鋭さは控えめに言ってもヤの付く自由業のアレである。
その後ろに穏やかな微笑を浮かべ控えているのは同じく人間の女。こちらもボロボロではあるが男の従者なのか、人間の貴族に仕える者が着るような服を身に纏い、物言わず楚々と控える姿は男と並び立つと違和感しか感じられない。
はっきり言って関わりたくない。仕事でなければ目も合わせなかっただろう。
しかも用件の内容がまた笑えない。すわロリコンか、誅滅すべきか。頭の中でぐるぐると考える。無意識にカウンターの影で武器を握ってしまった。
「だから!ガキンチョだガキンチョ!!クソッ!!あのババア、人をいい様にこき使いやがって!」
「あ、あの、そう言われてましても何の事か……」
「ああ!?」
「ひっ!」
「ぐぐ……ここもスカか……。
あのババァ…………、何が早くわたくし達の大事な仲間を連れ戻しなさいなパシリ、あのお方をお待たせするのではなくてよこのグズ、全く使えなくてよ貴方、犬の方がマシね、だ…………。
好き勝手抜かしやがって…………いつか白杭を心臓に打ち込んで灰にしてやるクソ吸血鬼が…………北大陸の何処かにいらっしゃるわ、自分で探しなさいな、じゃねぇんだよ!わかるかクソが!!」
誰かの物真似であろう部分だけ甲高い声で器用に喋っている。無駄に凝り性だ。見た目が見た目だけに甲高い女口調で喋られるなど最悪だ。
今すぐやめて欲しいと思ったのはジョゼだけではないだろう。
「あ、あの……御用がお済みでしたら申し訳ありませんが他のお客様もいらっしゃいますので…………」
暗にさっさとどっか行けと言ってみるが聞いているのか聞いていないのか相変わらず床を水浸しに汚しながら微動だにしない。
背後に控えていた女性が困ったように微笑みながら頬に手を当てながら男の後を引き継いだ。
「あらあらまぁまぁ……ごめんなさいねぇ。
私達、人を探しているの。アヴィスクーヤちゃんって言うんですって。
ご存知ないかしら?私達はマリーベルさん達のお使いで来たのよ~」
「あ……」
なんともおっとりとした口調にホッとしながら手元のカウンターに備え付けられている共有事項の束を手に取る。
その話はジョゼにも伝わっている事だった。
「お二人がマリーベルさんのお使いなのですね。
はい、確かにアヴィスクーヤさんはこちらに滞在しております。お待ちしておりました」
「………………マジか!?」
「はい。…………ですが、申し訳ありません。ただ今、当ギルドマスター代理、綾音さんもそのアヴィスクーヤさんも席を外しております。
西の大陸の情報収集の為、二、三日程留守にすると伝言が残されています。
ギルドの向かいにてギルド提供の宿がございますので、そこで暫くお過ごしください。
こちらが使用許可証になります。こちらご提示いただければご利用いただけます」
差し出したギルドの刻印が成された二枚の銀板を受け取ったのは女性の方だった。
男の方は考え込むかのように顎に手を当てて唸っている。
「まぁまぁ、感謝するわねぇ。それにしても困ったわぁ。
カグラちゃん、どうしましょう~」
「…………アンジェラ、いい加減にちゃん付けは止せ。
ったく…………。おい、そのガキンチョは西に行くって言ったのか?」
「はい。彼女は……えーと、ドラゴン様とお知り合いのようでして……彼に乗せてもらうそうです」
「…………様?あんた変わってるな。トカゲなんかを様呼ばわりか?」
男の言うことは最もである。ドラゴンと言えば誰もが騎乗用の生物を思い浮かべるものだ。確かに強靭な肉体と強力な種族特性を誇る種ではあるが、勿論言葉など解さないし、人化もしない。それが人々の認識するドラゴン種族というものである。ジョゼとてそうだった。これは至極一般的な常識である。
だからこそ、断じて一般的なドラゴンと一緒にしていい人物ではないので様をつけているがそれをここで言ってもしょうがない。
言っても信じられないだろう。誰が信じると言うのだ。こんな人里に神竜種が居るなぞ。しかも彼の神竜が幼い子供の騎乗用に甘んじている、挙句にちょっと楽しそうなどと。
「まぁ、そのー、ちょっと。色々事情がございまして……」
「あっそ。いいけどよ。ガキンチョ共が出発したのはいつだ?」
「五時間ほど前ですが…………あの、追いかけるつもりですか?」
ここには騎乗用のドラゴンなど飼っていないし、船など論外だ。生身の魔術で?まさか。
男は不適に口端をあげ、コートの裾を払った。懐に銀の煌き。ジョゼは目を見張った。珍しいものを持っているものだ。銀の銃など。
「待つのは性にあわねぇ。男なら弾丸のように曲がらず止まらず突っ走る。そうだろ?」
湿気た煙草に火を点けてコートを翻し男は背を向ける。
女性が一礼してからその後を追った。
呆然と二人を見送ってから――――――ジョゼは気付いた。床の掃除を押し付けられた、と。
相変わらず顔面にぶち当たる風。
落ちる心配は今回はいらない。
カミナギリヤさんという安定感抜群の椅子があるので。
もっちゃもっちゃと飴玉を口に放り込んで頬張る。
「ウルトディアス、今はどの辺りだ?」
竜形態だと喋りにくいのだろうか。ウルトは一つ、グルルと唸った。多分まだ四分の一ぐらいと言ったのだろう。
五時間で四分の一か。単純に考えてあと十五時間?えー……。考えただけで疲れるのだが。途中で休憩が欲しい。
「凄いです、速いです!」
綾音さんはウルトに乗った直後からずっとこんな感じで大興奮である。
ぴょんぴょんと飛び跳ねて大喜びしている。どうやってるんだ。何で落ちないんだ。謎である。
高度は既に雲の中。落ちれば勿論命は無い。どっからあんな度胸が湧いてくるのであろう。クラスの地味っ子なのに。生意気である。そこはプルプルとしつつこわいですーと言う担当だろう。なってないな。おじさんならそう言うぞ。
飴玉が無くなったのでがさがさとポシェットを漁る。あとどれぐらい残っているだろうか。ともすれば行きだけで食べきってしまいそうだ。しくじった。
ポシェットじゃなくて地獄に大量保存すべきだったか?いや、でもあの中に入れると分解されそうだしなぁ。
「む」
こんころりん、石が一つ転げ落ちていった。
手を伸ばすが届くわけもなく。ウルトの蒼い鱗に弾かれるように石は雲の中へとダイブ、空の彼方へと消えていった。
「あーあ」
残念。一個無駄にしてしまった。
「ふむ、クーヤ殿。中々やるな」
「え?」
「当たった」
「…………?」
石が消えた方向へ視線を向ける。
当たった?鳥でも居たのだろうか?
いつのまにやら取り出していたらしい神弓ハーヴェスト・クイ-ン。
放たれた光は遥か後方へ。
「クーヤさん!こちらへ!」
綾音さんも臨戦態勢である。
はて?
辺りを見回す。雲の中なので当たり前だが何も見えない。
「ウルトディアス!速度を上げろ!」
カミナギリヤさんの言葉にウルトが大きく翼を打つ。
風を切って飛ぶ。
ごうごうという音は既に耳に痛い程で最早風の音しか聞こえない。
徐々に周囲が明るくなり始める。
視界が一気に開ける。雲を抜けたのだ。
透き通る蒼穹の空。微か、大きなリングをつけた縞模様の惑星の輪郭が見える。地上からは見えなかった景色だった。
眼下に広がる真白の雲海。太陽の光が刺すほどに視界を焼く。
「キュイィイイィイイ!!」
「ギャーーーーーーッ!!!」
何か居た。どてっと尻餅ひとつ。うっかりそのままひっくり返るところである。
鳥か?鳥と言うには聊か無理があるか。
その背には女性が乗っている。かなりの数である。
「ふん!ヴァルキュリア共が!」
カミナギリヤさんが何人か撃ち落すが。直ぐに体勢を整えて舞い戻ってくる。
大してダメージがないらしい。
「ウルトディアス!振り切れ!!」
「じゃ、ちょっと本気だして飛びますねー」
それだけは人の言葉で告げると、ウルトは僅かな間、姿勢を制御するかの如くその場で羽を打ってとどまる。
周囲の雲が円形に飛散する。ゆらんと前方へほんの少しだけ雲が動いた。それがウルトの速度を上げる予備動作のせいであると気付いたのは雲が圧倒的な速度で後ろへと流れていくに至ってである。
叫ぶ。ただ叫ぶ。何を言っているか自分でも分からない。来るんじゃなかった。断固として来るんじゃなかった。頭の中はそれ一色。
ヴァルキュリアとかいう鳥達は既にその姿は見えない。数秒で振り切ってしまったらしい。
スピード狂なのかどうなのか、ウルトの方向から微かな鼻歌が聞こえた。テンションが上がってきたらしい。下げろ。今すぐ下げろ。
「あはは。なんだか楽しくなってきましたねー」
ぐるん、視界が回る。
「ギャアァァァァァア!!」
空中ローリングまでやりだしたペドラゴンはまことご機嫌な様子である。
「やめ、やめろウルトー!」
「え?そうですか?当たっちゃいますけど」
「何がだー!」
「綾音殿!出来うる限り弾くぞ!」
「はい!」
言うが早いかバキンバキンと何かがぶつかるような音と共に周囲に火花が散る。
何だ?何か飛んできている、というより何か撃たれているらしい。
振り切ったと思ったのだが、まさかさっきの鳥が追いついてきたのだろうか?
飛んできているのは、魔法、だろうか?
それにしては物理っぽいが。
「愚か者め……」
吐き捨てるかのように呟いたカミナギリヤさんが数十本の矢を一気に放つ。
が、それらは全て白い鱗に弾かれた。
本当に追いついてきおった。鳥ではない。
ウルトがのほほんとその名を呼ぶ。
「へー、まだ生きてたんですねー。あんなにボロボロにして凍らせたのに。
セロスレイドじゃないですかー」
ウルトの声に対するセロスレイドとか偉そうな名前らしい白い竜の返答は大気を震わせる咆哮だった。
あまりの声量に思わず耳を押さえる。
何を言ったのかわからん。まぁ多分くたばれこのペド野郎とかなんとか言ったんだろう。ウルトがさらりと恨まれても仕方が無い事呟いてるし。
「硬いな、やはり竜は竜か!」
「…………すみません、何か結界が張ってあります。私の力も届きません!」
…………背中に誰か乗っているな。結界とやらはそいつの仕業だろう。頭からつま先まで全身白い鎧に覆われた人物はその顔すら窺えない。
むぅ、人間だろうか?まさかどこぞの勇者か?
「よっと」
ウルトが尾を横薙ぎに白い竜へとぶつける。質量も馬鹿にならないウルトの強靭な尻尾である。かなりの衝撃の筈だが。白い竜にダメージどころかよろけるようなそぶりさえない。
「生意気だなー。
そもそも僕に追いつくってのが生意気ですよ、生意気!」
ペドラゴンはギャースカ喚くとその口から氷のブレスを吐き散らかした。
「ヤ、ヤメロー!」
向こうよりこっちの方が凍るわ!この速度でそんなもん後ろに流れるに決まってるだろ!
にしても、カミナギリヤさんの矢もウルトのブレスも通さない竜に違和感を覚える。竜は竜、その通りだ。ウルトと同じく弱体化してるんじゃないのか?
うーん。よし、目を凝らしてみる。
名 セロスレイド
種族 眷属
クラス 天竜
性別 男
Lv:800
HP 12000/12000
MP 4000/4000
「む?」
天竜?ウルトと同じかと思ったが違うらしい。
しかも結構強いぞ。近寄ってきた白い竜にウルトが再び尾を振ってぶち当てる。やはり堪えた様子はない。
「昔はそんな色じゃなかったですよね?
鞍替えしたんですか?」
「うわっ!!」
返ってきたのはやはり耳を劈く咆哮。ウルトと違って喋れないのか?
それに、やはり異常に硬い。ウルトの方が強いにもかかわらずだ。これは、見覚えがあるな。バーミリオンやグロウ、あいつらに似ている。
神の加護による補正、こいつも同じく何かしらの加護を持っているに違いない。
「ふん、その背に乗った者の眷属になったか。
種としての特性はおろか、何れその名すらも無くなるだろうに。既に言葉も失っている。
最早、竜であるのは見た目だけ。別の生き物だな」
白い竜はこちらよりも更にスピードを上げる。このままでは追い抜かれそうだ。
背に乗った鎧の塊は両手に何か、握っている。あれが先ほどの攻撃の正体だろう。
しかし前を取られるのはよろしくない気がするな。攻撃にしろ防衛にしろ、前を取られればこちらが不利だ。
それに目の前に来られればどうしてもこちらの速度が落ちるし、そうなれば後ろにいる鳥達が追いついてくる。
いや、もしかしたら鳥以外にも敵が増えているかもしれない。
ええい、なんて速さだ。ウルトもこれ以上はスピードは上げられないだろう。
本であの竜のスピード落とせないだろうか?確かそんなのがあった筈だ。
ページを捲ろうとして、ガクンと姿勢が崩れた。
「おおう!?」
必死にしがみつく。何かに支えられているような感じがある。綾音さんであろう。感謝である。絶対落ちてたぞ今の。危うく本も落とす所だ。出すのは危険かもしれない。
ポシェットにしまい込んだ。犯人は言わずもがな、現在の地面たるウルトである。一体なんだというのか。
「そうみたいですねー。氷雪王シルフィードですか。確かに今の僕らじゃ勝てないですけど。
うーん。けどまぁ、それぐらいが丁度いいかもしれないですね」
なんら速度を落とすことなく。
ウルトはその場で器用に巨躯を捻る。
景色が回る。反転した身体。
こちらを追い抜こうとしていた白い竜、その身体に恐らくは本気であろうウルトの青白く光る尾が叩き付けられた。
ガシャンと結界が壊れる音、尻尾をモロに叩き込まれる事になった白い竜があっけなく吹き飛ぶ。
その一撃、その勢いのままに一回転したウルトは何でも無いことかのように言い放った。
「だって君、弱いですから」
翼を大きく打つ。煽るような風が刹那の間、止まった。
信じられない。あれ程の速度だったというのに。
ウルトにぶつかる雲がその軌道を変える。風は遅れてやってきた。
あんな竜など物の数ではないと言わんばかり。白竜を完全に置き去りにして蒼き竜は凍て付く魔風を撒き散らしながら雲海を泳ぐ。
雲に大穴が開いた。地上から見ればさぞ見ものであっただろう。蒼い光が雲を引き裂きながら一直線に空を翔ける様は。
追いつくものなど、居よう筈も無い。