荒野の三人組2
荒野を歩き続けて二時間。途中で時計を作ってよかった。
神頼みというのも時には悪くないようだ。
遥か前方、熱砂に霞がかってはいたが人工物らしきシルエットが確かにあった。
「……どーもー」
門らしきものを潜る時は思わず声を掛けてしまった。熱砂を防ぐ為らしい高い壁に覆われた街。
明らかに、明らかに暗黒街であった。そこらじゅうに転がる浮浪者。
五体満足ではないのが多いし何より目つきがアカンわ。近寄らないほうがいいだろう。それに全体に煙るこの奇妙な霞。
妙な臭いがする。何かの薬品だろうか? 甘ったるい臭いと混ざって非常に混沌としている。
とはいってもこの身体や意識に何か変化があるわけではない。どうやら平気っぽいな、放置でいいだろう。とことこと歩き、さてどうするかと考える。
そういえばアスタレル先生が言っていたな。お金を作って護衛でも雇いなさいと。
おかね……。魔水晶を売るとか出来るだろうか。
しかしそれは少々勿体ない気もするし何よりこの街で売ったら店を出た直後行方不明後日バラバラ遺体となって発見となる気がしてならない。
別の方法で作るべきだろう。考えつ歩いていると、ピコンと思いついた。
いや、卑怯かもしれないが背に腹は変えられないのだ。おかね、おかねとブツブツ呟きながらカタログを開く。
予想通り。
カテゴリーは生活セット。人界の給料たるお金が作れそうで何よりだった。まさに不労所得。
私の給料である魔力の無駄遣いは避けたいが、貴重品であるらしい魔水晶を売るよりはマシだろう。
数枚の金貨を作成し、それをしっかと握り締めて微かにご飯のにおいのする建物へと目をつける。
なんだかガヤガヤと人も多そうだ。
よし、護衛とやらも雇えるかもしれなかった。それが出来なくとも話だけでも聞けるであろう。
カランカラン
なんか古典的な音だった。
「……お嬢ちゃん、ここじゃ酒しか出してねぇよ。帰ってママのおっぱいでも飲んでな」
ん、アスタレルよりはマシな対応だな。というかどちらかと言えば一昔前のギャング系映画っぽい台詞をリアルで聞けてちょっと感動するまである。
しかし、うむ。牛乳はいいものだ。即座に返事をする。
「じゃあ牛乳くれ。特濃だぞ」
答えてから思ったが酒しか無いと言っていた。牛乳はあるのだろうか。まぁ無いなら無いで幼児のように大暴れするが。もう口の中は特濃牛乳なのである。
情報収集がてらに周囲を眺めてみるが、あちこちから妙に視線を感じるし全体的に変な空気だ。なにやらタイミングが悪かったらしい。
左右と床と天井を眺めてみた。ボロいな。
コトリ、音に惹かれてカウンターを見れば、置かれたグラスには白い液体が並々と注いである。
あったらしい。驚きだ。どう見てもガラの悪い店なわけだがガラの悪い客がこれを飲むのだろうか。
ちょっと気になったがまあ頼んだのは事実なのでありがたく飲むとしよう。
人ごみを必死にかきわけかきわけ、カウンターに漸く辿りつく。これまた高い椅子に足をかけて両手を伸ばしひーこらとよじ登る。
まったくとんだところで小冒険だ。
グラスを落とさないように両手で包んで持ち上げうまうまと飲む。
うむ、ただの牛乳だ。そのまま出すのは気が咎めたのかプライドか、微かに甘い。この店主はスキンヘッドだというのに気が利くようだ。
砂糖か蜂蜜でも入れているのであろう。微かな苦味はブランデーか何かの酒類か。素晴らしい。これはたいへん良いものだ。
この店主にはこの私が立派な加護を与えてやろう。そう決めた。
ふむ、それにしても食べ物もちゃんと受け付けるらしい。この身体は。
つらつらとそのようなことを思いながら足をブラブラとさせて牛乳を味わっていると涼やかな声が掛けられた。
「貴女、その格好はどうかと思うのだけれど」
「む」
振り向いて、驚いた。いや、驚いたなんてもんじゃない。
美少女だった。とんでもない美少女だった。なんだか光り輝いている。
こんなガラの悪い酒場には……失礼、こんな賑やかな食堂には場違いだ。
輝く金髪をたっぷりとたくわえ、少し青白く見える肌。深いガーネットの瞳は本当に宝石のようだ。
真っ赤なゴシックロリータなドレス、西欧人形のような美しい造詣。
と言うよりも本当にそのまま人形を大きくしたようにさえ見える。
年の頃は、今の私と対して変わらないだろうか?
けちをつけるなどとんでもない、見事な金髪ロリだ。見事だ。
ゆるくウェーブがかった金髪からは時折同じ色のコウモリが飛び出しては再び髪の毛に戻っていく。
その事実を十秒程掛けて飲み込んだ。
パタパタパタと身体の回りをコウモリが飛んでいた。何故だ。というか何故髪の毛から。そして何故髪の毛へ。
「……コウモリ……」
しゃなり、と髪を掻きあげる仕草も文句無く上品だ。
貴族のお姫様のようである。なんと麗しい。ファビュラスでアメージングと言えよう。
「わたくしは吸血鬼ですもの。ご存知ない?」
「はあ……」
鈴が転がるような綺麗で弾むような声。吸血鬼、吸血鬼か。チューチューと血を吸うあれか。
……ファンタジー世界のお約束だが、いざ吸血鬼でございと目の前にすると存外に声なんて出ないものだ。グビリと牛乳を飲む。
でもまあ吸血鬼といわれれば確かにしっくり来る風貌だ。人間と言われた方が逆に怪しい。どう見ても人外だ。
「せめてこれでも穿きなさいな。そういう趣味であったなら余計なお世話かもしれないけれど。見えていてよ?」
ひょい、と摘みあげるようにフリフリの……ハンカチ?
まぁ暫定ハンカチを差し出された。
はて?
むぎゅと掴んで眺める。ハンカチかと思ったが違うようだ。広げてみた。
ゴム。フリフリ。レース。どう見てもパンツだった。
「………」
くるりと返して後ろを見る。やはりパンツだ。それも高額そうなパンツである。
ロリな美少女にパンツを貰ってしまったようだ。
見えていてよ、見え、見え……見える?
ふと、風が吹き込んできた。うむ。すーすーした空気は気持ちいいものだ。
椅子から降りて無言で隅に積み上がった木箱に隠れて穿いた。
装いも新たに美少女の下に戻る。斜め45度、美しいおじぎで心からの謝辞を述べる。
「ありがとうございました!!」
「あらそう。そういう趣味ではなくて良かったわ」
「そんな趣味は持ってません!」
忘れていただけである。実にありがたかった。
アスタレルも意地が悪い。
服について言ってくれればいいのに。けちくさい奴め。しかしゴムが痒いな。ぽりぽり。
「グラン、貴方いいものを作るのね? わたくしにも入れて頂戴」
店主に美少女が声を掛けた。多分私の牛乳をさしているのだろう。
確かにコレはいいものだ。オススメである。
「おいマリー、冗談キツイぜ。お前がこんなもん飲むのかよ」
「もちろんわたくしの犬に飲ませるに決まってるじゃない」
犬?
そういやこの少女は吸血鬼なのだ。牛乳なんて飲まないだろう。
しかしこれを犬に与えるのもどうだろう。
「は、そいつは傑作だ。鳴いて喜ぶだろうぜ」
げらげら笑って店主は奥に引っ込んでいった。
なかなか豪快な店のようだ。
「ところで貴女、種族はなんなのかしら。三眼族とも違うのね?」
三眼族? すごそうだ。
種族、神?
いや、そのまま答えると痛々しいな。そんな痛々しい事は出来ない。
しかし自分では人間に見えるものと思っていたのだが。何か違うのだろうか?
ぺたぺたと顔を触ってみる。普通に人間のようだ。
「その目は見えているのかしら? それとも心眼?」
ひらひらと美少女が私の額に手をかざしてきた。ふりふりと視界に小さな手の平が踊る。
額に何かあるのだろうか?
触ってみた。言われてみれば確かに何かあるようだ。
何だこりゃ、横線?
「あら、ちゃんと閉じるのね? 貴女面白いわ」
むむむ。
さっぱり分からない。そういえば洞窟でアスタレルにどつかれたのだった。もしやその跡がまだ残っているのだろうか。
「ふふ、よろしくてよ。
それではわたくし達はこれから出かけねばならないの。縁があったらまた会いましょう」
「あ、ハイ」
彼女の大人っぷりに比べて私の返事の貧困な事よ……。
私もいつか彼女のような洗練されたふるまいを出来るようになりたいものである。
その為にはまず服を購入すべきだろう。
奥のテーブルに座っていた全体的に黒い犬耳青年、いや、ギリギリ犬耳おっさんと頭にネジの生えた変わったツギハギ青年に声を掛け、連れ立って酒場を出て行く少女……マリーと言うらしい、を見つめながら私は服を買うことを強く決心したのだった。
「で、早速情報屋に行くのかね」
「決まってるでしょう? 情報は劣化するものよ」
犬耳を生やしたオリエンタルなアラブ系美丈夫に軽く返事を返し、マリーは情報屋のもとへ向かっていた。
「……行くだけならマリーだけでいいだろう。何故私達まで行かねばならんのだ」
「貴方が居ると交渉がスムーズで楽だもの」
それを聞いた男は苦虫を100匹は噛み潰したような顰め面になった。
「冗談はやめて頂きたいね。私は奴が嫌いだ」
「そう? お似合いよ、貴方達」
ますます渋くなる顔にマリーは声を上げて笑う。これだからブラドは面白い。からかい甲斐のある男だ。
ツギハギ青年は何も言わずにぼーっとしながら文句も言わず着いてくる。今より向かうはこの街にあって最高峰の情報屋たるルナドの元。
見てくれと性癖に多少の問題は有るが彼女の持つ情報の信憑性は確かである。
路地の一角、小さなドアを潜り声を掛ける。
「ルナド、居るかしら」
「居るに決まってるじゃない。久しぶりねマリー」
来訪を予期していただろうにそれを感じさせぬ自然な仕草で足を組んでティータイムを楽しんでいた人物がにこりとこちらへ微笑んだ。
実際、彼女はいつでも余裕を持った態度を崩さない。家屋に血だらけの住人が雪崩込んだところでそれを覆しはしない。優雅な振る舞いと豪胆さを兼ね備えた人となりはマリーをして実に気に入っていると言って差し支えない彼女の長所の一つであろう。
ブラドも多少は見習えば良いものを。
靴音を立てながら繊細な意匠のテーブルへと近づく。既に用意されていた紅茶を手に取りふぅと息を掛けた。建物の外観に似合わず内装はそれなりに金が掛かっている。偏に彼女の趣味によるものだ。
「聞きたい事があるのだけど」
「ふふ、貴女で三人目よ、マリー。例の聖都の事でしょう?」
「ええ」
「さて、どうしようかしら。この情報を扱うのはそれなりに危ない橋を渡るのよ」
「そうね。ブラドとの一日デート券でどうかしら」
「乗ったわ」
「ちょっと待ちたまえ」
横合いからの即座の突っ込みは二人に華麗に無視され会話は続く。
「さて、どこから話そうかしら」
腕を組み顎に指を当て考え込むルナド、考えを纏めているのであろう情報屋を待ちマリーは優雅に紅茶を口に運んだ。その悩みがどこまで言うか、何を言わぬかであろうと問題はない。気にする必要もない。
聞く耳も持つ気は無いらしい二人にブラドは怨嗟の声を漏らした。
全くもって、実に、冗談ではないのだ。
「マリー……、仲間を売るのは感心しないのだがね?」
「いいじゃない。お似合いよ。そろそろ年貢の納め時じゃないかしら」
「マリー、いい事言うわね」
ルナドがばっちり決まった化粧で一つウィンクした。
星が飛び散りそうないい笑顔だ。
「……私は美女は好きだがオカマとデートをする趣味はないのだが」
「失礼ね、アタシは身体は男だけど心は女よ。それにそこらの娼婦よりイイ思いをさせてあげるわよ?」
人狼ながら鳥肌が立った。
全身を掻き毟る。
「ケツを掘られたいなら運び屋にでも頼め。あのホモなら喜ぶだろう」
「ブサイクは嫌よ。……そうね、聖都の事だったわね。最初から言った方がいいわね」
「あら、お手柄ねブラド」
「伏せる意味がなかっただけだろう。私のせいにされても困るね」
―――――――聖都の中でも最大級の歴史を誇る魔術の知識の塔。聖都魔道学院、その高等部。
事はその中でも少しばかり素行の悪かった生徒五名の話である。
とは言えども、どの年代の子供にも一定割合は居るであろうというレベルの悪ではあったが。
三ヶ月後に卒業を控えた彼らはそれなりの成績を収め、将来的にも安泰と言えるであろう職にありつける事が既に決まっていた。
暇を持て余した彼らは学院から数枚の紙切を借り受けた。
オカルトと名高い魔道書の一部。カーマラーヤ紙片と呼ばれる物である。
この魔道書が有名なのは少しばかり理由がある。
古文書と言って差し支えない年季の入りっぷりだが内容は意味不明のものばかり。
昔から研究されてきた紙片であったが、出された結論は古代にあった国のおまじない書。
若しくはカルト教の呪術師、魔道師がそれらしく記したもの。
つまりは内容的に資料として全く意味の無い物。研究価値なし。
……が、この紙片に限らず、似たような内容の魔道書が時代、場所を問わずいくらか出てきている事から、何かしらの暗号、あるいは古の禁術では無いかと昔から一定層に実しやかに噂されている代物であったのだ。
好奇心、探究心、もしかしたらという期待。実際に記述通りの術を行ったらどうなるのか。
この紙片を保管する学院ならではの卒業生達の通過儀礼と言って差し支えなかった。
術を行い何が起こる事もなく、ああやっぱり噂は噂、誰かが書いた意味の無い物なのだろう、こんな物の為に何をしていたのかと仲間達と笑いあう。
そしてまた今回もそうなる筈だった。
今まで多くの人間が試してきたであろう邪法。
深夜の学院の屋上。
彼らは紙片に書かれた材料を持ち寄り、紙片に書かれた通りに魔法陣を書き上げ、そして神を呪うとされる呪文を唱える。
異変に気付いたのは五人の中で最も成績の良かった少年。
「……なぁ、変じゃないか」
僅かな違和感ではあったが彼は感じ取った。
「何がだよ?」
「いや、なんかさ……寒くないか」
「え?」
熱帯夜。寒さなど感じるはずはない。
「なぁ、おい、ちょっと」
「おいおいおいおい……」
違和感でしかなかったものは次第に確信へと変わった。
「おい、これ、続きは!? どうすんだよ!?」
「あるわけ無いだろ!! カーマラーヤ紙片だぞ!? 書いてることはこれで全部だよ!!」
半ば恐慌状態に陥った彼らは我先に屋上からの逃亡を図る。
起動した魔法陣、そこから漏れ出る魔力は全くの未知の物。
総毛だつような寒気。
尋常ではない。
「――――ひっ――――」
「…………………………」
ことりとティーカップが置かれる。
「で、翌朝五人の生徒は見事ネジネジな姿で発見されたってわけね。直ぐ身元が分かった理由は頭だけきっちり残ってたからだそうよ。
貴族の子供だったからね。事件究明って事でお偉いさんから魔道院にお達しがあって彼らが行った術の再現が行われた。
可哀想にネェ、選ばれた五人の魔道師は術を執り行う前からガタガタブルブル漏らすんじゃないかってくらい怯えてたらしいわ。
後で家族に名誉の褒章とお金が入ったから良かったのかしら」
「その後はどうしたの? それだけじゃないでしょう?」
「そうねェ。葬儀屋と魔道具屋が儲かったって喜んでたわね。
直ぐにあらゆるオカルト本関係や呪具の類、全部ご重鎮様方がお買い上げになられて魔道院から暫く死体袋がバンバンきたらしいから」
「馬鹿ね。片っ端から試したのかしら」
「でしょうねぇ。と言っても助かった人間も結構居るらしいわよ。術も発動したりしなかったりだったらしいから」
「何か法則性なんかあるのかしら?」
「そこまでは分からないわねぇ」
「カーマラーヤ紙片、ね。確か書いてあるのはヴェルドの秘術だったかしら。内容は下位悪魔を召還して相手を呪う。
肝心の制御と送還が全部抜けてるからあれを行っただけならまあ当然の結果ね。
人を呪わば穴二つ、見事に体言してる紙片よね」
くるくると金の髪で遊ぶマリーにブラドが声を掛ける。
「君が実際に試せるのならば話が早いのだがね」
「仕方ないわ。勇者に力の殆どを封印されてしまったもの。試したくても試せないわ。歯がゆいわね。ありがとルナド。
貴女はいつでもいい女だわ。血を吸ってあげたいくらいよ」
「マリーったら相変わらずアタシの心にビンビン来るわ。じゃあね。ブラド、明日が楽しみね?」
「…………失礼するよ」
マリーとクロノアと共にドアを潜り、外へ出る。
ブラドは思った。
さて、逃げるとするか。