荒野の三人組1
夜の闇の中、血を求め人を求め水を求め眠れる場所を求めながらただ歩く。
生きるのも飽いた。人の栄華を見続ける趣味も無い。
全てを照らす光は光に背いた自分達には眩し過ぎる。
見上げた空は落ちてくるかのような濃紺の空。小さな星の光が見える。
白み始めた空。還るべき安らかな夜が侵食されゆく姿に自らの未来を見た。
夜と昼が交わる。生と死の邂逅、闇はまだ明けない。
扉の先、微妙に高い場所から落下した。
なんて性格の悪い奴だ。最後の最後まで地味な嫌がらせをしてきやがった。
立ち上がって周囲を見回す。
「…………」
見渡す限りの荒野。赤い熱風が如何にも身体に悪そうな塩梅だ。
リュックを背負い直す。
空は何処までも高く澄み渡り、雲ひとつ無い。
ピ~ヒョロロロロロ~とどこぞで聞いた事のある鳥の声。
ヤバイ、なんだがドキドキするような気がするぞ。神様に心臓あるのかは知らんけど。
今すぐ走り回って駆け回りたくなってきた。果ての無い赤い土、赤い風、蒼い空。
美しいコントラストが目に痛い程だ。
さしもの私もテンションも上がるというものだ。これは上がらざるを得ない。
「……おりゃーーーーーーーーっ!!」
暗黒神の役目も忘れてぴょんと飛び上がって叫んだ。
物質界で初めて発する私の声は、空高く高く吸い込まれていった。
さて、散々走り回って満足したので、近場の具合の良い岩にケツを乗せる。
ごそごそとカタログを開いて木の枝を握った。さしあたって必要なのは歩くに必要な物、地図と靴だ。
裸足はいただけない。痛くは無いが目立つ。それは駄目だ。
「靴、靴……と」
ぱらぱらと捲れば目的のカテゴリーが姿を現した。
ふむふむ。
雨靴運動靴オシャレ靴、なんでもあるようだ。
まあとりあえずは運動靴でいいだろう。靴下セットで。ついでに地図。
魔んじゅうを頬張りつつ購入。
「ん?」
値段が妙に安い。
不思議に思い、やがて気付く。
値段の隣に青字でそっと書かれている文字列。下取り価格。
下取り……、何を下取りするのだろう。
なんか魂とかだったらヤだな。本の一番下に注意書きがあった。
さっきは無かった。不思議な本だ。
※付近の怨念を下取りいたします。
……うん、ぜんぜんいいや。どんどん持ってくがいい。
迷う事無く下取り価格で購入。お徳だ。
出てきた靴と靴下をせっせと履く。
ばんばんと地面を踏みしめて具合を確かめ、がさがさと地図を開いた。
「えーと……」
東と西の国境付近の荒野とか言ってたな。
改めてみると四大陸といっても大きさが桁違いだ。
一つだけ突出して大きいが後は小ぶりだ。
海に分断された4つの大陸。
巨大な東国と小さな西国と思われる大陸、二つが最も近づく海には沢山の群島がある。
ふむ、戦争とか言ってたし、その戦場となるのに納得の位置だ。
ここでドンパチやってたんだろうな。
呪われて神に見捨てられたと言ってたけど。
捨てる神いれば拾う神あり、私が勝手に住みついてやるのだ。
これだけ荒れ果てているのはきっと誰も神様が居なかったからだろうしな。
私が緑覆い茂るジャングルにしてやんよ。
地図に記載された名前は呪われた荒野、そのままのネーミングだな。
それ以外には何も書いていない。
役に立たないな。街とかあるのだろうか?
そういやちょっぴり治安が悪いと言っていた。
アスタレルが口にした言葉であると踏まえればかなり治安が悪い修羅の国だろう。
……大丈夫だろうか?
まぁ頑張るしかあるまいて。
リュックに本と枝をしまい、ほっと気合を入れながら立ち上がる。
手で日よけを作り、広大な大地を見渡した。
さて、どっちに行こうか?
少し考えてから、もう一度木の枝を取り出し地面にちょんと立てる。
ぱっと手を離せば、ぐらぐらと揺れていた枝はパタリと重力に負けて倒れた。
「じゃ、あっち行こーっと」
枝を回収し、倒れた先の地平線へと向かって私は歩き出した。
こんな時は神頼みに限るのだ。
ガヤガヤと騒がしい店内。充満する酒と煙草の臭い。ついでに独特の嫌な臭い。
二階は宿屋となっているが実際には娼婦の仕事場として活用される事が常態化しており、当然乍ら一階の方でも今宵搾り取るが為に客引きをすべく娼婦たちが朝から夜まで海月のようにゆるりと彷徨う。
無論、部屋は限られており彼女達の中にもそれぞれ序列というものはある。二階を使える者は縄張り争いに勝った者、上位に取り入る事に成功した者のみであり二階を使えぬ奴等がそこらへんでくんずほぐれつ、実に蹴りたいものである。
全く、いつ来ても酷い場所だ。雑の一言に尽きる。嘗てであれば近寄りもせなんだ場所であろう。
だが、仕事を請ける為には来るしか無い場所でもある。時を掛ければ存外、慣れるものだ。実際に蹴りたい、だけになったのだから驚きの進歩であろう。
さて、唯の治安の悪い酒場にしか見えぬ此処、他所を識る者であれば顎が外れるであろうともれっきとしたギルドである。
世界中探したってこんな酷いギルドは無いだろうが。
幼い少女は机をカツ、カツ、と爪先にて打ちながら店内に入ってくる者達を検分する。
ヤク中らしき風貌の人間の男が店主にボソボソと何やら喋っている。どうせ薬の調達だろう、依頼内容を見る迄も無し。あの調子では直に薬と引き換えに自らの肉体を売り飛ばすであろう。あのままでは神罰が下るは男自身であろうが、薬で溶けた脳では既にそのような自明の理にすら頭が回らぬと見えた。忠告するような人間もおらぬと見え、然らばあれは同族の人間の謀略によるものなのであろう。
ちらりと視線を流す店内の壁面の掲示板にはあらゆる依頼の紙がぎっしりと付けられている。
その9割が誘拐、強盗、薬物関連、ご禁制の品の入手。
残りの1割は娼館で働く女の勧誘。このギルドでは如何にもギルド然とした、所謂冒険者と名付けられた者達が成すようなまともな依頼とも呼べる物は滅多に無い。
無人の荒野の只中にある街である。当然と言えば当然であろう。
東大陸とは言わず、せめて南なれば仕事に困るという事もないのであろうが。
ここを出る、それはつまるところ―――――ここを捨てるという事だ。
ここはある意味最後の砦、ここを出ることは抵抗をやめると同義だ。
レガノアに屈服し、人間を至上とする事も良しとせず。レガノア教が提唱する教義にも我慢がならない。
魔族から亜人から神霊から何から何までごった煮にした、ただただ緩やかに消滅してゆく事に耐えられない、そんな者達。
何処にも行けない魂、そんな連中が集まる場所がここだった。
怨念に塗れ呪われた荒野、この辺りの大地に名前は無い。
名前を付けられる事は許されなかったのだ。
というわけで土地神すら居ないこの大地。
この大地で長らく続いた戦争、和睦という形で一応の決着を見たが実質的に西の国、魔族の国が大敗を喫した。
それからだ。
西の国は言うに及ばず、他の大陸にもちらほらと人間を見かけるようになったのは。
彼の戦争はある意味人間以外の種の存亡を賭けた戦いだったのだから。
今は辛うじてそれぞれの種族の統治権が認められているが。それも時間の問題であろう。
西の魔王達などは抵抗はするだろうが、最後の抵抗なぞ紙くずの如くへし折られるは想像に難くない。
勇者や天使に大挙して攻め込まれればそれで終わりだ。何の痛痒も与えることなく滅び去るであろう。
今は勇者がちょこちょことやって来ては暴れているという。彼らにとってはお手軽な冒険感覚の遊びなのだろう。己のカルマを雪ぐにあれ以上便利な場所はあるまい。
相対する魔王達は必死だろうが。
何せ人間以外に光明神レガノアの加護は無い。そしてそれは今の時代にあっては致命的な事柄だった。
凡そ汎ゆる神々は彼の光に恭順を示し、神性領域は尽く簒奪され尽くした。彼らもまた緩やかな死を待つのみ。
魔族や竜種は力を失い、神霊族には戦意すらなく。
亜人なれば旧神の力をアテにするという手段も嘗てはあった。だが、力の強い古の神々は悪魔の烙印を押され一まとめに括られてしまい既に名前さえ残っていない。
その内にあらゆる種族が人間に取り込まれ、後は時間に任せて滅びるだろう。
ぺんぺん草も残らないに違いが無かった。
戦争に負けた、というだけならまだマシだったのだ。
最後まで抗ったという事実があればそれはあらゆる種族の誇りとなり、核となるに違い無かった。
たとえ国が消滅しても何れは似たような国が生まれたはずだ。
……しかし結果は和睦。よりにもよって。
不可侵条約の他、交易を結び、盛んに移住者のやり取りをはじめたのだ。
既に内部から食い荒らされ尽くして久しく、近い内に統合の名の下に東の国に取り込まれるだろう。
人魔戦争の余波を受けて未だ荒れ果てた土地や嘗ての魔王城に住み着く者達が居るのみであり大都市と言える場所は人間が統べていると言っても過言ではない。
カツン、と指先で強く机を叩く。
神も管理者も居ないこの大地はそもそも人が生きていける環境ではない。赤い大地には草木一本生えないし動物も生息していない。
吹きすさぶ風は魔素を孕み、長く浴びれば肉体を蝕む。
まともな生命もないし資源も無い。無い無い付くしの文字通り見捨てられた空白地帯だ。
この群島に逃れた者達は当初、個々でこの群島でも瘴気の薄い場所を探しだしては細々と隠れ住むように生きていた。
その頃は酷いものだった。
滅多に見られない種族も居た故に気まぐれのように大陸から人間がやって来ては狩ってゆく。
かといってレガノアへ恭順も示す気もない、人を餌とし狩らねば生きて行けぬような種族はここ以外に居場所はなかった。
狩られるからといって出て行くわけも無い。人から逃れるように瘴気の奥へ奥へ。その身を蝕まれながらも唯進む。それしか無かった。
そんなわけで必然的に寄り集まってこの集落が出来た。
この大地で生きていくにはそれなりに力が必要だ。
寄り集まり、この辺り一帯を覆う結界を作り出した。
その中でならなんとか生きていける。
後は食料だけ。
そこでだ。そもそもが国も手を出さず神の監視がない、という絶好のポイントなのだ。
戦争が終わり、船がお互いの国を行き来する今、この群島には一片の価値も無い。
呪われ資源も何も無い下手に近づけば疫病でも貰いかねない東西の間の辺境でしかないのだ。
注目する奴などいやしない。
レガノア教を信仰していても、なんてのはごまんと居る。あの教義にはあまりにも人の自由がない。
尤も、人間は肉体的には貧弱。億の人魔の魂が神を呪い巨大な祟りとなって滞留するこの大地にあっては、10分も持たずに死に至るだろう。
人間が道理を超えて強くあれる大地は神の管理する土地にあってこその話なのである。
かくして利害の一致を得た。
結界で保護された集落、そこをある程度人間に貸し与える、その代わりに食料の供給。
というわけでこの集落は現在、人間達の何かしらの裏取引の場となっている。
場合によってはギルドを通してこの街の住人達もまた東大陸から来た人間からの仕事を請け負っているのだ。無論、それは神に背を向けた者からのものとなる。
畢竟、この街は現状において内情はともかく戦争が終わり表向きは世界平和という状況に牙を剥く連中と人間社会の屑の吹き溜まりと化しているのである。
普通には売られない武器やら販売禁止の品やら人間の女子供をもここでは商品として扱う事が可能なのだ。
であるからして、当然の如くこれ以上は下は無いという治安の悪さを誇っている。
女子供が一人で出歩いていれば真昼間でもヒャッハーされるだろう。
治安の悪さに加えて周囲一帯が呪われ資源も生命も存在しない土地。要するにこのギルドは慢性的な仕事不足なのである。
いやさ、あるにはある。だがしかしそれはとてもではないが受ける気にもならぬものだ。
他の国と違って妖魔や魔獣の討伐だとか商人の護衛だとか貴重品のハントだとかそんなものは一切ない。
出される依頼の質が軒並みヒジョーに悪いという訳である。
面白いのは無理を承知で出される人間討伐ぐらいだ。どこぞの貴族の暗殺とか。長期で付け回し僅かでも神の恩寵少なき大地に立つ瞬間を狙う。それでなくともカルマ値によっては加護強度も下がるのだ。無論、返り討ちも珍しくもないが。
それをおいても人気のある仕事で秒で無くなる。
かくいう少女、マリーもまたその仕事を待っている一人だ。
「……嘘だろう?」
「それがマジらしい」
「……ガセネタ掴まされたんじゃねえのか?」
「俺がそんなミスするかよ。……マジだ」
「信じられネェ……」
カツ、カツ、カツ。
「――――――暗黒魔法が使えるようになった、なんぞよ……」
カツン。
何事も無かったかのように騒がしい酒場、それでも空気が変わった。
仲間を見やれば背中を向けたまま娼婦と会話をしているが頭部から生えた耳がこちらを向いている。
この場に居る誰もが同じようなものだろう。それほどに聞き逃せぬ言葉であった。
二人だけがそれに気付く事も無く話を続けている。
「……何で使えるんだよ?そいつが特別なのか?」
「そういうわけでも無いらしい。きっちり術式が起動するらしい」
「……暗黒魔法なぞ眉唾だと思ってたぜ……」
「ほとんどお伽話みてぇなもんだからな」
「何でそれが分かったんだよ?」
「カーマラーヤ紙片にあった術式を魔道学院のガキ共が遊びで試してみたんだと。……全員死んだそうだ」
「あのペテンのカルト資料かよ!?……偶然じゃねぇのか?」
「末端とは言え貴族だったらしいからな。現場検証って事で魔道院の魔術師もやったそうだ。で、同じ様に死んだだとよ」
「……その情報、どこで知ったんだよ?」
「機密事項になってるがな。聖都じゃいくらか裏には出てきてる。隠しきれるもんじゃねぇ。ガキ共の捻じくれた死体を見つけたのは一般人だからな」
「……あまり喋らねぇ方がいいだろうな……」
「その一般人も死んでるからな。ここ以外じゃ口にしないほうがいいだろう」
「あ?何でそいつらも死んでるんだよ?」
「天使様直々に粛清してったそうだ」
「……ならマジくせぇな」
カランカラン。
二人の会話を遮ったのは軽やかなベルの音だった。
軽く舌打ちした。いいところだったのに。
「……お嬢ちゃん、ここじゃ酒しか出してねぇよ。帰ってママのおっぱいでも飲んでな」
店主の言葉につられて入り口を見やれば。
「じゃあ牛乳くれ。特濃だぞ」
……何と言えばいいのか分からない。
確かに、希少な種族もここにはいる、が。
きょろきょろと辺りを見回す幼い少女。
長い黒の髪にぷっくりとした白の肌。
手足もちゃんと付いている。魔族にしろ何にしろ形としては真っ当な部類だ。
異様なのは。
右を向きながら左を見ている。
左を向きながら右を見ている。
下を眺めながら同時に上も眺めていた。
二つのまん丸とした瞳とは別の額の目で。
それぞれ色が違って非常にカラフルな少女、いや、あの年頃であれば幼女か。とにかくそのような生き物が其処に立っていた。
独特の雰囲気を持つ、奇妙な存在だった。
「…………」
どんな奴にでも相対してきたであろう流石の店主も真正面から声を返されれば最早声も無いらしい。
カウンターに黙って牛乳を出している。
あの店主が敗北するのはマリーをして初めて見る姿だ。
女童は短い手足でひーひーと言いながらもカウンターの椅子によじ登っている。
割と真剣にその格好はどうにかしたほうがいいのではないかしら、単純な親切心で思った。
身体に巻きつけただけの布、その下はどう見ても裸である。
椅子によじ登る時にちらりと桃のような尻が見えるか見えないかの瀬戸際だった。
故に、声を掛けたのは本当に思わずだったのである。
「貴女、その格好はどうかと思うのだけれど」
後にして思えば、それが運命の分岐点だった。
運命に抗い続けた先にこそ、真の運命が在る。