碧落の異界
開けた視界に映る雪の丘を眺める。
吹雪の去った青空はどこまでも澄み渡っており、割といい景色である。
来たときは視界が悪いのも相まって山だと思っていたが、こうして見ると山という程でもないようだ。変などん詰まりに引っかかったりしなければまぁ降りるのも楽そうである。
フィリアの目が覚めたのは枝でぐるぐると氷をかき混ぜて遊びはじめて程なくしてだった。
「おー、おきたー」
「……うぅ……?」
ぱちぱちと目を瞬かせて不思議そうに首を傾げた。
「私、悪い夢を見ていましたわ……。酷い悪夢でしたわ……」
「どんなのさ」
「貴女が書いた魔方陣でこの世のものとも思えない名状しがたい邪悪が出てきて破壊竜を封じる神の封印をあっけなく叩き壊してしまう夢ですわ……」
「……あー、そう」
精神衛生上夢だと判断してしまったらしい。
いいけど。
「……ここはどこですの?洞窟に居たのでは……」
「もう出てきたー。吹雪が止んだから行くぞー!」
「……少し休ませてくださいまし……」
「十分休んだじゃんか!」
「逆に疲れましたわ……」
言いながら身を起こしたフィリアは辺りを見渡し、目を見開いて飛び跳ねるように立ち上がった。
「さあ行きますわよすぐ行きますわよここからコンマ一秒でも早く離れましょう!!」
「え? でもさっき休みたいって――――――」
「そんな事言ってませんわ! すぐ出発しますわよ!!」
なんだいきなり。
折角じゃあ休んでいくかという気分になったのに。
「わかりませんの!? 鈍いにも程がありますわ! ここは異常ですわ! 直ぐに離れますわよ!!」
「えー……」
異常? むしろさっきより快適じゃないか。吹雪も止んだし。
のんびりピクニック感すらある。
「……ほぼ異界と言っていいですわね、これは……。世界中のダンジョンのランクが見直されますわ……」
「え? どういう事?」
さっぱり分からない。
説明してくれ。
「ですから! ここは霊峰シルフィード! 標高5千を越える山々が連なる永久に溶ける事の無い氷に覆われた大封印!!
今のこの状態が在り得ないのです!! この気候もこの地形も何もかもが在り得ない!!
それにこの異様な空気! おかしいと思いませんの!?」
「………………」
────────出てきた際に少々付近の地形に影響を与えたようデスガ……まぁ気にする程でもないでショウ。
物質界には刺激が少ないですから丁度いいデス。
「すぐ離れよう!!」
「そうですわ!!」
二人もつれ転ぶように走り出した。そう。山、というより丘だ。
プリンみたいな形になっている。つまり、標高5千メートルの山の上部が綺麗に消滅している。
気候が変わったのは恐らくかなり広範囲に及んで地形が変わってしまったのが影響しているからだろう。
アスタレル、恐ろしい奴。出てくるだけでこれかよ!
走りながら雪から何か奇妙なモノがわさわさと生えてくるのを視界の隅に捕えながら全力疾走で逃げ出した。
何だありゃ。よくわからんがあの洞窟の中に居た奴らより絶対ヤバイ。そういやあの洞窟はどうなったんだろう?
潰れてしまったのだろうか?
いやでもさっきまで中に居たし、僅かなりとも残ってはいるのだろうが……。
殆ど山と一緒に消滅してもう山の下の部分にあった分しか残ってないかもしれないな。
…………あの竜、無事だといいのだが。生きているのかどうかというところであるが。
「ふにゃ、ふえぇ……っ! ちょ、待ってくださいまし……! もう走れませんわ……!」
「疲れるのはやっ!!」
まだ中腹だ!
周りには絶賛怪物が生えてきているしはよ逃げねばならんというのに!
「もうかなり走ってますわよ! 貴女疲れませんの!?」
「疲れないなー」
「ひ、卑怯ですわ……!! これだから魔族はでたらめなのです……!!」
魔族じゃないけどそんな事を訂正している場合ではない。
座り込んでしまったフィリアを急き立てる。
「立つんだ、立つんだフィリア!」
「立つのは殿方のだけで十分です!」
「何て下品な!」
いや、そんな事はどうでもいい。マジで逃げないとやばいぞ。
怪物だけではなく、風景にも異常が出てきている。
この快晴だというのに先ほどまで明瞭に見えていた遠くの景色がだんだん霞んできていた。
後ろを振り返っても足跡が消えてしまっている。ついさっき走ってきたのにもかかわらずだ。
雲ひとつ無い空、代わり映えのしない景色。空気にも流れは無く風一つない。
一体どこまで進んだのかわからなくなってくる。
真っ直ぐ進んでいるのかどうかすらも判然としない。
時々木の枝を倒して確認していなければ同じところをぐるぐると回るハメになっただろう。
それほどにどこまで行っても同じだ。どこかおかしい。
幾らニブチンの私でも分かる。恐らく出られなくなる。
どこまでも続く穏やかな雪の丘、澄み渡る青空がどこまでもどこまでも続く異界へとなりかけている。
腕を振り回して叫んだ。
「はやくー!」
「む、無理ですわ……っ!」
はひーはひーと肩で息をするフィリアは汗だくだ。
確かに、無理そうだ。しかし無理を押してもらわねば困る。
私はもちろん、聖女で無くなったフィリアだって今は戦闘能力なんてほぼ無いだろう。
ここの奴らに襲われたらひとたまりも無い。
本でどうにかするったってフィリアを助けるのに大分消耗してしまってもう魔力なんて殆ど残っていないのだ。
わらわらと黒い影が集まってくる。どんよりとした眼、そこに見えるのは飢餓、だろうか。
ぱっくりと割れた巨大な口には虫歯一つも無さそうな巨大な歯がきちんと並んで生えている。
ぎざぎざだとかの獣の歯ではなくちゃんと人間の歯並びである所が実に嫌すぎる。
ガチンガチンと打ち鳴らす様はまさに腹が減ったといわんばかりだ。今にもオレサマオマエマルカジリとか言い出しそうだ。
「あわわわわ……」
「はひ、はひ……」
いかん、いかんぞこれは!
フィリアも何とか立とうとしているようだが足がガクガクと震えている。生まれたての馬とか鹿のようだ。考えてみればこの奥深い雪の中全力疾走はかなり疲れるだろう。
いよいよ怪物達が集まってきた。たまに共食いをしている。食欲旺盛そうで何よりである。そのまま私達からロックオンを外して頂きたいところであるがサイズがデカくなっただけで終わった。
「もう駄目ですわ…………」
「諦めるな! 頑張れ! そしてどうにかして!」
「他人任せにも程がありますわ! 貴女こそなんとかしてくださいまし!」
「レベル1舐めんな!!」
「………………もう駄目ですわ………………」
駄目だ、私のレベルを聞いて完全に諦めた。
「諦めないでー!」
今頼れるのはフィリアしか居ないのだ。
諦められると困る!
「私のモットーは諦める時は諦めるですの」
「自慢げに言うな!」
そこは諦めない心とか言うところだろ! 勇者と一緒に旅をしていた聖女ではないのか。もっとらしくいけ。
そうこうしているうちに怪物達がずりずりと寄ってくる。ギャーッ!
ガッチンガッチンと歯の打ち鳴らしも絶好調だ。
「…………ああいうプレイは流石に嫌ですわね」
「プレイて!」
ここにきてそれか!!
最後がこんな元聖女となんていやだー!
迫り来る怪物達にフィリアと抱き合ってブルブルする。四方八方から聞こえてくるガチガチ音がもう恐ろしすぎる。
ついでに頭の上にドスンと乗る重量サイズの脂肪の塊も恐ろしすぎる。
どっちも誰か何とかしてくださーい!
「そうですよ。美しいお嬢さん方。諦めるのはまだ早いというものです」
「………………は?」
「………………ふにゃ?」
声の方向を見やれば、そこにいたのは。
……………………え、誰?
マジで知らない人だった。というかどうやって怪物に囲まれているここに来たんだろう。
銀髪に碧眼の瞳。無駄に爽やかな声。キラリと真っ白な歯が光るスマイル。
青と白が基調となった服は実に洗練されたデザインである。
真っ直ぐに立つその姿、あえて言おう、勇者であると。
ちょっとだけ雰囲気がマリーさんに似ている。
ちょっとだけだ!
「先ほどは有難うございます。
いや、かなり死ぬところでしたけど」
「はぁ…………」
「………………?」
フィリアと目を合わせる。
以心伝心。
うん、どっちの知り合いでもないようだ。
「どちらさまですの?」
何かの間違いではないだろうか。
どっから来たんだろう、このそこらの勇者より勇者っぽいあんちゃんは。
「はは、この姿だと分からないかもしれませんね。
僕の名はウルトディアスと申します。
美しいお嬢さん達、お二人の名をお聞きしても?」
「…………えー、アヴィスクーヤ」
「…………むー、フィリアフィル」
…………こやつ、歯の浮くような台詞をさらっと吐くな。
うつくしいて。なんかサブイボがたった。寒さには平気だったのに。神様ボディの不思議だ。
「ああ、美しい姿に見合う美しい名前ですね。
ところで、そちらの特に美しいお嬢さん、僕と結婚を前提に付き合ってください」
「………………」
がっしと掴むその手。うん、フィリアの手。
…………なら良かったんだが。
何故私のちっこい幼児のおててを握っている。
「…………正気ですの?」
「もちろん」
「………………えーと、それはつまり、将来性を見込んで?」
ならまだマシだが。
いや、成長できないけど。
「え? いや、違います。毛が生えたら離婚してください」
「………………」
フィリアと目を合わせる。
再び以心伝心。
二人同時に喋った。
「「どっか行けよこのペド野郎」」
10歳前後、下手すりゃ一桁にしか見えない私に結婚前提とかどう考えてもペドだ。
ロリコンではない。ペドだ。フシャーッと2人揃って威嚇しておく。
「え? 失礼だなぁ。ペドフィリアだなんて。
基本的に女性はどんな年齢でも大好きですよ。
恋愛となるとちょっとストライクゾーンが小さいだけです」
それは立派なペドフィリアである。
「…………というか、そんな事はどうでもいいのですわ!
諦めるなとおっしゃるなら何とかしてくださいまし!」
「はっ! そうだそうだ! 何とかしろーい!」
こうしている今も怪物達は集まってきているし寄ってきている。
ていうか今までよく無事だったものである。彼らの足が遅そうで何よりだった。
「ああ、そうですね。
封印ごと殺されかけたとはいえ、助けて貰いましたから、お礼と言ってはなんですけど上に乗せますよ」
「騎乗位、もが」
変態聖女の口をふさいだ。コンプラ違反やめろ。それにしても、上?
何の事だ。それに名前もどっかで聞いたな。考える。
…………そうだ、忘れていた。ステータスを見れるのだった。
えーと……?
名 ウルトディアス
種族 神竜種
クラス 青
性別 男
Lv:1500
称号:破壊竜
「ブフッ!?」
私がステータスを見て噴き出すのと、目の前のドラゴン目ユウシャモドキ科ペドフィリア属がその本性を現し、確かに大封印の中に閉じ込められていた巨大な竜へと姿を変じたのはほぼ同時の事であった。
心から思った。
詐欺だ。