表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/233

黒の腕、白の腕

 自分で書いておいてなんだが読めやしないな。

 何となく手の赴くままに書いたが。

 文字かコレ。ミミズがのたくったとしか表現仕様が無い奇怪な文字である。

 字がヘッタクソとは言ってくれるな。いやこれは逆に芸術だろう。そうに違いない。

 うむうむと頷いていると背後で呻くようにフィリアが呟くのが聞こえた。


「……なんですの、それは。気持ちが悪い……気分が……」

 

 おお……?

 振り返って見れば何やら今にも倒れ込みそうなくらいに具合が悪そうにしている。膝に手をついてか細い息を吐いている様は毒にでも当たったような感じだ。

 近くに寄って顔の前で手をフリフリとしてみるが、視線も虚ろで焦点も合ってなさそうだった。


「フィリアー? 大丈夫かー」


「その模様を見ていると……頭がおかしくなりそうですわ……。何だか、模様が……響く、頭が痛い……」


 むむ?

 どうやら文字を見ていたら具合が悪くなったらしい。何故だろう。

 そんなに下手な字だろうか。ちょいと考えてはたと気づいた。

 そういやマリーさんが言っていた。

 この言葉は下手に口にすると何が起こるかわからないと。

 文字にしても同じなのかもしれなかった。マリーさんの様子を思い出すに有り得そうな話だ。人体に悪いのかもしれない。

 毒物だなあいつ。


「見ないほうがいいんじゃないかなー」


「……そう、させていただきますわ……」


 フィリアは青い顔で後ろを向いて座り込んでしまった。

 うーん、本当に気分が悪そうだし、あまり良くないかも知れない。

 さっさと済ませてこれは消そう。


「ここからどうすればいいのさ」


「悪魔を召還する為の呪文を唱える必要がありますの……。

 ……中心部に立って、それだけですわ。心に浮かんだ言葉を唱えれば、それで、いいのですわ……」


「……そんなんでいいの?」


「……ええ、正しく儀式が行われ、召還者が悪魔の目に適うのであれば、悪魔からの働きかけがある、筈。彼らから必要な言葉と贄、それらが伝えられるはずなのですわ。

 ……口にする言葉の形式はどうでもいいのです。悪魔にとって正しければそれでいいのです。

 呪文も長さや、内容などは、……恐らく召喚者や悪魔によって異なるとは思いますけれど…………それに……あくまで理論上の話、ですわ……」


 そういうもんか。

 フィリアも成功した事はないといっていた。

 出来るかどうかはやってみなくてはわからない、そういう事だろう。

 それで力尽きたのかフィリアはぐったりと動かなくなってしまった。うーむ、急ぐか。


「とりあえずわかった」


 これ以上無理に口を開かせるのもなんだし、質問や突っ込みは無しでとにかく言われた通りにしておこう。

 魔法陣の中心、血が落ちている場所の前に立つ。脳裏に描くはあの胡散臭いアンチクショウである。目が2つで鼻と口が1つ、耳も2つあったな。うむ。

 さて、どうだ?


「うーん……?」


 言葉、言葉。あの鬼のような悪魔を呼び出す言葉か。

 ふーむ。なんか不条理なことを言われなければいいのだが。


「暗黒神様」


「キョッ!!」


 耳元に吹き込まれたかのような声。

 びっくりして飛び上がった。びっくりした、びっくりしたのか、私は。心臓がドキンコドキンコしている。

 振り返るが誰も居ない。幻聴? なんて不気味な。ストレスだろうか。


「………………む?」


 なんだか何を言えばいいのか分かったよう、な……?

 テレパシーというわけではないが共感覚じみた知覚変換を察知。

 脳内悪魔がド派手な虹色の光とエアーとバイブと耳を劈く確定音と共にぱっぱらーとフィーバーしている気がする。キュインキュインやめろ。変な映像を流し込むな。

 鬱陶しいがまあいい。伝えられた通りこれでいいんだろう、きっと。

 短いし呪文でさえないが。それが望みなら何も言うまい。

 それに簡単な奴のほうがいいと思ったのかもしれないしな。実際問題、私にはうんちゃらかんちゃらどーどーどーと長い呪文なんか言える自信は一切ないし。よし、やるか。


「アスタレル、こっちにおいでー」


 言いつつ、腕を広げた。片腕のみではあるが。些か不格好ではあるものの問題はない。

 やっといて何だがマジでこれでいいのか?

 やっぱ他のそれっぽい呪文とかあるんでは。じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……なんだっけ。

 そこまで考えた次の瞬間、視界が真っ黒になった。次いで衝撃と圧迫、そして一切身動きの叶わない重量。

 ようするに潰れるかと思った。


「お久しぶりデスネ。暗黒神様。無駄にお元気そうで従僕は幸せデス」


「ぐええぇえぇえぇぇえ」


 死ぬ、死ぬ! 今まさに死ぬ!!

 中身が出る!! ナマコのように出る!!!


「潰れるぅ、潰れるううぅぅうぅ……!!」


 人をクッションか何かのように思ってんじゃないか!?

 下に敷かれてぺしゃんこに押し潰されそうだった。重てぇ!

 敷かれているというか上に寝られている。顎に手を付いて見下ろしてくる悪魔野郎は実にいい笑顔である。

 死ぬー!


「どいて、どいてぇえぇえ」


「やれやれ、仕方ないデスネ。暗黒神様はいつ見てもミニマムボディのペシャンコボディですからネ」


「分かってんだったらはよどいてー!」


 ミニマムのペシャンコと言ってくる割に押し潰し過ぎだろ!

 お前デカいんだよ!

 辛うじて動く手足を蠢かして猛抗議する。はよどけ!

 ニッコニコのままヨッコイショと棒読みで立ち上がった悪魔を見届けて寝っ転がったまま素晴らしき開放感に浸る。


「中身が出るかと思った……」


「スカスカでショ」


「詰まってるわい! 乙女心と愛と希望と夢とロマンが!!」


「スカスカって事じゃないデスカ」


「う、うるさーい!」


 クッソー! 久方ぶりの再会早々これかよ! 10を言えば100で返ってくる。沈黙こそがこいつを相手にするコツだ。

 コイツにしなきゃ良かった。名前を知っているのがコイツしかいないのだが。なんで私はコイツを呼び出そうと思ったんだっけ?

 いやこれも全てフィリアが淫魔とか言い出さなきゃこんなことには、あれ、フィリアどこ行った?


「………………キュゥ」


「し、死んでる……!」


「ああ、気付きませんで……人間が居たのデスカ。

 加減が難しいデスネ。……こんなもんでショウ。さっさと起こすのデス」


 む?

 まぁ起こせというなら起こしていいのだろう。近寄って頬をぺちぺち叩く。

 ……起きないな。


「起きろー!」


 ばっちーんとおっぱいを叩いた。


「キャイン!」


 起きた。フィリアスイッチか。

 便利だな。何度も押したいものではないので気絶はしないで頂きたいものだ。


「……………………暗黒神様、そのような趣味がおありで?」


「ねぇよ!」


「それは良かったデス」


 クソッ! 何て厄介な奴らだ!


「フィリアー、と、えーと竜! 何か成功したからさ、多分封印はなんとかなると思うー。多分」


「……………………」


「で、こいつがえーと、アスタレルって悪魔で………………あれ、フィリアさーん?」


 目の前でヒラヒラと手を振ってみる。駄目だ、正気に返らない。

 ポケーッとアスタレルを見ている。

 やだ、一目惚れ? 全力でやめておけと言いたいのだが。


「人間、見惚れるのは分かりますガ、それ以上は魂を奪われますヨ?」


「………………っ!!」


 正気に返ったようだ。

 え、何だ今の。何か私のわからん何かがあったらしい。


「……?」


 思わず首を傾げてしまった。

 フィリアは青い顔で俯いている。ぎり、二の腕に爪を立てて何かしらに抵抗するようにしながら何言かを呟いている様子。何かの呪文……、いや自己暗示か。なんかしているらしい。


「そこで不思議そーな顔をしている暗黒神様には一生理解出来ないでしょうから考えるだけ無駄ですヨ?」


「な、なにーっ!」


 何だ!! 気になるじゃないか!


「顔も変えておくべきでしたかネ。面倒クセェ……」


 言いながらひょいと手で顔を覆った次の瞬間、アスタレルの顔が真っ黒になった。

 まるで一瞬で黒いのっぺらぼうの仮面でも被ったかのような。


「あれ? 何それ?」


「私の本性は不定形の無形ですからネ。

 活動する為に暗黒神様に合わせた姿をとっていますが……実像を創るとどうしても人間を引っ掛けるのでネ。

 面倒なので顔だけ消しマシタ」


「へぇ……」


 こっちが本当の顔って事か?

 よく分からんが。


「どれも私の本当の顔デスヨ。

 コレが一番人間を引っ掛け難いというだけデス」


「ふーん」


 どこでしゃべってんだろコレ。

 どうでもいいけど。


「…………貴女」


 か細い声。


「どしたのフィリア」


「……そんな怪物と……よく口が利けますわね……」


 聞こえるか聞こえないかの小さな声だ。

 まぁ怪物は怪物だが。


「慣れれば平気だよ、うん」


「暗黒神様、人間にあまり無茶を言うんじゃありませんヨ。可哀想じゃないデスカ。プルプルと生まれたてのバンビの様に震えてますヨ?」


「いや、ビビらせてんのお前じゃん!」


 私のせいじゃねー!


「人間からすればどちらも一緒デスヨ。

 それで? 態々召喚魔法を介して呼び出した理由は如何なものデ?

 あまりオススメ出来た方法ではありませんガ」


「あー、そうだったそうだった。

 ちょっとあれ壊してよー」


 封印の方向を指差した。


「ふむ? あの竜デスカ? 壊すのは構いませんけどネ。肉体的に? 精神的に?」


「いやいやいやいや!! そっちじゃねぇよ!!」


「両方デスカ? 欲張り屋さんデスネ」


「ち、ちげぇー!!」


 どうして話をそっちに持っていく!

 頑なに竜の破壊から離れない。これ絶対わかってて言ってるだろ!

 そのハートマーク付いてそうな口調をやめろ!


「あの結界っぽい奴! 大封印って言う奴! 中の人は壊さんといて!」


「面倒デスネェ……。両方壊せばいいじゃないデスカ」


「駄目だって! 外側だけ! 中の人は平穏無事に外だけ、おねがいし」


 全てを言い終える前にすんごい音がして停止した。

 巨大なシャンデリアが落下して無残に壊れたような、耳を劈くような反響を伴う幾万も重ねる甲高い音。

 シンプルな音の衝撃でくわんくわんと頭が揺れた。今日の私の耳は厄日だ。そうに違いない。

 ぴよぽよとしながらも音の方向へと向き直る。そこにはきらきらと光るものが砕けたガラス細工のように散っている。眺めている内にそれらはゆっくりと明滅しながらやがて光を失い、ただの氷片となって周囲の氷と見分けは付かなくなってしまった。最後に静寂だけが氷の大空洞に残る。

 適当に手をフリフリとするアスタレル先生はつまらなそうにおっしゃった。


「……で、コレでよろしいので? 暗黒神様?」


「んえ、お、おー……」


「では問題ありませんね」


 さっきまでニコニコだったというのに今はやる気なさげに靴の爪先で氷を打って小気味いい音を立てながら眇めた目で結界だった筈の氷を眺めている。

 そんなに竜の破壊をしたかったのか。しかしどうすればいいんだコレ。

 あっさりと封印が破壊されてしまった。挙げ句に地獄に帰る様子もない。

 フィリアがあれほど言っていた封印だったのにまさに一瞬であった。

 中の人は無事なのだろうか。ちょっと心配である。見渡す洞窟内部には私達の他には誰も居ない。……大丈夫、なのか?

 フィリアなんかはあまりの現実離れした光景に現実逃避を決め込んだらしい。意識がどっか行っている。

 辺りを埋め尽くしていた文字や模様はもはや跡形も無い。どこか清らかな光を放っていた氷はその全てがいまやただの氷でしかなくなっていた。

 アスタレルは顎に指を当てて興味も無さそうな顔で辺りを眺めている。


「物質界に来たのは随分と久しぶりデスネ。それも召喚などとはネ。

 出てきた際に少々付近の地形に影響を与えたようデスガ……まぁ気にする程でもないでショウ。

 物質界には刺激が少ないですから丁度いいデス」


 ……なんかさらっと危ない事言ってるような。

 ……聞かないでおこう、うん。


「こんな所に居てもしょうがないでショウ。

 外に行きますヨ。特別サービスに運んであげますヨ。暗黒神様」


「……う、うん……」


 それ以外に何が言えるというのだ。ヤバイ、こうして改めて見るとコイツって思ってたより化物なんでは。

 今まで会った人たちが全員普通に思えてきた。これはあんまり手を借りると後がとんでもないことになったりしないか?

 子猫のように襟首を掴まれて運ばれながら大人しく片手両足を丸めたのであった。


「あ、フィリアも運んでよ」


 運ばれつつも取り合えず訴えておいた。

 しょうがないですねぇといやっそーにしながらも右腕に気絶しているフィリアを抱えて背中に私を背負ったままアスタレルはサクサクと洞窟を進む。

 しかし……。


「変だなー……」


 おかしいな。

 さっきと違う。こんな曲がり道だとか横道だとか徘徊する怪物とか居なかったのだが。

 アスタレルがさっきから何か弾いているのはトラップって奴だろうか?

 なにやらフィリアが言っていた通りの地形になっている。


「ここを治めていたのはレガノアの従属神である氷雪王シルフィード。

 その力場の中心となっていた領域を壊しましたからネ。ドラゴンの邪気だけが残りまシタ。ここは今、野良動物の徘徊する空き家のようなモノ。

 暗黒神様が神格にモノを言わせて家の主ごと押さえつけて整地されていたものが表に出てきたのですヨ」


「……よくわかんないけど、今はこう……世紀末って事?」


「……ま、そうですネ」


 それは恐ろしいな。

 そしてついでに言うならばさっきから襲ってくる尋常じゃない感じの怪物がこちらに近づく前に消し飛ばしているコイツも恐ろしいのだが。


「面倒デスネェ……」


「いや、ここを吹き飛ばしたりしないでね!?」


 やる前に釘をさしておいた。


「しませんヨ。対価が釣り合いませんノデ」


「対価?」


「血の一滴二滴ではネ」


「さっきの血の事?」


「そうですヨ。歩くしかありまセン。面倒な事デス」


 うーん。

 ここを歩いて抜けるのは確かにちょっと。


「こう、転移魔法っていうか、テレポートとか使えないの?」


「使えないわけないでショウ。コレでは使う事が出来ないだけデス」


「対価ってのが足りないの?」


「そういう事デス」


 考える。

 ……仕方ないな。


「……もっと飲む? そしたら使える?」


 おんぶ状態のままアスタレルの口元らへんに血のついたままの指先を突き出した。

 この状態だと口どこだ?


「………………」


「うっぎゃああぁあぁぁあ!!!」


 自分から言い出した事ではあったが舌が指を這った瞬間総毛立った。

 うおおおお……!!

 ぬるっとしたものが……!! ぬるっと!!

 即効で手を引いた。

 げぇ、どう見ても唾液が付いてる!


「まだ帳尻合わせには程遠いデスガ……後で請求しますヨ。暗黒神様」


「ブギィ……」


 豚のように鳴くしかなかった。そして後は一瞬。本人がブツブツと物質体とはいえとか私1人でとか何やら文句を言っているのは聞かないフリをしておく。

 ……便利だな。テレポートって。

 フィリアの言う所の危険度Sランク迷宮らしいが……お手軽ピクニックだった。

 主にアスタレルのおかげなのだが。やばいなコイツ。確かに言っていた通りこいつ一人居るだけで何とかなる感がある。

 指を舐められるのは嫌だが。何か他にいい方法はないだろうか。うーむ……。


「お」


 一気に明るくなって顔を上げる。念願の外だ。どうやら吹雪も止んだようだ。

 空も青く澄んでおり、天気も崩れる心配はなさそうである。山は天気が崩れやすいとは聞くが……流石にこれは大丈夫だろう。これなら山を降りられるかも知れないな。

 手招きして目を回しているフィリアをアスタレルに横たえてもらう。

 顔を覗き込む。目を回しているだけで特に傷などはない。大丈夫そうだ。

 フィリアを降ろしてしゃがみ込んでいた悪魔がすくっと立ち上がる。立ち上がりつつ右手で顔を覆い、再び顔を上げたアスタレルの顔はあの黒貌では無く普段のあの顔だった。

 ふむ、そっちの方が落ち着くな。ちゃんと眉と目と鼻と口があるし。


「それでは暗黒神様。私はひとまず地獄に戻りますノデ」


「え? 戻るの?」


 折角召喚したのに!


「仕方ないのデス。今の状態は良くありませんヨ。

 眷属を召喚して契約結んでどうするんデスカ。

 本末転倒もいいとこデス。

 例えるなら手足を動かすのに一々伺いを立てて契約通りの動きしかさせる事が出来ず給金も支払わなくてはならないみたいなもんデス」


「何そのめんどくさい状態」


「面倒クセェ状態なのですヨ。

 なので此処までデス。

 というか既に対価以上の働きをしてしまっていマス。

 暗黒神様が破産してしまいますので一度契約完了という形で契約書は白紙にシマス。

 全く、次はありませんヨ?」


「えー……」


 ちえっ!!


「次はきっちり破産して頂きますので。やるなら破滅を覚悟してくださいネ」


 うん、絶対やらない。

 決心した。


「それと、さっさと呪われた地に戻ったほうがよろしいデスヨ」


「まぁ……天使とか勇者とか来るもんね」


「それもありますが、それよりもその左腕デス。

 置いて来たでショウ?」


「あー、そういやそうかも」


「放置し過ぎればあの左腕を中心にしてそれこそ異形が闊歩する魔窟になりマスヨ?

 あの腕から何が生まれるか分かったものではありまセン」


「な、なにぃ!?」


 本人より強いとはどういう事だ!!


「腐っても暗黒神の左腕デスヨ? 制御を離れた状態で物質界に放置していいものではありませんヨ」


「へーへー……」


 どっちにせよあそこに戻るつもりだからいいけども。何か納得いかないな。

 左腕の方が強力だなんて詐欺だ。許せん。


「それでは、ゴキゲンヨウ。次はまともな形で呼び出すのデスヨ、暗黒神様」


 アスタレルが右手に持った紙が黒い炎に焼かれて消えた。

 あれが召喚の契約書だろうか。周囲にぞわぞわと黒いものが集まってくる。

 赤やら紫やら青やらの禍々しい炎を吐き散らす黒い穴が足元に。

 地獄へと通じているのだろう。

 どうやらもう地獄に帰るつもりらしい。


 「……………………」


 沈黙は僅か。その顔に特に浮かぶものが無いのを見て取り。知らず、ぎりぎりと歯が鳴った。クソッ!!

 ちくしょうわかったわかった、マジで帰るつもりだよコイツ!

 なんだかキュッと心臓が固まって産毛も逆立つこの感じ、無性にのた打ち回りたい切実に!!


「……えー、その、アスタレルー、ちょっと待った」


「何でショウ?」


「……………………」


 ぐぬぬ……、何て言えば良いんだコレ。

 何か本性は不定形の無形とか言ってたし本人は特に気にしてないのかもしれないが……。

 いや、でも、もしあの時の事が原因だったらと思うと今聞いておかねば後々になって知った時に私はなんでこの時に聞いておかなかったんだと思うに違いがない。それぐらいはわかる。

 腹を括るしかない。


「その、何というかだな……」


「……?」


 うわ、そう思った。

 こっちが何を言おうとしてるのかまるで理解出来ていないであろうそのきょとんとした顔。

 今から私が言う事は……多分、こいつにとって想像の埒外であるに違いが無い。

 何せここまで来て本当に気にした様子がないから。何やら胸がずっきんずっきんしてきた。思わず押さえる。

 どうか違いますように。いやマジで。胸の痛みがこれ以上増えたら爆発して死ぬかもしれん。

 そーっとそこを指差した。

 何度か唇を湿らせてから何とか重い口を開いた。


「……あの、その、腕。どうしたの」


「……?……ああ、これデスか?」


 漸く合点が言ったとばかりに右手で左の裾を弾いて見せる。

 そう、何もない。

 あるべきものがない。

 出会った時には確かに在った筈のものだ。

 ───────左腕が、無い。

 ……何でお揃いになってるんだ。おかしいじゃんか。


「物質界に無理やり突っ込みましたからネ。腐ってどうしようも無くなったので切り落としマシタ。

 まあ突っ込んだ時点で捨てるつもりだったのでいいですけどネ。

 勇者の魂をオヤツ代わりにしましたが割に合いませんでしたネー」


「……おう……」


 顔を覆った。マジか。

 予想していた通り、というか予想より酷い答えが返ってきた。

 普通にあかんやつであった。どう考えても……いや、ぎごご……。

 私のせいではないかちくしょうめ!!


「……治るの?」


「治りませんヨ。

 ただ切り落としたというわけではありませんからネ。

 立体が平面に入るには高さという一次元を減らさなければなりまセン。

 そこから立体の世界に戻ったとて失われた高さという情報は二度と戻りはしませんヨ。

 それと同じデス。消滅しました。私の左腕は私という存在が生まれた最初から無かった。

 故に、最初から無いものはどうしたとて再生などしない、と。

 そういう事になりマシタ」


「………………」


 なんといえばいいのかわからない。正気かこいつ。

 何とも思っていないのが見て取れるあの顔。何やら背筋を這い上がるものがある。

 今私が何も言わなければこいつは何も言わぬままにいつも通りの仕草と言動を見せたまま地獄に戻ったのだろう。

 恐らくは私が聞かなければこれから先もずっと口にすらしなかったのではないだろうか。

 本当に何とも思っていないのだ、コイツは。

 私に自分の腕の事を言う、そんな発想すら出ないほどに。

 頭を抱えた。

 生き返る私の命と二度と治らないアスタレルの左腕。

 どう考えても釣り合ってないだろう。

 何してんだコイツ。

 それほど地上にいたわけでもないし殆ど何もしていないに等しい状態だった。

 左腕を失ってまでやる事じゃなかった筈だ。

 私を助ける、などと。

 なのに何故。意味がわからない。


「……本で治る?」


「治せる、というより生やせるですネ。出来る事は出来ますヨ。

 デスガ、私の左腕は少々お高いですヨ」


「……うぐぐ……」


 そりゃそうだ。

 恐らくマリーさんの封印解除を超える魔力が必要だろう。一生かかっても返せそうもない額の借金を背負った気分だ。

 というかそれより酷い。

 自分の借金を肩代わりして知人が莫大な借金を負う羽目になっていた、これが近い。しかも本人がそれをこっちに知らせるつもりが皆無と来た。

 思わず地団駄を踏む。何をしているのだ。


「なんといいますか……えー、そのー……ごめんなさい……」


 謝ってはみるが当然ながらそれでこいつの左腕が生えてくるわけではない。

 言葉一つではとてもじゃないが返せないぞコレ。


「別に構いませんヨ。腕ぐらいネ」


 なんでそうなる。アスタレルが本気でどうとも思ってなさそうなのが本当に理解不能だ。

 アスタレルの中で幾らでも生き返る私の命と二度と戻らない自分の左腕って釣り合ってんのか?

 私としては全く釣り合っていないのだが。

 空を見上げる。抜けるような青空を、どこから来たのか白い鳥が遥か高いところを音もなく飛んでいく。その姿を少し追ってから視線を元に戻す。不思議そうにした悪魔がこちらを見つめている。

 ……はぁ、仕方が無い。マリーさんに続いて二人目、そういう事だ。

 マリーさんはお願いでありコイツの場合借金だが。


「……そっか。うん、ごめん。今度はちゃんと呼び出すからさ」


「そうしてくださいネ」


「………………あー、うん」


 いつも通りの胡散臭い笑みで闇へと溶け込んで消えた悪魔、その風に翻る中身の無い左腕の裾をなんとなく指をもじらせつつ足先で氷を掻きながら見送ったのだった。

 そして誰も居なくなった氷の大地を見つめる。取り合えずフィリアの傍に腰掛けた。

 ため息も出ない。

 最後まで腕に関して私に文句言わなかったなアイツ。恩に着せてくるとか責めてくるとかそっちの方がマシであるしまだ理解できたのだが。


「………………」


 本を抱き締める。

 アイツの腕を1からはどう考えても無理だ。

 それでもいつか出来る事は出来るだろうが、どれほどの時間が掛かるか検討すらつかない。それまであの中身の無い裾を見るというのもそのうち心臓がぎゅーっとして死ぬかもしれない。

 だったら方法はもう一つしかない。

 ……さて、あの荒野に置いてきた私の左腕。

 アスタレルの左腕に少しくらいは釣り合うといいのだが。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 最新話あたりから考えるとアスタレル、内心呼ばれて嬉しいんだろうなってわかる! 裏で掲示板かいてんのかなアスタレル。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ