白の聖女3
暫くそうして遊んでいると隣から声がした。
「う……」
おや。覗き込む。ばっしばしの睫が微かに震えている。
「おきたー」
「………!?」
しゅんしゅんに沸くお湯の蒸気を当てまくっているのが効いたのかどうなのか、血色も随分とよさそうだ。これなら問題はなさそうだ。
いやむしろバビュンと飛んで距離をとるその姿、元気いっぱいにすら見える。
「……貴女……! 先程の!
私をどうするつもりですの!?
まさか……魔獣か触手でも私にけしかけるつもりですの!?
私はそんなものに屈しませんわ!」
「いや、そんな期待に満ち満ちた顔されても困るけど」
「何を言いますの! 私に拷問するつもりでしょう! 性的な拷問を!
私のこの穢れなく敏感な身体にぬるぬるの触手を這わせて魔獣の極太で種付けして無様な声を上げさせるつもりですのね!」
「しねーよ!!」
何を言ってやがる!!
ごんぶとて!
「……ていうか、1から10までおまえの願望だろーっ!!」
何だこの堕落しきった聖女! くっころさんどころじゃなかった。
何をしなくても堕ちてた。既に悪魔的美味な人だ。落下距離0どころかそも落下すらしていなかった。
「本当にしませんの?」
「しないわ!」
「……本当に?」
「するか!!」
非常に残念そうな顔をしている。駄目だこいつ、早く何とかしないと。いやまてペースを乱されてはならん。
はー、と深呼吸するように息をつく。よしと落ち着いて地面に本を置いて広げた。
「まぁまぁ飲みねぇ」
適当に出した酒を湯で割ってから押し付けた。
不思議そうにグラスを眺めていた聖女はグラスにおちょぼ口で付けた。
口を付けた瞬間吹き出した。
「きたねー!」
「ゲホッ!! ゴホッ!! 何を飲ませますのこのへんちくりん魔族!!」
「ただの酒だい!」
「お酒!? 私がそんなもの飲むわけ無いでしょう!」
「なにぃ!? 私の酒が呑めないってのかこのべらんめぇのあんちきしょう!」
「貴女こそ酔っ払っているのではなくて!? それとも頭がスポンジですの!?」
「失礼な! このスケスケのほぼ全裸ー!」
「今の貴女に言われたくありませんわ! パンツ一丁じゃありませんの! 羨ましい!」
「なんだとー! 聖女に服をあげたせいじゃん!」
暫くボカスカとしていたがどちらともなく正気に返った。
沈黙が落ちる。
お互いに無言で地面に腰を下ろした。服は返してもらった。
「…………」
「…………」
「無駄に疲れましたわ……」
「聖女のせいじゃん……」
「……その聖女、という呼び方はやめていただける?
私の名はフィリアフィル=フォウ=クロウディア=ノーブルガードですわ」
「長い。フィリアでいいよね」
「勝手に略さないでくださいまし!!」
「いいじゃん別に!」
再びボカスカやりあった。
「………………」
「………………」
互いに肩で息をしながら座り込む。マジで無駄な体力消耗だ。
私はともかくフィリアは人間だしこんな場所で体力を消耗させるべきじゃないだろう。ただでさえ寒さで体力がガリガリ削られるだろうし。
「……何か食べる?」
「……こんなところに食べ物なんてありますの?」
本を開く。
「何がいいー?」
「何ですの、その小汚い本は」
「まぁまぁ。何でも出せる本だと思えばいいよ」
小汚いの部分はスルーだ。
ボカスカしても体力を使うだけだ。
「……どこの教会から盗んで来ましたの?」
「誰が盗むかー! これは貰ったんだーい!」
全く!
失礼な事をいう聖女である。
だがボカスカはしない。私は大人なのだ。大人なのでこれぐらいは流すのだ。
「このうっすーいぬるーいまずそーな具の無い雑穀スープにしてやる!」
「嫌ですわ! クリームリゾットにしてくださいまし! 大人気ないですわね!」
「なんだとー!」
わがままな!
地団駄を踏んだ。なんというわがままっぷりであろうか。
しかしながらフィリアは私以上の地団駄っぷりで大暴れしている。
大怪獣かよ。
「全く! 全く!!」
ほくほくと幸せそうにクリームリゾットを頬張る聖女、もといフィリアを眺めながら悪態をつく。
結局買ったのだった。だって五月蝿いし。
それにホラ、大人げないなんていわれたくないし。
「食べたらさー、ちょっと奥に行こうよ」
「……は?」
「奥にさー、ドラゴンが居るんだけど何かこの封印何とかしてくれって言われたんだよね。
でも私じゃそんなのわかんないからさ。
聖女連れて来るって約束したんだけど」
「……………貴女、頭がおかしいんですの? 私はここから一秒でも早く出たいのですけど」
「ちょっとくらいいいじゃん」
「何がちょっとなものですか!
此処がどこか分かっていますの!? 大体……貴女……。
……っ!」
急に口元を押さえて黙り込んでしまった。
もしや吐きそう? やめてくれこんなところで。
外に行って欲しい。
「貴女、奥に行った、という事ですの? そしてかの竜と会話をした、と?」
「そうだけど」
「……………」
上から下まで化物でも見るかのような顔で見られた。
「え? 何かあるのこの洞窟。ていうか私ここがどこかわからないんだけど」
「……わかりませんの?」
「分かるわけないじゃん。フィリアの魔法の暴走に巻き込まれただけだし」
「ぐ……っ!」
暴走、という単語を力いっぱい言ってやった。
悔しそうだ。してやったり。
「……ここは北の大陸にある永久氷河の最深部にある通称、青の祠。
この世界に数えるほどしかない危険度Sランク迷宮、教会から永久封印指定されている魔竜の大封印ですわ」
「……へぇー」
迷宮ってほどでもなかったしそんな危険な所には思えなかったが。
というか北大陸って随分遠い所に。どうやって戻ればいいんだこれ。
「そうですわ。私、絶対に行きませんわよ。
封印を解除だなんてお断りです。
教会はこの大封印の取り扱いを事の他慎重に行っていますのよ?
聖女だというのにここに来てしまったのが教会に知れたら私もタダじゃ済みませんわ」
「あー、それなら大丈夫じゃないかな」
「……何がですの?」
「いやあ、うむ。言いづらいけどさ、その、なんだ。
………フィリアってさ、こう……聖女じゃない感じになってないか?」
あの時に光魔法を使おうとしていたあたりを思えば本人も無自覚だろう。
たっぷり一分ほど間があった。
「………はぇ?」
実に間抜けた声があがった。
「光魔法の類も使えないっぽいし……。
称号に聖女なんてのもないじゃん」
じーっと見つめる。しかしこれちょっと慣れないな。そのうち慣れるのだろうか。変な違和感がある。
名 フィリアフィル=フォウ=クロウディア=ノーブルガード
種族 人間
クラス 第一級霊素体
性別 女
B:105 W:59 H:94
うーん、クラスは良く分からんな。
人間にも色々種類があるのだろうか。だがそれはさしたる問題ではない。
いや、スリーサイズは気になるが。
なんであるんだろう。その胸にぶら下がっているものは爆弾か何かか。100センチて。
まあいい。
それよりも魔法だ。光魔法の記述が全く無い。
しかも一番下にある称号欄。他の人には無かったし、称号持ちだけ見えるのだろう。
称号 蛇に魅入られた者
これはどう見ても聖女じゃないだろう。聖女でこれは逆に困る。
うん。
どちらかといえば私よりに見える。
「称号に蛇に魅入られた者ってついてるけど。
何か覚えある?」
「…………」
目が泳いでいる。
こちらに視線を向けようとしない様子からして多分、いや、絶対に身に覚えがあるな、この人。
何したんだ……。
いや、正直に言って予想は付くが。間違いなくこの変態性癖のせいだろう。
むしろどうやって聖女の称号を貰ったんだ。それこそ不思議である。世界の七不思議か?
「……嘘でございましょう……?」
「いやマジで」
「……何故そんな事がわかりますの?」
「そういう特技を持っているというか。
私は人のステータスとか見れるのだ」
個人情報保護も私の前には無意味なのである。
「……蛇に魅入られた者……」
「……いや、うん、そんなに落ち込むことないよ、うん」
俯く聖女に声を掛ける。
今まで努力してきただろうしな……。
いや、性癖はちょっと悪いようだが。
「……つまり、私はもう聖女ではない、と。そういう事ですの?」
「うん、まぁ……」
そういう事になってしまうだろう。少し可哀想だが……。
顔を上げたフィリア、その表情は……素敵に輝いていた。
おや、フィリアの様子が……?
「最高ですわ」
「……え?」
何ですと?
「我慢しなくていいんですのね。私は自由、そういう事でございましょう!?」
「え?いや、え?」
「聖女なんてクソくらえですわ!
つまらない! あれも駄目これも駄目ああしろこうしろ、うんざりですわ!
今までは務めとして果たして来ましたけれど……。
私の身体にどれほどの霊力があろうが知った事ではありませんことよ!
主が直々に私から聖女の称号を剥奪されたのだもの!
つまり私には聖女の資格なし! 卑しい豚!! 屈辱かつ残念ですけれどメス豚と蔑まれオークの集団に休む間も無く蹂躙されるが相応しい女ですわね!
務めを果たしたいですけれどこれでは無理ですものね!
あー悲しいですわー。
主よ、私は汚らしいメス豚に身を堕とし贖罪に生きますわ……」
「……お、おう」
こりゃ、酷い。
かつてこれほど心の篭っていない祈りがあっただろうか、いやない。
そりゃ神託も受けられまい。
「何ですの、その顔は。何か言いたい事がありまして?」
「……いや、好きに生きたらいいんじゃないかなー……」
言える事なんてあるわけなかった。
いっそ清々しい。
「好きだなんて失礼ですわね。
私は贖罪に生きると言ったでしょう。
人をオーク大好き触手大好きの淫売のように言わないでくださいまし。
これは神が与えたもうた試練なのですわ」
うん、そういうプレイが好きなんですね。
知りたくも無い情報だった。
自分のせいにされるレガノアがちょっぴり可哀想になった。
「レガノア様が泣くんじゃね?」
「知るものですか。
……私は神など信じていませんもの。そして救世主も。
私はあのような人間達と同じになどなりませんわ。……おぞましい。
永遠など無くとも地に足をつけ、この命が世界に還るまでこの情熱に身を任せながら、この魂の命ずるがままに自由に生きますわ」
いや、かっこいい言い方しても変態性癖持ったビッチである事に変わりはねぇから。
「うん、好きに生きろ」
ため息付きつつその人生を祝福しておいた。
もはや言うことはなにもないのである。
きょとん、としたフィリアはなんだかむずむずとした顔をしたあとにまんざらでもなさそうな顔で少しだけ笑った。