白の聖女2
「うーん」
何も無いな。虫1匹だって居やしない。
だがもっと奥に行けば燃えそうな物もあるかもしれない。というわけで探索を続けようではないか。
一本道だし。
入り口が塞がれていた割に危険な地形というわけでもない。強いていえば氷漬けの洞窟は当然滑りやすい。転んで頭を打ってぽっくりいきかねない。気をつけよう。
よじよじと慎重に進み、物資を捜索する。
「むむ!」
虫発見。逃げられる前にわっしと掴む。
ふむと眺めてみる。私の視線から逃れようとでもするようにうごうごと蠢く虫。赤とピンクと青の斑模様で食べられそうもないな。
「東!」
左にしゅっと曲がった。
「西!」
右にしゅっと曲がった。
「東! 西! 東! 西!」
しゅっしゅっしゅ!!
「北!」
上に反り上がった。器用な虫だ。中々に見込みがある。
捨てた。さらば。見込みはあるが食えないし燃えないのではまるで用はないのである。
ふむ、やっぱり食料も燃料も無いな。まぁこんな氷の洞窟では無理も無い。
この道を突き当たりまで行ったら諦めて戻ろう。
これも何かの縁、なけなしの魔力だが本で食物なり暖なり出そう。
あの聖女はきっとここで助かる運命だったのだ。
そう思う事にしよう。
そう思ってしまえば魔力を使い切ってもそれはしょうのないことだと納得できるしな。
彼女には感謝して貰いたいものである。3倍掛けで恩に着せよう。
つらつらと思いつ歩いてしばらく。
「ここで行き止まりかぁ……」
打ち切るつもりだったがどうやら突き当りで道は終わりだったらしい。目の前は全て氷で埋まっているのでわかりにくいが、空気が停滞している感じがあるし音の反響的にもこの先にあるらしい空洞は閉じているだろう。
長くはあるが一本道なせいで大して時間も掛からなかった。とりあえず天井や床を見回す。
かなり大きな空洞のようだ。
天井からつららを超えて滝がそのまま凍りついたようにしか見えない氷柱が地面まで降りており、辺り一面に乱立している。
柱一つ一つがなんというか既に氷壁と言っていい巨大サイズだ。氷の鍾乳洞と言った風情。まるで迷路である。
遠くからは氷の流動する音がする。
どこかに恐らくほぼ氷であろうが川のようなものがあるのかもしれなかった。
上下左右、迫るような氷は迫力満点、蒼い煌きに覆われた空間は美しく幻想的ではあるがそんなロマンでは腹も膨れなければ暖かくもない。
マッチを付けてみても所詮幻は幻なのである。儚い夢であった。残念、世の中そんなに甘くない。
というわけで戻ろう。
折角なので周囲を眺めまわしていると気づいた。
「ふむ……?」
結界だ。多分。
文字らしきものがうっすらとあちこちに掘り込まれている。
変わった文字と模様だ。いや、比較できるほど魔法を見たことは無いが。
どれどれとしゃがみこんで検分する。専門家のようにしたり顔で頷いて立ち上がった。
さっぱりわからん。よし戻ろう。
「…………グルル」
かなり広いが、やはり何もなさそうだ。
時間の無駄だったようだ。
流石にあの聖女を一人ほっぽって置くには時間が経ちすぎだし。
「…………ふしゅー……ふしゅー……」
天井は流石に見えないがきのこも生えてなさそうだ。
ここで見た生物と言ったらさっきの虫くらいか。
あんなの捕まえて持って帰っても仕方が無いしな。くるりと来た道へと振り返った。我々は何の成果も得られませんでしたってなもんである。そういうこともあるさ。人生とは挫折の連続なのだ。
ガチガチガチガチッ。何かを打ち鳴らすような音が響いた。
「……………………………………」
腕を組む。ひとつ頷く。仁王立ちするが如く足を開く。
そーっと振り返った。
誰も居ない。だが、分かる。
この場に、恐るべき捕食者が居るのであろうことぐらいは。
音が聞こえてきたのは突き当りの空洞。氷柱で覆われた通路の先、僅かにある隙間から蒼く光り輝くものがある。
ぱちりとそれが瞬きしてみせる。そう、縦に割れた瞳孔が如何にも恐ろしげな巨大な眼球がこちらを氷柱の向こうから覗いていた。
息を吸い込む。
肺が一杯になったところで、一気に吐き出した。
「ギイヤアァアァアアアァアアァア!!!」
叫び声をあげてその場から逃げ出そうと試みる。あんなもん勝てるか。
が、次の瞬間ミニマムな身体が宙を舞いぶっ飛んでいた。どてんと転がる。キーンと耳が鳴った。頭痛がする。くらくらと回る視界。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
うおおお……!
音の爆弾と言えるレベル。
先住者の咆哮はそれだけで十分な破壊力を持っていたようだ。
ミシミシと氷が軋む音が反響した。どうか崩れませんように。
呻きながら立ち上がり、後ろへと向き直る。……逃げられないだろうか?
氷が邪魔で私の姿は見えない、筈。
抜き足差し足忍び足で後ずさろうとした瞬間、咎めるかの様な低いうなり声。
ちえっ、逃がす気はないらしい。ここはひとつ、話し合いでなんとかするしかあるまい。このトーク力で誤魔化すのだ。
何となく勘まかせで氷柱の隙間から内部に潜り込んで模様を辿るようにして迷路を潜る。
「おー」
一際みっしりと書き込まれた紋様、多分一番厳重な場所だろう。
それに比例するかのように氷で埋められている。あちこちに小さな穴。どうにかしてここを通れば向こうに行けそうだった。
うーん、小さな隙間ではあるが何とか潜れそうだ。顔を突っ込んで腕を突っ込む。
ひんやりとしたドーナッツに挟まれた気分である。芋虫のように身体を捻って何とか上半身を突っ込む。
「………………」
足をばたつかせる。腕を振り回す。駄目だ、ケツが詰まった。
何てこった!
ふんぎーと踏ん張って見るが前にも後ろにも行けそうもない。
困った。誰か私の暗黒ヒップを押してくれないだろうか。ぐいっと。もちろん押してくれる者など誰も居ない。
おのれー。
踏ん張った。めっちゃ踏ん張った。結論から言えば踏ん張りすぎた。スポンと間抜けな音と共にすっぽ抜ける。
「ぎゃぼーっ!」
すっぽ抜けた勢いのままに顔面から地面に落下してそのままむっちりごろんと一回転。ぐぐぐ……。
呻きつつ何とか立ち上がり、顔を上げた。
上げたまま固まった。
まず視界に入ったのは巨大な顔。ジャギジャギの不揃いに生えた黄色っぽい牙。
それがガチガチガチと絶えず打ち鳴らされている。大地に縫いとめられながらもしっかりとこちらを鋭く睨め付けるは蒼の眼光。
凶悪顔から視界を外し、見上げるような蒼の鱗に覆われた巨体を眺めればあちこちに楔が打ち込まれそこから赤い血が流れ出していた。
端的に言ってそこに居た先住者は、そう。巨大な竜であった。まさしく絵に描いたようなドラゴンである。
蒼の鱗に覆われた巨体は酷く美しく、神々しいとさえ言える輝きを放っている。
例え面構えが凶悪きわまりないにしても。さっきの咆哮は間違いなくこいつだろう。
「な、何か御用で……?」
そそっとコソドロのようなつま先立ちで歩みよりお伺いを立てる。
さっきのように吼えられたらたまらない。次に食らったら多分死ぬ。
ガチガチと歯を打ち鳴らす竜の言葉などもちろんわからな、……いや、わかるな?
何となくこの封印を何とかしてくれという意思が伝わってきた。多分それで合っているだろう。
しかし、困ったな。無論のこと、私にはこんな封印なんてものはどうしようも無いのである。何も出来ないので。
地面を眺める。地面だけではない。天井にも氷柱にもぎっしりと模様が浮かんでいる。
ちっとやそっとじゃどうにもならない気がする。本、を使えば恐らく解呪は出来るだろうが……。
それも魔力があったらの話、今はどうしようもない。
うーん、と考えて、閃いた。
聖女が居た。彼女なら何か分かるかもしれない。
マリーさんの話なら彼女は聖女としてそれなりの教育を受けてきた筈だ。今は少しばかりアレな事になっているが……、知識には特に影響は無いだろう。多分。
「というわけでちょっと待ってて欲しいのですが」
了承の意が伝わってくる。
「でも何とか出来なくても怒らないで下さい」
怒られた。
ちえっ!
心の狭い竜である。踵を返して今度こそ洞窟の入り口へと向かった。
とりあえず聖女が凍え死んでなければいいのだが。まぁ何かしら力を持ったよさげな服のようだったし大丈夫だろう。
小さな隙間に再び身体を捻じ込んだ。もちろん行きと同じくケツが詰まった。
冒険にちょっとしたトラブルは付き物なのである。
「ただいまー」
辺りを見回すが特に変わりは無いようだ。私がここを離れた時と姿勢の変わらないままの聖女を覗き込む。
相変わらず青い顔に紫の唇で今にも昇天してしまいそうだ。顔に手を当ててみる。
ひんやりとした肌。まるで体温が無い。うむ、結構死にかけ?
いかん!
バッとパンツを脱いで引っ掛けた。引っ掛けてから意味が全く無いことに思い至って回収してもう一度履いた。
こんなんでは何の防寒にもなりゃしないのだ。
「えーと……」
地面に置いた本をばさっと開く。火種、火種、燃えるもの。あったかいもの。とにかく即効性があり効果的なものが必要だ。毛皮だのなんだのでは死にそうだ。
こういう時には裸で乳繰り合い暖めあうのが古今東西あらゆる創作物におけるお約束ではあろうが今の私には体温らしきものがない。
いや、あるにはあるのだがかなりぬるい。なので無意味である。というわけでやる必要は特にない。
まぁこの傷を見れば何となく予想は付いたが。
真っ黒な闇を煮蕩かしたようなものが詰まった身体。そりゃ体温とかなさそうだ。
神様の身体は随分と面白身体のようだ。ついでに言うならばそういう趣味も無いので遠慮する。
なので本である。カテゴリ生活セット。
見ているとちょうど具合のいいものがあった。
商品名 火鉢
寒冷地方の農村などで見られる炭を利用した暖炉。
鉢の中ほどまで灰を敷き、その上に炭を入れて使う。
火鉢とか古風で面白いな、これでいこう。
囲炉裏もあるらしい。そっちは高いのでやめた。
ズズズ、と黒い光が消えた後、そこには確かにちょんと結構大き目の火鉢が鎮座していた。
模様が地獄絵図なのはこの際目を瞑ろう。
どれどれ。上から火鉢の中を覗き込んでみる。
「おお」
いかにも私はあったかいですよ、と言わんばかりに柔らかなオレンジの光を放つ炭達。
これはいい。オシャレである。オシャレだがそんなもんは無視して魚を焼きたくもある。居ればだが。
セットで出てきた五徳を乗せて、洞窟の外に出て鉄瓶にぎゅむぎゅむと雪を押し込む。
火にかければ溶けてお湯になるだろう、多分。
戻って火鉢に鉄瓶を載せて、聖女を壁に齎せてから火鉢を引きずって近づける。
毛皮を頭まで着せ直してギチギチに詰めて出来るだけ空気と触れる部分を減らし、完全防備に仕立て上げた。
あとは食べ物だろうか?
しかし気を失っているようだし今出しても聖女が起きて食える頃にはまっきんきんに冷え切っているな。冷や飯を食わせるのは悪い選択肢ではないがカチカチになって死にそう。仕方がない。隣によっこいせと腰を下ろして適当に身体を支えつつ聖女が目覚めるのを待つ。
火鉢に刺さった火箸で灰をぐりぐりと弄くりまわして暇を潰した。
しかしよく考えたらもっといい暖房器具があった気がする。
……まあいいか。楽しいし。
炭に火箸をブスリと刺した。ぱちんと音を立てて火が弾ける。