神の使徒
薄暗くなった路地を四人と一匹でてくてくと歩く。
あちこっちから未だトンテンカンと聞こえてくるし、どこからか笑い声が微かに響く。
漂ってくるお酒の匂い、暗がりで服をはだけて退廃的な雰囲気で立つ妙齢の女性。
夜の帳が落ちてくるであろう宵闇の空は美しい濃紺とオレンジのグラデーションである。
うーむ、この街もこうして見れば中々に風情がある。明るいランプがあちこちを照らして何とも情緒的だ。天使の襲来と打倒によりある意味で活気が湧いたのかテーマパークのセットのような雰囲気になっている。治安も一時的に向上中だ。
満腹のお腹を抱えて撫で擦る。
このまま部屋に帰ってベッドにダイブしたら多分3分もたないな。うん。
inスヤスヤドリームといったところであろう。
「ふぁ~」
大きく伸びをしてついでに大あくび。
今夜もいい夢を見られ、いや、その前にお風呂に入ろう。私はキャンセル人間を卒業するのだ。そうしよう。
部屋には確かシャワーがあったはずだ。お湯が出るかはとんと怪しいが別に水でも構わない。
となれば、後は石鹸なんかが必要だな。あとタオル。どちらも持っていない。我ながら引く。
「マリーさん、ちょっとお店に寄って行っていいですか?」
「何か必要なものがあるのかしら?」
しゃなりと御髪を優雅に掻き上げつつマリーさんは微笑んだ。
素晴らしくエレガントかつビューティホーである。
私も一刻も早くキャンセルゴッドを卒業しマリーさんのような立派な冒険者を目指さねばなるまい。
「石鹸とタオルが欲しいのです」
「日用雑貨か。今更すぎるが」
「いいんですぅー」
確かに今更だけども。ブラドさんに言われるとムクムクと反発心が湧いてくるな。
ばっちぃものをぶら下げているからだろう。
「それなら直ぐそこに店があるわ。たいして大きくはないけれど掘り出し物も多くてよ。
あそこなら日用雑貨も手に入るでしょう」
「おー」
マリーさん御用達って事か。
これは期待が出来そうだ。
「お店なのよー! カナリーも入るのよー!」
カナリーさんは大興奮だ。
妖精の国にはこんなお店とか無かったのかもしれない。いやどんなところから来たのかは知らないのだが。
立ち寄った店をどれどれと覗き込む。
ふむ、確かにごちゃごちゃと商品が乱雑に並んでいる店頭は掘り出し物もありそうだ。
逆を言えばほぼガラクタだ。
というか盗難品じゃないのかコレ。いいけど。我々の糧となって欲しい。
「えーと」
日用雑貨らしき物品をがしゃがしゃと漁る。気分的には盗難品の吟味だ。
何だかんだマリーさん達も買い物に勤しんでいるようで、バラけて店のあちこちを漁っている。
マリーさんが手に持っているのは……なんだアレ。呪われそうな人形だ。見ないでおこう。
ブラドさんは消耗品の在庫ストックをするつもりのようでひげ剃りやら手に取っているし、クロノア君は特に買うものも無いのか私の横でボケーっとしながら潤滑油を眺めているだけだ。……いや、もしや潤滑油は頭のネジ用なのだろうか。謎だ。
取り敢えず私も必要な物を掘り出していく。石鹸にタオル、歯ブラシ。この変な瓶は香油だろうか。
きつい匂いを発するガラス瓶もある。これは香水のようだ。色々ありそうだな。それらを眺めていてふと思った。
本を開く。
カテゴリは生活セット。
パラパラとページを捲ると目的の物は直ぐに見つかった。
シャンプーにリンスによさげな石鹸。ふっかふかなタオルにバスローブ。手元の商品と比べる。
……高くないか?
本でこういった商品を買うとめちゃくちゃ高い気がする。私の魔力で五円チョコ。
家具なんかは、1万から10万ほど。高いものだと100万とかいく。
マリーさん達の魔力値を思いだす。
ブラドさんもクロノア君も四桁前半、マリーさんに至っては封印状態なのが影響しているのか三桁である。勿論これでもこの街の住人の中では相当に高い方だ。
この本で言うところの所持金換算で考えれば合わせても5000ポイントとかその辺だ。もちろんこの程度のポイントでは大した物は買えない。
いや、どう考えてもこれはおかしいだろう。私の5は論外として住人を見る限りこの三人組はどちゃくそ強い方なのである。
さらにパラパラとページを捲る。
つまり問題は値段の方だ。ボッタクリとしか思えない。どういう値段付けされてこれなんだろう、これは。
金貨の類は非常に安いのも気になる。
にもかかわらず、この本で直接物品を買おうとするといきなり値段が跳ね上がるのだ。
金貨の方が圧倒的に安いってどういうことだ。今着ている服はこの本で出したものだが……。
この本で金貨を出して服を買うのとこの本で直接服を出すではコストの掛かり方が違う。
確かにこの服は生地もいいし着心地いいしサイズもぴったり暑くも無く寒くもなく汚れに強くて洗濯いらず……と、そこまで考えて気付く。
そうか、コレか。
この世に存在しないものなのだ、私が着ている服は。
恐らく家具の類も。存在しないものは高い、そういう事か。
金貨が安いのは元からあるからだろう。多分。オーダーメイドは高い、そういうことだろう。本で買えるものは高級品というわけだ。
この辺りのバランスの見極めも重要だな。金貨を本で出して店で品物を買った方が安上がりというのも普通にありそうだ。消耗品などどうでもいいものをいちいち本で買ってはいられないということだな。
よくよく考えねば。
石鹸をいくつか手に取りタオルを三枚ほど。ひとまずコレぐらいでいいだろう。
あとは……特に思いつかないな。生活していて不便になったら買い揃えよう。
……今まではどう暮らしていたんだっけ?
記憶を思い返してみるが霞がかって判然としない。
何だかはっきりしないな。そもそもどんな人間だっただろう。思い返すとどうにも、一人称というより二人称というか鏡を見ているよりも見下ろしているような……むむむ。
人間だった、筈だ。男だった気もするが女だった気もする。医者だったか穴蔵に居たんだったか……。
年はいくつでどこに住んでいたのだったか。
名前、家族、友人。
「………………」
なにやら掴みどころのないものがするりと指の間を落ちていく感覚。
人間、過去の記憶は薄れていくものだが……流石に早い気がするぞ。
まるで洗い流されていくようだ。というか漂白されていくようである。変な職業にされたのがだいぶ影響している気がするぞ。
多分だが身体の感覚の相違も大きいだろう。風呂キャンが一切気にならないのもこの神様ボディに代謝が一切無いせいだ。飲む、食べる、眠る、そういったものも本来必要ないのだろう。
うーむ、しゃんとせねば。ボケるにはまだ早いのだ。
商品を入れたカゴを持ってそそくさと会計へと急いだ。
会計をしていて気付いたがカナリーさんがこっそり変な物を入れていた。
いつの間に……!
カナリーさんを見やればしてやったりとばかりに笑いやがった。
なんて妖精だ。
「さて、戻るか」
「はーい」
「いい物が手に入ったわ。クーヤはタイミングがいいわね」
「何を買ったんですか?」
「極楽鳥の手羽先よ」
「……羽根とかじゃないんですね」
手羽先なのか。情緒もクソもない。
マリーさん、ご本人は麗しいのだが部屋といい手に持つものといいその辺りがとても惜しい人である。というわけで並んで帰投。
「おやすみなさーい」
「ええ」
「私はまだ寝ないがね。お子ちゃまは寝る時間だ」
「ブラド、また娼婦を連れ込むつもり?
いいけれど騒がしくはしないで頂戴」
「相手次第だな。私があまりにも魅力的でテクニシャンである事はどうしようも無くてね」
最低だなこのおっさん。
「………………」
クロノア君は慣れたものなのか、のそのそと部屋に戻っていった。
「カナリーも行くのよー」
カナリーさんは私に買わせたアイテムを抱えてクロノア君についていってしまった。
よく見たらあれよさげなタオルだったな。
寝床にするつもりか。
「じゃー私も部屋に戻りますー」
「おやすみなさい、クーヤ」
「はーい」
ぎーと既に住み慣れた部屋のドアを開けた。
魔物達がさささーっと走って四方八方に散っていった。
ゴキブリみたいだ。考えないでおこう。
シャワールームに入ってきゅっとコックを捻る。
捻った途端にガボガボゴボボゴロゴロとなにやら詰まったような変な音を出し始めた。
大丈夫かこれ。
暫く詰まっていたが、ゴボッホボッとパイプを大きく揺らしながらブパッと水が勢いよく吹き出した。
やっぱり水か。いいけど。しかしこれは暫く出しっぱなしにしたほうがよさそうだ。
なんか水濁ってるし。洗ったら汚れそうだ。
その間に部屋に戻ってさっさとすっぽんぽんになる。まさに一脱ぎである。
着ている服は見た目は着込んでいるというか装飾が多いのだが実は脱ぎやすい。楽ちんである。
誰の趣味だろう。私の性格を実にわかっている。まぁいい。
そろそろ水も澄んできただろうか。ちゃちゃっと浴びて寝るとしよう、そうしよう。
タオルと石鹸を持ってシャワールームへとスタコラサッサ。
「ふぃー」
ぶるるるっと身を震わせる。カラスの行水とでもなんとでも呼ぶがいい。
身体は小さくていいが髪が長すぎて洗い難いのは問題だ。今度切ってしまおうか。
本当なら乾かさねばならない所だが……風邪なんか引きやしない。
このままベッドにダイブだ。怠惰こそ贅沢というものである。
暗黒神ちゃんマークを眺めてからランプを消してベッドにいそいそと潜り込んだ。
何だか夢を見た。
目の前に傅く黄金の薔薇。
うっとりとこちらを見上げる表情には畏敬と尊敬、恐怖と感動、色々なものが含まれているように見える。
声を掛けようかと思ったが……声が通じるとも思えないのでやめておく。
発狂されたら困る。
魂の位階を昇りつめ、此処に至った女性。
吸血鬼と呼ばれる種族の一人だ。
そういえば真祖の男はどうなったのだろう。
未だ死ねずにどこかを彷徨っているのか。
不幸な男だ。
目の前の女性を見やる。
身体を震わせこちらを必死に見上げてくる。
なんだか子供の様に見えて少し笑ってしまった。
「貴方にお会いできましたこの瞬間を……わたくしはこの魂に永遠に刻み付けるでしょう。光栄です。この世で最も偉大なる神。わたくしの名は――――――」




