街と瘴気と男と女5
よしと決心して口を開きかけたところでブラドさんが先に口を開いた。
「絶対神レガノア、異常に力の強い神族だ。
対抗するには相応の神族の後ろ盾がいるというわけだよ」
…………うむ? 絶対神?
「絶対神? 光明神じゃないんですか?」
「それは昔の話ね。今は全ての神を統べる絶対神レガノアと呼ばれているわ」
そこまでおっしゃったところでちらりとこちらを見た。なんだろう。なんかあったか?
「……ふむ、レガノアという名前自体いきなり降って湧いた名前だがね。唐突に人間の間で使われ始めた名だ。
あながち神秘学というものも馬鹿に出来んな。
我々の認知する神を超えた領域に住まう存在。我々の神が崇める神。上の次元にはそういう存在が居るだろうと言っていた。
この宇宙そのものを作り出した、この宇宙の外側にこそ存在する光の神だと。
人間の信仰と祈りの果て、微かに力を見せるという天使の仕える天上の神。
あらゆる光魔法の大本たる、力ある光そのものだと。
この世界がこうして存在する以上、それを作った存在の否定は出来ん話だがまさかそれが実証されるとはな。
レガノアはこの世界で生まれた神族とは思えん。事実、違うのだろう。何があったのやら神々がその姿を現し始めた時代に天より降臨し、自分を光明神と名乗った。
宇宙の理から外れた光と秩序と善の神であるとな。
正確にはレガノアに選ばれた救世主という男が名乗ったのだが。……確かに生死をも操り、あらゆる神を己の従属神まで貶める程のあの力……尋常ではない」
「わたくし達と違い、人間は保有する魔力量がとても少ない種族。魔力炉も小さくて、個人では大きな魔法は扱えないし、乱発も出来ないの。3次元世界で生きる生命体、無意識的領域で繋がる群れのような生き物で、個として突出するということは滅多に無いわ。
全体として精霊魔法や法術のように、長い呪文を唱え、精霊や神の力を借りる事で漸くまともに発動できるという程度の魂格しか持ち合わせていない。
肉体的な貧弱さも種の中でも指折りよ。
にも関わらず、他を圧倒し、人間はこの世で最も力ある種としての地位を磐石なものとしているのだもの。
それも一人二人なんてものではないわ。それこそ人間種全体の霊格をたった一柱の神の力で押し上げている。
人間の祈りを奇蹟に変え、魔王に匹敵する巨大な力を与え、この世界の理さえ捻じ曲げてみせる光明の神。
聖神、光統べる者、全能なる者、輝ける光、天上の曙……呼び名こそ様々だったけれど、神話の中でそれまで人間にとっておぼろげなイメージとして存在していた世界を生み出した光の神として相応しい力と姿、そして知恵。全知全能としかいいようがないわ。
天使さえも顕現して見せた以上、まさに神秘学の中で伝えられてきていた創世の神そのものでしょうね」
「奴は祈りの力であらゆる奇蹟を起こす。それもそこらの神など比較にならん奇蹟をだ。眷属や加護の力も桁違いだ。
天使が扱う聖光術もまた我々が扱っていた光魔法が児戯に等しいものだと教えてくれた。
それまでは光魔法など周囲を照らす光だの目くらましだの程度のものだったからな。
光を司るという言葉は偽りではなかったわけだ。レガノアの名の下にこそ勇者や聖女の強大な光なる魔法は発動する。
傷を癒し、あらゆる物質を塩に変える。ただの光である筈だが含まれたその魔力は膨大だ。
まさしく、光を司る始まりの神だよ」
「……………………」
聖神、光統べる者、全能なる者、輝ける光、天上の曙……か、かっこいいな。
負けた気がする。
私には無いのだろうか?
腕を組んで今後名乗るべきカッコイイ異名を考えているとマリーさんがすっとテーブルの上に手を差し出した。†黒翼の冥闇君主-THUMIヲセオウモノ-†とか考えていたのを打ち切ってその手元へ視線を移す。
その手の平の上には黒い光が漂っている。もやもやと。はて、なんであろうか。
「その全知全能たる光神に抗おうというのだもの。
この世で最も古き偉大なる神のお力がどうしても必要だわ。
わたくしが研究しているというのもそれに関してなの」
「やれやれ……。全く音沙汰の無い神であったといのに突然どうしたというのだか」
「知るかよ。死んでたんじゃねぇか?」
「あの禍神が死ぬものか。今でこそはっきりとしているがレガノアと同じく他の神とは次元の違う神だ。寝ていたのだろう。
案外に死が無くなったのもレガノアだけではなくそれのせいではないのか」
よく分からないな。
この光がどうしたというのだろう。突っついてみるが特に何かあるわけでもない。
「何ですかこの光?」
「ふふ……。わたくしの敬愛する神の力の一端と言えるでしょうね。
レガノアや天使、人間に対抗するにはこれしかないでしょう。
異界人は納得していなかったけれど。
かつてを知っている者にとってはこれしか無いと断言できるわ」
これが?
ただの黒い癖に光っているという謎の光だ。
うん、ただのではないか。それが常識みたいな顔をされても困るし。
「これは生まれながらに強いエネルギーを有する魔族や竜族が特に強く宿している黒き力、黒魔術や暗黒魔法の発動に必要な魔力。
闇属性の魔力というのは、言い換えればカオスに最も近い力よ。生命のスープ、混沌の海、大極の穴、あらゆるものを内包する元始に通ずる魔力。原始的でありながら、だからこそ出来ないことは何も無いという可能性すら感じさせる最もプリミティブなものと言えるでしょう。そうね、他属性の魔法で出来る事を大抵は模倣し再現できてしまう程に。
然るべき手続きと条件を揃えれば、契約の元にこの魔力を司る神の眷属さえ使わせて頂けるわ。
世界に存在する魔力属性の中でも飛び抜けて扱いが難しく、けれども他の魔力と違って限界値なんて存在しないの。
望めば望んだだけの力を極めることが出来る。
そして力を極めた先、かの神へと謁見を果たす事が出来れば魔王の称号がいただける。
かつては他の属性の魔力と同じように、この世界に溢れていたのだけれど。
レガノアが現れ、世界の殆どが光の魔力に押し潰されると同時に消えうせてしまった属性だったの。
原因も分からずじまいでどうしようもなく、魔族も竜族も途方に暮れていたの。わたくし達の持つ魔力は殆どがこの属性だったのだもの。
けれど、ごく最近からの話だけれど……僅かに復活しているようなの。見ての通り、態々集めて漸く確認できるというほんの僅かなものだけれど」
「人間や天使が持つ光の力もあるならば闇の力もあるというわけだな。
ついでに言っておくが、この魔力による攻撃というものは、術者によってはその威力が笑うしか無いレベルでね。
模倣とは言うが、神霊族の属性ごとの極大魔法を超える代物だ。冗談のような連続発動に夢でも見ているかのような威力。彼らが使うような炎だの風だのとは全く質の異なるものなのだよ。
というより、この神の力が四元の精霊王とは比較にならん程に強大すぎるからだろうな。眷属の数も異常だ。
力の強さも天使レベルと言っていい怪物。
アレを簡単に召還に応じさせて扱わせる上に、こちらへ与える魔力にも一切合財制限を設けん辺り、余程適当な神だったのだろう。
おかげで雷ならば帯電したまま消えんし、燃やされれば塵も残らんし氷漬けにされれば術者が解除しなければ二度と溶けん。効果範囲も凶悪だ。
詠唱もせん癖に竜種のブレスなぞ目もあてられん。辺り一帯を簡単に焦土にするからな。
闇魔力を大量に取り込んだ肉体であれば、ただの蹴りでも喰らえば魂ごと消滅する。
散々やられた私がそこは誓っておこう」
腕を組んでいたブラドさんはその腕を解くと、テーブルの上にあったグラスを手に取り口をつけた。
度数も強そうに見えるが気にせずに一息に口の中に流し込んでしまった。
マリーさんも先ほどから地味にグラスを開けまくりだ。
クロノア君は長い話にめげず、料理を前に無言で待てをしている。
私に合わせているのだろうか。
躾の行き届いた一途な犬っぽい様子にちょっと申し訳ない。
「亜人や人間はともかく、魔族や竜種は自前で莫大な魔力を有しているからな。
彼らにとっては魔法というものは特別なものではない。
念じる、動く、それに合わせて起きるただの現象だよ。魔法を発動するのに三次元で生きる生物はどう足掻いても複数工程を必要とするが、彼らはそうではない。生命体として、一次元上に居ると言っていい。
人間にとっても魔族や竜種の使う暗黒魔法は彼らの固有の能力であり、儀式さえ行えば誰でも発動する黒魔術も眷属自身の能力と思われていた。
それは他の種族も同様でね。とうの魔力を扱う魔族と竜種さえもそう思っていたほどだ。
だからこそ、魔王へと至る最初の壁と言っていいだろうな。
闇の底、昏き深淵の淵に潜む存在に気付くというのは。
魔王も眷属もこの神の存在を全く口にしようとしない。
黒魔術、暗黒魔法の類もまたその発動に特に神の名を唱える必要もない。
己の魔力を垂れ流してほったらかしの上に信じられんほど自己主張というものを全くせんのだよ。
というわけで、力の強さに反比例して恐ろしく認知度が低かった神なのでね。人間どころか多くの魔族にすらとうに存在を忘れ去られた古の神だ。
……あの神はとっくにこの世界を見捨ててどこぞへ行ったものと思っていたのだがね」
へぇ……。
前に言っていた魔族の神とやらだろうか?
てっきりレガノアに取り込まれてしまったと思ったのだが違ったらしい。
「うるさくてよ、ブラド。
わたくし達の身体からごっそりと魔力が失われたあの瞬間のわたくし達の絶望がわかって!?
かの神の魔力に満ちた崇高なる闇がただの現象でしかない闇になってしまったあの瞬間!」
珍しくマリーさんがギャースと吠えた。
余程ショックだったらしい。
「わたくし達の神に本当に見捨てられたものと思っていたのよ!
折角お会い出来たというのに……もう二度とその深淵なる魔力を扱わせてはくれないのだと悲嘆に暮れていたのよ!」
「あぁ、わかったわかった」
ブラドさんがひらひらと手を振って話を打ち切ろうとする。
うんざりした様子から察するに多分話が長くなるのだろう。
しかし今少し気になる単語があったのだが。
「マリーさん、会ったんですか? その神様に」
「ええ。お会い出来たわ。短い時間ではあったけど……わたくしの生涯で最も輝いていた時間と言っていいわ…………!」
うっとりと空を見上げるマリーさんのお目目はうるるとしていてとろけんばかりだ。
その神様がよっぽど好きだったのだろう。
「おい、牛乳娘。やめとけ。なげぇからな」
いや、でも。
会ったって。会った? それはつまり?
はてなマークを大量に浮かべていると、あぁと合点が言った様に店主が頷いた。
「牛乳娘、この支部の正式な名前はローズベリー支部だ。
ちょっとした有名人の名前にあやかってるのさ。
他の支部の名前もそうだ」
「おお……?」
いきなり何の話であろうか。
私の疑問の答えになっていないような。
「初代魔王の一柱、魔王ブラッドベリーという名前から取ったのさ」
「へー……」
魔王ブラッドベリーか。
なんとなく美味しそうである。
「面白くなくてよ」
うっとり顔から一転したマリーさんがむっつりとして答えた。
「そうですか? ブラッドベリーなんて美味しそうで可愛いじゃないですか」
ブラドさんと店主が苦笑いした。
「クーヤ、人の名前を美味しそうだなんてイヤよ」
「そうですかね?」
言われて見ればそんな気もする。
でもブラッドベリーにあやかってローズベリーだなんて益々美味しそうな名前にしているのだし、皆そう思ってそうだが。
「この街のギルドマスターがその魔王ブラッドベリーの大ファンでな。
それでこの名前なのさ。
その魔王が薔薇の君と呼ばれてたんでローズベリーにしたってわけだ。
本人は見ての通り嫌がってるんだがな」
「紅茶みたいですな」
「クーヤ、紅茶は酷いわ」
ムスーとしたマリーさんに抗議されてしまった。
「鈍いな」
ブラドさんに呆れ顔で言われてしまった。
なぜだ。
「今まさに紅茶呼ばわりしているのが目の前に居るだろう」
ブラドさんがめんどくさそうに指を差した。
その先ではマリーさんが未だに桃色の頬を膨らませてムスーとしている。
…………ん?
「え?」
いや、やっぱり?
「…………もしかしてもしかしなくてもまさかマリー様はかつて元魔王陛下でございましたでしょうか?」
「ええ、そうよ」
やけにあっさりと頷いたマリーさんに顎が外れるかと思った。
「懐かしいわ。その辺の国に赴いて更地にしてくり抜いて、巨大な血池肉塊林を築き上げたものだわ……」
「血池肉塊林!?」
「わたくしにもやんちゃな時代があったのよ。クーヤ」
やんちゃってレベルじゃねー!
あの本を思い出す。マリーさんの能力の全盛期。
やんちゃすぎてヤバイ!?
いや暗黒神としては助かるのでいいけども! いやそうなのか? 大丈夫であろうか?
「じゃ、じゃあ、あの本でマリーさんを全盛期に戻せるというのは……!?」
「魔王としての全盛期ならとんでもないのだがね」
「かの神に与えられた魔王の称号を取り戻せるというなら何でもするのだけれど……」
マリーさんは再びうっとりとしてしまった。
「いや、でも魔王としての全盛期とは……」
限らないだろう。
ただの魔族としての全盛期かもしれない。
その神様が与える称号だというし、この本でそれが取り戻せるとは思えないのだが。
「それはやってみなければわからないがね。
いずれにせよ、闇の魔力が復活したという事はあの神がどういう風の吹き回しかこの世界に戻ってきたという事だろう。
マリーの封印がとけ魔王とはいかなくとも全盛期の魔力を取り戻せた暁には再び謁見が叶う可能性もあるという事だ」
「なるほど……」
本で戻らなくても、魔王の称号はその時にまた貰えばいいということか。
「だが、気になることもあってね」
「気になることですか?」
答えたのはうっとりモードから復活したマリーさんだった。
「ええ。深淵の神がお戻りになられたにしては……世界に戻ってきた闇魔力が異常に薄いの。封印されているとはいえ、魔族たるわたくしが気付かないほどに。
まるで酷く弱ってしまったかのようだわ。
それに……」
「それに?」
「召喚出来る悪魔も最下級が精々。上級悪魔族の召喚儀式に関して言えば、発動する手応えはあるのだけれどうんともすんとも言わないわ。
そうね……向こうへの交信球の座標も合っているし、あちらへ声が届いているのも分かるのに出る相手が何故か居ないといえばいいのかしら」
「あくま」
噴き出さなかった自分を褒めたい。
本当に。
「まあ、悪魔召喚なんて言われても戸惑うのは分かるがな。人間だって悪魔悪魔と騒ぎ立てるがマジで実物を見た奴はいねぇ。
オカルトもんだし。だが実在はしてるぜ?」
「天使とは真逆の存在だがね。
自由奔放を絵に描いたような連中だ。
だが力に関しては本物だよ。上級悪魔であれば例え上級天使でも手も足も出んだろうな。
こちらで使われる魔力に制限を設けん神だ。当然の様に眷属にも力の制限を強いていない」
oh……。
なんて言っていいのかわからない。
すいません。なんかほんとすいません。
「天使が仕える神がいるのならば悪魔が仕える神だって居るのよ。クーヤ。
悪魔は人を堕落させる邪悪そのものだなんて言われているけれどれっきとした神の眷属よ。
その神というのがわたくし達が先ほどから言っている神の事なの。
かの神の眷属である悪魔を特定の儀式を行うことで召喚でき、契約を結ぶ事が出来るのよ。
わたくし達の神が司る暗黒の魔力こそわたくし達の力そのもの。
あぁ……再びお会いしたいわ……」
マリーさんのその頬を薔薇色に染めてうっとりと夢見るようなお顔よ。
恋する乙女というに相応しい。
さっきの決心はそのお顔の前に呆気なく崩れた。
ブラドさんが思い出したかのように言った。
「そういえば。先ほど何か言いかけていなかったかね?」
「何でもありません」
口をバッテンにした。
悪魔が眷属の暗黒神でございなんて言えるわけがなかった。
こんなダメな後釜ですいませんでした。マリーさん。