クルコ果樹園3
くるりと反転。
目の前にカミナギリヤさんが浮いていた。
「ヒョッ」
「……………………」
無言で見つめ合う。すっと私の背後を覗こうとしたのをささっと隠す。右、左、右、左。
「………………………………」
再び見つめ合う。何にもない、何にもないったら!!両手両足をいっぱいに開いて小屋の中を隠し立てる私をカミナギリヤさんは胡乱な眼差しで見つめている。
「な、なんにもないですぅー!!」
「ふーん……じゃ、あれはなんなのよ?」
くいっと指差した先には巨大化したジャガラが2頭並んでいる。私が植えた木に齧りついてはばりばりと食べていた。
「えーと、えーと……な、七不思議……?」
汗だくになりながらなんとか言葉を放り出す。この都市にはなんか変な現象あるらしいしきっとそれだ間違いない。
私の言い分を前に半眼となったカミナギリヤさんが徐ろに懐から何か小さなガラス片を取り出した。むむ……?
「もしもしギルドメン?」
「ギャーーーーーッ!!」
交信球だった。盲点である。ラーメンタイマーに慣れきっていた。そういやあんなんあった。
カミナギリヤさん個人で持っていたらしい。なんてこった。
「ジャガラ牧場でクーヤがまたなんかやってんだけど。
そう、ジャガラを変な品種改造してわけわかんない木を植えてるわよ」
「つ、通報とは卑怯なり!!」
ダッシュで逃亡を図ったがカミナギリヤさんにより容赦なく捕縛された。ぐえー。
「犯人逃亡未遂により確保しといたから。
学者とあとイース連れてきなさいよ。なんとかフォローがいるわよコレ」
「クゥーン……」
いつの間にか近寄ってきていたバカ犬と共に悲しく鳴くしかなかった。
暗黒神様またやってるよ春ですなぁとかなんとかクルコ果樹園で作業を続けている悪魔共が雑談している。おのれ、後で覚えてろよ!
むぎゅりと縛り上げられて普通のジャガラ共に纏わりつかれつつ鼻プッシュされながら待つことしばし。
豚みてぇな鼻跡がめちゃくちゃ付けられた頃合いに遠くからリンリンと鈴音が聞こえてきた。
「やっほー!クーヤくんがなんかしたって通報受けてきました!!」
「1日たりとも大人しくしてねーアルな。確かに私好きにしろ言うたアルが」
通報を受けたギルドメンがついにやってきてしまったようである。
見たことのない竜人族とやらは多分学者かなんかだろう。イースさんが眼鏡を押し上げながら抵抗虚しく縛り上げられた私を眺める。
「主よ、あまり暴れてくれるな。悪魔というものは君の世話を焼くのが生き甲斐という連中が多いがね。
小生もそれを嫌とは言わんが君のやらかしは時として小生がフォロー出来る範囲を越えてくる。
綾音はああいった気質が故に寧ろ後押しする側であり、クルシュナにそもそれは期待できない。
小生の手に余れば悪魔がフォローするしかないという事態になるが彼らは君の事しか考えていないのだから手段は問わない。
そうなった際の人界への影響は未知数だ。何をするか想定が出来ん。常識側である天陽1人に全てを期待するわけにもいくまい」
「キューン……」
ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした。イースさんによって世の平和は保たれています。縛り上げられたまま転がって恭順を示した。
悪魔界の偉大なる常識人がここに居る。
「うっわ、すごー。何この木?
物質界にあっていいもんじゃないでしょ、ヤバすぎてウケる」
「ジャガラが黄金の糞しとるネ。どう見ても燃料として使えねーであろ」
「この木どうすんのよ?」
寄り集まって相談し始めた皆さまを眺めながらゴロゴロと転がる。学者さん達はそっちはそっちでジャガラを色々と調べているらしい。
なんとかして頂きたい、そういう熱い気持ちを込めて益々転がっておいた。
「酸素というものは生命にとって必須の存在だが、それと同時に猛毒でもある。
遠くで生成してくれているというのならば精神生命体にとっては両手を上げて喜ぶところだろうがね。
この大陸でこのような場所で、それもこの勢いでマナ生成されてはな」
「それよね。ここには肉の器持ちが多いんだから悪影響しかないわよ。
せめて西大陸か北大陸でしょ。こんなの本来なら最低でも四源界で生えとくべき木じゃない。
精霊樹が直生えしてるより酷いわよ」
「……木の移動も不可能と見える。
完全にこの次元に根付いているな。せめて移動が可能であればそれこそ悪魔達によって四源界に植え替えるというのも不可能では無かったのだが。
次からは大地に直植えなどではなく植木鉢にするように言い聞かせたほうが良いだろう。それであれば悪魔にどこへなりの次元へ持って行かせられる。
植え替えも不可能ならばこの木が枯れる可能性も皆無だ。小生の診療所にも似たような植物が植えられたがどうやら彼女の存在と紐付いているらしい。
彼女が死ねば枯れる植物、即ち彼女が生き続ける限り枯れることがない。ウロボロスの首輪があるとは言え、死を強制するわけにもいかんだろう」
「ウロボロスの首輪って何よ?
身内ネタ?」
「悪魔達が光魔法によって顕現させた奇跡の産物だよ。小生も全てを知っている訳では無いが。
彼女の存在が暗黒神として不滅である、その一点のみに集約されている奇跡だ。
形無き混沌が持つ魂核、その永劫の回帰への祈り。転じて円環の呪いとも言える。彼女の肉体は悪魔の祈りによって生まれた。文字通りの肉の檻だ。
彼女を殺すことが本当に可能か?答えは否だ。肉体はあの通りに脆く弱い。それこそそこらの子供でも殺せる程度には。小さな刃物で事足りるだろう。
しかし肉の器を破壊し、魂が一時離れたところで無駄なのだ。物質界に残った破損した肉体は塵となり、魂は混沌のイドへと返還される。
そして回帰し、輪廻し、廻転し、元に還る。何事も無かったようにまた元の姿のまま、元の精神のまま、元の魂のままの地続きの彼女が物質界に再び降り立つだろう。
光の奇跡とは彼女と表裏一体、同質同量のものだ。彼女がそれを許容し続ける限り最早覆らん」
「一言で言えばキモいんだけど」
「否定はせん。小生とて正気を疑った。
永遠に変わらぬままであって欲しい、誰しもが一度は夢に見るだろう。
子供のような夢だがね。だがそれを小生は笑おうとは思わん。悪魔達にとって彼女は永遠に変わらぬ筈の神だった。
信仰の全てが明日終わると言われて納得する者が果たしてどれだけ居るものか。
足をつける大地がある、手を翳せば影が落ちる。光が無ければ闇がある。生命として生まれたのならば何れ迎えられる死がある。
変わらぬものと信じたもの、今後も永遠に在ると信じたもの、失えばもう正気ではいられない。壊れるしかない。愛とはそういうものだよ。
ましてや同じものが別で用意されるのだから何ら変化もなし、別にいいだろうと本人に言われてはな」
「ま、それはそうよね。じゃあクーヤが悪いわね。後でクーヤ観察管理ノートに書いとくわよ。
ウロボロスの首輪ねぇ……」
転がって面積が広がったのを良いことにボンボンとジャガラ共が更に鼻を押し付けてきやがった。やめろー!!
ぢゅもぢゅもと鼻が吸い付いてきて全身油まみれである。おまけに豚鼻跡が付きまくっている。なんで吸ってくるんだ。私から変な成分でも出てるのか。
「ねーとは思うが一応聞くアル。万が一クーヤ死んだ場合は影響どれほど出るネ?」
「先も言ったが彼女が植えたマナを放出する植物が枯れ落ちる。それ自体は今のところ大した影響はないだろう。
彼女が制作ないし復元した悪魔の芸術品や神の工芸品にも影響はない。
問題は彼女自身でもある地獄という次元が一度散ってしまう事にある。地獄に依存するもの、トンネルや魔物などは再び初めからやり直しになるだろう。
彼女が現在有する魔力も散逸する筈だ。あれは地獄に貯蔵されているものであって彼女の器に余分な魔力を溜め込む程の余裕はない。
悪魔達が彼女に付けた首輪は暗黒神という存在を回帰に閉じるだけでその全ての奇跡を使い切っている。
始まりに彼女に首輪をつけた際にも削り落とさざるを得なかった魂と共に彼女自身が有していた、それこそ宇宙創生を成して尚有り余ったであろう力はそのほぼ全てが流出し散逸したと小生は聞いている。
削り落とされた魂は小さな塵となって凡そ汎ゆる時空と次元へと散っていき、そして太極へと返還されたのだろう。とは言ってもこれは話を聞いた上で小生がそうなっただろうと考えた推測に過ぎない。時空と次元、全てを含んだ意味合いでの世界というものはあまりにも広大だ。無限の海と言える。比較すれば主ですら世界を構成する一要素に過ぎない。主から削り落とされたこれらが散っていった先で現世に辿り着き、転生なり実体化なりで影響を与えた可能性は極限に低いと小生は見ている。巨大数での確率で成り立つ話となるだろう。可能性の否定はしないがね。
さて、悪魔にとって最も重要であり絶対に譲れぬものは彼女の魂核であり在り方だ。その他全てを犠牲にしてでも望んだものだ。
彼女の魂核の帰還、神座の返上と永遠の引き換えに喪失されるであろう莫大な脂肪を纏っているに近い巨大な魂と無尽蔵の力は最早彼らにとって問題ではなかったのだろう。
彼女が死んだ場合、彼女が次回に持ち越せる魔力はその肉体に収まる程度のものだ。無いに等しい。
だが、現状を鑑みれば最も大きな影響は彼女が不在になるという事だろう。元より悪魔であった者達は当然、今や我々とて彼女が不在になれば物質界への干渉は不可能となるだろう。
彼女がまたウロボロスの輪によって戻って来るとしても、それはすぐさまという訳では無い。
アスタレルが言うには回帰には一ヶ月程度掛かったと聞いている。彼女が不在の一ヶ月というのはそうでない一ヶ月とでその重さが異なると小生は考える。
質問は以上かね?」
「一ヶ月、ね。それは確かに長いわね。
クーヤが居ない一ヶ月って何が起こるかわかったもんじゃないわよ。停滞と悪化は有り得ても逆は有り得ないわ。
イース、あんたちゃんとさせなさいよ」
「小生には出来かねる。
彼女は心底どうでもいいことで喚くかと思えば驚嘆するほどにあらゆる事象に頓着しない。
自分が殺されようともどうされようとも一切構うことがない。殺された次の瞬間には自分を踏み荒らした存在の事をあっさりと忘れるだろう。
壁のシミの形が気に入らないと一時間でも二時間でも喚けるというのに次の日には喚いていた事すら忘れている。
悪魔をして理解が及ばない、とはどの悪魔であっても変わることがない意見だった。
恐ろしいほどに混沌としている精神性だ。人の子の姿を取ってはいるが、その本質は人知の及ばぬ存在だ。我々に出来ることは何をしでかしても驚くな、に尽きるだろう。
どうにかさせようなどと烏滸がましい話だよ」
「結局はそこに行き着くのよねぇ……。
あたし達がちゃんとしろってワケね」
「要介護系幼女って新しくない?
生徒会長に言っとこ。言ってるそばから向こうでジャガラくん達に吸い付かれてるし。ヤバ、管理不可能すぎる」
「ま、人は人らしく下界で出来ることするのみよろし。天に向かって雨を降らせろと言うほど阿呆な事はねーであろ」
「変な品種改良されたジャガラくんはもう仕方がないから良いとして、問題は木だよねぇ。
下手をすると人死にが出かねないからなんとかするしかないんだけど。
いや黄金の糞もどうかと思うけど」
「どう考えたってクーヤ本人になんとかして貰うしかないわよ。
しょうがないわね……」
「もがーっ!!」
ごろんごろんと転がってジャガラから逃れているとカミナギリヤさんがぎゅもっと私に集っていたジャガラを持ち上げた。私のほっぺたを引っ張っていた鼻がちゅっぽんと鳴る。
命が助かった。ヤッター!!
「むぎー」
「クーヤ、ちょっとあたしの給料払いなさいよ。決まったわ」
「ほほー」
何やら随分と唐突である。
まぁ決まったのならば払わねばならないのだが。既に労働はして貰った後なのである。
縄も解かれたのでよいせと転がり直して本を開いた。
「ではどーぞ」
「あの木の横に優曇波羅華を植えてよ。それでいいわ」
「うどん……はらげ……?」
「ウドゥンバラ・プシュパよ。うどんでも腹毛でもないわよ」
変な名前の謎の植物を所望された。いいけども。えーと、どれどれ。
商品名 優曇波羅華
三原天臨に在る植物。三千年に一度だけ綺麗なお花が咲いちゃいます。
大事に育てると良いことがあるかもしれません。
「ふむふむ……………………えっ」
買おうとして思いとどまる。マジか。私の魔力がすっからかんになる勢いで吹き飛ぶのだが!?
ばっとカミナギリヤさんを見上げる。つーんとした妖精さんは前言撤回する様子は勿論ない。
ひょわわ……。
あまりの値段に震えているとカミナギリヤさんの後ろからぴょこっとラムレトが顔を出した。
「高そうだね。じゃあ僕の工賃もそれでいいよ。足りるかい?」
「おっふ…………」
払わねばならない工賃の追加まで来た。そっと九龍の様子を伺う。何やら考え込んでいるらしくジャガラの鼻を手で押しながら遠くを眺めている。
ぬぐぐ……しかし仕方がない。バレなきゃへーきへーきの精神で思い切って購入。まだ魔力ありますの顔でこっそりと。
私が植え付けた鬱金の冥樹の横に幽玄に光り輝く妙な植物の苗が生えた。カゲロウの翅のような葉っぱに白い粒が付いた糸が垂れている。うーん、スピリチュアルフラワーな感じだ。
しかし2人揃ってこんな変な植物とは。いや多分死ぬほど貴重なのは理解できるが。
「これでよろしいでしょうか」
「いいわ。それでこの木のマナも問題なくなるでしょ。生えてる場所はともかくとして生えてる分には良いことしかないわけだし」
「同程度の植物でマナ濃度の中和するしかないからねぇ。
けど、精神生命体の住人って少ないからこれでこの都市にも彼らが住むようになるかもしれないね」
「ほほー……………………………………………………」
頷いてから暫く一時停止。間をおいて叫んだ。
「なんですと!?」
中和、中和!?この木を!?いかーーーーーーーん!!!
私のやらかしをカミナギリヤさんとラムレトが自分達の給料を使ってなんとかしてしまった……!?
これはいかんぞ……いかん!ブラック過ぎる、あまりにもブラック!!尻を拭かれるにも程がある!!
私はホワイトであるからしてこれはとんでもない話である。
「ダメだ!!ブラック労働はギルド戒律で禁止されているのであるからして今のはノーカンとする!!」
「あらら、工賃が戻ってきちゃったや」
「いいけどあんた借金王にでもなるつもり?」
「べ、別にこれぐらい平気ですぅー!!」
強がっておく。今の私は冗談でもなんでも無く素寒貧であるが仕方がない。流石にこんな事は許されざることである。
滝汗出てきた。これはいかん、明日ラムレトが内職を上げてくるまでなんとか凌がねば……!!
本を抱え込んできょろきょろと周囲を無意味に見回す。誰も見るんじゃない、見るんじゃない書いてあるもの全ての商品値段が真っ赤になってしまったこの本を!!
…………ん、居ない?
気を抜いた瞬間、ひょいと私を上から覗き込んでくる目玉が2つ。
にんまりとしたその笑顔が齎す嫌な予感に私の中の色々なものが縮み上がるのがわかった。
「今日の夜食は満漢全席要求するアル。一千万コースのヤツで頼むよろし」
「………………………………………」
座り込んだまま3人を見上げる。すっと姿勢を正し、三つ指をついてお辞儀する。
「私のことは借金王と呼んでください」




