じゅもんが ちがいます
「……へ……?……え、くーろん……?」
呆然とした様子でミナギが九龍とラムレトを交互に見やった。
「ハァ?」
アルブレヒトもまた信じがたいことを聞いたように固まっている。
衝撃のあまりにか剣を構えることも忘れて棒立ちのまま。なんかそういうとこに技量の無さが出ているような……。
小虫ちゃんなこの暗黒神ちゃんですらなんか大丈夫か?という感じがする。
「まさか、貴方が皇九龍ですか……!?
バカな、若すぎる……確かに顔を隠していましたが……我々を謀っていた、ということですか……!!」
眼鏡を押し上げながらクルギが後ずさった。こちらから肯定する者は居ないが、また否定も無い。
「……ん、鑑定石で見た。間違いなくその人が皇九龍。
ずっと私達を騙してた。九龍もメルトも、隠し事するなんて立場をわかってない証拠」
「くーろん、ああ、貴方が……貴方が九龍……!?嘘、どうしてもっと早く言ってくださらなかったの……あぁ……!!
もしかして顔を隠すことでずっと私を試していたのですか……?ずっと苦しむ私を見ていたのですか?酷いです…でも、きっと事情があったのでしょう?だから私は今までの事も水に流します。大事なのはこれからの幸せですから。これからはちゃんとありのまま、私と向き合って下されば許せる日もきます。
それともご自分に自信が無かったのですか?それなら私は貴方を癒やして差し上げられた?
こうしてお顔を晒してくだされたということは、ようやく私は幸せになれるのですよね?
神よ、授けて下さった恩寵に感謝します。あんな美しい方が私の夫だったなんて……!
フィリア様に何もかも奪われていく辛く悲しい人生だったけれど、全ては今この時の為の試練だったのですね……!!」
感極まったようにミナギがはらはらと涙を溢して縋るように九龍に歩み寄ってくる。おお…こ、こわい。
今からロマンスが始まると信じて疑わない顔つきがちょっとしたホラーだ。なるほどこれが愛ってヤツなのか。怖いな。
しかしそれに構う事も無く一切を無視で首元に手をやり軽く足先で床を叩きながら九龍がラムレトに向かって視線を向けた。
無常ながら愛は実らない事もあるらしい。残念なことですな。
「メルト、お前はいいアルか?」
「僕は今回は見てる方に回ろうかな。精算は任せるよ。
全員僕の趣味じゃないからねぇ。それに悪魔くんの戦いも見ておきたいし」
「嗯、んじゃまぁ……アルブレヒトは悪魔の獲物であろ、残りで適当に私喰うね。それなりに不快だったアルからな、多少散らす」
「はいはい」
その言葉で九龍を盾にするのを秒でやめてしゅたたと走り回ってからラムレト、アンジェラさん、アスタレルと吟味して最終的にアスタレルに飛び乗ってよじ登る。
そろそろ大怪獣が暴れだしそうなので。いやまぁ全員大怪獣であるが。
ラムレトは距離が遠い大怪獣だし戦い方が予想つかない。アンジェラさんは近接大怪獣だ。アスタレルなら遠距離だってござれであろう。ちょっとでも安全な大怪獣を求めて。
周囲の冒険者達もまた九龍とラムレトのやりとりに覚悟を決めたような顔でバケツに水と洗剤代わりのスライムを持ってきた。天井用のモップまで持ってきた辺りにその覚悟のほどが見て取れている。
よし、私も覚悟をせねばなるまい。びっと鞄を持つクルギを枝で示して号令一つ。
「アスタレル、取り敢えずあいつから私の本を取り返すのだ!!」
「仰せのままに。ま、おっしゃられずとも不快でございますノデ」
ギン、甲高い金属音。ついで静寂。
一直線の糸が鞄を中心に走る。その糸を辿って視線を這わせていけば、アスタレルの指先にその先端が摘まれていた。
糸、とは言っても正面に立つ私から見て直線であるというだけの代物は空間のほつれを引いたが如く。3次元を2次元に。室内の写真を撮って、ペンでまっすぐに線を書いたような。
アスタレルがその空間の糸を軽く引いた。糸くずでも取ったような何でもない調子で指先で摘んだままの糸をそのまま床に落とす。
それだけで正面の床、鞄、壁。そしてクルギの指。線が走った部分の全てが支えを失ったようにずるりと抜けていく。
落ちた指がころころと床に散らばる。鮮烈な赤が床を汚した。
指を落とされた事に、落とされてから気付いたのだろう。床に転がった指を不思議そうに眺めてから間をおいてクルギが悲鳴を上げて前のめりに崩折れた。
一番の近場に居たミナギが我に返ったような引きつった声を上げてクルギから距離を取る。
「……うぐぁ…………っ!?」
かつ、かつと静かに歩み寄ってからそのままクルギの腹部辺りを蹴り上げる。眼鏡ががちゃんと何処かへと飛んだ。膝を突いて呻くクルギの頭部をがごんと音を立てて踏みにじる。額と言わず鼻まで床で強打したのだろう、拉げた声が上がった。
「頭が高えよ。神前だ。ただ黙して拝跪しろ、伏して震えろ、畏れ敬い狂って塵のように死んでみせろ。ゴミに出来るのはそれだけだ」
異次元な感じで鞄が解体される。現れた本を手にしたアスタレルが背中におんぶちゃんしている私に差し出してきた。
「暗黒神様、ではどうぞ。無くすなんて酷いデス。あーヒドイヒドイ」
「……あ、お……えぇ……?………………おぉう……」
この間、僅か十数秒の出来事。
容赦のない一方的な暴力に焚き付けておいてなんだがちょっと引いたのだが。今も踏みつけている頭部からぎしぎしと骨が軋む音がしている。その、なんだ。もうちょっとソフトにマイルドに出来ないか……?
「クルギ……!!…………ん、離して!!
僕の精霊達よ、赤、金、七対三、霊、理、狼、型、壁、この指の先に放って……!!」
精霊さん達への指示言語か、それを言葉にしながらこちらを指差す。
次の瞬間、炎を纏った獣の形をしたものがこちらに向かって疾走する。余裕こいたまま動かず変わらずクルギをふんづけているアスタレルからは防ごうという意思すら感じられない。
そういうアトラクション要素はいらんのだが!?
あわわわ……!ぎゅむむと首にしがみつく。白熱する炎塊が周囲を明るく照らし出し、床を焦げ付かせ駆けながら───────そのまま命が尽きたかのような動きで前足から崩れ落ち、慣性のままにどしゃあと床を滑っていった。
私達の手前で止まった炎獣はピクリとも動かず、爆ぜた炎がとろけて落ちる。凄まじい熱気が室内を満たした。
唖然、とした顔で周囲が固まった。ラムレトが小さくヤバーと呟くのだけが響く。
「ははは、精神で繋がった生身の精霊を?我々に?
バカが反動で死ぬぞ。悪魔でも死ぬような反動だ、殴りかかってきたほうがまだマシだ」
「───────────え?」
まずはこちらを示していた右腕の指先が弾け飛んだ。ついで手が潰れたように引き裂かれる。前腕、そのまま二の腕まで。絶叫が迸る。それでも崩壊は止まらない。
手前にあった部分から徐々に、一歩前に出していた左足、ついで胸元に置いていた左腕が。
恐怖に駆られたのか、血飛沫を撒き散らしながら逃亡を図るものの見えざる衝撃は既に本人の身体を通過した後であり今やその結果が肉体に表れているだけに過ぎない。
逃亡などしたところでなんら意味などなく、彼女に出来る事は最早何も無かった。それこそ苦痛を避けて自決くらいしか無かっただろう。
藻掻き苦しみ、断末魔を上げながら真っ赤な液体を吹き上げあちこちからぶら下がる肉体だったものを引き摺り彷徨い、崩壊してゆく。
彼女の仲間達も惨劇の前に動くことも出来ず、誰しもがただ無言で見ていることしか出来ないまま。
やがて力尽きたのか、椅子を巻き込みながらどちゃりと濡れた音を立てて床に落ちた。椅子にぶつかっただけの僅かな衝撃でもそこから肉体が弾け飛ぶ。
命はとうに失われたろうにそれでも崩壊は終わらない。床に倒れたまま、炭酸水がそうであるように発泡するような音を立てて大きなものから弾けていく。
長い時間を掛け、全てが終わった後にも動く者は誰も居ない。後に残されたものは人とはとても思われない、残骸としか呼べないものだけだ。
「は……ひ……っ!!ひっ!!」
天井まで飛び散った残骸がぼとぼとと落ちてくるにあたってようやく溢れた引き攣った声は誰のものだったか。
「はわ…………」
想定外の惨劇に私も思わずアスタレルの首に齧り付くようにぎゅーとしがみついた。こんなスプラッタは求めていない。全く求めていない。ゾンビ映画だってこんなんやらんぞ。
一体何故こんな事に。
この場で平然としているのは悪魔だけだ。いやラムレトも九龍も平然とはしているか。
「暗黒神様」
「ヒョワッ!!!」
びくっとした。これを成した下手人と思われるヤツである。この胸の中のミニマムハートがどきんこどきんこしている。仕組みは謎だが。
私もなんかこうやらかしたらこんなんされるのかもしれない。なんと恐ろしい。
「───────────散らすにも程があるデショ。誰が掃除するんデスか?
私だってここまでやりゃしませんヨ。原型もないじゃないデスか」
「……………………え?」
あまりにもナチュラルな罪の擦り付け。なんで私のせいになる。このゴアすぎるスプラッターのどこが?
「以前に暗黒神様に干渉するのは悪魔や神性にとって苦行である、と申し上げた筈デスが。
クソ狐も言っていたでしょう。今の暗黒神様は実体化したが故の単純な存在質量による反動を持つ、と。
ましてや自我も育っていない今のカス精霊のような霊的生命体が暗黒神様に直で攻撃を試みるなど。魔法で自然現象を起こして間接的にならまだしも。
その精霊と霊体で繋がっていたゴミ虫なぞどうなるかなど言うまでもないデショ。
暗黒神様の存在質量による反動など首輪を着けた今ですら宇宙を1つ支えるに等しい。加減を間違えれば悪魔でも耐えきれない代物だというのに何も考えずに全力でなど、返ってくる反動はゴミ虫が耐えられるような圧力じゃありゃしません。
存在質量の反動とは単純に加えた力がそのまま跳ね返るというものではありまセンので。これ程規模が異なれば最早暗黒神様が地面で我々が落下物。しかも最大落下距離は計測すら不可能デス。零から無限の間で自分が死なない程度の見極めは繊細を極めマス。神器ならば届かないだけで済む。物質界で物質による攻撃ならばスケールの差はゼロ、最初から最後まで同じ距離同じ高さ。存在質量の差を全て無視出来ます。暗黒神様を無傷で攻撃するならば物質的攻撃一択デス。肉体のみならば簡単にポックリさせられマスからね。ですが精霊なぞの霊的生命体が生身で突貫は丸ごと身投げも同然デス。ただの自殺デスよ。
ゴミ虫なので重さは大したものではありませんでしたからネ、おかげでまぁ多少は残ったようデスが。
今のはただ単に遥か彼方の巨大な地面に向かって自分とロープで繋がった岩を落としたバカがそのまま生身で落ちていっただけという自爆デスよ」
「………………えーと…………」
それはつまり……その……?
「よーするに今のはクーヤがデブすぎたせいアルか。
すげーアルな」
「間違いなく過去イチの散らしっぷりだねぇ。
九龍くんだってここまでするつもり無かっただろうからクーヤくんが1番散らしたよ」
「だ、誰がデブじゃーい!!」
フシャーッ!と威嚇した。べべべべべべ別にそんなことはないぞ!!
バッと勇者達に視線を移した。それよりあっちだあっち!おんぶ状態のため真下は見えないので見えるのはぴくりとも動かない足だけだが、クルギは相変わらずアスタレルが踏んだままのようだし、2人は短い呼吸を必死に繰り返しながらこちらを見ている。
あまりのことに戦意など完全に喪失していた。即ち私のデブさに戦意を喪失したということになる。ぐえー。
「あっ……あ、ああぁぁぁ……!!あぁぁぁぁああぁぁあ!!!
たす、助けっ……!!く、九龍、私の九龍、私をあれから守って、あんな、あんな……!!
九龍、私を抱き締めて、安心させて、いや、や……!!帰る、アーガレストアの屋敷に帰るぅ!!
九龍、私と帰ろう!!フィリアァア!!なんでここに居ないのよぉぉぉ……っ……!!クルギぃ!!どうして私を守ってくれないの……!!
いやだ、いやああぁぁぁぁああ!!!」
ミナギが私を見ながら駆け出す。し、失礼では!?
しかしそれを口に出して言うにはちょっと私でも流石にこうむにゃむにゃ……。
涙を散らしながら駆け寄る女性という多分だが生徒会長なら大喜びで応えるシチュだが九龍はいやそーにテーブルを蹴り上げてガードした。
「なんで……?」
「近寄るないね。鬱陶しい」
ついと視線が僅かに天井を向く。そのまま視線を周りの冒険者へ。ちらりと私を見る。何を言うかをそれで決めたらしい。
「アナタ魅力ゼロ。私の好みじゃねーアル。フィリアの方がよかたアルな。向こうに居る黒い幼女が私の隠し子アル。
アナタ愛することないネ、これは白い結婚、今この場をもってアナタと離婚するアル」
ぶほっとラムレトの吹き出す声が聞こえた。
「…………………………………………は?」
死ぬほどの棒読みであったがそれでも大ダメージだったらしい。ミナギの顔が一瞬で赤黒く染まる。
愛は恐怖を乗り越えたらしい。
「なんっで……裏切り、者ぉっ!!!」
魔法を使おうとしたのか、手元に白い光が集うがそれも明滅しやがて消え去る。
加護も恩寵もない、この場で聖女である彼女に出来る攻撃手段は皆無に等しく。後は九龍が互いの間にあるテーブルを蹴り出すだけで全ては終わった。
勇者とて最早それでクロイツマインとやらの末路も悟ったのだろう、今は何も無い、先程九龍が示した壁を引き攣った声をあげながら見つめる。
「ミナギ……、キリヤ……クル、クルギ……!!」
腰が抜けたのか、アルブレヒトは震えながら周囲を見回すだけだ。クルギもいつの間にやら居なくなっている。転がる指だけが物質界に残ったものだった。
「俺はなにも悪いことしてない……してない……!!
フィリアだって本当は俺を好きだったはずだ、九龍さんもメルトさんも俺達の苦労はわかってくれてるだろ……?感謝されたっていいくらいだ!!
お互いのためだ、生きていられるだけでありがたい筈だ!俺達は今までだって沢山の奴らを奉仕種族って事にしてやった、抵抗されたけどいつか俺達に感謝するさ!!
人間の所有物で居られることのありがたみがまだわかってないだけだ、いくら苦しくても死ぬよりいいだろ!?耐えればいいだけじゃないか!
それで生かしてもらえるんだ、それに人間の方がちゃんと資源を有効利用できる!ちゃんと運用してあげられる、無為にだらだら生きるより絶対良い筈だ!
今まで多くの種族が滅んできた、その分まで強く生きればいいのにそうしないのが悪い!!
この都市だってギルドだってそうだ、無くなるより人間の管理で続いていけばいい!!この都市の価値は計り知れないんだ……それを無くなってもいいなんて何を考えてる!!
ちゃんとこれからも繁栄していく人間に継承させていくべきだろ、それがこの世界に生きる、滅びゆく者達の義務だ!!ちゃんと全部受け継がれるべきなのに!!
抱え込んで死ぬなんて今の自分たちが良ければそれでいいのかよ!?
その子だって平気そうじゃないか、気にしてないじゃないか!本人が気にしてないなら悪いことでもなんでもない!!
子供は残せないだろうけど人間と結婚が出来るし相手は魔族好きの異母弟だ、大きくなればそれなりの関係になるのは保証する!本だって解析すれば何れその子じゃなくても使えるようになるし今後も俺の家で受け継いでいける、いい話だろ!?
そんな弱い異界人でも、人間の元ならちゃんと有効利用できるんだ!!奉仕種族になれなくても立派になれる!!
なぁ!?俺は良いことしかしてないだろ!?だか……らぁ……ん……げ……!!」
更に言葉を重ねようとしたアルブレヒトの口が不自然に固まった。皮が引き伸ばされ、唇が一体化したように動かない。
んー、んーと呻きながら必死に口元を引っ張っている。
「不敬。
口を閉じろ。勢いで殺しかねネェ。
─────────さて、義手とは言え、我々の暗黒神様の御手をざっくざくと刺した挙げ句にどこぞのゴミとご結婚の手筈まで整えてくださったらしいアルブレヒト君。
この宇宙が始まってから史上初、我々全員に名前を認識され覚えて貰えるという貴方が成し遂げたご快挙に我々一同、実に驚嘆する思いです。
その魂と肉体、精神。その不敬と罪業。その全てに我々が出来うる限り最大限の感謝と応報を。
例え神が許したとて罪は贖わせる。神への冒涜をその全てで償え」
ごぼん、アルブレヒトの影が形を変える。
口を縫われたまま、悲鳴すら上がらなかった。勇者の影だけがその場にただ残る。
静まり返ったギルドに、ぼとりとほにゃららな物が天井から落下した音だけが響いた。
モップを握りしめる冒険者のおっさんが放心したように呟く。
「想像の10倍ひでぇ……」