ぼうけんのしょ
夜の静寂を風が吹き抜ける。都市を覆う霧も金粉も今は見当たらない。
ゴンドラに運ばれてえんやこら、都市を見下ろす外壁上に立ったまま口をひん曲げながら考えた。いい感じの風のおかげで頭がすーっとしたので。
眼下に広がる都市は広大ではあるが私のデビルンアイは特にそれを問題としない。ただ情報の表層を眺めるだけだしな。
……しかしこう……、ちょっぴり魂の情報を深堀りしすぎようとしたりちょっと力を入れると忘れるなと縋るように首がぎゅうと絞まるこの感触。
特に考えた事は無かったが、これこそがウロボロスの輪なのだろう。私自身とも言える力を根幹とした、私と同量の光の奇跡によって作られたこれは私が破壊することはほぼ不可能な代物だ。私自身に奇跡でも起きない限り存在質量をちょろっと大きくしようとする度にぎゅうぎゅうと締め続けるのだろう。
同質同量の光エネルギーなので我を忘れるくらいめちゃくちゃ気合を入れてやる気満々で大暴れすれば抜けない事はないだろうが。……まぁあいつらが可哀想なのでやめておこう。そう望むのならば大した事じゃないし許容しといてやってもいい。
さて、ただの霊質でしかなく概念のみでの存在だった私が暗黒神ちゃんとして存在し、そしてこの魂がどこにもいかないという一点にその御業の全てを注ぎ込んでいる光の奇跡は結果として物質としての器という形で出力されている。
そして私が押し込められているこの小さな物質の器は物質であるが故に収められる容量に上限があるのだ。大部分を削ぎ落とされ、更にギッチギチに圧縮されることで私はなんとかこの器に収まっている。みっちみちのパンパンだ。
即ち首輪分に収まるコスト、それこそが私が振るえる力の上限でありこれを越えようとすると。
「グエー」
と、このように締め上げてくるわけである。別に締め上げる機能があるわけではないが、私がデカくなると必然的に絞まるのだ。デブは肩身を狭くして生きろということらしい。
首輪分のポイントを各パラメーターに振り分けてその内でほそぼそと暮らすのがお似合いというわけだ。なんてこったい。
首をさすさすと撫でさすってから再び眼下を見下ろす。例の勇者ぱーちーだ。名前はまぁどうでもいい。レベルは……それぞれ100から150といったところ。
人間としては破格の強さであろう。あくまで人間としてはだが。ここに更に加護や恩寵などが乗ることで数値が補正され変動している筈なのだ。
マリーさんは私の目に関してあくまで本人が有する素の能力が見えるのかしらと気にしていたが。
こうして色々考えてみると、これはもうそういったものではなくもっと単純な話で私が観測しているせいで加護と恩寵が消し飛んでいるのだ。恐らくカミナギリヤさんが言っていたことが正しい。
出力不足で足元くらいだが二代目の領域とて奪えると。この宇宙は基本的に二代目の敷いた世界観でありそれを土台に彼らには加護や恩寵が乗っているのだ。
私がこうやって資質の低い人間に対して目を合わせて見るというのは物理的な距離は抜きにして近寄ってしゃがみ込んで覗き込んでいるようなものなのだ。ああいう人間みたいに小さいのは見るのがしんどい。つまり私がああいったミニマム生物を観測するというのは私の足元に立つに直結する。
別にわざとではないがそうなると旧世界の理に上書きされた土台ごと神性領域が吹き飛ぶので当然ああなるわけで。多分だが目を離すとこの都市であればまだ加護と恩寵が再び乗る。暗黒神ちゃんホームと化しているギルドじゃもう乗らないだろうが。
うーむ……。
鏡に背を向けて立ってむっちゃ素早く振り返れば自分の背中見えるんじゃないかの理屈で目を離した後にすぐさま視線を向ければちゃんとしたステータスが見れるかもしれない。
無理だろうか。いやでも気合と根性でいけるのでは?
いや別にちゃんと加護と恩寵とカルマ値に加護強度と神性領域、その他諸々を計算して補正した数値を算出すればいいのだがそれをやったら負けな気がする。というかやろうとすると本を媒介しないのでグエーする。かといってこんな事に魔力を使って商品を買いたくない。
何度か視線を往復させて見れないかなーとチャレンジするが全然だめだ。もっと素早く、光を超える速度で!!
「ふぉぉぉぉ……!!」
バッバッバッと首を振り続けるが全然だめだった。諦めて帰るか。夕飯時だし今日は夜市に行こう。たまにはジャンクなのもいいのであるからして。勇者ぱーちーがギルドに向かったのも大いにあるが。
よいせよいせと短い手足を駆使して棒を降りていく。風に煽られてたまに両足が浮くのが恐怖である。このビッグボディを浮かせるとはなかなかやるな風。だからやめろ!
たっぷり30分程の時間を注ぎ込み命を懸けた降下を終えて大地に降り立つ。愛してるぞ地面。いつしか私専用の昇降機を付けてやる。まぁ別に悪魔を立たせてもいいが。
「ふんふーん」
枝をフリフリしながら夜市を練り歩く。香しい匂いとギンギラの光と呼び込みの声が満ちた大通りは時間が時間なので人混みがえらいことである。潰されないようにせねば。
檸檬を積み上げている屋台に団子がたんまりある屋台、肉の塊が音を立てて炙られている屋台にでっけぇソーセージが鉄板で焼かれている屋台。よりどりみどりで選び放題だ。
見ているだけでヨダレが出るというもの。串焼きを持ったおっさん達が汁物を啜りながらがっはっはと笑い合い、両手にスイーツを抱えてシェアしあうお姉さん達がきゃらきゃらと笑う。
この都市は海が遠いので基本的に新鮮な海産物には期待が出来ないが、近くにある大河からある程度の水産物は取れるのだ。茹であげられてガパァと開かれる川蟹に焚き火に炙られる塩塗れの川魚、うーんどれも捨てがたし。
よくよく見れば屋台の合間合間に何かを祀っているらしい構造物や、各々の氏族の神職らしい人が立っているのがこの南大陸らしいが。
それにしても灯りが提灯なのが火事になるんじゃないかとちょっぴり怖い。まぁ火事になったところで魔法でばしゃあではあるのだろうが。逆にガソリンやガスの類が皆無なので大惨事ということにはならないのかもしれないな。
さて、どれにしようかなと。
「あ~!御主人様ぁ、いらっしゃ~い!!」
「む?」
明らかに私に向かって声を掛けられた。視線を向ける。メイド服の悪魔共が居た。何事も無かったかのように視線を逸らした。
ちんまりとしたアニマル姿共のメイド服はまぁ動物姿なので可愛らしいと言えなくもないが羊蛇兎の三匹は人型である。視界の暴力やめろ。
「んもぉ~!ご主人様ぁ!!美味しいご飯がありますよぅ!!」
メイド姿の小さな山羊がぴょんぴょんしながら私に猛アピールをする。ほんとか?胡散臭いな。
店番らしいクラシカルメイドのアスタレルがちらりと私に向かって皿を見せた。
ほこほこに湯気を立てるクレープのようなものや肉の塊、謎のまんじゅうのようなものになにかの揚げ物。さっぱりわからないが、これは確かに……!!
「ぬぬ……!!」
絶対に美味い。このかぶりつきたくなるような食欲唆る匂い、見た目からしてゴクリとヨダレが出るツヤと色合い、全てが完璧だった。そもそもこの屋台がものすごい大行列なのだ。これは絶対に美味い。
「如何です御主人様?
可愛い従僕達が御主人様の為を思ってせっせと拵えたお食事でございますよ」
「ぬえー……!!」
言いながら私の手の届かないぎりぎりの場所で皿を彷徨わせるメイド羊に歯噛みする。クソッ、だがしかしこの店はあくまで店なのだ。対価が当然存在する。ここで食欲に負けて食べるなどと叫べば後で何を要求されるかわからない。
金銭ならば全然いいがなにせこいつらである。また添い寝だの撫でろだのブラッシングだの要求されてはかなわない。
ゴスロリメイドのメロウダリアがばかんとでっけぇ茹でエビを割る。エビ汁が飛び散り、ぶるんとエビのむき身が大きく揺れる。エビ味噌の香りが強烈に漂ってきた。それに醤油マヨと七味が乗せられ更にバーベキューされていく。
挙げ句に和メイドのルイスが大鍋の蓋をぱかりと開けてみせる。途端に漂うスパイシーなココナッツの香り。まさかの具だくさんココナッツカレー。これはヤバい!!
慌てて口を押さえる。今にも食べると叫びそうだったので。
「御主人様、その小さなお口をあーんとしていいんですよ。
試食ですのでこちらは無料です」
「…………っ!!」
いかん!!悪魔の誘惑恐るべし。試食ならという気持ちがむくむくと湧いてきた。一口食べれば終わりだとわかっているというのに。
首をぶんぶんと振って全力拒絶するが我慢の限界が近い。あと地味だが並んでいる客から殺気のようなものがひしひしと感じられる。そりゃそうだ。ええい客を捌け!!
もごもごとしつつも行列の方を指差し叫ぶ。
「ひゃくをさふぁくのふぁ!!」
「我々にとって御主人様以上に優先すべきものなどこの世に存在しませんが?」
「……………………」
しんなりとなった。食欲減衰効果がヤバい。私の食欲が失せたのを察知したのかメイド羊がおや残念と少しも残念じゃなさそうに宣う。周りの悪魔共がやんやと羊に文句を垂れているが本悪魔はどこ吹く風だ。
今のうちである。食欲が回復しないうちにダッシュで逃亡をキメる。私は普通のご飯がほしいのだ!
あぁんごすずんさまぁ、いけずぅ!という叫びは聞かないふりだ。よしよし。
あの恐ろしい屋台から離れた場所で再び周囲を吟味する。ふーむ、悩ましいな。とりあえずチーズが入った甘い揚げ物をゲットする。サクサクとした食感に熱々のチーズがとろり。ンン、素晴らしい味だな。
あとは何を食べるか……。肉もいいし、デザート系も捨てがたい。
「む?」
ふと目についた屋台に見覚えのある二人を発見。向こうの竜の方は私の方に気付いていたのだろう。特に驚いた様子もなくちらりと私を見た。遅れてもう一人が私の方を見て僅かに瞠目する。
今日九龍とラムレトとの会話で思い出したばかりなのでなんとなく運命的なものを感じるな。人生はそういうもんだという感じだ。二人が眺めていた屋台はどうやら飴屋らしい。
獣人のおっさんが器用に棒を手繰って見事な飴細工にしていく。食うの勿体なさそうだな。てってけと近寄る。
「おねーさん発見」
「あの時のおちびちゃんじゃない。
君、ちゃんと無事に出てこられたのね。元気そうだし、あれを祓えるだなんて驚いたわ。
正直なところあれでお別れだと思っていたから」
「失礼な!」
プンスコ。いやまぁ私が祓ったと言われると別にそんな事はないので合っているのだが。
エウリュアルとカルラネイル、あのオカルト寺院で遭遇した二人だが相変わらず自分探しをしているようだ。なにせ手元には占い冊子が握られている。占いに頼るレベルなのか。
「ここに居れば良き出逢いに恵まれる、と占い師に言われたのだけど。
君のことかしらね。会ったのは二度目だし、そーいう縁とそろそろ認めるべきかしら。名前を聞いても?」
「む、ブラックライジングクーヤちゃんだぞ」
「ブラックライジングクーヤチャンちゃんね。変わった名前ね」
「違った。アヴィスクーヤだった」
「自分の事もわからない私が言うのもなんだけど、自分の名前って間違えるものなの?」
「稀によくあります」
「そ。まあいいわ。……クーヤ、と呼ぶわね。全てを発音するのは嫌な感じがするから」
「それもよく言われます」
うむと頷いておく。袖すり合うも他生の縁というわけでおねーさんにひっついて屋台巡りをすることにする。カルラネイルとかいう竜がこの人混みでもびくともしない良い壁なのもあるが。
並んでスープを啜り、大きな壺の内壁にへばりつけられて蒸し焼きにされていくおやきのようなものを食べては串焼きをせっせと取っていく。
「この都市、初めて来たけれど凄いわね。
どの大陸に行っても、どの街もどの村も皆疲れ果てた顔をしていたのに。
ここはそうじゃない。けれど、どこか寂しい。まるで終わりを待つお祭りのよう」
何やら小難しい感想である。終わりを待つお祭りか。ここもまたあのモンスターの街と同じようにすぐそこまで来ている終わりを待つ人々の都市なのかもしれないな。時折、静かに泣きながら食事をする住人も見かけるし。
しかしまぁ、ここ最近はどうやら明るい空気になってきたとかクソジジイ連中も何やら活動的になったみたいなことをギルドのおっさん達が言ってたし。
そのうちなんか良いことあるんじゃないかな。もぐりと蒸しパンのようなものに食らいつく。中にはたんまりと具材が詰まっている。うめぇ。
それにしてもだ、こうしておねーさんと話していて思い出したのだが。モンスターの街で連鎖的に思い出したとも言う。
「おねーさんはギルドに行ってラーメンタイマーを使うといいと思う」
「らぁめんたいまぁ?」
「交信球みたいな……?まぁとにかく連絡が取れるヤツですな」
「不思議なことを言うのね。それもおまじない?」
「いやこれは単に思い出しただけだけど。多分おねーさんはマリーさんと知り合いじゃないかなぁ。エウリュアルってよく考えたら聞いたことあったし」
星落とす魔女エウリュアル。思えばマリーさんとフィリアが時折口にしていた名前だった。
それにカルラネイルの方もウルトの知り合いであろう。自分探しの旅もぼちぼち終えてまぁどっかに腰を据えてはどうだろうか。