昼12時
今日も今日とてどぶさらい。ざぶざぶと熊手を手繰って側溝に詰まっている落ち葉や泥を押し流していく。
別にどぶさらいではなくとも仕事はあるのだがどぶさらいがいいのである。金色の雨の中をデビルン合羽を着てざーぶざぶ。
自由都市に来てから一週間。いい感じに仕事をしてやるぜぇという気合は脆くも崩れ去り、権力の前に私は屈したのだ。聞くも涙語るも涙といったところであろう。
夜食を食い尽くした初日を終えてさて折角なので仕事するかと思って朝早起きを決めて掲示板を眺めていたのだが。そこで受付のおねえさんにごめんなさいね、こっちの依頼を受けてほしいのと言われてもさっと紙を渡されたわけだ。
その内容が全くもってけしからんものだったわけである。
依頼主 皇九龍
内容 Backroomsの解決
受注条件 指名依頼
依頼主 皇九龍
内容 呪の選別及び浄化
受注条件 指名依頼
依頼主 皇九龍
内容 神託の除去
受注条件 指名依頼
依頼主 皇九龍
内容 厨房の料理担当
受注条件 指名依頼
なんでだよ。加減しろバカとしか言いようがない。渡された十数枚の紙は漏れなく全てクソジジイからの指名依頼で埋まっている。
受付のおねえさんは笑っていたが目が笑っていなかった。引き受けろという笑顔の圧力。あまりにも無常。
私の冒険者ランクはEであるという真っ当な主張は無視された。どれもこれも絶対に厄災級の依頼だろ。そして厨房の料理担当は欲望に正直すぎる。あの食い倒れ中華春節野郎め。
半ば恒例化しつつある夜食タイムで毎度の如く苦情を申し立てるものの、呵々と笑うだけで特に改善はされる様子はない。
カミナギリヤさんもアンジェラさんもぶらぶらと適当に依頼を受けて銭稼ぎをしている様子だが受付のおねえさんに九龍の依頼をぐいぐいと顔面に押し付けられる私をちらりと見ただけで雑談に戻っていた。見事なまでに手伝う気はゼロといったところである。
こんなんやってられるかと叫んで現在は常駐依頼のどぶさらいだけをやっているわけだ。ざぶざぶざぶ。これがなかなか面白い。水がふん詰まっているドブをかっぽじって詰まりが解消された瞬間に凄まじい勢いでぶばーっと流れていく様は得も言われぬ気持ちよさがある。
「あら、今日もご苦労さま。お父さんによろしくね」
「朝から精が出るな。兄ちゃんをなんとかしてくれよな」
「嬢ちゃんは毎日元気だなぁ。爺さんのお使いか?なんとかしてくれよ」
しかしどぶさらい中に何故かよくよく声を掛けられるのが若干気になる。一週間程しかまだ滞在していないのだが、初来訪のドブでも声を掛けられるのでどうにも結構な広さで顔が知られているようなのである。
いやまぁどうにも私が九龍の隠し子か隠し孫か隠し妹と思われているフシがあるのだが。百歩譲って子と孫はまだしも妹はどういう原理だ。親はどこだ。
ストレートな長い黒髪が揃っていて名前の響きが似ているから血縁だと思われているらしい。あと目玉が目立つのも似てるとかなんとか。何でだ。あとどうにもならない。
我が暗黒ルームに設置したラーメンタイマーでマリーさん達との通話中に話題の一つになったのだが通りすがりのチンピラにお前らのような性格破綻者が血縁じゃないのは逆に世の中に絶望するから血縁ということにしといてくれとか泣かれたのが未だに解せない。私はホワイトだっただろ。チンピラであるからして常識が通じないのであろう。
しかし毎日ド深夜に夜食を食べておいて体型が変わる様子もなく寝不足の様子も無いので謎の爺である。なんなら元気ハツラツとしてきている気さえしている。あんな爺とはやはり血の繋がりなど無いのだ。
むしろこの魅惑の暗黒神ちゃんボディのほうこそ若干丸くなってきている気がするのだが。恐ろしい。そろそろ夜食を止めるべきだろうか。思いながら落ち葉の山をぐいぐいと押して運搬していく。ある程度の山になったところでトングで山をガチガチと威嚇してからごそっと持ち上げた。
スボッと音を立てて底が抜けたらしいドブが渦を巻いて水を吐き出していく。うーむ、今日も素晴らしい仕事をしたな。一緒に流されていくなんかのヘドロみたいなヤツが哀愁を漂わせている。見た目生き物っぽいが魂が無さそうだ。なんだろ。
踏ん張っているのでつっついて押し流しておいた。アディオス!
「えーと、これで1区画か」
広げた都市の地図をマーカーで塗り潰しておく。都市が広すぎるせいで一周終わる頃には最初にどぶさらいした部分はもう詰まってそうだ。こりゃあ常駐依頼ですわ。一生どぶさらいになりかねない。食いっぱぐれは無さそうであるがあまりにも不毛である。
ゴミ袋に詰めた落ち葉や泥を焼却場に持って行ってゴミ受付書を貰って今日のところは終わるとするか。帰る頃にはお昼に丁度いい筈だ。
「ただいまー」
ガラリンガラリンと鈴を鳴らしながら扉を開けた。がやがやとした人混みの中にも既にいい感じの匂いが漂っている。やはり考えることは皆同じらしい。
笑顔で依頼書の束を掲げるおねえさんを無視して別のおねえさんにゴミ受付書を渡しておいた。これでよし。食堂へレッツラゴー。人がぎゅうぎゅうに詰まった食堂は空きスペースがちっともない。
おっさん達が詰まりに詰まっている食堂は各々が感謝と祈りの言葉を唱えて食事をしている。時間が掛かりそうだな。アスタレルが確かに南大陸では食事の際には感謝を述べる習慣があると言っていたが、実際その通りで食事が長いのだ。
まぁだからといってさっさと食えとも言えない。なんだっけ、ここでは前世の事を覚えている人も多いのだったか。限られた魂というリソースか。世知辛い世の中である。レガノアと悪魔が申し訳ございませんでしたと言うしか無い。記者会見待ったなしである。
肉体が滅び、精神体をも失い、感情を喪失し、自我も解け、魂だけとなって初めて死人なのだ。魂とは情報を書き込む白紙だ。死は書き込む者が居なくなった、書き終えた紙となる事である。
故に、魂だけとなっても肉体情報も精神情報も自我情報も魂から喪われはしないしそこからちゃんと再生紙にする作業をせねば物質界を彷徨う魂はその辺の生体情報と紐付いてしまうし前の人生が書き込まれた魂のまま次の生を生きる事になる。
この星の住人の内、何人かは前世どころか前前前世くらいまで覚えているのが居そうだ。
この星において魂の末路とは二つ、生体情報と紐付くこともなく魂のまま彷徨い薄れて消えるか、何度も生まれ変わった果てに書き込み過ぎによるエラーを起こして崩壊するか。
生まれながらにデカい紙を持っていて肉体を失っても精神境界も感情も喪失せず、自我も屈強で劣化が死ぬほど遅いのもまぁ居るだろうが。初日の幽霊どもはそっち系に思える。いかにも屈強そうだった。
後から書き込み出来る魂の総量を増やすのは奇跡の領分だ。魔王へ至るのがまず挙がる正規手段だろう。レガノアの方はシステム的にそういった奇跡はなかなか起きるものではなかったし。レガノアの力を反則運用の今はバリバリそういう人間居るだろうけど。勇者などがいい例だ。
せめて新しい魂の素が早く産まれるように暗黒神ちゃんが大いに活動し、せっせと彷徨う魂を吸引してちゃんとリサイクル工場に行くようにするしかあるまい。
うーむと考える。
天使の魂だろうが人の魂だろうが神の魂だろうが非知性体の魂だろうが私は処理できる。何回か食ったし。天使は自我がないし神は意識集合体の生命で正負はない。非知性体もまた自我はないし人の魂は肉体がケモケモしてようがマガマガしてようがヒトヒトしてようが問題ない。私に言わせれば違いがないしどれも一緒だ。
実際のところ、やろうと思えばなんでも食える。そしてそれは元来であればレガノア側も一緒だったのだ。しかしここに来て前提が崩れた。レガノアがもう居ない。彼女の神域は喪失されている。この宇宙がレガノアの神域に侵食されているのではない。境界を失い崩壊し、拡散しているだけだ。二代目には神域の維持が不可能だったのだ。
二代目は恐らく感情エネルギーしか回収できていない。だから敢えてこのような蠱毒状態にしているのだ。そして一部の人間しか回収もしない。何度も繰り返し上書きを重ねた魂が擦り切れ崩壊するまでこの星で使い潰され、数が減ればこの星以外で調達した魂をこの星の生命として補充する。アスタレルが言っていた、この星以外の何処にも新たな生命が生まれる余地はないというのもそれはそうだろう。有限の大事な資源なのだ。細々と、細く長く。
リサイクル工場に回さないではなく回せない。人間には処理が重すぎるのだろう。それでもレガノアの力を引き継いでいるのだからやってやれないことは無い筈だが。気合で頑張れよ。
命は生まれながらに原罪を抱えているもの、魂に最初に書き込まれるのは肉体を持って生きる事による消費の罪だ。価値観は変動し時代や世界の在り方で正負そのものが反転する事もままあるが大体にして両方の情報を持っているのが健全な魂の状態だ。意識持つ知性体でありながら情報が一種のみなどというパターンは滅多にいやしない。
自らの裡に生まれ抱えていく感情、他者から向けられる意識と感情によってまた魂の数値は変動していく。情報は積み重なっていくものだ。
そして魂はマイナス属性が強いまま死を迎える方が圧倒的に多いのである。死という恐怖、喪失への虚無、衰えていく事の失望、何も残せない絶望、いつまでも在れない失意、離別への悲痛、その重さ故に初めは殆どの魂は下へと落ちていくのが大半であった。
そして落ちた先である地獄で洗浄して重さを落としてエネルギーを回収し、軽くなったら後はポイしていた。軽くなったら勝手にレガノア処理場に行くだけだったし。魂に残った残りの正の情報分もあちらできゅきゅっと洗浄してエネルギー還元してリサイクル工場行きだ。稀に上に昇っていく魂も居たが順序が逆になるだけで両方を経由するのは変わらなかった。
しかし今はそうではないことが発覚してしまった。大誤算である。こうなると地獄トイレに流した魂もリサイクル工場には行けてないのではあるまいか。重さのある情報を処理したところで残りの浮力のある情報を処理をする処理場がそもなくなっていたのだ。人間と思い込んだまま、聞かされた話のまま前提で動いていたのがご破産である。
残りも金を払ってでも私が処理せねばならなくなった。
正の情報もまぁエネルギーには出来ないどころかエネルギーを使う事になるが解体そのものは出来るのだ。二代目にその辺りをまともにやる気が無いのでどちらにせよいつかは奪い取らねばならない領分となったわけだ。適当に仕事をするなって話である。
おまけにこの星の魂なんて長命種以外は既にどれもこれも正負なんてわからんくらいに重い情報量の塊だ。上書きに上書きを重ね、絡まりまくった糸のようなもんである。こんだけ重ければそら処理落ちしてエラー崩壊もするわ。これを処理するのか。クソッ。
最悪、私一人でもこの次元の魂全てを再生処理して崩壊した魂も復元してリサイクルに回すというのも可能ではある。というかそうするしかない。金を払って働かせて頂くとかいう悪夢である事以外には支障は、ない。筈だ。多分。私に何か変化があるわけでもなし、何も問題無いのだから悪魔だってめんどくさくならない筈だ。……ならないよな?
ちらりと本を見る。悪魔どもは今にして思うと私を思考誘導することで制御していたのだろう。自分はレガノアとは完全に別個の存在であると思わせ、そして人間と思い込ませたままでいたかったのか。人間と思い込んでてもご期待に添えずサーセンといったところ。
でも薪になろうとする人間居るらしいから人間だって自己生存自己欲求を最優先にするとは限らないぞ。だから暗黒神ちゃんが悪魔の望みを叶えてやろうかなで自己生存自己欲求を優先しなかったというのも別にそんな言うほど悪くないっていうかゴニョゴニョ。
光に属する者は私には処理できないというのも処理できないではなく処理させたくないだったのだろう。まぁわざわざやったこと無いしな。正のエネルギーまで請け負って過剰労働させたら何が起こるかわからなかったから避けたかったといったところか。反転してレガノア顔になるかもしれないし。あいつらマジで世界はどうでもいいで動いてやがった。
そう考えると死ぬほど過保護か?眷属の癖に生意気だな。極めて生意気。今度またプライバシー侵害しに行くか。しかしよく考えたら単純に仕事量が2倍になるのだが。ブラック労働か?許されんぞ。なんかやる気なくなってきたな。我が暗黒脳がずももと非活性化し何を思ってたか忘れた。
まあいいか。みちみちの食堂を吟味する。
「お」
ぽっかりと空いたところを発見。てってこと突撃。
「九龍かぁ……」
空いてるのは単にクソジジイがいるせいであった。そりゃ人が近寄らないわけだ。何やらフラワーゼリーを制作している。ゼリーにドスッと金属の金型を突き刺し色付けされたゼリーをちゅうちゅう。めちゃめちゃ凝ってて見事な細工ではあるが。
まぁ座るけど。テーブルの上にスペースを開けてメニューを開く。さて何を食べるか。辛いものにするか?
メニューを見つつもちらりと聞いておく。
「何をしているのさ」
「ん、クーヤか。今は自由都市名物の土産を制作中ヨ。ただのゼラチンゼリーの塊アルがよく人間に売れるアル」
「ギルド総裁が内職……?」
金が無いのか?いやそうは見えないが。バカみたいなクオリティのフルーツカービングを素手で作っているのも見たことあるので単にこういうのが趣味なのかもしれん。趣味が売れるのでやってるアルってところか。
ふむ、折角だ。金貨をポイと九龍に投げてデカいゼラチンアートを一つゲット。今日の昼食は君に決めた。スプーンをぶっ刺してばくりと食いつく。言う通りゼリーの塊なので違いがミルクが入ってるとか果汁が入ってるとかそれくらいしかない。
果物の一つでも入っていればいいのだろうが見た目が崩れるから避けているのだろう。ただの趣味の領域スイーツだ。リュックから水筒を出してとくとくとお茶を注ぐ。朝に厨房の人に頼んでおいたのだ。私が淹れると何故か青色になるので。ちょっとアレンジしただけだというのに謎である。
うまうま飲んで食べてとしていると魔石が手渡されてきた。
「何さ」
「腰痛が一つ軽くなったので依頼達成料ヨ」
なんかあったっけ?特に覚えがないが。まあ受け取るけど。
ばくばくと半分食ったところで流石に飽きた。凄い食べ物だ。ゼリー飽きた。味も変わらず食感も変わらず、味変のしようもなくよしんば何かを付けた所でゼリーはゼリー。大皿一枚に乗るデカいサイズのゼリーの塊などは流石に食えたものではなかった。
半分を九龍に押し付けておいてメニューを再び開いた。丸鶏の丸揚げ食べよ。