天より来たる御使い7
事ここに至っては腹をくくるしかない。
一番前にのしのしと歩いて出て天使の前にずんと居座る。
腰に左手を当てビームでも撃つかの如く天使を右手の指で差し高らかに宣言した。
「やいやいやい!そこの天使!遠からんものは音に聞け 、近くば寄って目にも見よ!
プリティーラブリーピュアピュア暗黒神アヴィスクーヤちゃんとは……このォ私の事ッ!!」
私の事、のあたりで天使に向けていた指を返し親指でビシッと自分を差した。
後ろでブラドさんがよく舌が回るなと呟いていた。
「ここはもう私が住んでるんだもんね!私が決めた私の土地!ここら一帯を地獄としバナナミルクの池に沈めてやるのデス!
レガノアなんてお呼びじゃないのデス!!とっとと尻尾巻いて帰るのデース!!」
言いながら後ずさりしてそそとマリーさんの影に隠れた。
「言っている事とやっている事が違うのよー」
「うるさーい!」
ブースカとカナリーさんに抗議しながらもマリーさんの影からは出ない。
天使のほうを見やれば……どうやら怒り心頭のようだ。多分。
今にも突撃してきそうだ。
マリーさん達も分かっているだろう。
お互いに隙を探りあう無言の睨み合い。
ピンと張られた緊張の糸、意識の膨張する瞬間。
何時間も経っているかのように感じられたが実際には数秒かもしれない。
糸を切る僅かな動き、先に動いたのはどちらだっただろう。
止まっていた時間が一気に流れ出す。
マリーさんの柔らかな手が私の手を握った。
轟音。
ブラドさんが突っ込んできた天使を壁に叩きつけたらしい。
クロノア君とブラドさんの姿が冗談みたいな速度で遠ざかっていく。
「……!!」
翔ぶような速さでマリーさんに腕を引っ張られ路地を抜ける。
というか半ば飛んでいる。
全ての推進力を前へ。高さと距離の天秤をギリギリまで傾ける。無駄なロスを避け地面スレスレをマリーさんは飛翔する。
マリーさんが地を蹴る一歩毎に手前の風景が後ろへと一気に流れていく。
後ろでは建物が崩れるような音がひっきりなしに聞こえてくるが二人は大丈夫だろうか。
「は、はやいのよー!!」
カナリーさんはこっちに着いてきているらしい。
直ぐ傍で必死に羽根を動かしている。
「ちっ!」
マリーさんらしからぬ舌打ち、何が起こったのやら気付けば目の前に天使の姿。
建物の壁を破壊して突っ切ってきたらしい。
握られた手を強く引っ張られた瞬間、テレポートでもしたのかと思った。
こちらへと手を伸ばした天使をマリーさんは避ける事もせず、ぶつかるかと思った瞬間、視界が一瞬だけ閉ざされ気付けば天使は何故か後ろに居たのだ。
まるで幽霊みたいにすり抜けたかのようだった。
バサバサと周囲を飛ぶコウモリ、まさか今のはコウモリ化だろうか?
手を握る私までコウモリになってしまったのか。
そういえばマリーさんの服もコウモリ化するしマリーさんに触れていればコウモリ化に巻き込まれるのかもしれない。
ブラドさんのマリーの能力頼り、というのも頷ける話だ。
後ろから再び建物の倒壊音。
ちらりと見えたのは天使を蹴り飛ばすクロノア君だった。
二人ともああやって時間を稼いでくれているのだろう。
あれで追いついてくる天使がおかしいのだ。
「ひええぇぇぇぇぇえ!!」
そこからはもう凄まじかった。
マリーさんは吸血鬼の能力をフルスロットルだ。
そこらの絶叫マシンなどもはや敵ではない。
時速何十キロだこれ。
少なくとも生身で出していい速度ではない。
速度が落ちるのを惜しんだのか曲がり角に突き当たれば僅かな時間だけ霧化して身体ごと曲がる手間を省く。
バカみたいに狭い路地をコウモリ化で無理やり潜り抜け、高い壁に覆われた行き止まりを獣化して飛び越える。
時々目の前に現れる天使はマリーさんの能力ですり抜けるか横合いからブラドさんかクロノア君が出てきて吹き飛ばした。
「ちょ……っ!こ、こわいのよーっ!」
カナリーさんは自力で追いつくのを諦めたらしい。
私の肩に必死にしがみ付いている。
というか私も怖い。
どんな恐怖のアトラクションだ。
「クーヤ、結界の外に出るわ!」
「はいぃぃ!!」
もう好きにしてくれと思った。
雑多な街を抜ける。
私達は躍り出た。
死霊の支配する荒野へと。
背後を見れば天使もまた私達の後を追って荒野へ出てきている。
ここからあの天使が勝手に消滅してくれるまでここで耐えねばならないのだ。
速度を落とす事無くマリーさんは駆ける。
……が、障害物がなければ天使が追いついてくるのは時間の問題だ。
「マリー、結界を二つくれたまえ。そろそろ天使が来る」
「もうかしら?追いつくのが早いわね」
「天使が相手ならば十分に稼いだほうだろう」
いつの間にやら隣にブラドさんが追いついていた。
さすが人狼、めっちゃ早い。
マリーさんから生まれた輝くコウモリがブラドさんに引っ付く。
「後は三人で撹乱の一手だろう」
「そうね」
言うが早いか、二人は走るのをやめ、ずざざざと土煙を上げて急ブレーキしつつ、追ってくる天使へと向き直った。
マリーさんが手を握っていてくれなければ慣性に従い多分ぶっとんでた。
というかそれでも肩が抜けるかと思った。
カナリーさんも私にしがみ付くのに必死だ。
向かってる天使に向けてマリーさんが手をかざす。
周囲に紫の光を放つ魔方陣。
「雷電」
奔る閃光。僅かに足を止めた天使、それに追いついたクロノア君がブラドさんが投げたマリーさんの結界コウモリを受け取りつつ天使を殴ってぶっ飛ばした。
やはりダメージは無いようだ。
すぐさま起き上がってこちらへ向かってくる。
一途なのは嫌いではないがしつこいのは嫌いである。
「ブラド」
「分かった。そのおチビを寄こしたまえ」
目の前まで迫ったところでマリーさんに投げられた。
ブラドさんに荷物の様に担がれてしまった。
迫り来る天使に向かってマリーさんが再び雷撃の魔法を放つ。
天使は気にした様子もなくターゲットをブラドさんへと変えた。
「モテモテでよかったではないか」
「いるもんか!」
天使の攻撃からブラドさんはお手玉の様に私を転がし庇いながら後ろへ下がる。
ぐえ、ぐえ、目が回ってきた、やめろー!
「クロノア!」
「…………」
庇いきれなくなったと見るやクロノア君に放り投げられた。
片手でお人形持ちをされた。
ブラドさんよりはマシな持ち方であろう。
というかこれは…。
足手まといがなくなったブラドさんは天使に何度か攻撃を加え、こちらから反対方向へ蹴っ飛ばして距離を稼ぐ。
その間にマリーさんがこちらへと距離をつめてきた。遠くもなく近くもなく絶妙な距離。
恐らく次なるターゲットにされるであろうクロノア君が私を庇いきれなくなったら私をマリーさんに投げるのだろう。
……まさかこれでチクチクジワジワと時間を稼ぐつもりか!
なんて姑息な!
「卑怯なのよー……」
カナリーさんも渋い顔だ。
確かに卑怯だこれ。
私と言う完璧なる骨っこを追いかける犬、もとい天使。
軽い集団によるいじめに近いのではないのだろうか。
予想通りこちらへとターゲットを移した天使、その身体は既に溶け崩れ半壊している。
ふしゅるー、ふしゅるーと空気が漏れたような呼吸音には死臭が匂ってくるようだ。
このままいけるだろうか…?
「G……」
天使の周囲に集まりだす光。
「……聖光術か!」
「……GRRRRRRRRRRRYYYYYYYYY!!!!」
天使の奇怪な叫び声に大気が震えた。
これは…ま、まずいのでは!?
「カナリーを忘れて貰ったら困るのよーっ!」
肩で小さな妖精が対抗するかのように吠えた。
カナリーさんみたいなちっこい妖精になにが出来るっていうんだい!
「水よ!集え震え満たせ!!」
カナリーさんの声に呼応するかのようにこの雨なんて降りそうもない大地だというのに巨大な水塊が現れる。
ドプンッとそのまま天使を包んでしまった。
「おおう!?」
すごい!
カナリーさん、いや、カナリー様!
バカにしてごめんなさい!
水の中に閉じ込められた天使に集まっていた光が四散した。
「ほう、天使の歌をこのような形で封じるとはな」
「一瞬だけなのよー」
カナリー様の言うとおり、水の中に閉じ込められていた天使はあっさりと出てきてしまった。
「詠唱キャンセルなど十分な効果だ」
「往生際が悪くてよ!」
マリーさんの強烈な素晴らしいキック。
どうみても魔法系のお人なのに何故に最後はキックなのか。
……だが天使にはその僅かな時間が最後だったようだ。
グズグズと崩れていく身体。
こちらに向かおうとしてはいるものの、脚、腰、徐々に崩れてゆき最後に残った頭もやがて真っ黒な泥へと変わってしまった。
ぶつ、ぶつと泡を噴く黒い泥は少し前まで天使だったものとは思えない。
天使の残骸を四人で眺めている内に、段々と実感が湧いてきた。
……天使をやっつけたのだ。
「ほへぇぇえぇぇ……」
思わず安堵の息をついてしまった。
全く、なんて濃ゆい一日だ。
疲れた。実際には疲れやしない身体だというのに非常に疲れた。
「今日はとんでもない大冒険なのよ~……」
騒がしいカナリーさんもぐったりとしている。
ブラドさんも心なしか疲れているようだ。
クロノア君は……わからん。
マリーさんはいつもの様に優雅にスカートを直している。
「さ、戻りましょうか」
「はぁい」
「やれやれ……」
「………」
パキポキとブラドさんが伸びをする横でクロノア君が頭のネジの調整をしつつ腕の調子を見ているようだ。
マリーさんもあちこち煤けている。
よく見れば全員結構ボロボロだ。
しかし皆大きな怪我もない。
本当に良かった。
巻き込んだのはこちらなので無事でいてくれて嬉しい。
まさか天使があんなに強いなんて思わなかった。
だがそれも今や過去の話、これにて一件落着、これより街へと帰還し美味しいご飯を食べるべきだ。
今日は皆に私が美味しいお酒を奢ろうではないか。
大地を吹き抜ける一陣の風。髪を煽るようにして巻き上げていくその冷えた空気の流れが酷く心地よいと感じた。
空を仰げば雲があっという間に形を変えて流れていく。
上空にも強い風が吹いているのだろう。全てを吹き飛ばすかのような風が。
うむ、帰ろう。
振り返って、気付いた。マリーさんも流石に嫌そうなお顔である。
「……この距離を歩いて帰るのは大変そうなのよー」
皆様の全力疾走のおかげであろう。
街は遥か遠くに霞み、豆粒のようなサイズであった。
全員が全員、ため息を付いてしまったのは仕方の無いことであろう。
……ハァ。