落涙
一頻り映像を撮ったので狐の窓を仕舞う。さて、どうしたものか。
九龍が言ってたのはなんだっけ、えーと確か赤の龍の回収と解放だったか?ミンチがあるだけでそれらしきものが居ないのだが。
なにやら問題の容器を回収し始めたアスタレルを眺めながら視線を彷徨わせる。半分の龍だったっけ?
というか何故にわざわざそんなものを回収をしているのだ。気になってきたので聞いてみた。
「それ何に使うのさ?」
[暗黒神様が人でなしですので私が処理をしようかと]
だからなんでだ。私のどこに人でなし要素があるのか。
というか悪魔に言われたくないのだが。顔をへちゃむくれさせながら作業を観察して──────────はたとそれに気付いた。
名 スエツムハナ
種族 神龍種
クラス 赤
性別 男
「ブッヘェ!!」
[漸くお気づきのようで]
「さ、先に言うのだ!!」
これでは私がマジで人でなしのようではないか!全く!全く!!
慌てて羊の腕から容器を回収し直す。いやしかし、うーん。これは……手の打ちようが無いヤツでは。此処からの回復はどう見ても絶望的だ。想像の埒外の有り様なのだが。
とりあえずこの環境破壊音からどうにかするか?
もしかしてもしかしなくてもこの環境破壊音は龍の声か?何故言わない。もうちょっとこう……暗黒神ちゃんは幼女であるからしてあまり察しが良くないのだ、ちゃんと説明しとけという話だ。
パラパラと本を開く。魔力はまだ心許ないがまぁ流石に不憫であるからして。
商品名 感度1000倍
秘密のお薬で感度を驚きの1000倍に。
ちょんと触れただけで熱病のような刺激が貴方を襲います。
燃え上がる夜のお供に。
「やめやめ!」
人でなし路線やめろ!私は人でなしではないのだ!
商品名 感覚遮断の罠
感覚を遮断し何も感じなくしてしまう罠。
その間に与えられた刺激が一気に襲い掛かる様は圧巻の一言。
燃え盛る夜のお供に。
「………はっ!?」
危うく買うところであった。ちょっと騙されそうなトラップやめろ!
クソッ、プリプリしつつページをバッサァと捲る。
商品名 大吟醸麻酔
この人でなし!!!!!
「………………」
なにやら納得がいかないのだが。
まあいい。漸く目的の商品が出たのでそそくさと購入。これでよし。
容器の様子を観察してみれば、効果があったのかどうなのか。髪の毛のチリチリとした感覚も少しずつ失われてゆく。
アスタレルがとんとんと自分の耳を示したのでどうやら問題ないようだ。きゅぽっと耳栓を取れば無音の世界からただいまである。
「暗黒神様、それでこの龍はどうするので?
いつだったかの意識集合体のようにトドメを刺してしまうのが手っ取り早いデスが」
「うーん」
それはそうであろうけども。こっちの半分龍ももしかしたらあの樽子みたいになりたいかもしれないし、とりあえず持ち帰ってみた方がいいだろうか。
あの都市でその作業が出来るかは謎だが。
ま、いざとなればマリーさん達に連絡をとってもいいだろう。運ぶのはアスタレルにやらせるとして、さしあたり自由都市に持ち込むか。
では、容器に手を触れた瞬間。不意に耳の奥にするりとした声。
”空に何が見える?”
───────────はて。なんだったか。顔を上げた瞬間、淀んで停滞する空気に吹き込む一陣の風。
赤き風に煽られた髪が舞い上がり視界を僅かに塞いだ。時間にして一秒にも満たない。然して変化は一瞬。
「ギャボーッ!!」
「おやおや」
真っ赤な大気が視界を覆う。果て無き空は天地すら存在せず。投げ出された先はただ只管に落下し続ける赤き世界。いや、落ちているとも言い難い。何せ大地は存在しない。
そのような感覚があるというだけである。兎にも角にもいつの間にやら無限に続く赤い夕暮れで埋め尽くされた大気の世界に羊と二人でひゅううと落ちていた。
「あばばばばば」
口の中に風が吹き込みぶわっと広がった。おのれ!
親切を働いた筈なのだが。恩を仇で返すつもりか?許さんぞ、悪魔が。
藻掻きながらバランスを取ってなんとか視界を確保したところで、同じく目の前を落ち続けるもう一人の存在に気付く。
少年、といって差し支えなかった。
赤い髪が嬲られるようにして風を孕んで膨らむ。真横を向く人物はこちらからは横顔しか見えない。しかし、それでもその人物が持つ不自然さがこちらに向いた分しか持っているべきものを持っていないのを知らしめる。
溢れ落ちる赤い雫がぱらぱらと風に煽られ、血の涙のようにも見えるそれは夕暮れに照らされ黄金に煌めきながら何処かへと流れて消えてゆく。
少年の、赤い唇が僅かに歪んで、震える。
「……天地神明に誓いましてこの心に恨みの一切御座いません。どうして恨みなどしましょうか」
風が吹き込むばかりでほぼ塞がった耳にもその静かなる声は確かに届いた。
「私はただただ悲しいのです。ただただ苦しいのです。ただただ痛むのです。
ただ悲しく、哀しく、かなしく──────そして呪わしい」
赤い眼球がずるりと揺れた。その肉体の裏側からぼろぼろと中身を零しながら少しずつ、少しずつその身を崩してゆく。
「食事、不浄、代謝、血液、汚穢、我欲、傲慢、偏狭、怨恨、怯懦、愉悦、怠慢、欲望、斯くも鮮やかなりし痛みの日々。
人と混ぜられ人として生きる我が半身が浸る妄執の日々こそが我が魂にとっての何よりの苦しみ。人の在り方を混ぜられたが故に、私もまた人と同じように他者と己を呪わずにはいられない。
人の業も、欲も願いも祈りも悪逆も、生命が織り上げる時間を構成する糸に過ぎずそう在ることに何の咎がありましょうか。
されど、私自身がそれを成すのは耐えられない。何故と嘆かずにいられない。神の名の下に魂を穢す、人に呪われた我が半身こそを私は厭う」
赤い大気に溶けるように中身を失って歪んでゆく横顔に、最後に残った龍の眼がこちらを向いた。
朱金色の逆光の中、その眼光の輝きだけが色鮮やかに揺らいで大気に焼き付く。
「深淵に潜むイド、井戸の底に沈むイド。この世の何よりも深い闇よ。
旅立ち逝く私の祈りをどうか、どうか聞き届けて欲しい。謁見は二度。
闇が私を見つけてくださいました。そして光が私に世界を見せてくれた。
だからこそ私は飛び立てる。この空に、もう一度」
赤い空が燃えて落ちる。龍と同じくして、崩れて消える。
羊ががしりと私の首根っこを掴んだ。
「復讐も、応報も、報復も、自壊も、呪いも、肉体も、魂も、その全てを私は放棄します。
おぞましく呪わしき人の営み、それを己自身が紡ぐことを厭い、我が身よ裂けよ、災いあれかしと叫ぶしかなかった私はまさしく祟りを成す蛇でしかなかった。
ですが、半人半神として作り出さた我が半身がそう生きることを私は私自身に許します。
この呪いも、私が全て持ってゆく。
願わくば───────ただ、そう。残される我が半身が、我が子が。正しくても間違っていても、善でも悪でも構いません。
人は弱きもの、多くの人々がそうであるように、人として当たり前の営みを紡ぎながら歩み、そしてその生の終わりに得られる何かがありますように」
日が沈む、龍の眼がその輝きを喪失しゆくのと同じように。赤い残光が微かに走る、洛陽の空。
暗転。
ばしゃん、盛大な水音と共に何かの液体に頭から突っ込んで落ちた。
「ブヘッ!ペッペッ!」
「…………多少気に食わないデスが。
ま、いいでショ。龍なぞどうでもいいことデス」
ブルルルルンッ!頭を振り立てて雫を飛ばして周囲を見回す。
ん、360度見回す限り狭苦しい石壁。空を見上げる。
丸い光が高いところに鎮座していた。どこぞの井戸に着水したらしい。
ふと天の丸い光が欠けて三日月に変わる。
「あらあら、クーヤちゃん大丈夫かしら~?」
反対側も欠けて太鼓型の光となった。
「寺院が無くなってるんだけど。大きく歴史ごと喪失したって感じ。赤の龍が大分持ってったの?
ていうか時間軸の歪みの跡すごいわよ。一ヶ月分くらい時空が断絶してたってくらい。
あんた何したのよ」
ちゃぷんと赤錆びた水に半分沈みながらうむと頷く。
何が起きたのかよくわからんし、何を言ってるかもわからん。とりあえず引き上げて欲しいのだが。
小難しい話はアスタレル先生がなんとかしてくれるだろう。多分。