怪奇!取材班は見た
目が覚めた。
何処とも知れぬ大地に私は立っていた。生き物の気配はなく深々とした空気が雪が水底に沈殿するが如くただひたむきなまでの沈黙のみがこの耳に届く全て。
顔を上げた。
夜の闇の中に点々と灯る煌々とした明かりが萎びた草葉を照らし出す。而してなお一層深まる射干玉の闇が僕を囲んで見下ろすように周囲を覆って離れない。
歩き出した。
この足で踏みしめた草が猥雑な声を囂しく囃し立てる。その声を振り切りて巡礼者さながらに光が導く道の先を目指し陰を纏い連れながら小生は歩き続ける。
「紅花知りませぬか」
夜の闇、逆光の影よりなお深く、深く沈む昏い影がしゃがれた声音で此方に問うた。
瞼の無い眼だけが深淵に瞬く星のように煌めいて輝く。赤き血が大地に沈んで落ちる。
汝は我が前に立ちそして麻呂に問いにける。故に、汝が渇望せしその問いに妾は応えよう。
「■■■■■■■■■」
闇へと還った者を見送ること無く再び歩き出す。
一つの光を越え次の光へ。気まぐれに振り返ればそこに光は既に無く闇ばかりが横たわるのみ。
じりじりと焦げ付く人工の輝きが無機質で温度の無い光をちらつかせて先を急がせんとばかりに吾人に訴えくる。
果たして辿り着いた先、林の中に孤独に在る石造りの円環。微かな水音が空気を震わせた。冷えた空気を湛えながら手招くように圧迫感を以てその存在を予に訴えくる。
石縁に手を付き暗闇を覗き見る。光を反射し女人の髪の如くなめらかに波打つ水面に満月のように浮かぶ光、丸いそれはあたくしの影に覆われ欠け落ち、まるで口端を上げて笑う三日月のよう。
嗚呼、あゝ、唖々。この井戸の底に沈む誰かがこちらを見上げる。妬ましそうに、恨みがましそうに、羨ましそうに、呪わしそうに見つめてくる。
僅かな光に照らし出される井戸底の掻き傷が這い上がれぬ誰かの無念を語って憚らず。井戸の底、冷たい水底に沈められ静められ鎮められ眠るイド。
私はそれに、この感情のままに声を上げた。
「おりゃーーーーーっ!!」
アイキャンダイブ!!こんなあからさまな井戸とかこの暗黒神ちゃんの並ならぬ溢れんばかりの好奇心をくすぐりまくりまくってたまらんのだ!!
井戸の底に眠る未知なる物体を求めて私は暗黒神ちゃんダイブをキメてやったのだった。やったぜ。
どばしゃーんと水音と共に井戸の底に突っ込んだ瞬間、バフっと布の音が響いた。
「ンゴッ」
目をぱちぱちと動かす。ダイブをキメたポーズのまま起きたようだった。場所は勿論ベッドの上。あたたかみがありフカフカだ。完璧だ。
起き上がってモゾモゾと目を擦る。窓を見ればまだ日が傾きかけた頃だ。起きるのは早かったか。
「あらあら、クーヤちゃん起きたのねぇ~」
起きたままらしいアンジェラさんがのんびりとおっしゃる。それは良いが人形のように身体を床に投げ出したまま首を90度直角に曲げて喋っているのはそれだけで普通にホラーな図なのだが。
下手なホラー話より怖いまであるぞ。
「なにやら変な夢を見たような」
「そうなの~?きっとトリガーに引っかかっちゃったのねぇ~。
でも、クーヤちゃんなら安心だものねぇ~」
一体何が安心だったのか。どこに安心要素が。というか起きて喋ってくれないだろうか。確実にこちらではない虚空を見つめる目もやめて頂きたい。
「夢の中でクーヤちゃんに干渉しようとしても物質界と違って肉体という枷が無いから~、これくらいの霊災だと物質界の神様なら祟れるけど、クーヤちゃんはちょっと無理ねぇ~」
ほーん。よくわからんがなにかされたらしい。祟りを貰いかけたということだろうか。まぁ何も無かったなら良しとしよう。
しばらく考える。そういや九龍が心霊写真でも撮れ的なことを言っていた。ゴソゴソとリュックを漁って本を取り出す。
節約していたので随分と久しぶりだが。
商品名 狐の窓
薄型、軽量のコンパクトカメラ。
レンズに魔神からくり抜いた目玉を使用しズーム機能驚きの666万倍を実現。
フルハイビジョン動画対応、スムーズな手ブレ補正。666億画素の圧倒的美しさ。
顔認識機能、ノイズ除去、暗視モードに霊視モード、アートフィルターアドバンストフォトモードなど機能も多彩。
全体に悪魔カラーのブラックを採用しつつもワンポイントの流行の暗黒神マークがあしらわれた洗練されたデザインがあなたを魅了する。
自慢の一品らしく長々とした商品説明が並んでいるがそこは読み飛ばして購入。
出てきたカメラでパチリとアンジェラさんを撮っておいた。これでオカルト寺院で何も撮れなくてもアンジェラさんの写真を提供しておけばいいだろう。
まだ時間はある。一眠りしてもいいが……それよりはご飯だな。ご飯を食べて栄養をつけて行くべき。
そうと決まれば話は早い。アンジェラさんは食べないだろう。樽子は……相変わらず動かないな。ほっといていいか。
「ご飯食べてきますわーい!!」
「あらあら、いってらっしゃ~い」
部屋から弾丸のように飛び出す。確か一階に厨房的なものがあった筈だ。ドドドドと駆け下りてテーブルに飛びつく。客は居ない。
というか私以外に人っ子一人居ない。この宿を取る時には人が居た受付もガランとしている。むむ……誰も居ないとなると、私のこの胃袋はどう宥めろというのか。最早辛抱たまらんとばかりに打ち震えているのだが。
静まり返った室内、テーブルが幾つかあるが肝心のご飯がないのではしょうもない。
「んー」
外に食べに行くか?しかしご飯処的な建物は無かった。もしや空きっ腹でオカルト寺院に行かねばならんというのか。このイカ腹が途中で大暴れしてしまうぞ。
思いながらぐるりと厨房を巡っているとふと赤い錆が浮いた鉄箱に意識が向いた。幾つか鍵が掛かっている。
えーと……宿の部屋番号が書かれたフックには鍵は掛かっていないが。屋上に焼却炉、倉庫に離れ、地下室の鍵と霊安室の鍵が埋まっている。なんで宿屋に霊安室があるんだろ。いいけど。店主の趣味か?
ちゃりんと一つ手にとって見るが、特に変哲のない鍵はくすんでいて使った形跡はない。
鍵を使ってないってことは掃除もしてないのか。ばっちいな。触らんとこ。戻して手を拭っておいた。これでよし。
「ん」
顔を上げてみて違和感。ビッシリ鍵が掛かっていた。なんでだ。これもトリガーってやつの仕業なのか。
しかし正直な所見た目のインパクトは先程のアンジェラさんのほうが格上である。
カメラを取り出してジィームと先程の写真を現像。
鍵をどかしてペタペタとはっつけてやった。恐怖の具合が倍率ドンである。完璧だ。ご飯も食えそうにないし部屋に戻るか?
顎に指を当ててしばし熟考。外にでて見回す範囲に飯屋が無ければ諦めるか。よし、そうと決まれば話は早い。
ズダダダと天井をはしるような足音を立ててドアをご開帳。ぐるりと見回し。
「あれ」
座り込む女の人とそばに立ちっぱなし男発見。いくら何でも唐突すぎだろ。怪しさ満点栄養満点だぞ。いくら私でもこんなトリガーには引っかかったりは……。
名 エウリュアル
種族 魔族
クラス 魔女
性別 女
名 カルラネイル
種族 神竜種
クラス 赤
性別 男
「な、なにぃ!?」
ふっつーに生きて実在してる人達だった。そこは幽霊であるべきだろ。空気の読めない二人だ。
じーっとドアを盾に二人を眺める。怪しいな。なんでこんなとこにいるんだ?見れば見るほど怪しい。女の人は座ったまま何か本を読んでいるようだが。
男の人のほうは気のせいでなければこちらを見ている。まぁ神竜とかいうウルトと同じ種族のようだし野生の勘という奴だろう。
ウルトもなんか人の気配とかにめっちゃ敏感だったし。全身かってぇ鱗の図太いメンタルのくせに敏感とかいうのが鼻で笑うが。
特に会話をした様子はないがそれでも男の様子に気づいたのか女の人がちらりとこちらを見た。ふむ、茶色い髪の毛に紫の目で更に赤い口紅が目を引く色だ。あとは地味。魔女らしく三角帽子なのは好感が持てると思う。
だが箒を持っていないのは頂けない。そこは重要だろ。
唸りながら眺めていると女の人がちょいちょいと指先で手招く仕草をしている。こっちに来いってことだろうか。騙されんぞ。
そうやってクソ映画を勧めてくるつもりだろう。サメ映画とか。
警戒心も顕にカーッとすると女の人はちらりと視線を外してからおもむろに荷を漁りだした。なんだ?
「!!」
出てきたのはいい感じの匂いを放つ白いまんじゅう。白旗を上げた。これは敗北。仕方がないのだ。食べ物で釣られるなとは言うが逆に食べ物で釣られないのは人ではない。
そーっと抜き足差し足忍び足で歩み寄る。そろりそろり。
女の人が差し出すまんじゅうに手をそろーっと伸ばしぎゅむりと掴んでダッシュで逃げようとした瞬間に男により私は宙吊りにされていた。
「ギャーッ!!」
「ああ、おちびちゃんはちゃんと生きているのね。ならいいんだけど。君、こんなところで何をしているの?
見ての通り人の住む場所ではないわよ、ここは」
「おばけ退治だわーい!」
「おばけ退治……祓いに来たということ?
この祟りを祓うのなら人柱を立てて埋めたほうが早いと思うわよ。
そのうちに忘れ去られて時の彼方に消え去るでしょ。それが人にとってもこの魂にとっても最もマシな終わりではないかしら?」
「むむ。人柱予定地が文句を付けて依頼を押し付けてきたのです」
「へぇ……それってかなり貧乏くじじゃない?
少なくとも私は嫌ね」
「キャンペーンだから仕方がないのです」
「君って騙されてるんじゃ、いや良いわ。それもまた得がたい人生の糧になるでしょう。
ところで君、一つ尋ねたいんだけど良いかしら」
「なんでしょう」
「この顔、知らない?」
顔?まじまじと見つめる。奇妙な問いかけだが今の私にその答えは無い。
「シラヌ」
「そ。なら良いわ。そのおまんじゅうはあげる。問いの答えが与えられたならばその対価は支払わねばね」
「きゃっほう!!」
まぁそう言われる前に既にお腹に収めたとは言わないでおこう。
美味しかった。ぺろりと口の周りを舐めておいた。
「なんかさ、記憶が無いの。起きてからこの方その辺を放浪してるんだけどちっとも思い出せない。
何をしてたとか、家族が居たのかとか、そういうのもわからないから私の顔を知ってる人を探してる。
君は知らないみたいだけど、君の知り合いになんか私のことじゃないかなーみたいな事言ってる人居ない?」
「さぁ……?そこのドラゴンは?」
無言のドラゴン男は無言無表情棒立ちを先程から決めている。そういやウルトも昔は無口とか言ってたし普通の神竜種ってこんなものなのかもしれん。
「そいつ?実は誰なのか知らないのよね。何を言っても聞いても全然答えないし。私が起きた時からずーっとひっついて来て離れないんだけど。
というか君がドラゴンって言ったから初めて種族知ったくらいよ。でもまぁなんか私を守ってるみたいだし別に害も無いから放置してるわ」
「ふーん」
あれ?種族すら知らないってそれじゃあもしや自分のもこのドラゴンのも名前すら知らないのかこのお姉さん。
「お姉さんの名前はエウリュアルでそこのドラゴンはカルラネイルですぞ」
きょとん、とした顔のお姉さんはよくわかっていなさそうである。
「クーヤちゃんの不思議能力で名前とかわかるのです」
「まじない、みたいなもの?」
「まぁそんなもんで納得しとけばいいと思います」
最早説明がめんどうである。
えうりゅある、えうりゅある、かるらねいる、お姉さんは何度か繰り返してからやがてひとつ、頷いた。
「それっぽい。すっごいしっくりくる。多分あってる。すごいのね、君。2年経って自分の事を知れたのは初めてよ。
私はエウリュアル、そしてそこの唐変木はカルラネイル、ね。……困ったわ。
思わぬ答えを与えられておいてなんだけど、私には君の行いに支払える対価がない」
対価……情報料ということだろうか。律儀なねーちゃんである。まぁ魔女というからには契約とかそういうのを重んじてるのかもしれない。
「別にいらないけど」
名前程度で金を取るというのも何である。しかし私の答えにねーちゃんは顔を顰めてしまった。
「君、そーいう安売りは褒められるものではないわ。
自分にとって如何ほどの価値かではなく相手にとって如何ほどの価値があるかよ。
因果応報、天秤の釣り合わぬ事象は何れ自らの不幸になる。心のうちにある自分を軽くすればするほど相対する者の中にある自分もまた軽くなる。
そして風船のよう軽い者は相応の軽い心しか向けられない」
「えー」
別にいいのに。私が良いって言ってるんだから別にいいのだ。そうに決まっとる。
私が納得していないのを察しているのか無言の圧力を掛けてくるがんなめんどくさいことしたくねぇ。それに考えたくない。
人生は快か不快かの一種二択、もっともっと単純であるべき。我が脳みその容量は無限ではないのだ。
しかしまぁ……このねーちゃんは親切心で言っているのであろう。小難しい言い回しだが要するにそんなんじゃ悪いやつに利用されるわよってことだろうし。
心からの親切心からの忠告というわけだ。
「じゃあそれで」
「それ?」
「おねーさんは今まさに私に親切を働いているのでそれが対価ということで毎度ありー」
「む……、やるわね君」
言い負かしてやったぜ。
「……一方的にただ与えられることを喜んでいるだけならばそれは獣と変わらない。
逆に君が相手に対価を求めないのは相手を獣と見做しているからね。ごく小さな獣が自分の足を踏んでも本気で怒る者は居ない。
訂正しとくわ。ちゃんと生きている子供ではないようだし、自らの樹の葉を食まれたところで気にせぬ大樹にそれを気にしろというのも無理な話。
対価は確かに支払われた、それで良しとするわ」
「うむ。よきにはからえー!」
「そうね……ではもう一つ対価を支払いましょう。教えられた名は私のものとこの唐変木のもの。
与えられたものは二つ、今のままでは割に合わない」
少し視線を上に上げ、空に何かを見るようにねーちゃんは少し考え込んだようだったが。
やがて私の方に視線を下げて囁くような声で言った。
「"空に何が見える?"」
「む」
突然のお空宣言。言われるがままに見上げてみるが別段変わったところはない。
「なにさ」
「さぁ」
適当な返事がかえってきた。なんなのだ。
「これはおまじないのようなもの。いつ来るのか、必要とされるのか、誰のことなのか、誰の言葉なのか。
それは私にもわからないけど、いつか君か……もしくは君の周りにとってソレとわかる一つの答え。
別に忘れても構わないわ。必要な時に思い出せればそれでいい」
「それって役に立つの?」
「立たないかも知れないし立つかも知れない。これ、残念だけど私には制御不能なの。
今どき流行りの神託っていうのかしら。ぽつっと言葉がたまに浮かぶだけの泡沫のようなもの。
何かしらの分岐点に立った時の指針となるかもしれない一つの可能性に過ぎない」
「ふーん。まぁいいけど。
んじゃまぁ料金支払い済みということで」
懐にいれっぱなしの羽兎運送のやたら長いレシートを押し付けておいた。
「記憶は無いけどこれだけはわかるわ。これ、ただのゴミでしょ」
「そうとも言います」
真剣な顔で深く頷いておいた。