天より来たる御使い5
乾いた風が甲高い音を立て、赤い砂を巻き上げながら大地を這い舐めていく。
どことなく息を吸い込む人の声のようにも思える風の音は不思議と耳にへばりついて離れない。
うむ、来た時はなんとも思わなかったが死者の怨念まみれと聞くと風の音もソレっぽく聞こえてくるものである。
この赤い土とか、ひび割れとか巻き上げられた砂で赤茶けた色合いの空とかも全部それっぽい。
そういえばここで地獄トイレの自動洗浄を使ったらどうなるのだろう。ここに居るという魂も吸い込めるのだろうか?
それに話を聞いた感じだとここで何百年も擦り切れ消えるまでゔぉええぇとし続けるのはしんどそうであるし。今度試してみよう。
申し訳ないが私の大事な砦なので今度である。許せ。
うんうんと考えていると地図を見ていたマリーさんがリーダーシップを発揮しこれからの行動指針を提示する。
「東からの街道を来ていたのなら、わたくし達もまずはそのルートから遡って行きましょう」
「そうだな。こちらが出向けば向こうが気づいて出てくるやもしれん。
カナリー、君も東沿岸から結界を辿って来たのだろう?」
「そうなのよー。天使を見たから戻ろうとした途中で捕まってしまったのよ!」
「決まりだな」
決まったようだ。しかしこんな吹きさらし荒野に街道とは。
そんなものあっただろうか。この街に来る時には二時間歩き続けたがそれらしきものを見た覚えはない。
「街道なんてあるんですか?」
「明確に街道として整えているわけではないわ。結界を伸ばしているだけで見た目は特に変わらないの」
「へぇー」
というわけで先導されるままに歩いていく。辿り着いた先は別段代わり映えのない景色だ。
確かにここが街道と言われても分からない。だがよくよく見ると土が踏み固められているし、小石の類が除けられている。薄っすらと車輪の跡。人の往来痕だ。
しゃがみ込んでいるとマリーさんが少し大きめの岩を指差しながら私の方へ声を掛けてきた。
「クーヤ、あれが結界を掘り込んでいる岩よ。ここから沿岸まで同じような岩が等間隔に置いてあるからあれから離れては駄目よ」
「はーい」
近寄ってみれば、確かに何か模様が掘り込んであるようだった。
この岩を使って結界を伸ばしているのだろう。ぺたぺたと触ってみるが岩だなぁという感想しかない。
削ったらどうなるんだろうと思ったがどうにも物理的に掘ったというわけではないようだ。
つるりと掘られた模様は刃物で削ったという断面ではない。
焼いたというか、そんな感じに見える。
「さあ行くぞ、おチビ。何か見えたら言うがいい」
「ふぁーい」
いつの間にか私を置いて歩き出していたらしく少し距離が開いている。とてとてと三人の後を追った。ブーンと妖精が後に続く。
どうやらカナリーさんも流石に私に慣れてきたようだ。取って食いやしないのでもうちょっと近づいてもいいぞ。ちこうよれ。
「…………うーん」
雑談しつつ連れ立って暫く歩いたものの。特に商会らしきものは見えない。
カナリーさんもブインブイン飛び回っているが見つけられないようだ。
結界石の数である程度は街からの距離を把握しているのだろうマリーさんが地図を軽く指で弾いた。
どうやら街道捜索はここで打ち切りらしい。
「やはり結界外に出たままのようね。そろそろ最後に姿の確認された中間補給所に着くし、ここからは結界外を探しましょう」
「やれやれ。向こうから合流してくれれば楽だったのだがね」
「仕方ないわ。こういった事はままならないものよ」
マリーさんが何事かを呟きながら一匹のコウモリを出して見せた。
なんだか妙に光輝いたコウモリである。コウモリらしい独特の飛行軌跡でぱたぱたと飛んで回っている。顔がプリティだな。
「結界を作ったのよ。この蝙蝠から半径5メートル程の広さ。結界の維持にわたくし達全員の魔力を吸い上げているわ。
疲れたのなら対象から外すわ。言って頂戴」
おおー。これぞ魔法って奴だろう。初めて見たな。感慨深いような……そうでもないような……。
…………………………んん…………。
なんだかおかしい。
「マリーさん、疲れました」
「早すぎだろう」
ブラドさんに呆れたように突っ込まれた。
しかし疲れたものは疲れたのである。
それも倒れそうなレベルで。
「……まぁ、クーヤの魔力量ならそうなるわね。初めから外しておくべきだったわ。
……大丈夫かしら?」
対象から外してくれたらしい。
伸し掛かるような重さが消えた。ぶんぶんと頭を振るとそれだけで疲れが飛んでいく。上限が低すぎて回復も速いのだ。
「さ、行きましょうか」
「どちらに向かう?」
「そうね……」
各々考え込んでしまった。まぁ道を外れるとなったら範囲は360度。何処に行ったのやらである。何も手掛かりが無いのであればほぼ勘で決めるしかない。
皆さんを見習って私も見回してみる。
こんな土地に隠れるような所があるのかと思っていたが、この辺りは赤茶けた巨岩が辺りに乱立し、戦争の名残なのかあちこちボコボコで隙間だらけだ。
隠れようと思ったら遮蔽物はいくらでもありそうである。
これは苦労しそうだ。
「足跡もなし、と」
「ブラド、匂いは残っていて?」
「既に残っていないようだな。こうなれば確率の問題だ」
「!」
ぴんと思いついた。リュックを下ろして木の枝を取り出す。
三人と妖精が不思議そうに集まってきた。
「クーヤ? 何か当てがあるのかしら」
そうとも、こういう時は困った時の神頼みに限るのだ。地面に立てて手を離した。
ぐーらぐらと暫く揺れたあと、パタリと倒れた。
倒れた方向を指差す。
「あっちです」
「適当すぎる」
むむ、ブラドさんは反対のようだ。
適当もクソもあるかい。どうせわからんのだ。自分だって確率だと言っていた癖に。
「うるさーい! ブラドさんなんか一人寂しく彷徨ってしまえー!」
「何を言うか! 私が一人で彷徨うなど世の女性に悪いだろう! これだからおこちゃまは!」
「………………まあいいわ。ブラドは一人彷徨わせるとして、特に行き先を示すようなものも無いし、クーヤの言う方向に行きましょうか」
「マリーまで何を言うのかね! これだから幼児体型は!」
とりあえずブラドさんは無視して皆で進み出した。
後ろでブラドさんがブツブツと言っていたがそんなものは放置である。
全く。
女性に体型の話を振るなどなってない犬耳おっさんだ。そしてそれから2、30分ほど歩いた頃だった。
ブラドさんが呆然と呟く。
「…………これは冗談か何かかね?」
「…………まさか本当に居るなんて予想外ね……。正直なところ間に合わず死体の回収になると思っていたのだけど」
前方の切り立った岩同士のほっそりとした隙間。
そこにはいくつかの輸送馬車と幾人かの人、あれならキャラバンとでも呼ぶべきだろう。その姿があった。
「きっとあれなのよーーーー!!」
カナリーさんがブイーンと飛んでいった。
その後を付いて行くようにして皆でキャラバンへと向かって歩いていく。
こちらに気付いたのだろう、馬車から人が降りてきてガヤガヤと集まっていく。遠目からでもその顔に安堵が浮かんでいるのが見えた。
「よく来てくださった…………!!」
小太りのおっさんが平身低頭とにもかくにも頭を下げまくる。
ハゲの照り返しが眩しいのでやめて欲しい。
「わたくしの結界を広げておいたわ。あまり離れないで頂戴」
「感謝いたします……!
護衛の魔術師達の魔力量もあと1時間持つかどうかというところでした……!」
ぐったりと座り込んだお兄さん達がその魔術師とやらだろう。
全員顔は真っ青で今にも倒れ込みそうだ。
「三人でよく保たせたものだ。人間だろう?」
「はい、三人とも我が商会の指折りの術師です。
それでもやはり人間ですから神の加護無き魔術師でこの呪われた土地ではこれが精一杯でして…………」
「そうでしょうね。人間が持つ自前の魔力量としては多い方でしょう。
お飲みなさいな」
マリーさん達は涼しい顔だ。何やら飲み物をやり取りしているが、回復薬的なものだろう。不味そうな色をしている。
まあ私は二秒でギブアップだったのだが。私からすればあの人たちも充分である。
「結界そのものもあまりいい物ではないのでしょう? 体調は平気かしら」
「何人かが既に昏倒しておりまして…………早急な治療が必要でしょうな…………」
「それで? 何故こんなところに居るのだね? 自殺願望でもあるのか?」
「それが…………」
小太りおっさんも歯切れが悪い。
「話に聞くとおり、天使が居たのかしら?」
「…………はい」
マリーさんの問いに意を決したのか、小太りおっさんは少しずつ話し始めた。
話を聞けば、どうやらこの街に来る途中でかなりの高度だったが一匹の天使が居る事に気付いたらしい。
おっさん達が先に気づいた為、向こうがおっさん達に気付く前に結界の外へ逃げ出し、ずっとここに隠れていたそうだ。
「賢明な判断ね。その天使はどんな様子だったのかしら」
「…………何かを、探しているような様子でございました」
むむむむ。
「探している? わざわざここに来る程に?」
「ええ…………。
身体のあちこちが既に腐食しておりましたが…………それには全く頓着していないようでした」
むむむむむむむ!!
「そう。何を探しているのかしら…………?」
「さて、神の御心はわからんな」
ブラドさんが周囲を警戒しながら答えた後、マリーさんがちらりとこちらを見た。
違います。
私が犯人ではないのです。多分。…………多分。
…………そうだといいな、いいやきっとそうに違いない。私が決めたぞ。私ではない。
「とりあえず戻りましょう。わたくし達は街のほうから来たけれど天使らしきものは見かけなかったし…………早々に治療すべき人間が居るのでしょう?」
「そうですか…………それならば街へ行きましょう。それにあの御使いも先は長くなさそうでした」
「ならば街へ来ればよかったものを」
「その様な勇気は私共は持ち合わせておりません。
御使いが居ると聞いた場所に来るなど…………皆様ぐらいのものでございます」
「そんなものか」
ブラドさんは軽く肩を竦めて見せた。
…………この三人、何だかんだ全員レベル1000越えだしな。
この小太りおっさんの集団は一番高くて30ほどだ。そりゃあ970の差は埋めがたいだろう。
撤収を決めたらしい小太りおっさんがあちこちに指示を出し、疲れきった様子の魔術師は回収。
一転、キャラバンは街へと改めて向かったのだった。
しばらく進んで、遠景に街が見えてきた頃だった。
マリーさんが深刻な顔でここで待つように指示をだしたのは。
「ここに居なさい。…………街の様子がおかしいわ」
ブラドさんが鼻をひくつかせる。
「…………こういう時は得てして最悪の道が選ばれるものだな」
クロノア君はじっと街を見つめている。
「………………」
えー…………まさか。
小太りおっさんも脂汗まみれだ。
「あの…………まさか…………!?」
小太りの掠れた声にマリーさん達は頷く。その見つめる先、土煙だけではない。
明らかに炎の煙をあげる街があった。
「天使は街へと入ってしまったようね。厄介だこと」
マリーさんの声にいつもの余裕はなかった。




