深淵より愛を込めて
無言沈黙無為無音静粛閑静閑散寂寥粛然沈静静寂静謐寂寞荒涼寂然空虚従容無音無反応無声隔絶隔離絶縁孤身煢然孤独無無無無。
十百千万億兆京垓杼穣溝澗正載極恒河沙阿僧祇那由他不可思議無量大数の時の果てに私は身を起こした。
ただこの身が内包するエネルギーを使い果たしやがて消滅を迎えるまでの無限の時間においてふと、一つの疑問を抱いたのである。
否、正しく言えば疑問を抱いていたというのが相応しきところであろう。抱いていただけで私は何も感ずることはなく放置に任せていただけに過ぎず、そもそもが疑問、即ち思考というものを抱くなどとしたこともなくましてやソレに対して何らかの線を繋ぎ反応を見せるというプロセスを経た事が無かった故に。
考えるという行為自体が在りえぬ身なれば、即ち畢竟、神の天啓を得たと言えるであろう。そう、知性ある生き物とは疑問を得たのであれば答えを求めるものなのである。
私の役目は既に無く、この虚無の中にあってただ存在しているだけというのが現在において私が主観するところである。有限無きこの世界であれば私に残された時間はまさしく無限であり、宇宙の只中に遠くの星々をただ眺めるが如き悠久の時が私を待つのみであった。
考えた。ただただ考えた。私はただひたすらに考え続けた。考える時間は幾らでもあった。我が身にあるエネルギーが溶けて消えゆくまでの手慰みとして私は一つの疑問への答えを求め続ける。
答えはどこにあるのかなど知る必要もなくましてや答えが用意されているかすら問題ではない。私を討ち滅ぼしたる光達、私が思考するに至る過程、結末があればこそ因果もある。虚無の海から空を見上げる。命。命。命。───────────人間。
芥の如き、されど光でも闇でもない輝きを放つ眩きそれらを一つ一つ見つめながら、大きな大きな虚無の海に私は沈む。
「ふふふふーん」
歌いながら枝を振り回しつつ集落を回る。特にすることがないので。探索飽きた。さて、出発はいよいよ明日となってしまったが。
見納めということで色々話してみるか。まずはそうだな……考えながら歩いていると視界の端っこに牢屋が映る。そういやあいつも居たな。
名前は忘れた。樽子でいいか。みんな食べ物の名前になるべき。そうすれば私だって覚えられるのだ。そうだな、ちょっくら気分が向いたので見に行ってみるとしよう。なんか捕まえた後に九龍とじいちゃんが色々聞いてみたそうだがなんにも知らないということでマジでただの人間爆弾として済ませることになったらしく完全放置されているのだ。
たまにフィリアとカグラが何やら話しているのを見かけるくらいである。どうにも聖女フィリアと祈主カグラというのはそれなりに名前が知れていたらしくあの樽子も知っていたようでおとなしく会話に勤しんでいるようだった。
ひょいっと覗き込む。反応はない。寝てるのか?もう昼だというのに人間の割に怠惰だな。いやでもフィリアの話を聞く限り人間でも規則正しいとは限らないのか。寝坊をしても翌朝早起きすれば釣り合い取れる社会らしいからな。
どうでもいいからどっちでもいいけど。普通に外の世界じゃ今が夜という可能性も無きにしも非ずな感じもするが。
ふーむ、しげしげと観察。ルナドさんが爆弾人間と言っていた通り、なんだかこう、すごそうな空気がある。これが霊力とか魔力とかいうものなのかもしれないな。私でもわかるぐらいだし凄そうだ。
「んー」
じっと目を細める。あいつに似ているな。顔立ちもだが、特に雰囲気だ。いつかのうなぎそっくりである。
まぁあれは人間ではなくうなぎだったが。すいっと眺めてみる。
名 カシャ=シャハリトリア=ルー(樽子)
種族 人間
クラス 龍体
ん、やはりあのうなぎは関係ないらしい。この人間はクラスが龍となっているがあいつはうなぎだからな。考えて損した。美味しいうな丼が食べたいものである。
枝でつんつんと突き回してみるが、やはり特に反応はない。何だ鈍いな。私でもここまでされれば起きるぞ。たぶん。にょろっと牢屋に侵入。魔法なんかはマリーさん達の手により使えないようにしているらしいし大丈夫だろう。どれどれ。樽子はピクリとも動く様子はない。なんだつまらん。ここはもういいか。
動かない人間に用はないのだ。立ち上がって牢屋を出ようとしたところで、たたらを踏んだ。疑問に思う前にそれに気づく。首を掴む腕、暗い牢屋の中でもなおまばゆき白刃の煌めきが氷を照らし出す。なんだ元気そうだな。
「ケロリン」
ぐちゃりと開いた。暗黒神ちゃんの開きである。実は異界人のおっさんに斬られたところはまだくっついていないので分離するのだ。
見事な回避と言えよう。ぶらぶらとする肩口から先をもいっかいくっつける。ふはは。ドッキリ機能付き緊急回避と言うやつだ。
「この、化物め……!!」
斬りかかっといて化物呼ばわりとは失礼な、思ったが確かに今の状態は化物以外の何者でもないので口を噤んでおく。暗黒神ちゃんは賢いのだ。
しかし意外と頑丈な身体で正直助かっている。いや、あの時におっさんが持っていたサーベルが神剣の類だったのであろうが。さもなくば今頃天に召されていた筈だ。それは困る。
それにしても奇妙な事を言うものだ。いや、化物どうこうではなく。
「レガノアは良くてなんで私は駄目なのさ」
これである。どっちも変わらんのではないかと思うのだが。それとも金髪褐色ボインでなければ駄目だというのか。いやまぁそれならそうか……としか言えなくなるのだが。
光を求めるは人の性というもの、とは言えども魂までをも焼く光が良いというのは少しばかり変わった趣味をしていらっしゃると言わざるを得ない。フィリアコースになるぞ。……まさかそういうのが好きなのだろうか?人間怖い。
「くだらないことを。問答などやはり無駄ですね。所詮は魔に属する不浄ですか。なんの種族かは知りませんが、その見目、魔族の類でしょう。
神聖にして不可侵、女神レガノアを貴女のような名も無き地を這うだけの疫人が自らと対等であるかのような罪深き言い草、聞くだけで耳が汚れます。
女神レガノアは世界を産み出し、人を産み出し天の国より人々を見守り続け人間の魂を天の楽園へと導いてくださる神。貴女が謁見するも叶わぬ至高の存在。身の程を知りなさい」
「いや、どっちも一緒だけど」
冗談抜きで同じだ。そもそも魔族でもないし。というかレガノアが天の楽園へと導く?
何やら面白い考えを持っているらしい。行き着く先はどちらも一緒だというのに。
「死んだ後は確かにレガノアの神域に導かれるだろうけどその後の加工工程も最終的な出荷場所も変わらないけど。
人間のエネルギーでも魔族のエネルギーでもなんでも加工工場が違うだけだし。魂が正か負かでエネルギーに出来るか出来ないかがあるから回収先が違うだけ。
天国でも地獄でもやることは一緒だぞ」
ざーっと洗浄してきゅっきゅと磨いて乾燥させてエネルギーを取り出してリサイクル工場に回されるだけである。レガノアの神域でも楽園でキャッキャうふふなんて工程は特にない。
故に、その楽園とやらも今は無人に違いない。今のレガノアの二代目とやらはどうにもリサイクル工場に回していない感じがあるけど。だから人間以外の出生率が低いんだろう。回収した人間の魂からエネルギーを搾り取ってそのまま東大陸にもう一度人間としてぽんと投げ落としているだけな気がする。
多分だがここ数百年は人間の人口も殆ど変動はない筈だ。所謂エコというやつであろう。
「…………」
しかし樽子は納得していないらしい。何が不満だ。
「その楽園には誰も入る事はないし、えーと、聖人だっけ?
今まで天の国に行ったとかいう人たちも誰も居ないし、その人達もざぶざぶと洗われて大地にもう一度還ったと思うけど。
大体、東大陸がエリュシオンっていわれてるなら魂が楽園に行くって要するに東大陸に戻されるって意味になるじゃんか」
「……ふざけるな!!一体何をふざけたことを、何を根拠に!!
天に唾を吐くが如き、神を侮辱する言葉を吐き散らすなど……今すぐそこに直りなさい!
この手で帰るべき場所に帰しましょう……!!改心の機会を恵まれる慈悲を掛けられるなどと思わないでください!!
神の炉に入るだけの資格すらない、悔い改めなさい……!!」
叫びながらブーツで氷を踏み鳴らしている。怒られた。何故だ。めんどくさいやつだ。短剣を握りしめてブルブルと震える様はまさに怒髪天、今にも斬りかかって来そうだ。びきりと青筋が浮かんでいる。ガクガクとする足が怒りに身体がついて行ってない感じである。
何をそんなに怒るのかわからん。しかも神の炉ってあれだ。あれに入るのが慈悲なのか。やはりそういう趣味なのだろう。人間怖い。
にしても†悔い改めなさい†なんて言われてしまうとはこの暗黒神、一生の不覚である。思わずダガーを付けてしまうぞ。
どうしようか。思えば初の人間との対話である。フィリアやカグラとかあとルナドさんとかも居たけど全員信仰なんかクソ食らえだったし。ちょっとサービスしてやるか。
それにルナドさんに頼まれたのだ。ただの爆弾にされている子供だ、その命を助けてあげて欲しい、と。身体の加工とやらはフィリア達がなんとかしているのだろう。ちょくちょく魔法っぽいものを掛けていたし。
なんか龍とのモザイク体云々と会話していた。モザイク処理とかじゃなくて生物のモザイクの方っぽかったし、この樽子にも色々あるのであろう。よし、わかり合うためには対話が大事だ。うむ。
「樽子はなんでわざわざこんな所に一人で来たのさ」
「樽……?
………………うるさいですね。私は父上や兄上達とは違う、本物の信仰に生きる信徒です。
世界に蔓延る神敵を誅伐し、世界をほんの少しでもいい、高みへと至る一助となれれば本望。勇者となり、聖者となって天の国へと私は行く。
その為に魔族を、邪悪を、光に歯向かう愚者を一匹でも多く罪を贖わせる。神は慈悲深い。どんなに罪深い魂にも罪を償う機会を与えてくれます。
私はその神が振るう断罪の剣の一本。罪を断ち切り、その来世において天に至る資格を得られるように」
今まさに私に掛ける慈悲など無いと言った癖になんだ。適当だな。父や兄がどうこう言ってるが樽に入ってる時に蹴られて無礼なとか喚いてたし一皮むけば多分その父と兄と似たり寄ったりなんだろうな。というか罪を償うの方法が死あるのみで怖いな。やっぱり人間怖い。
どこかの誰かがいつか私にも人間の良さがわかるとか言っていた気がするが今の所人間怖いという感想しかない。詐欺だ。
あとこのまま色々語り合ってもいいかもしれないけどめんどくさくなってきた。うーむ。手っ取り早くいこう。なにやら今の暗黒神ちゃんはとても爽快感に溢れに溢れている。まさに絶好調と言えよう。
普段は霞がかった容量の無い暗黒脳みそも絶賛フル稼働中なのだ。
「そうだな、じゃあ天の楽園に連れてってやろう」
「………………なんですって?」
がっしとその顔を掴む。他ならぬスルメ愛好委員会ルナドさんの願いである。委員長として最期の願いを叶えてやらねばならないだろうからな。というわけでこんなサービスは滅多にないぞ。
目を合わせる。私はその魂を覗き込む。 さぁ、気をつけるがいい。
汝。怪物と闘うのならば、その過程において自らが怪物と化さぬよう。お前が長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返しているのだから。
私の顔面やらなんやらからぼちゃぼちゃと光の一切合切を吸い込み虚より返す事なき、この世で最も黒い物質が氷に落ちていく。
そのまま樽子を覗き込めば、その顔にも黒いものが降り注いでいく。どろどろととろけるそれに樽子は半ば恐慌状態にあるようだ。別に身体に害は無いのだが。見た目はアレだが。でもまぁ樽子にはそんなことはわかるわけもなく引きつった声が押し出されるようにして牢屋に響いている。
それを眺めてからちょっとフンと気合を入れてからくるりと表返った。さて、こんな顔だったか。顎に手を当てスリスリスリ。
「カシャ。その目でまっすぐに光を見つめなさい」
「───────────ヒッ」
暗黒神ちゃんの開きついでにレガノアの顔して深度百二十八度極霊天くらいまで見せたところで樽子は泡を吹いてぶっ倒れた。なんだ、人間史上というか宇宙開闢から初の大快挙だったというのに勿体無い奴である。もう少し潜ると光の楽園的な場所だったのだが。
しかしルナドさんという人の願いを受けてやる気が出ていたので多少すっきりしていたが樽子が受取拒否したのでどうでも良くなってきたな。
二度寝してだらだらするか。暗黒神ちゃんというのはだらだらとした食っちゃ寝の幼女なのである。




