マリー様の特別講義2
ちゃかっとメガネをお掛けになったマリーさんが指示棒を振りつ、済ましたお顔でお勉強を始めた。
メガネ姿もなんと麗しい。素晴らしい。
「……話が逸れたわ。
まずはそうね、精霊魔術の授業を始めましょう。
今の時代に一般的に魔法と呼ばれるものは大体が精霊魔術を指すわ。
最初に語っておくべきは精霊かしら。
混同されがちだけれど、精霊とマナは違うものよ。マナとはそれだけならばただの力でしかないわ。精霊そのものを差すものではないの。
世界に元来存在するマナは二色、黒と白、これが世界の根幹を成す原初の色よ。これが大前提。
白のマナは軽く、そして黒のマナは重い。この二つのマナが複合することで無体、無色のエネルギーでしかないマナへと変ずる。
世界とは層となって構成されるもの。正確にはクラインの壺と呼ばれる形だけれど……巨大すぎて認識出来るものではないわ。
兎に角わたくし達が生きる此処を物質界とするならばその下と上にも世界が幾層にもなって連なっている。
物質界でもこれほど霊的に恵まれた惑星はここぐらいではないかしら。水があり炎があり土があり風があり、四源精霊が顕現可能で生命が生まれるに適した環境。これだけでも破格ね。まるで繕われた箱庭のよう。
この大地から観測する限りでは大体がガスの集合体か氷の大地、気温は数百度で酸の雨が降り常に嵐に覆われる星、異常な重力で観測すらできない星、人どころかまともな精霊すら存在しないかもしれないわね。
精霊と呼べる内で最も強い力を持つのが四源精霊王。樹クラスの精霊達ね。精霊とはこの大精霊達から生まれてくるの。マナを産むとも言われているけれど、実際に産んでいるのは小精霊。
一般に知られるそれぞれの属性マナはこれの副産物と言ったところよ。精霊王達もマナを精霊界より更に上の位界から下ろしてきているに過ぎないわ。
上層から無色のマナを引き下ろす際に精霊王の体内を通る事でマナに色が付き変質する、と言えばいいのかしら。
根源は白と黒、そして無界、その次に三原天臨、四源界、元素八界、そして三十二霊素界、ここが精霊学における物質界ね。
更なる下は六十四精霊天、もう一歩深く、深度百二十八度、極霊天。ここが今その存在を認識出来る限界深度。その下はもはや想像もつかないわね。
四源精霊が樹と称されているのはその存在の有り様が樹に似ているから。次元に入った大きな罅、それが精霊樹の正体。枝場を伸ばした上層から原始のマナを引き寄せその体内を通って物質界へとマナを纏った精霊が生まれる。
では精霊樹がマナを汲み上げる上層霊界、そこでマナは作られているのかしら?答えは否。その世界にも精霊樹のような者が存在し、更なる上層からマナを汲み下ろしているだけ。
ではもっと上?
もっと、もっと。わたくしたちのような矮小な魂では認識できないほどの高みに、そして深みにある根源の世界。
クラインの壺の終端、そこに本当の神は居るの。
精霊とは物質界と薄布一枚隔てた次元にある精霊界、虚海と呼ばれる世界に住まう者、精霊魔術とはそれらをまずは召喚する事から始まる。
このゲートを開く為の方法は幾つかあるわ。
呪文による魔力操作。杖や本、宝珠などの魔道具。呪文によらない自らの魔力を思念によって操作しゲートをこじ開ける方法。
精霊を呼び出すのは奇跡を行うに力足りない者が取る手段だけれど、ゲートの大きさと喚び出せる精霊によっては億に一人のレベルだけれど精霊王を直接召喚出来る者も居るわ。
とはいっても、精霊は精霊、上位であればあるほどその数を減らすし当たり前だけれど四源精霊はそれぞれ一基しか居ないし、この物資界から召喚できるのはここが限界。
この上には光の三源と闇の三源、計六基の源祖精霊がいるけれどここまで来ると生命としてあまりにも違いすぎて意思の疎通すら出来ないわ。
その上に暗黒魔天と白光魔天、この二基ね。この宇宙における最も外宇宙に近い管理者よ。この域になると二基で一基の複合体。わたくし達など微生物にも等しい宇宙レベルの生命体よ。人には理解不能な領域。ここがこの世界樹で最高峰の存在、神としてこの世界樹で生まれたと呼べる限界水域ね。
下層に関しては物質界よりすぐ下の階層からすら召喚は不可能よ。荷を下ろすのは簡単だけれど、逆に上げるのは難しいでしょう?人が死ねば冥界からは戻れぬように、一方通行の世界よ。
下は虚無界、あるであろうとされるだけで観測不能の裏側の世界。小さな極小世界、その重みと歪で最上層と繋がるという魂の始まり、原初のカオス、空間学におけるマイナスの世界ね。
最深度の黒き神との謁見を果たすに確かに通った筈なのだけれど……人が覚えているべき事ではないからでしょうね。わたくしももう覚えてはいないわ。まるで夢のよう。今となっては上に行ったのか下に行ったのかもわからない。
……まぁ感傷はいいわ。
つまり、四源の極大魔法、これが精霊魔術の限界ね。四源精霊が扱う以上の魔術の行使は出来ないし、その法則を破ることも出来ない。
精霊魔術士の戦いであれば本人の魔力よりも制御権の方がものを言うわ。より上位のものを従えた者が勝つ。これに当てはまらないのは古き精霊ぐらいね。古くから存在するだけあって知識量が生まれたての精霊などとは比較にならない。擬似的な魂を有し精神性を持っている場合も多いわ。
精霊魔術に相反するのは思念魔術、いわゆる媒介魔術ね。思念や言葉や紙、紋様に魔術を含ませ直接マナと世界に働きかけるもの。精霊と契約せずとも扱える魔術だけれど。
術士本人の自前の魔力と知識に最も作用される分野の魔法よ。魔族が扱うのは大体がこれね。
精霊魔術が術者の魔力を使って召喚、組み上げ、精霊の魔力によりマナに影響を与えて物理干渉というプロセスを経るに比べて魔力の変換効率が桁違いなのが特徴。
精霊魔術師と媒介魔術師が撃ち合えばよほどの力量差が無ければ媒介魔術師が勝つわ。精霊魔術はどうしても精霊を介する必要があるし、魔術師本人が出来ない事を代替させるというものでしかない。
あの荒野のように環境にも大きく影響を受ける。砂漠や火山では水や氷の精霊はただの召喚ですら難易度が跳ね上がるわ。フィリアはその辺り最高峰の精霊術士と言えるわね。あの技量は本物よ。
それでも精霊魔術士では特に魔族や竜種、黒の魔力を内包し扱う種族に魔法戦を仕掛けるのは愚の骨頂、近接線でも愚の骨頂だけれど。
魂源魔法は除外するわ。わたくし達のようなこの世界の一個の生命体が扱える魂源魔法はギャンブルに近いから。
ぱる、ぱるぷ……なんだったかしら。ソウシが言っていたけれど。まぁ兎に角考えなくてもいいわ。亜人や異界人、眷属でもなければ考えるだけ無駄よ。
わたくしのはそれなりに扱えるものだったけれど……多分だけれど八界始元霊の一角、紫の魔力を持つ雷素精霊と相性がいいのか気に入られているのか……どちらかでしょうね。
紫魔力を作り出すというのはかなり精霊に近い要素だもの。
そして今、人間たちが使う光の魔法、あれはまた別系統ね。
精霊でもない、強いて言えば媒介魔術に近いわ。わたくしには全く持って理解不能な分野なのだけれど。
……ん……なんというのかしら……筆舌に尽くし難いわ。実に。
徳、そうね、徳を積むの。ええ。神々の試練をこなす、苦行に励む、魔物やモンスターの討伐。神官や聖女。勇者や聖卿の称号を得る。これもソウシが言っていたわね……れべるあっぷ、だったかしら。
それらの行為を以って天使や神に認められ光の奥義を与えられる、らしいわ。
神の加護でもあるまいし自分の意思で発動させる魔法が神罰を受けるなり称号を剥奪されるなりで使用不能になるというのが意味がわからないのだけれど。
使用する魔力は白の魔力、今となっては人間達の多くが持っている魔力炉よ。……本当に何故使えなくなるのかしら。
普段はレガノア神に魔力炉を施錠されているのかしら。魔法そのものに関して言えば研究そのものが粛清対象だからわからないでもないけれど……。
まあいいわ。土台わたくし達には習得不可能ね。気にしなくていいわ。
それで。まずは以上なのだけれど。
理解できて?」
ウルトと二人で机に突っ伏す。
煙が出てきた。わからない、私にはわからない。
「僕にはまだ魔法は早かったようですねー……」
「私にもまだ早かったようだ……」
二人で同時に席を立つ。逃げるが勝ちである。これはわからん。それにマリーさんから若干スパルタの匂いがする。これはいけない。
スパルタ女教師怖い。
「ウルトディアス、貴方がいい出したからわたくしが態々教鞭を取ったというのに逃げるだなんて許されるわけがないでしょう?
みっちり教えてあげるからそこに座りなさいな」
「あははー、………言うんじゃなかったですよ……僕今ものすごい後悔してます……」
「精霊魔術なんぞ興味はねーアルが。それなりに興味深いアルな。カグラが本当に古き精霊とやらと契約出来れば一度見てみたいもんアル。精神持つ精霊、精霊術士の根底がひっくり返るヨ。
クロイツマインはちゃっちゃと殺しちまったからネ。噂の精霊王とやらもお目にかかれねーままだったアル」
「ああ、そういえば九龍だったわねあの男を片付けたのは。手応えはどうだったのかしら?」
「精霊術士としては格下もいいとこアルな。火力はあっても精神が追いついていない。
時間干渉可能なほどの神性の加護すらあってあのレベルじゃあ話にならんアル。拷問されてようが構わず精霊使役してくる程度の精神力は必要最低限ヨ。三回くらい殺しといたヨ」
「そう、やはり今の時代にあの時代の精霊術士クラスを期待するのは酷かしら。
勇者や聖女の光魔法もちゃんとした魔法足り得るのならばわたくしも喜んだのだけれど。実際には神から武器を与えられてそのまま使っているというものでしかないわ。
わたくしの推測だけれど、根源的に人間という種に遺伝的に光魔法の術式を直接埋め込んでいるのではないかと思うの。それを使用できないように条件付けでロックしているのが光魔法。
条件を解除しロックが外れることでそれを使用可能になるという事ね。肉体に既に術式の全てが埋め込まれているのだもの。知識が必要である筈もない。
これもただの考察に過ぎないけれど……元来、光魔法も黒魔術と同じように真っ当な起動方法があったのではないかしら。ついぞそれは発見される事なく今日に至る、ということね」
「わかんねぇ……魔族ってのは一々そんな事考えてやがるのか……?」
「人間は逆に何も考えなくなったわね。昔の方が面白い魔術師が居てよ。
そもそも人間は魔族と忌避するけれど、魔族というのはその基本骨子は人間や動物よ?わたくしもそうだったもの。ロードの力によって吸血鬼種、魔族へと転生を果たした人間。そして今居る魔族達もそのような物質的な生物から霊的生物である魔族へと変異した者たちの子孫が大半を締めるわ。
そういう意味ではわたくしもロードの子孫、という事になるわね。
クロウディアなどもそうだけれど、魔術の力で肉体という足枷を外し魂の位階を登った者達。因果を変質させ個を肉体と世界の檻から解放する力を以て血と、業と、肉体から解き放たれた者達。
わたくし、魔術師としてのクロウディアは尊敬すらしているのだけれど。クロウディアは不死者という魔族。未だ子を持たない彼女だけしか居ない種よ。人間から魔族へ自力で転生を果たした不死者という種の始祖にあたるわ。
恐らく魔族の転生というものもカテゴリで言えば黒魔術の一種でしょうね。条件を満たす事で発動する黒魔術。暗黒の神の眷属化の力をそのまま黒魔術という理に落とし込まれているのだと思うわ。
それをそのまま子に運用できるロードはどうやって吸血鬼になったのかもわからないそうだけれど。あの方はきっと何か、魂が暗黒の神に近いのか因果が高すぎたのか……。吸血鬼という種が魔族の中で一際強いのはこれが理由。子の全てが始祖と同種と言っていいわ。吸血鬼としての子を作る力はロードのみだけれど。わたくしが子を成しても恐らく生まれるのは人間の赤子だもの」
「……そうなのか?」
「ええ。人間と似たような姿の魔族は人間という種から進化した者達が大半。ウルトディアスのように人の姿を真似る魔族も居るから一概に見た目だけでそうとは言えないけれど。
ああ、神竜種はまた別よ。世間的には魔族だけれど精霊のようなものね。神龍種もそう。
……吸血鬼は人の血を吸わねば生きていけない。嘗て人間だったロードの業をわたくし達は受け継いだ」
「……………人間社会の常識が根底から覆るな……」
えーと、逃げる機会を逸してしまった。しかし、ふむ。さっぱりわからなかったが一個だけわかるな。
「レガノアの光魔法は本来の形態としては多くの祈りに答えて発動するものなのです。
雨が降って欲しい、それを全ての知恵ある生き物が願えば発動するのです。光魔法とは具現化する祈りの奇蹟。
黒魔術はどんな形式でもいい、物質界に敷かれた法則に則ったものであれば起動する矮小化された奇蹟の一片。そして霊的位階を昇り詰め私の閉じた端末にアクセスし、私の前に立つこと叶えば私は本当の奇蹟を与える。それが私に与えられたルール。
レガノアの場合は多くの知性動物が一つの事だけを願えば、それがなんであっても叶えられるという権能であり奇蹟だった。今人間が使っている光魔法は人間たちの白炉を通じて起動する抽出され拡大解釈された祈りと願いを人間だけを一つの世界、一つの生き物と見なすルール破りで無制限に発動する機構。
人間たちの身体に埋め込まれているのは術式ではなくあらゆる有り得た奇蹟と可能性の全て。聖者は悪しきものを永遠に封じた。打ち付けられる雷の全てを防いだ。天使の御業を与えられた。真の闇の中で天を照らした。敵は塩の柱となった。そういった過去、未来において起こり得たアカシックレコードに記される奇蹟の全てが埋め込まれた。
でもまあ認識されないだけで無意識下レベルの光魔法は昔から常に発動していたとかなんとか。
誰だってこの星に隕石がぶつかって滅んだりしませんようにとは無意識の海で願っている。だからぶつからない。種族も問わないしその名を唱える必要もない、祈り、願い、そうありますようにという純粋なる想いで発動する。
それが本来の光魔法なのです」
「…………そう。クーヤはそれをどこで知ったの?」
「………さぁー……?」
どこでだっけ。知らないな。しかも答えた傍から右耳あたりから抜けていってしまった。もう出てきそうもない。
マリーさんはなんだか考え込んだ様子だし、九龍は目を爛々とさせているしカグラは何やら薄気味悪いものを見たような顔でこっちを見ている。しかもなんかボソッとバケモンがとか言いやがった。なんだ突然。ウルトはのほほんとしているが。
よくわからんが逃亡チャンス。
くるりと反転、暗黒神ちゃんレッグに火を入れて暗黒ダッシュで逃げ出した。