労働労働また労働
―――――――――――――――なんということだろう。
わからない、わからないわからないわからないわからないわからない。
吾には理解が出来ない。何故なのか。どうして。
わからない。浮かぶのは疑問。それは初めて湧いた感情と呼べるものだった。
突き立った剣、破壊される神としての核。我が身が押し込められた虚ろなる肉体。肉体より感ずる空気と熱、音、視界、匂い、手触り、光。胸が焼かれるが如く脈打ち、空気が肺腑を圧迫する。
何故。人など触れ得ぬ筈。ましてや、この身を手に掛けるなどあろう筈がない。我が身が実体化しているなどと、まさか。何が起きたというのだ。わからない。
バベルの塔を這い上がってきた人間達。神秘が顕現するこの世界で、神が住まう天上へその足を掛けた人間達。
破壊されたこの身より空間に奔る罅。世界が砕ける。世界が罅割れる。僕の身体より混沌が溢れ出る。世界が変質し理が崩れる。
1と0だけの世界に負の概念が付加される。魂は此処に。肉体は空に。精神は水底に。何故。莫迦な。在り得ない。
疑問、疑念、好奇心、なんと呼べば良いのかわからない。なんだというのだ、一体。不可解に過ぎる。一体何故。
お前たちは一体、何の為に。自らの死が怖いのか。蔓延る病を恐れるのか。他者の欲を畏れるのか。まさか、その一念だというのか。わからない。
お前たちという存在、その全てが理解不能だ。
遥か地上から溢れるは祈りと願い。楽園を望み神の愛を願い魂の救済を祈る人々。
目の前の男を見つめる。
確か―――――――そう、そうだ。そうだった。クロノア=オルビス=ラクテウス。俺が人間を個体として認識したのはそれが初めてだった。
その眼は強くこちらを見据え、迷いは見られない。
混沌と土、死と感情、魂と精神、魔と奇蹟、闇の概念でしかない外なる宇宙の更なる上、イドのイド、イデスよりイデア、原初のエネルギー体でしかない命とも言えないわたくしをこの地にて打ち砕く、その情熱と執念は一体何処から来る。
一体何故。
わからない。
わからない、わからない。
その力は一体何処から来る。その感情の源泉は?
愛、平和、安寧、友情、願い、祈り、わからない。我はそんなもの知らない。何故。目の前の男と後ろに満身創痍に立つ三人、その記録を弄っても答えは見つけられない。
クロノア、アレクサンドライト、この二人からは人々を嘆きより救いたいという祈りしか感じ得ない。だがそれもここまで突き詰めれば此処に至るというのか。理解しがたい。これが、勇者という生き物なのか。
奇蹟が吹き出る。混乱が広がる。罅割れた世界の空間がズレる。意識界、幽界、混沌の海、天上の園、物質界、霊界、神界、その全てを貫き繋げる大いなる亀裂。
私は堕ちる。
砕けて消える。何処でもない何処か、時間も空間も無い虚無の世界へ。存在しない存在、時空の外、永遠なる無空、虚数空間へ。
無間の虚ろへと飲み込まれ消え行く寸前に、地の底より響きたる絶望と嘆きの声を聞く。
そしてカーマインなる個体の、わけのわからぬ狂気の瞳を私は見た。そしてその背後に、真白き光が顕現するを私は見た。
レガノア、貴女は私の裏面。私は貴女の裏面。背中合わせの我々は相見える事など永遠に無い存在、だというのに貴女が何故私の目の前に居る。
自らの背中をこの目で見ているような、奇妙な感覚。私達は同じ世界に同時には存在し得ない。同一人物であるが故に。だからこそただのエネルギー体として彼岸の果て、根源の世界にしか存在し得ないのだ。
貴女は多くの人々の願いに応える私の裏面、ならば私は誰の祈りによって此処に立つのか。
握りしめられた両手、光の女神が確かな祈りを乞う静かなる目で私を見つめる。人間のような、その目を見て私は悟る。
―――――――ああ、そうか。
愛に堕ちた女神、愛した人のとうとくうつくしき祈りに応え、そして私に願いたい事がある故に貴女は其処に居たいのか。
人が個で成せる究極、その果てに私は奇跡を与える。
それをいうならば、そう。
個の極みなのであろう。
その力も、その祈りも、その狂おしいまでの想いも。
その恋情と絶望に身を焼いた貴女は願ったのだろう。正しき形、正しき力、正しき祈りをもって貴女はそれを成し遂げた。
私から与えられる奇跡を願い魔王へと堕ちた光の神。貴女はその究極の祈りを終に叶えたのか。
概念の魂化、貴女はそれを叶えた。神々は顕現する。神秘は手に触れ得るものであり幻想は現実へ。
あいたい、会いたい、逢いたい、あいたい、愛たい……よく、わからないな。私は貴女、貴女は私の筈であるが。だが、こうして出逢った以上は最早そうではないのであろう。
しかし、それでもなお足りなかった筈だ。貴女に感情はない。人と違う貴女では感情らしきものを持ったとしても与えるばかりの、全知全能というただ一つで存在が完結する貴女はその感情らしきものの在り様が根本から違う。
何より私と逢う事叶わぬ貴女では永遠に届く筈がなかった祈りだ。貴女は私だ。祈りに応える機構ではあるが自分の願いは祈れない。
私の目の前に立つ事叶わぬ貴女では奇跡は願えない。だからそれは別の所から持ってくるしか無い。
視界を巡らせれば、遠くにぽつんと独りきりで立つその人間と目があった。
血の涙を流し、歯を食い縛り、身体を戦慄かせ嫉妬と熱情と狂気に身を焼かれながらそれでもなおその感情と祈りを以って在り得ざる神の思惑をも超える大奇跡を起こして見せた、その人間を。
その感情をまさぐれば、ああ、なんて意味の分からない生き物だ。理屈も無ければ道理も無い。なんて不思議な生き物なのか。
レガノアを、人間にしてくださいなどと何を意味のわからぬことを祈るのか――――――――。
そのような神殺しを願う祈り、叶ったとして自分がどうなるかわかっているのか。私達は原初の世界を構成するパーツの一つだ。無くなれば別のものを嵌め込まねば崩れ去るのみ。
時間も空間もない外なる神を引き剥がすのならば全て最初から無かった事になる。天の理を捻じ曲げ新しき理の世界を再編する、そのような創世を成すには人間という器では無理があろうに。他の全てを吸い上げても精々がこの枝葉ぐらいしか維持できまい。
宇宙を捻じ曲げるその魂と祈りが折れればその瞬間に何事も無かったかのように元に戻るだけだ。なんて無意味な生き方だ。そうでなくとも、何れ先細りし枯れ果てゆくが定め。なんの意味がある。
何故。わからないな。わからない。
この星は無論、この物質界は私という情報体を形あるモノとして表現せしめる為の理を有していない。文字通りに存在する次元が異なる故。確かな個として、形持ちたる存在として地に降り立つのならば、どちらかを削り取り消え去るしかない。
私という神は発生した当初より混沌の面も秩序の面も無く、完成された陰陽の型を持ちたる神であった、そうなるしかないのだ。
そして消え去るのは私の方か。
その人間に逢いたいと願った貴女、そして蔓延る嘆きと死を厭うたクロノア。神への恋に狂った人間、叶わぬ愛に狂った人間。私への謁見は確かに叶った。故に、私は秩序に従い機能を全うしそしてお前達の祈りは此処に叶う。
それぞれ抱えた業も夢も希望も愛も嘆きも苦痛も憎悪も狂気も願いも、その何れもがまるで噛み合っておらず、叶える為の方法を同じくするというだけに過ぎない。
だというのに、その全ての事象を以って私を消滅させる事能う未来に向かう事は既に確定された。
奇跡を願ったお前達の想いを果たすのならば確かに、この帰結は逃れ得ようもなく。因果律、運命と言って差し支えあるまい。
全く、理解不能で理不尽で道理もなく意味不明で無意味だ。
ああ、それに。何をそんなに泣くのか。泣き喚いて足掻き藻掻く、別に大した事では無いだろうに。
私という核が消え去ったとて、再編されるであろう新たなる天の理に従い私の代替えたる新しき神が生まれるだけだろう。ただのエネルギー持つ情報体、核が入れ替わったとてそこに個としての違いは何も無い。神域は引き継がれお前達の存在にはなんら変化はない。
だというのに何をそんなに泣くのか。
だが、彼方の世界線へ、事象の地平線へと永遠に落ち続ける私にはその答えを知る術は最早ない。
「ふが」
一時間の仮眠もばっちり、いい感じの目覚めだ。よくわからん変な感覚があるが。ま、問題はあるまいて。
もぞもぞと起き出しシャキーンとポーズを決めてやった。周囲に転がる死体共がのたのたと起き出すのをはやく起きるのだと蹴りながらヘルメットを引っ掴む。今日も元気に頑張るぞい。
思ったところで外から私を呼ぶ声がしてきた。
「おーい、クーぼん」
「む、なにさじーちゃん」
最下位じーちゃんのようだ。
人が折角やる気を出して色々とポージングを決めているというのに水を差すとは何事か。
ぷりぷりしつつも仮眠用ゲルから這い出る。
「九龍から人が届いたぞぅ。きっちり十人。あともう一ついい知らせがある。
九龍が例の精霊使いの首を殺ったんだと。なんかあっちにのこのこ出てきたらしい。これでこっちでも魔法使えるって寸法よ。
ってわけでこれで人手も足りるだろうからお前らもうちょい休んでていいぞ」
「な、なにぃ!?」
休みだと!?ダメだ!!今休ませては折角思考力を根こそぎ奪い取ったというのに無駄になってしまうではないか。却下である却下。
魔法も言語道断、楽な方法、楽な機械、能率的なシステムは人材を腐らせるのだ。
通勤は徒歩で電車は禁止、書類は手書きで飲み会は自腹、有給は趣味で働き休憩は自主的に仕事に励むべき時間で給料は会社のために使うべきで残業すればするほど出来る人間である。
働かせて頂いているの精神を持って人生を励むのだ。お金なんか貰わなくても人からの感謝の気持ちだけで人間は生きていける。ノー残業デーだのなんだの、甘やかすからダメになるのだ。
泣き言を言うなんて今時の若者は根性が足りないしただの甘え。
「労働時間超過と休憩無し、社会保障無し最低賃金割のブラック労働はギルド戒律で固く禁じられていますぅー」
「クソッ!なんて時代だ!!」
ヘルメットを地面に投げつける。カコーンといい音と共にヘルメットは何処かに飛んでいった。
そんな事でこれからの時代を生き残れるか!一に労働、二に労働、三四も労働五も労働だ。
現場監督たる私の地団駄付き雑言を他所に死に体だったゾンビ共が雄叫びと共に喝采を叫ぶ。おのれ労働者階級共め。プロレタリアートめ!若干プロレスラーめ!ストライキ寸前だというのか!なんと世知辛い世の中であろうか。
「法のもとにこれからこの現場はクリーン、ホワイト現場になりますぅー。
というわけでクーぼんよろしく」
「やる気なくなった」
さぁ今から勉強するかーって時に勉強しなさーいと言われて萎えた子供の頃の純真な気持ちを忘れないであげてください。
というわけで私の労働意欲はすっかり消え失せ果てたのでみんな頑張れ。バビュンとゲルを飛び出し向かうは医療ゲルである。
どっちにしろ思いもよらぬ休憩時間なのでおじさんの様子でも見に行くのだ。
「おじさーん」
一応声を掛けてはみるが勿論返事はない。
ゲルの中では衛生兵たるフィリアが疲れたように座り込んでいるだけだ。あと隅っこには二匹の天使が微動だにしないまま座り込んでいる。
天使とは勿論あの天使である。紅い光を放つ目はじっとおじさんの方に固定されたまま動かない。
私も最初はビビったがマリーさん達に話を聞いてみればなんともはや天使よりおじさんの方が恐怖である。
どうにもあの戦いの折、おじさんはうっかり頭蓋が吹き飛んでしまったらしい。最初は大人しく死んでしまっていたらしいのだが、頭蓋が吹き飛んだまま突然動き出したと言うのだ。
真祖としての防衛機能が働いたのではないか、とはブラドさんの弁だが。そのまま暴走したおじさんは冗談のような話であるが天使、即ちレガノアの眷属を奪い取り自らの血族としてしまったのである。
その直後に力尽きて動かなくなったそうだが周りからすれば暴走が収まってくれて万々歳といった所だったろう。そのまま暴走されていたら全員吸血鬼になってたに違いない。
おじさんには復元機能とか有り難い能力は勿論無いので今でもおじさんは意識は戻らずうっかり死んでしまったままである。マリーさん曰く、おじさんにそういった回復能力すら無いのは真祖はそれすらも従僕にやらせればいいから、という理由らしい。
下僕がなんでもするので自分は何も出来ないもここまでくれば極みである。悪魔頼りの暗黒神的にはおじさんには実に親近感が湧く話だ。うむ。
ちなみに天使には勿論そういう能力があるのであろうが、おじさんの言うことしか聞かないという融通の全く効かない機械的性質のせいで今のところ全く役に立っていない。
「……クーヤさんですの。申し訳ございませんけどこれ以上の処置は無理ですわよ。
私も精霊魔法も抜きではこれが限界ですわ」
「あ、そういやさっきじーちゃんが魔法使ってもいいってさ」
物のついでで教えておくとフィリアは不思議そうに首を傾げた。
「そう、なんですの?」
「なんか九龍とかいう人が精霊使いの首が貰えたとかなんとか」
「……クロイツマイン様、ですわよね?
私、ギルド総裁にはお会いしたことがございませんけどきっと化物とか怪物とか何かに違いありませんわ。断言してもいいですわ。
間違いなく大怪獣ですわよ」
「へぇ……」
私にはよくわからんが。クロイツマインってなんだっけ。なんかうっすら聞かされた気がしないでもないが既に我が暗黒脳には残っていない。
残念。けどまあ魔法が使えるならいいんじゃないだろうか。労働現場的にはけしからんがおじさん的には非常にいいだろう。
さしもの私も今のおじさんを放置は出来ない。労るべき。私はクリーンでホワイトな現場監督であるからして。
というわけで全治数年診断のおじさんが全治数ヶ月くらいになったんじゃないかという吉報を得たのでクリーンでホワイトな私は現場に直行である。
この現場は今からホワイトでクリアで清廉さ溢れる素敵職場に生まれ変わる。やれば出来るんです。
とっとことつるはし持って作業現場に向かってみればなんとまあお前らそんなに働けたならもっと働けばいいのにというくらいに歯を光らせ輝くチンピラどもが溢れかえっていた。
そんなに休みが欲しかったのか。あちこちから感涙に咽ぶ声が聞こえてくる。生きててよかったとかなんとか。面白くないな。
「うはははは!!オラァ、粘土層でも岩盤でもかかってこいやぁざまぁみやがれあの子持ちししゃものガキンチョが!!
散々こき使いやがってこれからは人権の時代なんだよ!!」
カグラが元気いっぱいな顔でスコップを振り上げる。瞬間、突き立ったスコップが壁を崩した。
スコップで穿たれた穴は徐々に崩れ広がり、やがてその穴の向こうに広大な氷原が見えてきたのは程なくしてからだ。
「……あら、ユグドラシルの神泉についてしまったようね」
「うむ、開通式でもやるか」
「ああああああああ」
カグラがいっそ芸術的な動きで膝から崩れ落ちた。